ライブ中継の時代
YouTubeで神楽甲子園を最後の演目吉田高校の「滝夜叉姫」と閉会式を見る。2019年から日大芸術学部が関与しているようだ。日大選賞が吉田高校に授与された。
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◆はじめに
島根県石見地方には「彦」の名のつく神社がまだある。大田市朝山町朝倉の朝倉彦命神社と江津市松川町の大飯彦命神社である。
明治時代に活躍した国学者である藤井宗雄は「石見国式内社在所考」では、朝倉彦命神社について、「彦命」は後世の人が付け加えたものと考え、祭神は土佐国土佐郡朝倉神社と同一神としている。これに対し、「式内社調査報告 第二十一巻 山陰道4」では、これについて、式内社の考証が祭神を中央や遠隔地の有名神と関係づけることで事足れりとした一例として批判している。朝倉彦命神社なのだから朝倉彦でいいじゃないかと考えるのである。
大飯彦命神社について「石見国式内社在所考」では「彦命」の二字は三代実録に無いと指摘している。祭神は大飯寮の竈神八座の中たる大御食神としている。「式内社調査報告 第二十一巻 山陰道4」では祭神を大背飯三熊大人命としている。「石見八重葎」でこの神名は雲州飯石郡三熊谷に降臨したことによる。またの名を伊毘志都幣之命としていることについて触れている。天穂日命の子であることから出雲系の神と解釈するのである。
日本書紀の国譲り神話では出雲に派遣された天穂日命は三年経っても帰ってこず、またその子の大背飯三熊大人を派遣したところ、父に従って帰らなかったとしている。
◆余談
朝倉彦命神社は国道9号線を進み、富山入口の交差点で曲がり、すぐに右折する。するとその先が神社である。訪問時はちょっと先まで行ってUターンして、神社の境内脇に車を停めた。
大飯彦命神社は国道9号線、江川を渡ったところで県道261号線に入り南下する。採石場を過ぎて、最初の集落が目的地である。左折して集落に入ると細い道となる。適当なところに車を停めて歩いた。神社にいく参道には猪除けの鉄の柵が張られているので、紐を解いて中に入った。訪問時は前日の雨の影響か土砂崩れを起こしていた。
◆参考文献
* 『式内社調査報告 第二十一巻 山陰道4』(式内社研究会/編, 皇学館大学出版部, 1983)pp.804-806, pp.874-876
* 藤井宗雄「石見国式内神社在所考」『神祇全書 第5輯』(思文閣, 1971)p.340, p.348
記事の転載先→「広小路」
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◆はじめに
大田市久手町の苅田神社のご祭神は苅田比古と苅田比売である。田を刈る。つまり農業神でペアの神なのだ。また倉稲魂神(稲荷大明神)も併せて祀っている。
久手町にはかつて波根湖があったが、昭和の時代に干拓され田んぼとなっている。苅田神社はもとは波根湖南岸の神谷山に社殿があったが、集落が海岸寄りに移り、旧社地が湿潤地だったので参詣に不便であるとして現在地に遷されたとのこと。神谷山には烏帽子端(えぼしばな)という大巌石があったそうだ。
若狭国に苅田比古神社・苅田比賣神社があるそうだが、当社との関係は明らかではない。
◆在所考
明治時代に活躍した国学者である藤井宗雄の記した「石見国式内社在所考」によると、苅田比古と苅田比売は刈田首(おびと)の祖神と解釈している。また、苅田神社は波根西村と大田南村とに二社あったことが分かる。
「式内社調査報告 第二十一巻 山陰道4」では、旧安濃郡内では苅田、刺鹿、新具蘇、野井といった開拓と農業に関係の深い神社が多く分布しているとしている。
◆口碑伝説
苅田比古と苅田比売にまつわるお話は残されていないのだが、「式内社調査報告 第二十一巻 山陰道4」では次のような口碑伝説を挙げている。
1. ご神体は木像で菅丞相、つまり菅原道真の一刀刻みと伝えられている。
2. 当地方の習俗として、江戸時代頃盛んにご神体盗みが行われた。
3. 「神谷明神は雷より恐ろしい」と言われ、波根浦・立神岩の下を通う舟に穢れのある者が乗り込んだ場合は神谷明神の眼光に射すくめられて、たちまち転覆した。
4. 波根湖(現在は干拓地)の東に大津という集落がある。ここに大津屋という豪族がいた。いつの時代にか、いかなる理由でか、この家系は断絶したが、苅田神社の旧祭日の八月二十日夜半午前二時ごろ必ず怪火が大津上空に現れて神谷山へ往来する。これは大津屋の怨霊が神谷明神にお詫びに参るためと言われ、大津屋火と呼んでいる。
◆余談
神社の近くに天然記念物の珪化木があるが、訪問時、どこにあるのか分からず訪問できなかった。
神谷は何と読むのか確定できなかった。神谷明神のまたの名が神田明神とあるので「かんや」ではないかと考える。ホームページの掲示板に地元の方からのコメントがついて「かんだに」と読むことが判明した。地名のような固有名詞は地元の人でないと分からないこともあるので有有難いことです。
◆参考文献
・『式内社調査報告 第二十一巻 山陰道4』(式内社研究会/編, 皇学館大学出版部, 1983)pp.795-799
・藤井宗雄「石見国式内神社在所考」『神祇全書 第5輯』(思文閣, 1971)pp.339-340
記事を転載→「広小路」
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駅前の書店に行き、「アルケミアタロット」を買う。今度は小アルカナに対応したもの。とりあえず解説書を読む。小アルカナでケルト十字スプレッドは難しいと感じる。試しに占ってみるが、カードが78枚もあるのでシャッフルが難しい。
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タロットで小アルカナを解説したサイトを閲覧してみる。枚数が多すぎて、とても記憶できないと感じる。大アルカナの22枚でちょうどいいくらいである。
大アルカナについては大分憶えてきた。初心者レベルだが軌道に乗ってきた。まだ恋人のカードが出たことがない。
占ってみると、これはこういうことを示唆しているのかなと思いを巡らす余地がある。ここら辺がタロットの楽しみなのだろう。まあ22枚×正位置、逆位置の二通りで44通りの意味があるのだから何かには該当する、如何様にも解釈できるということかもしれない。
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Wikipediaでアニメ「ガールズ&パンツァー」の項を見る。美少女ものの皮を被っているが、戦車戦の描写が迫力ある作品。作品の舞台は茨城県の大洗町なのだけど、企画時点では山陰の港町が候補だったと書かれていた。山陰で港町というと境港か浜田が候補として挙げられるのだけど(学園が空母上にあるという設定なので、それなりの規模のある港でないといけない)、雪深い山地という想定だったとのこと。雪深いとなると浜田は外れるし(山間部は積もるか)、山地だと境港でもない(大山が近いか)。結局のところ、山陰はロケハンには遠いということで関東の大洗が選ばれたとのこと。ただ、当初はアニメ聖地化で街の活性化は見込んでいなかったとのこと。あくまで作品がヒットしてその上で結果がついてくるということらしい。
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吉見俊哉「カルチュラルスタディーズ(思考のフォロンティア)」を読む。句読点が「、」「。」でなく「,」「.」が用いられている。つまり学術論文の体裁である。実際に読んでみると「,」「.」の区別がつきにくい。具体例を欠き、抽象的な文体であり、悪文とまではいかないが、すんなり頭に入ってこない。
本書は狭義のカルチュラルスタディーズ、英国でのそれに焦点を絞っているが、英国で文化という概念が登場したのが比較的新しい時代だったというのが驚きだった。また、少数の知識人によって大衆は善導されるべきといったエリート主義的な文化論が始まりだったというのも参考になった。
カルチュラルスタディーズは重層的、多元論的な思考であるが、多元論は結局は一元論、二元論に還元されてしまうのではないか。そうすると二項対立的な思考に戻ってしまう。
「文化」について、まだまだ知らないことがあるというのが読後感。僕の関心範囲だと、神楽をカルチュラルスタディーズ的に論じる可能性もあるのではないか。
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