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2021年11月

2021年11月30日 (火)

Amazonで電子書籍をセルフ出版しました その2

Amazon KDPで二冊目の電子書籍をセルフ出版しました。「神楽と文芸(総論)」というタイトルです。
https://www.amazon.co.jp/dp/B09MRFXFWS/

主に、島根県の石見神楽、広島県の芸北神楽を関東の神代神楽、太々神楽と比較しながら取り上げました。石見系神楽には「ショーである」といったクリティカルな言説がつきまとうのですが、そのことについて踏み込んで考察しています。そういった点では、これまで無かった本だと思います。

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2021年11月26日 (金)

光回線なのにSD画質

YouTubeで大宮住吉神楽の種蒔の座を視聴する。光回線にしたから高画質で見られると思いきや、動画がカクカクしてSD画質での視聴となった。

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2021年11月23日 (火)

大宮住吉神楽と梅鉢会の神楽を見学する 2021.11

11月23日朝6時40分に家を出て、埼玉県坂戸市の大宮住吉神社に行く。大宮住吉神楽を見る。その後、東武線とJR武蔵野線を乗り継いで越谷に行き、こしがや能楽堂で梅鉢会の神楽を見る。

・六合堅固(りくごうけんご)(翁[おきな])の座(ざ)
・倉稲魂(うかのみこと)命 種蒔(たねまき)の座(ざ)
・終祓
大宮住吉神楽・六合堅固(翁)の座

倉稲魂命が扇と鍬を持ち舞う。それから扇を鈴に持ち替えて舞う。倉稲魂命が着座すると天狐が登場。万能を手に舞う。倉稲魂命から鍬を授かった天狐、田んぼを耕す。それから万能でならす。耕し終わって汗を拭く天狐。天狐、倉稲魂命に報告すると、ちょっかいをかける。天狐、一旦、袖に引き下がって、升を取り出す。升に入れた米を蒔く。倉稲魂命、種蒔きを教える。天狐、米を蒔く。ここでもどきが登場、天狐ともどき、やり合いになる。天狐、種蒔きをもどきに教えようとするが、もどき、天狐から貰った米を食べてしまう。天狐、升を倉稲魂命に戻す。もどき、杵を持つ。もどき、升を倉稲魂命から奪う。倉稲魂命、もどきを打つ。天狐が臼を持ってくる。天狐、餅を搗く。もどき、また食べてしまう。天狐、食べられない様に手ぬぐいでもどきの口を覆う。再び餅を搗く。再び、手ぬぐいでもどきの顔を覆う。アクシデント発生、もどきが失神してしまう。倉稲魂命と天狐がもどきを蘇生させる。ここで倉稲魂命、退場。ようやく立ち上がったもどきだが、身体が動かない。天狐、もどきに鈴と御幣を持たせる。天狐、もどきの手を手ぬぐいで縛る。もどき、再び米を食べ、元気になる。天狐がもどきの背に乗って退場。

大宮住吉神楽・種蒔の座・米を食べてしまうもどき
大宮住吉神楽・種蒔の座・もどきの背におぶさって退場する天狐

終祓では、山の神が登場。神楽を締め括る。クロージング。
大宮住吉神楽・終祓・山の神

50人ほどいた観客(ほとんど地元の人らしい)は種蒔の座が終わると、帰ってしまった。

天蓋は無い。五色の御幣を神前に供えてあるので、陰陽五行思想は感じられる。神楽歌も無かった。

斉藤先生、出雲に奉納したいねとのことであった。

梅鉢会に移動する。日代之宮は見れず。熊襲征伐から見る。日代之宮は大碓命が追放される悲しい内容なのだけど、熊襲征伐はユーモラスな内容となっている。なぜ、こうなったのだろう。

・日代之宮
・熊襲征伐
梅鉢会・熊襲征伐・小碓命と熊襲建の死闘 
梅鉢会・熊襲征伐・降参する熊襲建

・笠沙桜狩

大山津見神命が登場して舞う。それから岩長姫と木花咲耶姫が登場して舞う。邇邇芸(ニニギ)命がもどき(従者美須丸)を連れ登場。大山津見命はひれ伏す。邇邇芸命は大山津見命と交渉する(木花咲耶姫が嫁に欲しいが岩長姫はいらない、いや二人とも)。邇邇芸命が着座する。大山津見命が退場する。岩長姫と木花咲耶姫が桜の枝を邇邇芸命に献上する。邇邇芸命、手紙をしたためる。岩長姫、手紙を受け取り退場する。花道で岩長姫、手紙を読む。手紙は離縁状だった。驚き逆上する岩長姫。逆上した岩長姫が引き返すが、もどきが制止する。邇邇芸命と木花咲耶姫が酒を酌み交わす。邇邇芸命と木花咲耶姫、もどきが退場する。鬼女となった岩長姫が登場。丑の刻参り。呪いの藁人形に釘を打ち付ける。木花咲耶姫が登場、岩長姫を説得しようとする。逆上した岩長姫は取り合わない。岩長姫、退場。もどきが登場、木花咲耶姫をねぎらう。木花咲耶姫はもどきを振り払い、退場。もどきも退場する。岩長姫、登場。鬼女の面から元に戻っている。木花咲耶姫、岩長姫と桜の枝で打ち合う。もどきが制止する。姉妹、和解する。姉妹の連れ舞。木花咲耶姫と岩長姫、退場。もどきが踊って退場。

梅鉢会・笠沙桜狩・邇邇芸命より手紙を言付かる岩長姫
梅鉢会・笠沙桜狩・鬼女と化した岩長姫

木花咲耶姫と岩長姫の連れ舞が美しく洗練されたものに写ったことを記しておく。

今回は行き、帰りともタクシーであった。タクシーカードに電話したら出ないので焦った。あらかじめ携帯に登録しておいた番号にかけて繋がる。

写真はパナソニックTX1で撮った。思ったより手ぶれが多かった。また、TX1のレンズは便利ズームで暗いため、夕方のシーンではシャッタースピードが遅くなる傾向にあった。GX7mk2+35-100mmF2.8の組み合わせが現状ではベストな様だ。

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2021年11月18日 (木)

フォルダを分離する

読書した本のレビューを書いたテキストファイルを入れるフォルダを作った。大体90個くらいある。主に民俗学関連。小説等はカウントしていない。レビューを付け始めたのが2018年からなので、この四年で90冊くらい読んだ計算になる。読まない時もあるのだけど、大体一週間に一冊くらいのペースである。やはり、どのジャンルでも「分かってきた」となるには三年くらい掛かるようである。

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芸能から文学へ――池田弥三郎「日本芸能伝承論」

池田弥三郎『日本芸能伝承論』を読む。池田は芸能を芸術には至っていないものとしているのを確認するため。実際読んでみると、民俗学というより国文学に近い内容だった。芸能がやがて文字に書き留められ文学化していく過程を追っていると言えばいいか。

横浜市図書館のOPACで「芸能伝承論」と検索すると、この本(1962年)と全集とがヒットする。全集の方は570ページある。もう一冊フィッシャー=リヒト「パフォーマンスの美学」を借りたので二週間では読み切れないだろうと思い、こちら(320ページ程)を借りた。

 

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2021年11月15日 (月)

オートポイエーシス的なフィードバック循環――フィッシャー=リヒテ「パフォーマンスの美学」

フィッシャー=リヒテ「パフォーマンスの美学」(中島裕昭他/訳)を読む。フェランとオースランダーのライブ性に関する論争に言及があったので読んだもの。主にパフォーマンス・アートと演劇に関する論考。ポストモダン思想的な悪文ではないし、事例も豊富に載せられているのだが、理解したとは言いがたい。翻訳ものに特有のとっつきにくさだろうか。パフォーマンスによって二項対立的な境界が融解していくと言えばいいだろうか。オートポイエーシスについては適切な訳語がなかったのだろうか。

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歴とした郷土資料なのに

2018年に浜田市立中央図書館に「正史狭姫伝説」を寄贈したのだけど、一向にOPACに反映されないので問い合わせメールをしてみた。一週間が経過したが返信なし。僕自身、寄贈の際に求められる住所、氏名は告げなかったので記録がないのだろう。三年前ではね。紛失か破棄したことになる。中身は益田市の狭姫伝説を漫画化したものだが、この本は国会図書館にも島根県立図書館にも所蔵されている歴とした郷土資料なのである。

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2021年11月 8日 (月)

「鬼滅の刃」竈門炭治郎 立志編を観る

「鬼滅の刃」竈門炭治郎 立志編をバンダイチャンネルで視聴する。これまでは総集編しか見てなかったのである。なぜ鬼滅を取り上げたかというと、石見神楽で鬼退治は人気があり……というのは嘘で、鬼滅の話題を書いたらいいんじゃないかというアドバイスを頂いてのもの。

鬼滅、映画が超大ヒットしたのだけど、ジャンプには人気作品が沢山ある。その中で鬼滅だけが突出した結果を出したのは何故だろうと思って劇場に行ったのである。気づいたのはキッズ層が多いこと。アニメは深夜に放送されていたから、おそらくティーンエイジャーを狙っていたと思われる。ところがネット配信でキッズ層まで人気が広がった。これでお父さんお母さん層が子供を連れて映画館に来る形になった。

で、実際に映画を見たのだけど、隣の席の小学生(女子)が号泣していた。つまり、それだけ感情移入させる展開、出来栄えだったのである。僕はジャンプ黄金期の読者でもあるけれど、聖闘士星矢で例えると、人気実力ともに一流の黄金聖闘士が序盤で雑魚にやられて退場するくらいショッキングな展開なのである。煉獄さん四百億の男と言われているそうだけれども、死にざまが見事であった。

鬼滅の刃には神楽の要素もあるのだけど、あれはどこの神楽がモデルなのだろう。鬼滅の刃を神楽化しても面白いんじゃないかと思うけど、原作者が許可を出すかどうかは全く不明である。

調べてみると、原作者は福岡県出身の様なので、石見神楽/芸北神楽が受け入れられる素地はあるのではないか。

僕自身の感想としてはアニメ本編より、原作者がデビュー当時、担当の編集から漫画のノウハウを注入されたというエピソードの方に興味がある。

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2021年11月 7日 (日)

積読。いつになったら読めるか

ペギー・フェラン「アンマークド」を買う。電子書籍版。オースランダー「ライブネス」と対立する本。しばらく積読。いつになったら読めるか。

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2021年11月 5日 (金)

まともな本文――毛利三彌/編『演劇論の変貌』

毛利三彌/編『演劇論の変貌 今日の演劇をどうとらえるか』を読む。序文を入れて九つの論考からなる本。ランシエール「解放された観客」を読んだ後だとまともな日本語(訳)だと感じるが、これも決して易しい本ではない。

読んでいて思ったのだが、パフォーマンス理論に関しては、なぜかパフォーマンス理論自体の解説が無く議論が進む。空洞なのかと思わされる。

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いつになったら読み終わるか

オースランダー「ライブネス」の電子書籍版を買う。Kindle for PCで読んでいる。マウスオーバー辞書が内蔵されているので、辞書を引き引き読んでみる。あまり頭に入らない。精読しないと無理か。しかし、精読すると一日一頁とかそういったペースになってしまうのであった。

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10月は二冊

石見の姫神伝説、オンデマンド版の10月の販売数は二冊だった。つまり、僕が注文した分だけ。一冊は確認用。一冊は献本した。電子書籍版も売れない読まれないから、こんなものかという気はする。

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2021年11月 1日 (月)

ポストモダン思想は難しすぎる――ランシエール「解放された観客」

ランシエール「解放された観客」を読む。観客論として読んだものだけど、ポストモダン思想は僕にとっては難しすぎた。序盤は演劇論なのだけど、抽象的で具体例が無く意味が取れなかった。後半になると映画、インスタレーションといった事例が出てきて多少は緩和されたが。翻訳ものに特有のとっつきにくさはあると思う。

演劇を鑑賞するという行為は受動的なものである。これを能動的にしなければならない……ということだろうか、しかし、能動的な観客とは何か分からないのである。一つには批評性かもしれない。批評性の有無が演劇と芸能を分けるのだろう。

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