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2022年3月

2022年3月31日 (木)

AmazonのKindleストアで電子書籍をセルフ出版してます

AmazonのKindleストアで下記の電子書籍をセルフ出版しています。

(石見の文芸シリーズ)
石見の姫神伝説:乙子狭姫、胸鉏比売、天豊足柄姫命、櫛代賀姫命など
https://www.amazon.co.jp/dp/B09BM11H6G/
石見の伝説:伝説の地を巡る
https://www.amazon.co.jp/dp/B09RJZVPQF/
神楽と文芸(総論): 石見神楽、芸北神楽、神代神楽、太々神楽など
https://www.amazon.co.jp/dp/B09MRFXFWS/
神楽と文芸(各論):神楽の重要演目・人気演目
https://www.amazon.co.jp/dp/B09PH6L1RG/
神楽と文芸(各論2):鬼退治
https://www.amazon.co.jp/dp/B09TK1GZ4R/
神楽と文芸(各論3):神話・歴史・エトセトラ
https://www.amazon.co.jp/dp/B09WW1R6N6/
昔話はなぜ面白いか(上)
https://www.amazon.co.jp/dp/B0BX5JWSG5
昔話はなぜ面白いか(下)
https://www.amazon.co.jp/dp/B0BX5KC15V
(その他)
ブログから電子書籍までニッチ戦略の執筆術
https://www.amazon.co.jp/dp/B09RTZHP4K/
三泊四日の大腸ESD入院記
https://www.amazon.co.jp/dp/B0C7G952CT/

キンドル・アンリミテッド会員なら無料で読めます。

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Amazonで電子書籍をセルフ出版しました その7

AmazonのKindleストアで下記の電子書籍をセルフ出版しました。

神楽と文芸(各論3)
https://www.amazon.co.jp/dp/B09WW1R6N6/

価格は250円。アンリミテッド会員なら無料で読めます。4/1(金)17:00~4/4(月)16:59まで無料キャンペーンを行っています。

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2022年3月22日 (火)

全部、手動で直す

Google Analyticsが2023年7月に新しいプロパティを採用するとメッセージが。要するに従来のトラッキングコードが使えなくなるので、新しいのを設定してねということ。

動的サイトであるブログは一箇所だけ設定を書き換えればいいのだけど、ホームページの方は静的サイトなので一ページずつ手動で書き換える必要がある。全部で356ページくらいあるか、スクリプトのコピペ作業を繰り返す。

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2022年3月18日 (金)

キモハ?

もはや電車と気動車の差はなく、経営効率化を睨み電化廃止が進む=土屋武之
https://weekly-economist.mainichi.jp/articles/20220201/se1/00m/020/043000c
という記事を読む。福島県会津地方の事例なのだけど、JR山陰本線にも同じ図式が当てはめられる。

電車と気動車にもはや性能の差はないとしている。石見地方で走っている気動車は主に187系、126系、120系である。これらがいつ頃リプレースされるか分からないが、次世代型気動車はディーゼルエンジンで発電してモーターで走行、回生ブレーキを使用したハイブリッド式になる可能性があるということだ。

ただ、思うに、気動車ってディーゼルエンジンの音がうるさかったりする。その点では電車の方が静かだ。

ハイブリッド式になったらサフィックスがキモハとかになるんだろうか?

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国鉄カラー

特急やくもが国鉄カラーに塗装され直して運行をはじめた。Twitterで動画や写真が公開されている。

気動車の時代のやくもは益田発の編成があった。益田からだと小郡に出た方が早いのだけど、出雲・松江方面の需要も担っていたのだろう。

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2022年3月16日 (水)

100年前から変わっていない――芸能を舞台で上演することに関しての芸能観

山﨑達哉「佐陀神能の変化とその要因に関する研究―神事と芸能の二面性―」『待兼山論叢 50 文化動態論篇』(大阪大学大学院研究科, 2016)pp.1-34 という論文がある。

佐太神社の佐陀神能についての論文なのだけど、大正15年(1926年)の日本青年館における第二回全国郷土舞踊民謡大会に出演した。

この全国郷土舞踊民謡大会の反響なのだけど、

・郷土舞踊や民謡を素人が行う素朴で田舎風のものと考え、出演した芸能が技巧に奔ったり、演芸風・都会風だったりすると厳しい批判を加える(柳田国男)
・新調した衣装や派手な衣装に不快感を示し、禁止の指示を出す
・この種の芸能は郷土を離れて舞台上で再現することは不可能と考え、他の芸能との比較や芸能そのものにある郷土色などある特殊なおもしろさを狙う。こうしたおもしろさが舞台上に現れるように適宜アレンジする(小寺融吉)
・郷土舞踊や民謡は純粋で素朴かつ田舎風で、昔からのやり方を無闇に変え趣向を凝らすべきではない
・一度舞台に出てしまえばある意味芸術化し、変化していくことを認識し肯定する
・郷土舞踊や民謡について、研究資料としての価値を認めながらも、芸術的・技術的な面で質が低いとする

……といった見解が列挙されている。郷土芸能がステージ上で演じられるようになるのは大正末の日本青年館での公演が嚆矢となるのだけど、当時も現在も見解はあまり変わらないのではないか。永遠の問題とも言えるが、100年近く経過した現代でも進歩がないとも言えるだろう。

郷土芸能は変わらないことに価値を見いだすのだけど、一方で八調子石見神楽や芸北神楽の様に積極的に新しい演出を取り入れる芸能については手厳しい批判が向けられるのである。

しかし、本来、芸能というものは長い目で見れば時代に応じて変化するものではないかとも考えられる。変わらないことに価値を見いだすのは文化財保護行政がそういう指針だからとも言えるだろう。その文化財保護法にしても保存から活用へ軸足が移っているのである。

また、「明治期の神楽への影響で最も顕著であったのは、「神職演舞禁止令」と一般的に言われているものである。これは、明治四(一八七一)年二月十四日の太政官達にある、「是迄心願ト称シ猥ニ社頭ニ於テ神楽奉納之儀自今禁止之事」を指す。」(18P)と神職演舞禁止令の根拠についても記述がある。

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2022年3月14日 (月)

英語版をリリースする(お題記事)

"Legends of the goddesses of the Iwami region"「石見の姫神伝説(英語版)」がAmazon.com他で発売となった。3月2日に出版申請したのだけど、その後、72時間経過しても発売されない。ASINは割り振られたので、発売拒否ということではなさそうだ。タイトルが日本語版の英訳と被るのかと思って、タイトルと表紙の差し替えをおこなった。が、それから48時間経過しても動きが無い。サポートにメールを送って何が問題なのか調査してもらった。何か差別的なもしくは卑猥な記述があっただろうかと思った。

結果、言語設定が"en-us"とすべきところを"ja"のままとなっていたからだった。EPUBファイルはでんでんコンバーターで作成したので、xhtmlまでは確認してなかったのである。ここで以前にインストールしていたSigilが役に立った。SigilはEPUBを開いてxhtmlファイルや設定ファイルの修正が可能なのである。

英語版は伝説の粗筋の抜粋のみとしている。細かい解説をしても伝わらないだろうと思ったから。その代わりに写真はふんだんに使った。実際にイメージしてもらいたかったのである。

英語がネイティブの人は4~5億人に達するとされる。英語を使える人なら20億人いるらしい。日本より格段にマーケットは広がるけど、日本の島根県石見地方の伝説というどローカルなネタが題材だから、販売はあまり期待できなさそうだ。

翻訳は昨年春に英訳したものを流用した。翻訳自体はGoogle翻訳で行った。長文になると訳が微妙になるので、できるだけ短文に区切るよう日本語の方を修正した。僕は英語が話せる訳でもないし、ろくに読めもしないが、辞書を引きつつ作業したのである。

ちなにみTIN番号がないので、米国では30%源泉徴収される。手間を考えると仕方ない。

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2022年3月 8日 (火)

島根県立図書館に遠隔複写サービスはない

島根県立図書館に所蔵されている「島根評論」という戦前の雑誌記事が読みたくなる。佐陀神能が東京のステージで舞われたときの反響について書かれているらしい。それは伝統芸能をステージ上で演じさせることの是非についての議論なので読みたいのだが、生憎と島根県立図書館に遠隔複写サービスはない。

伊原青々園「佐陀神能所感」『島根評論 第3巻6号』島根評論社、1926年

がそれである。

山﨑達哉「佐陀神能の変化とその要因に関する研究―神事と芸能の二面性―」『待兼山論叢 50 文化動態論篇』(大阪大学大学院研究科, 2016)pp.1-34によった。

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出雲神話は存在しない?

出雲神話は存在しない?!『古事記』もう一つの読み解き方
https://story.nakagawa-masashichi.jp/39541

という記事を読んで驚く。この記事では青山学院大学の矢嶋泉教授に取材しているのだけど、記事中では出雲を中心とした四隅突出型墳丘墓の存在がすっぽりと抜け落ちている。

文献上でなら、日本書紀は出雲神話への言及は少ない。天孫系の歴史のみで十分としている訳だが、それでも国譲りの記述はある。文献上の記述だけで分析するなら出雲神話なるものは存在しないとなるかもしれないが、考古学上の成果を等閑視する姿勢には疑問を抱く。

国生みと国造りは異なる。

荒神谷遺跡が発見される以前は出雲は架空の舞台と考えられていたらしいが、この先生の見解はその昔に逆戻りするものである。「純粋文学」とでも呼称しようか。矢嶋教授は若い頃の学習がアップデートされていないのではないか。

日本書紀では初代神武天皇の后は出雲の事代主命の娘となる訳だが、文学上ではどういう説明がされるのであろう。誰でもよかったのだろうか。だったら奈良近辺の豪族の子女でいいではないか。

国引き神話には三瓶山の噴火による土石が神戸川水系を通じて流れ、出雲平野の形成に繋がったことが神話形式で語られる。縄文時代からの記憶が息づいている訳だが、では出雲ニュータウン説はどう解釈するのだろう。なぜ日本トップクラスの巨大な神社を築かねばならなかったのか。

出雲国造家は現在でも出雲の権威である。なぜその地位を保ってこられたか、この点でも納得のいく説明が必要である。

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2022年3月 7日 (月)

各論2は星三つ

神楽と文芸(各論2)に星三つがついていた。これは無駄に長いので仕方ないか。感覚的なものだが、わずかながらも固定読者がついているのかもしれない。辛口の読者だが。

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2022年3月 4日 (金)

誤配は必要――東浩紀「ゲンロン戦記」

東浩紀「ゲンロン戦記」を読む。批評家の東浩紀がゲンロンという会社を立ち上げた顛末が記されている。経理を人任せにしていたら使い込みされていたとかそんな失敗話が多い。東氏は経営の専門家ではないから、脇の甘さにつけ込まれたというところか。それでも、放漫経営下のアイデアとして出されたゲンロンカフェが収益を生みだすようになっていく。

東氏は誤配という概念を多用する。あるメッセージが誤って本来伝えられるべきでない人に伝わってしまうという状態を指したものだが、誤配が着想の源になるとしている。

東氏はゲンロンの10年間で疲弊した。その時間を純粋な思考に当てるべきだったとも言えるかもしれない。が、東氏はそうは考えない。現状、コロナ禍でオンラインでの対面が増えているが、本来は顔を突き合わせて語るべきだと考えているのである。そこで誤配も生じる。

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2022年3月 3日 (木)

移行する気はないが――コグレマサト/まつゆう『noteではじめる新しいアウトプットの教室』

コグレマサト/まつゆう『noteではじめる新しいアウトプットの教室』を読む。WEBサービスのnoteの概説書。noteは使っていないので様子見だが、タイムラインがあってブログとSNSの中間の様な存在であることが分かった。

僕自身は現在、本館、写真館、新館、別館とブログを四つ持っているので、noteに移行するつもりはない。まあ、投げ銭機能があるのが魅力といえば魅力だろう。

なお、価格設定によっては情報商材的な売り方もできるようだ。規約で情報商材は禁じられているとのことだが。

noteにはカテゴリーが無くて、ハッシュタグで分類するとのことである。ブログもそうなのだけど、noteもおそらくログ形式だろう。ログ形式だと自分の思うような目次ページができないという欠点がある。そこはマガジンで補うのだろうか。

……よくよく考えると、ブログ的な運営をしつつ、フォロワー数を気にしたりとなる。却って神経を使うことになる訳だ。

<追記>
主なコンテンツである島根の伝説や神楽はブログで書き切った。昔話にこれから手をつけるつもりだけど、これも口承文芸というくくりでいうと伝説と一緒に扱った方がいい。

もしnoteをはじめるなら全く新規のジャンルでとなるのだけど、これが思いつかない。

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2022年3月 2日 (水)

比較的良心的な本――Lyustyle『50歳からのブログ運営戦略: 老後の不安をゼロにする10年ブログのすすめ』

Lyustyle『50歳からのブログ運営戦略: 老後の不安をゼロにする10年ブログのすすめ』という電子書籍を読む。キンドルアンリミテッドなら無料で読める。

キンドルアンリミテッドのブログや電子書籍の指南本は数多くあるけれど、どれも同じ様なことを言っていて、また玉石混交で、正直言って値段分の価値の無いものが多いのだけど、この本はその中でも良心的な方である。

基本的には10年ブログと銘打っている。まずは無料ブログで初めて、記事が100本ほどたまったら、その中の30本ほどを選んでリライトする。そしてWordPressで本格的にブログを開始する。アフィリエイトも始めるといった内容である。

その中でブログのコンセプトは自然に定まるという姿勢である。

Twitterも無闇にフォロワーを増やさないという方針である。コミュニケーションの取れる人とだけお付き合いする訳である。

僕自身、2003年11月だったか、ニフティがココログを始めたときからブログを始めた。途中で一度ブログを消しているので、記録は途切れているが、2006年夏からとしても16年近くブログを運営していることになる。

まあ、僕の場合は島根県石見地方の伝説と神楽が中心なので、読者層は自ずと絞られてくる。その点で大量のアクセスは稼げないのだけど、今くらいのレベルの方が一件一件のアクセスが把握できていいのかもしれない。

調べてみると、ブログ名を今のものにしたのは2004年1月末だった。

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2022年3月 1日 (火)

岩戸神楽が五行神楽――結城司「大宮住吉神楽に隠れた陰陽五行説の影響 ~神楽師としての視座から~」

結城司「大宮住吉神楽に隠れた陰陽五行説の影響 ~神楽師としての視座から~」を読む。電子書籍。アンリミテッドで読む。

埼玉県坂戸市の大宮住吉神楽の岩戸神楽を五行神楽と解釈する新説について解説した本である。自分は関東の里神楽について、鷲宮神社の催馬楽神楽、品川神社の太々神楽、横浜の神代神楽、相模の神代神楽、大宮住吉神楽(一度だけ)を鑑賞したことがある。

管見の限りだが、関東の里神楽には天蓋、神楽歌、五郎王子(五行神楽)の三要素が欠如している様に見える。なので、関東の里神楽は修験の影響が薄いのかなと推測させるものとなっている。

本書では大宮住吉神楽の五行神楽について岩戸神楽を当てる形となる訳である。大宮住吉神楽の神前には五色の幣束が飾られており、陰陽五行思想を感じさせるものとなっている。

また、「倉稲魂命種蒔の座」「山幸海幸交易の座」でも陰陽五行思想が見られると指摘し、更に進んで「剣玉誓剣サガシの座」の出典に仏教説話が認められることに言及している。

実際に舞っている神楽師の方が執筆されていて、説得力が高い。

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