今日はハロウィン
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佐藤両々「カグラ舞う!」三巻を読む。カグラ舞うはこの巻で終わり。読んでみたところ、連載時と変わっている箇所が多々ある。雑誌で読んでいてよかった。
残念なのは秋祭りの奉納神楽の場面が無かったこと。最終刊は時間が飛ぶのである。「カグラ舞う!」の目標は神楽甲子園だけど、神楽で一番楽しいのは夜神楽だと思うので。一巻でさらっと触れられていたけれど、眠気をこらえながら一晩明かすシーンが見てみたかった。
あと、神楽と昴と天馬が三角関係っぽい関係性なのだけど、結局発展しないまま終わってしまったこと。
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摂津隆信「パフォーマティヴ理論とカール・ファレンティン喜劇」『山形大学大学院 社会文化システム研究科紀要』第十一号という論文がネットに掲示されていたので読む。ファレンティンはドイツのコメディアン。ドイツのチャップリンとも呼ばれていたらしい。
目を引いたのはフィッシャー=リヒテとオースランダーとの論争。演劇というかパフォーマンスのライブ性についてなのだけど、フィッシャー=リヒテが生の(ライブの)重要性を訴えるのに対し、オースランダーはメディア化された現在では時代遅れだと批判するのである。
分からなくもない。例えば現在のようなコロナ禍であれは動画投稿サイトでライブ配信する意味もあると思う。一方で、例えば子供に神楽を見せるのだったら、やっぱりライブでないと好きになってくれないだろうと思うのである。
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松村圭一郎他/編『文化人類学の思考法』(世界思想社)を読む。文化人類学の入門書。文化人類学の歴史はよく知らないが、啓蒙思想が想定した自然状態を反証するために生まれたのだろうか。近代社会に暮らしていると自明のことであると思い込んでいることが、未開社会、部族社会との比較を通して決してそうではないことを教えてくれる。
僕自身は文化人類学にはさほど惹かれない様だ。民俗学も神楽と伝説だけなのだけど。
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国会図書館に行く。前回行ったのは2019年12月だった。行ってみると、トイレが新しくなっていた。他、これまでパソコンを置いていなかったテーブルにもパソコンが配置されていた。今回ポメラDM200のデビュー戦だった。快適に使えた。
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上野千鶴子「情報生産者になる」(ちくま新書)を読む。社会学の論文の書き方とした方が適切な気はする。大学でこれからゼミに臨む人、卒論を書く人、大学院に進学しようと考えている人たちには強力な後押しとなるだろう。KJ法は実際に試みてみたい。
また、立教大学の生涯学習コースについても言及されている。一年コースで論文を書くのだそうだ。
情報のノイズ(個人的にひっかかったところ)から着想を得ることが記されている。社会学などの大抵の学問ではそうだろう。ただ、法学の場合は学部生レベルではA説B説について考えるといった形で独自の見方をすることには至らない。
僕自身は大学は法学部法律学科だったのだけど、法律とは合わなかったのか実定法はさっぱりだった。ゼミで先生に「もういい」と言われたこともある。法学なので卒論を書くことなく卒業した。なので、こうして書くことはその代償行為である。
こうして伝説や神楽の記事を書いているので、文学部に進学しておいた方がよかったかもしれないとも思っているのだけど、果たしで学生の四年間で卒論を書くレベルまで至っただろうかと思うとかなり怪しい。
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浜田商業高校・郷土芸能部の神楽ライブ配信を見る。演目は神迎、天神、恵比須、塵輪だった。今回は有観客でカメラは正面固定だった。また、コロナ禍のため恵比須での飴撒きは中止された。
神楽を俯瞰で見ると粗も見えてしまうのだけど、そういうことも感じさせなかった。レベルが高いのだろう。
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国会図書館に遠隔複写サービスを頼んでいた論文が届いたので読む。タイトルに審美眼が含まれているもの。だが、僕が知りたいのは審美眼そのものについて論じたものなのだけど、それは無かった。
なお、英訳で審美眼をAestheticと訳している論文があった。
Aestheticを訳すと美学の他に審美眼となる。つまり外国では区別されていないということで、文脈から判断する形になる。
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http://scenarionavi.blog81.fc2.com/blog-entry-418.html
日本博 日本各地のストーリー 公募プロジェクト
募集期間:2021年8月1日(日)~12月31日(金)
募集テーマは、
「日本各地に伝わる昔話やおとぎ話、民話、小説などの<二次創作>」
過去の物語に込められた、古来から受け継がれる日本人の美徳や知恵、日本の美のエッセンスを再発見できるような新しい物語をお待ちしています。
……というコンクールが催されている。データで投稿できるので気楽にいける。しかし、いざとなると思いつかんのだよなあ。
僕には創作の才能は無い。乾いた雑巾を絞る様なもので、着想が湧いてこないのだ。
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保坂和志「書きあぐねている人のための小説入門」を読む。僕も創作指南本は結構読んだけれども、その中では一風変わった本であった。創作指南本はべからず集であったり、作品に一定の構造、様式を求めるものが多かった。本書は純文学の書き方指南本である。純文学にはエンタメのような作法は求められないのだ。
僕自身は純文学、ないしは私小説の類いは読まない。どうしてもノンフィクションに引きずられてしまうからだが、純文学を書くに当たっての心構えと言えるだろうか。
エンタメ作品の場合、小説なら一冊、映画なら二時間、ドラマなら一時間と一つのパッケージの中でドラマやうねりを生み出すことが求められる。自然、起承転結や三幕構成法といった手法に頼ることになるのだけど、この本はそういったテクニックを一旦否定する。小説の書き方に守破離があるなら破か離に相当する本だろう。
創作ノートも面白い。
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千葉雅也「勉強の哲学」を読む。原理編は言葉をボケとツッコミで解体していく試みと言えばいいか。
アイロニーは既存の物事を疑うこと。疑うことを繰り返していけばキリがなくなる。また、そうしたところで絶対的真理には辿り着けない。一方、ユーモアは斜め上の発想をするだろうか、意味をずらしていく訳である。すると次第に意味が発散し失われていくが、これは享楽的こだわりによってストップが掛けられるとしている。
勉強は始めたら限りなく発散していくが、どこかで有限化しなければならない。エイヤッで決めると決断主義になってしまって判断の根拠が失われる。
実践編では実際の勉強においては、まず入門書から入るといいとする。ここで大事なのは信頼できる著者を見つけることである。そしてある程度理解してから専門書に入っていくことを勧めている。
付記は難しくて分からなかった。
余談。
セカイ系の作者には、いわゆる氷河期世代が多い。氷河期世代が作品の発表の場を得たのがゼロ年代だったということではないだろうか。
僕は小説は読まない。特に私小説の類いは。柳田国男は弟子に小説を読むなと言ったそうである。だから……というのは冗談である。社会人になってからモノを知らないなと痛感することが多く、自然とノンフィクション寄りになったのである。
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本書はアウトライナー(アウトライン・プロセッサ)を利用して文章を書く術についての座談会がメインコンテンツである。著者の方たちはMac使いの様だ。僕はWindowsだが秀丸エディタを使っている。秀丸エディタの優れた点はアウトライン機能とGREPが使えることにある。GREPを使うと以前書いたものが探しやすい。
書ける人でも白紙のWord画面を前にして脂汗を流すことがあるということで、執筆の前段階でメモを活用するなどして中間テキストを生成、如何にして執筆の流れに持っていくかという試行錯誤というところか。
中間テキストの実例が示されているので分かり易いと思う。
著者たちが実際の執筆に当たって使うソフト、アプリ、WEBサービスは時間と共に変わっていく。これも試行錯誤の結果である。
書きたいことを整理するには、佐藤郁哉「質的データ分析法 原理・方法・実践」なども合わせて読むと面白いかもしれない。高価なqdaソフトを使わずとも表計算ソフトで代用できる。
僕自身は一つの原稿に対し、メモ、本文、ボツと三つのファイルを作成する。ボツは書き直した以前の内容をコピペしておくもの。実際に読み返したことがあるかと言われるとないのだが。メモは箇条書きにする。アウトライン機能を使わない原始的な方法である。本文は特定の記号を使ってアウトライン表示させている。
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注文していたポメラDM200が届く。早速充電する。
ポメラDM100のキーボードが故障してしまったので、思い切ってDM200を購入する。僕はスマホやタブレット端末は所有していない。主に図書館に持って行く用途になる。
ポメラはテキストの入力に特化して連続動作時間が長いのがメリット。キーボード付きなので長文を入力できる。ま、タブレット端末なら外部キーボードを買えばいい話だけど。うち、無線LAN環境がないのである。
<追記>
ポメラの充電完了する。時刻をセットする。DM100で使っていたSDカードを挿す。問題なく使える。USBコードはDM100に流用できなかった。サルベージできず。
読みの分からない文字は文字コードを調べる必要がある。実質、使えなさそうだ。せめて、部首から検索できると有り難いのだが。
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神崎宣武「観光民俗学の旅」を読む。本書は学術書ではなく、台湾ツアーを通してみた日本人論という色彩が強い。
終章では日本における旅行業の発生を江戸時代の伊勢の御師にみる。
文化人類学には観光人類学というサブジャンルがあるのだけど、民俗学に観光民俗学というサブジャンルは無い。民俗学は真正性(オーセンティシティ)を重視するから、観光に対する視線は一段下に見るものとなっているのだ。
本書が出版されて30年以上が経過したが、有形無形の文化財にとって観光という文脈は欠かせないものとなってきている。
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10/9 17:00~10/11 16:59までAmazonで拙書「石見の姫神伝説」の無料キャンペーンを行います。この機会にどうぞ。カスタマーレビューに星を入れてくれるとなお嬉しいです。
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東浩紀「ゲンロン0 観光客の哲学」を読む。観光客とあるので観光学の理論づけかと思って読み始めたが(民俗学と観光学の関係に興味があった)、次第に政治色を帯びていった。
現代の我々はグローバリズムとナショナリズムの狭間で人間性を失っている(動物化)とする。観光客とは郵便化されたマルチチュード(民衆、衆愚)であるとする。郵便的とは誤配にもとづく意図しないコミュニケーションである。
サイバーパンクの段に来ると饒舌になるので、根はやはりオタクなのかなと思う。
ルソー、カント、ヘーゲルまで遡って人間のあり方を再考する。ただ、近代西洋の人間観は有色人種をヒトとして見ないというものではなかったか。いずれにせよ、「動物化するポストモダン」に比べると格段の進化だ。
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よみうりカルチャー「島根を学ぶオンライン講座 世界遺産を楽しむための7つのステップ 石見銀山編」を視聴する。15分×4回。無料。
石見銀山には何度か行って山吹城にも登っている。だが、未だに代官所だけは未訪問である。城上神社にはお参りしているのだが。
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「比較社会・入門 グローバル時代の<教養>」(苅谷剛彦/編)を読む。比較社会学の教科書として執筆されたもの。従来の知識伝達型の教育に飽き足らなくなった学者たちが集って執筆したもの。<視点を学ぶ><問いの立て方を学ぶ><謎解きパターンを学ぶ>といった観点で執筆されている。
僕は大学は法学部だったけど、法学では学部生が独自の見解を持つことはあり得ない。そういう意味では社会学の方が自由度が高いと言えるだろう。
僕自身は私大文系脳で統計学は履修していない。そういう意味では社会学の量的分析的手法は敷居が高い。ジェンダーの章など、量的分析が質的分析の陥穽を突き破るといった構図か。
90年代に出版された本なので現在と事情が異なっている面もあるかと思われるが、中々に面白い本だった。
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「比較社会・入門 グローバル時代の<教養>」(苅谷剛彦/編)の第三章「芸術 アートはビジネスになりうるか」(佐藤郁哉)を読む。「商業主義」というキーワードに興味があったので。ここでは日米の演劇シーンを取り上げる。商業主義は芸術性/商業主義という二項対立概念で用いられることが多いだろうか。
実験的・前衛的な小劇団が経営の安定化を図ろうとすると、観客動員数の増大、つまりチケット収入を増やす方向に向く。しかし、それは演劇の実験性、前衛性を損なう方向に作用する。そういった小劇場のジレンマをいかに解決するかだが、米国ではNPO法人化して助成金を得るという方向で収入を多角化、解決しているとのこと。日本でもNPO法人の設立が盛んとなり、また文化芸術に関する助成金が増える傾向にある。ただ、日本の場合、欧米の様なノウハウがなく模倣するだけといった事態にもなっていると分析する。
前述した通り、商業主義というキーワードに興味があって買ったものだが、国会図書館で検索しても佐藤郁哉氏の論文しかヒットしない。案外、真面目に取り上げる人がいなかったのだろうか。
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オンデマンド版「石見の姫神伝説」が届く。やはり細かいミスはあった。電子書籍は何度でも修正できるけど、紙の本の方は修正が効かない。
しかし、2006年夏に日本標準「島根の伝説」に再会して以来だから15年かけた集大成ということになる。
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カロル・タロン=ユゴン「美学への手引き」(文庫クセジュ)を読む。哲学は僕にとっては難解で一読で理解できるものではなかった。頭に入る箇所と入らない箇所とに分かれた。翻訳が直訳調な気はする。また、翻訳ものに特有のとっつきにくさはあると思う。だが、古代ギリシャから現代にまで至る西洋の美学史という意味では有用な本だと思いう。
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佐藤両々「カグラ舞う!」2巻を読む。介護施設での「岩戸」と虫送りがテーマになる。岩戸で神楽は天照大神役を演じる。神楽舞うである。虫送りでは神楽はチャンチキ(手打鉦)を担当。岩戸は神楽の基本、チャンチキは一見地味な存在だけど、神楽のリズムを身体にたたき込むという意味がある。長期的な視点で神楽を育成するという作者の姿勢がうかがえる。
瞳というキャラがいて面をつけるとポジティブな性格になるのだけど、受け身な神楽より瞳の方が動かしやすいのかもしれない、後半では瞳舞う!と化している。
ちなみに岩戸は旧舞、虫送りの演目は新舞と分かれている。神楽部は両対応なようだ。
なお、コラムで塵輪を疫神と解釈しているが、石見神楽/芸北神楽での疫神退治は「鍾馗」という演目になる。塵輪は異敵防御という面が強い。
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佐々木健一「美学への招待」(中公新書)を読む。美学の入門書で「生活の中の疑問符を拾い上げる」という姿勢で執筆されている。なので、全くの門外漢には分かり易かった。
理解した訳ではないが、美学は感性学とも呼びうること、現代では古典が新作よりも人気だが歴史上常にそうではなかったこと、芸術と工芸の違いは作者の精神性にあること、アヴァンギャルドが美を否定した後に現代美学が現れたことなどが挙げられる。
例えばコンサートに行く場合にはCDで曲を耳に馴染ませてから行く。複製から本物へという流れである。
美とは快をもたらすものだと考えられてきたが、デュシャンの便器の展示によって既成概念が打ち破られた。
俳句の不易流行という概念が取り上げられ芸術にも当てはまるとするが、それは伝統芸能にも適用可能だろうか。
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アクセス解析、2021年4月~9月の実績
4月 PV:1593 Visit:1161 UU:1091
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7月 PV:1474 Visit:1212 UU:1135
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9月 PV:1503 Visit:1139 UU:1047
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