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2021年12月

2021年12月31日 (金)

付録のDVDを鑑賞ー「夕陽を招く長者」

民話の会「石見」編「夕陽を招く長者」の付録のDVDを見る。民話集に収録された作品からピックアップされたものが語り部たちによって実際に物語られるもの。

・椛谷次郎の山芋納め
・難題婿
・高島のおいせ
・七尾城悲話
・みんみん蝉
・呼び子
・蟹報恩
・穀物の種を伝えた狭姫
・子育て幽霊
・夕陽を招く長者
・なれあい観音
・往生の滝

が収録されている。実際に見てみて感じたのは話者の皆さんがである調で語っていること。意外な感じがした。

昔話の語り等を収録したものを聴くのは初めての経験である。解説を読むとお話の大半は口承ではなく書承だそうだが、魅力的な語り口であった。

多分、三隅の方の人だと思うが、「呼び子」で「ひゃこる」という方言が出て来た。叫ぶくらいの意味だったか、三隅の方のプロバイダではHerecallとしたものがあった。

狭姫の語りでは比礼振山を「ひれふりやま」と読んでいた。うん、知ってたけど、「島根の伝説」では「ひれふるやま」と読んでいるのでそちらが気に入ってるんだ。乙子は「おとこ」と読んでいた。なお、狭姫の旅の順番が高島→鎌手の亀島→三隅の大島→比礼振山となっていた。

……そんな感じで今年の暮れは終わっていく。よいお年を。

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Amazonで電子書籍をセルフ出版しました その3

AmazonのKDPで電子書籍をセルフ出版しました。タイトルは「神楽と文芸(各論)」です。石見神楽・芸北神楽・関東の神代神楽などの人気演目を個別に取り上げました。

「神楽と文芸(各論)」
https://www.amazon.co.jp/dp/B09PH6L1RG/

1月1日から5日まで無料キャンペーンを行っています。この機会にお求めください。なお、(コメントまでは求めませんが)レビューして頂けると助かります。

・はじめに
・芸北神楽の台本一覧
・校訂石見神楽台本と芸北神楽台本(旧舞)との比較
・禊祓
・岩戸と天香具山
・片脚の王子ときな粉の化粧の伝説――切目王子
・六調子石見神楽「山の大王」はメタ神楽か
・恵比須と敬神愛国
・ジンリン――塵輪
・貴船
・黒塚
・珍斉和尚と悪狐伝
・菩比の上使と天之返矢
・コノハナサクヤヒメと笠沙桜狩
・狂言から神楽へ――棒縛
・紅葉狩
・鈴鹿山―田村三代の物語
・松の能/身ウリ能/目蓮の能/おだまき
・五穀種元/神逐蓑笠
・天狐
・鷲宮神社の催馬楽神楽――祓除清浄杓大麻之段
・荒神柴問答
・鍾馗と神農
・八衢/天孫降臨
・八岐大蛇神話
・道返しの鬼と荒平
・将軍
・(番外編)放課後カグラヴァイブス
・(番外編)カグラ舞う!
・あとがき

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2021年12月30日 (木)

12月30日から1月3日まで電子書籍の無料キャンペーンやってます

12月30日から1月3日(※4日16:59)まで拙書「石見の姫神伝説」と「神楽と文芸(総論)」の無料キャンペーンを実施中です。この機会にお求めください。なお、できれば(星だけでもいいので)レビューを付けてくださると助かります。
「石見の姫神伝説」
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B09BM11H6G/
「神楽と文芸(総論)」
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B09MRFXFWS/

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2021年12月26日 (日)

馬洗いの水――島根県における白米城の伝説

◆あらすじ

 益田市の桂が平(かつらがひら)に横山城があった。今から四百五十年ほど前(二〇二〇年代では四百九十年前)に周防の国の陶(すえ)尾張守が大軍で横山城を攻めた。寄せ手の軍勢は一万の大軍。一方、守る方は千人にも満たない小勢であった。寄せ手は四方から城を攻めたが、堅固な山城はたやすくは落ちなかった。

 五月となった。城の食料はどうにか持ちこたえていたが、水が不足してきた。谷のあちこちや城内に井戸が掘ってあったものの、四月になってから雨がほとんど降らない。加えて五月の日照りは例年になかった。そこで城中では水が少なくて困っていることを敵方に悟られないように気をつかった。

 敵方の見張りの者は水が不足しているようだと報告した。そこで敵方は川をせき止め、谷に見張りを置いた。困ったのは城中の者たちである。

 いっそひと思いに城を出て戦おうという意見も出た。城主の喜島(きじま)備後守は評定(会議)を開いた。誰も名案が無かった。討ち死にするか城を明け渡すか選択を迫られた。そこに若者が自分に考えがあると意見した。若者は敵の見張りに城中に十分な水があると見せるべしと進言した。どのようにするのか問われたが、若者は自信たっぷりで自らの考えを説明した。

 満月の夜、城の広場に馬が四、五頭引き出された。そして水桶になみなみと入った水が馬の背に掛けられた。この様子を窺っていた陶方の見張りは驚いた。見張りの者は急いで帰って報告した。

 あくる朝も馬が水で洗われた。敵方は隠し井戸でもあるのかと驚いた。それから間もなく陶方の軍勢は引き上げた。この暑さでは攻め手の方がやられてしまうと考えたのである。

 実は米を水に見せかけていたのである。若者が述べた案は白い米を馬に掛けて水の様に見せるということだった。横山城は、それ以後も長く無事に続いた……というお話。

◆白米城

 いわゆる白米城の伝説です。日本標準の伝説シリーズで南関東の図書館で所蔵しているものを何冊か読みましたが、白米城の伝説はその多くに掲載されています。益田では横山城の伝説として残されているという訳です。

 伝説の多くでは、仕掛けを敵に見破られて落城するという話型が多いとのことです。益田の伝説では難を逃れる訳で、少数派に属するというところでしょうか。

◆余談

 横山城はどこにあるのか、未訪問です。インターネットの山城を解説したサイトに情報があります。

◆参考文献

・『島根の伝説』(島根県小・中学校国語教育研究会/編, 日本標準, 1978)227―233頁。
・「出雲・石見の伝説 日本の伝説48」(酒井董美, 萩坂昇, 角川書店, 1980)pp.109-110, 181-188.

記事を転載→「広小路

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日本標準『島根の伝説』を通読する

日本標準『島根の伝説』を通読する。この本、小学生のときの課題図書で実家に残されていたのを2006年夏に持ち帰ったものである。だが、拾い読みで通読はしていなかったのである。

当ブログの記事は『島根の伝説』を題材にしたものが多い。今読み返しても魅力的な本だと思う。

気づいたところでは『島根の伝説』にも白米城の伝説が掲載されている。幾つか他県の伝説シリーズを読んだけれども、多くの本が白米城の伝説を載せているのである。

この本、島根県各地域の図書館には所蔵されているはずだけど、国会図書課にも所蔵されていない貴重な本なのである。

復刊して欲しいけれど、日本標準に問い合わせたところ、その予定はないそうである。ちなみに「むかし話」シリーズは復刊されている。

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2021年12月24日 (金)

刺さるはずだが

「神楽と文芸(総論)」がやっと一冊売れた。テーマ的に石見神楽や芸北神楽ファンに刺さる内容だと思うのだけど、中々売れない。

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2021年12月23日 (木)

画質に差がある

電子書籍の下準備をしていて、過去の記事を読み直している。思うのはコンデジで撮った写真とミラーレス一眼で撮った写真に画質の差があること。伝説の舞台を撮り始めたのは2007年からで、キヤノンIXYなどを使っていた。ミラーレス一眼は2012年に買って実戦投入したのが2016年だった。伝説の舞台を巡るのと良いカメラを買う時期がずれてしまったのである。コンデジの小型センサーとミラーレス一眼の中型センサーでは画質に差がある。画質は概ねセンサーの面積に比例する。2008年に最初のミラーレス一眼であるパナソニックG1が発売されたときに買っておけば良かったのかもしれない。あの頃はデジカメに関する知識が皆無で何を買えばいいのか分からなかったのだ。

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2021年12月22日 (水)

サイトが消える

狢工房という「まんが日本昔ばなし」の演出・作画を担当されていた方が運営されているサイトがあったのだが、アクセスできなくなっていた。「まんが日本昔ばなし」の各エピソードのスタッフ、放送年月日などがデータベース化されていたのだが閲覧できなくなってしまった。知的損失だが、個人のホームページだとこういうことがある。

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2021年12月18日 (土)

刀鍛冶の秘伝――手ぼう正宗

◆はじめに

 日本標準『島根の伝説』に名刀正宗にちなんだ刀鍛冶の伝説が残っている。刀鍛冶の秘伝を巡るお話である。

◆あらすじ

 今からおよそ六百六十年前(※2020年代では七百年前)のことである。相模の国の住人である岡崎五郎正宗(まさむね)が邑智郡に住む高弟の出羽(いずは)正綱(まさつな)の許を訪ねていた。正綱は出羽正宗の名が与えられる程の刀鍛冶であった。

 出羽正宗の弟子が邑智郡羽須美(はすみ)村の宇都井にいるのを聞きつけた五郎正宗は孫弟子の仕事ぶりを見るためにわざわざ訪れた。

 孫弟子は刀を仕上げるときの湯加減を知りたいと願っていた。それは刀鍛冶の秘密であった。ある日のこと、数日前から打ち続けていた太刀がいよいよ出来上がる日である、仕事場の四方には注連縄が張られ、辺りは塩で清められた。孫弟子が向こう槌(づち)を取った。刀身に小槌が触れると赤い火花が散った。

 最後の締めを終え、作業は終わった。そのとき、よろめいた向こう槌の孫弟子は「あっ」と叫んで、今まさに打ち終わった刀身をつけようとする湯の中へ右手を突っ込んだ。

 孫弟子のたくらみを悟った五郎正宗は火箸を炉に入れ、ふいごを二、三回動かしたかと思うと、赤くなった火箸を取り出し、孫弟子の右の手首を挟んだ。

 孫弟子は余りの痛さに気絶してしまった。気がついたときは布団の上であった。右手に巻かれた白い布は見るも痛々しいものであった。が、刀鍛冶の秘密である焼き入れのときの湯加減を身体で覚えたのであった。

 右手首の火傷の傷口が元で、右手は遂に使えなくなってしまったが、孫弟子はひるまなかった。左手で槌を持って刀が打てるように何年も修練した、そして長い間かかって、遂に左手を利き腕の様に使いこなせるようになった。

 人々は正宗流の名刀を作る孫弟子に感嘆して「手ぼう正宗」だと褒め称えた。手ぼうとは棒の様になった手という意味である。

 この孫弟子が刀鍛冶をしていた跡は今でも残っている。また剣が池という刀にちなんだ池の跡も残っている。

◆余談

 旧羽須美村の伝説です。この伝説は関連する写真が無かったので記事にしていなかったのですが、魅力的な伝説なので取り上げました。石見地方はたたら製鉄が盛んな土地柄で、刀鍛冶も多くいました。例えば、浜田市の長浜刀が知られています。

◆参考文献

・『島根の伝説』(島根県小・中学校国語教育研究会/編, 日本標準, 1978)pp.222-226.

記事を転載→「広小路

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2021年12月17日 (金)

返却する

横浜市中央図書館で借りていた「身体の構築学」を都筑図書館に返却する。この本、一度通読していたのを忘れて借りたもの。結局、序論しか読まなかった。この本、認知科学系の本で、序論は難しいが、それ以降の各論は具体的事例が豊富で面白い。

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2021年12月16日 (木)

これはまたかな

サッカー観戦者でオミクロン株の濃厚接触者発生とのニュースが。これはまた自粛モードだろうか。元旦に鷲宮神社の夜神楽を見にいけないか考えていたのだけど、止めた方がいいかもしれない。夜神楽は0時から3時くらいにかけて舞われるらしい。未見の演目を上演するかもしれないので一度は見ておきたいのだけど、3時に神楽が終わって5時まで二時間寒空の下で耐えなければいけないので思案中だったのだ。

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2021年12月12日 (日)

形と型を分ける――生田久美子『「わざ」から知る』

生田久美子『「わざ」から知る』を読む。主に日舞を中心とした芸事の習得過程について論じたもの。認知科学の本であるが、難しい語句は用いられていない。専門用語はハビトスくらいである。

本書では「形」と「型」が分けて論じられている。「型にはまった教育」という言葉に見られるように型はネガティブな印象を与える場面でも用いられるが、ここではそうではない。「形」の模倣を繰り返して身体的に習熟し「型」に到達するという風に使い分けている。「型」の習得は「間」の習得でもある。

芸事では師匠の技を見て模倣するの繰り返しである。その意味で体系的段階的な学習メニューを持つ教育とは異なっている。本書では心身二元論的な教育観から離れて心身合一的な認識で論じたものとなっている。

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2021年12月11日 (土)

島根から

(フロントランナー)脚本家・渡辺あやさん 物語を紡ぐ、旗を掲げて
https://digital.asahi.com/articles/DA3S15137795.html
(フロントランナー)渡辺あやさん 「楽しく伝える。自分も本気で楽しんでいます」
https://digital.asahi.com/articles/DA3S15137884.html

島根在住の脚本家である渡辺あやさんを取り上げた記事。渡辺さんは例えば映画「天然コケッコー」の脚本を担当された。僕自身は未見であるけどNHKの朝ドラマ「カーネーション」で高い評価を得ている。オリジナルドラマの枠が少なくなった近年ではオリジナル脚本にこだわっているそうだ。

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2021年12月10日 (金)

お囃子の稽古場面あり――月がきれい

バンダイチャンネルでアニメ「月がきれい」第三話を見る。この作品、舞台が川越市で、オープニングに天狐が登場するので神楽かなと思っていたのだが、この回で神社の神楽殿でお囃子の稽古をする場面があった。関東の里神楽だと囃子連から神楽の世界に入るパターンが多いそうだ。

<追記>
その後のエピソードで川越祭の描写があった。中学三年生の主人公は天狐に扮して山車の上で舞う。動く山車の上で舞うのは難しいだろう。

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流派を時系列順に紹介――藤田令伊「現代アート、超入門!」

藤田令伊「現代アート、超入門!」(集英社新書)を読む。タイトルから分かるように現代アートの入門書。フォーヴィスム(野獣派)、キュビスム(立体派)、表現主義(青騎士、ブリュッケ)、コンセプチュアルアート、ダダ、新造形主義、シュルレアリスム、抽象表現主義、ポップアート、サイト・スペシフィック、ポストモダンといった流派の流れが時系列順に紹介されており、現代アートについて一通りの解説を施している。現代は様々な流派に分派し、多極化しているとのこと。

現代アートそのものが知りたかった訳ではなく、芸術より幅広さをもった概念としてアートという語句が用いられる現状について知りたかったのだけど、これはこれでいいと思う。

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2021年12月 7日 (火)

アメコミ映画批判と石見系神楽ショー化批判の比較

「ピアノ・レッスン」監督、アメコミ映画を批判「どこが魅力的なのか理解できない」
https://news.yahoo.co.jp/articles/921a866021da2b13055406bab9a0620fb5ad38ac
スコセッシ監督、マーベル作品を再度批判「あれは映画ではない」「侵略されている」
https://eiga.com/news/20191015/18/?cid=news_20211207_6_1

映画監督の名匠がアメコミ映画を批判したというニュースを読む。僕も10年以上前に「スパイダーマン」や「デアデビル」といったアメコミ原作映画を見た。その頃からアメコミの映画化が盛んになり、今では映画館の常連と化している。トレイラー映像で見ないことはないくらいの勢いだ。

ところで「映画ではない」というこのアメコミ映画批判、石見系神楽の批判と似ていないだろうか。石見系神楽に関しては「ショーである」という批判がつきまとう。

石見神楽ショー化批判は文献では牛尾三千夫「神楽と神がかり」に見ることができる。他、岩田勝「神楽新考」のあとがきで、岩田は牛尾に同調している。文献で確認できるのは、これが代表といっていいだろうか。

アメコミ映画批判の場合は論争となっているらしい。

著名な映画監督たちが相次いでマーベル映画を批判してるけど、どうなのよ?
https://www.gizmodo.jp/2019/10/anti-marvel.html

石見系神楽批判に関しては論争が起こった形跡は見られない。当時の民俗学者たちは本質主義に立脚していて真正性(オーセンティシティ)重視だったので、反論する人がいなかったのだろう。二十一世紀に入って若手学者で八調子石見神楽や芸北神楽を研究の対象とする人が出てきたのであるが、明確に論じたものは少ない。

・川野祐一朗「民俗芸能を取り巻く視線―広島県の観光神楽をいかに理解すべきなのか」『森羅万象のささやき 民俗宗教研究の諸相』(鈴木正崇/編、風響社、2015)711―728頁。

・諏訪淳一郎「『石見神楽』―民俗芸能の現在進行形として―」『総合政策論叢』第三号(島根県立大学研究活動・総合政策学会/編、2002)pp.47-60

くらいか。川野論文は書籍に掲載されたものなので、国会図書館の遠隔複写サービスでコピーしてもらう際、著作権の関係で半分までしかコピーできない制約がある。

老いた人が新しいものを受け入れられなくなることはよくあることだし、評論家によって酷評された作品がその後大衆的な人気を得ることも珍しくない。

ここで宣伝。

神楽と文芸(総論)
https://www.amazon.co.jp/dp/B09MRFXFWS/

石見系神楽のショー化批判を考察した電子書籍です。

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2021年12月 6日 (月)

インターネット上のコンテンツと被る場合

KDPから「神楽と文芸(総論)」について確認のメールが届いた。内容の一部がインターネットのコンテンツではないか、もしくはパブリックドメインのものではないかというもの。

「神楽と文芸(総論)」は「神楽と民俗学」というタイトルでカクヨムという小説投稿サイトに掲載しているので引っかかったのかもしれない。出版に当たってはリライトしたのだが、流用した箇所も多い。

その旨、返信したら、特に問題視はされなかったようだ。

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2021年12月 3日 (金)

鷲宮神社に行くも神楽を見ず 2021.12

鷲宮神社に行く。鳥居の建て替えの式典が行われていた。今回、体調不良で神楽を見ずに引き返した。
鷲宮神社・大鳥居
鷲宮神社・大鳥居
パナソニックTX1で撮影。

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2021年12月 2日 (木)

2021年どうだった?(お題記事)

2021年はこれまでブログで書いてきたことをリライトする年でした。1月にジャストシステム社から日英翻訳ソフトを紹介するメールが来たのです。たまたまそれを読んで、500万語の辞書と謳っていたので、それならブログの記事を英訳出来るかもしれないと考えたのです。

Amazonでその翻訳ソフトのレビューを確認すると、評価は微妙なものでした。むしろGoogle翻訳の方が使えるとありました。それでGoogle翻訳を試してみたところ、意外とこなれた訳を返してくれるではないかと思ったのです。

それで、ブログの記事はである調で固かったので、ですます調に書き換えました。また、出典の引用部分が古語だったので、現代語訳に翻訳してリライトしました。

それでブログの人気記事を英訳して、ラクーカンのWEBサイトで公開しました。FacebookやReddit、Twitter、Tumblrなどで宣伝しましたが、アクセスはあまりありません。題材が島根県石見地方の伝説ですから、根本的に知名度が無いのです。それでも、たまにアクセスはあります。いずれ広がっていったらいいなと思います。まあ、機械翻訳ですから、ネイティブの人が読んだらどう感じるのか分かりませんが。

それでリライトした日本語記事の扱いが課題になりました。ブログに掲示したのでは二重になる。小説投稿サイトに投稿してもいいけれど、写真が添付できないという問題がありました。

そこでリライトした記事を電子書籍化することを思いつきました。それで一太郎2021を買ったのですが、一太郎は画像を添付する際にHTMLライク(多少の解釈の差はあるが、概ね似たレイアウトになる)にできないので候補から外しました。結局、でんでんコンバーターというWEBサービスを使ってEPUB化することになりました。幾つかのマークダウン記号を憶えればいいだけなので、現状では一番簡単な方法だと思います。

無駄になったかと思われた一太郎ですが、校正でフル活用しました。である調をですます調に書き換えていたのですが、語尾しかですます調にしておらず、チェックが入りまくりでした。

そうして8月初旬にAmazonのKDPで電子書籍をセルフ出版しました。なのですが、題材がニッチということもあり、ほとんど売れていません。電子書籍で売れるのはハウツーもので、それらと同等に考えていたことが誤りでした。

10月には電子書籍をオンデマンド本化しました。オンデマンド本は割高なので、現状、売れていません。ただ、国会図書館に献本しました。究極の目的は紙の本化して図書館で所蔵されることなのです。

ブログの記事は私が死んだら、いつか消えてしまいます。そうなる前に記録として残しておきたかったのです。

11月末には二冊目の電子書籍をセルフ出版しました。こちらは神楽の本となります。出版されたばかりですが、やはりニッチな内容なので、動きは見られません。

売れない本ですが、電子書籍ですから実体はありません。在庫管理の必要も無いし返本されることもありません。その点では気長に売れるというメリットもあります。

また、電子書籍の場合、内容の更新が随時可能だというメリットがあります。これは紙の本ではできないことです。

……とは言え、宣伝なしにモノを売ることがこんなに難しいとはと痛感しています。Facebookで繋がりがある人が6人、Twitterのフォロワーが26人ですから大した宣伝にならないのです。基本的にニッチ戦略ですから、数も出ません。

そんなこんなで、来年もブログ記事の電子書籍化を進めていきたいと思っています。

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韋駄天の末裔

港北ノースポートモールに行き、映画「神在月のこども」を見る。公開最終日だった。母に死なれて走る意味を失った少女(韋駄天の末裔)が神在月の出雲に神々の馳走を運ぶため、ひたすら走るという内容。島根が舞台となっているので、見てみた。走ることに対する少女の葛藤がテーマ。作画はそれほど良いとは思わなかった。ライデンフィルムの作品を見るのはこれが初めてだろうか。京都アニメーションから移籍した人が演出の重要なポジションについていた。

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2021年12月 1日 (水)

10年の遅れを取り戻す

ADSL回線を光回線に切り替えて、無線LANを導入した。Kindle Fire HD8という廉価なタブレット端末の初期設定を行い、SNSのアプリをインストールした。普通の人と比べて10年以上遅れているが、これでリアルタイムで情報発信することが可能となった。10年分の遅れを一気に取り戻すといったところだろうか。

当ブログで写真を掲示しているのは伝説の舞台を訪ねたときと神楽を鑑賞したときが中心になる。神楽の場合は一日に2千枚以上撮影することも珍しくない。その中から使えそうな写真を選び、更にその中から実際にWEBに掲示する写真を選ぶという行程を取っている。

タブレット端末を利用すれば、神楽でもリアルタイムでSNSに写真をアップロードすることができる。ただ、僕自身が想定しているタブレット端末の使い方は、移動中の暇つぶしである。写真はデジカメでと思っている。

Kindle Fireのカメラの画質はまだ確かめていないので分からないが、最近のスマートホンだと、過去のコンデジよりヌケのいい写真が撮れるようになっている。等倍で観察すれば違いがあるそうだが、一般人にとってはそこまで追求しない人の方が多いだろう。僕自体はカメラにこだわりたいと思っている。

僕自身はキーボードのある端末の方が性に合っているようだ。

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NDL-OPACに登録される

「石見の姫神伝説」が国会図書館のNDL-OPACに登録された。ブログの記事は僕が死んだらいつかは消えてしまうので、記録を残しておきたかったのである。

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