コロナ禍の諸相
斉藤修平先生から文教大学の「オープンフォーラム」5号が送られてきたので読む。「コロナ禍の諸相」特集である。斉藤先生の担当パートが多くて、大宮住吉神楽保存会、垣澤社中、横越社中、佐相社中の2019年と2020年の神楽実施状況に関する報告があった。
神楽師の方たちが懸念しているのは楽屋が狭くて密になりがちなこと、面や採物も消毒して使っているとのことだった。2019年までが通常だったとして、2020年は神楽上演の機会が半減した社中もあった。高齢の神楽師も多く(勤めを引退してから神楽を始める人も多いらしい)、その点でも感染対策が必要となった。
今医療関係者にワクチンが接種されているところで、一般にまで順番が回ってくるのは何時になるだろう。今年中には難しいかもしれない。
参考文献にはコロナを取り上げた書籍が多く、ここら辺は学者と素人の差だなと思わされた。僕自身はネットの記事を読むくらいである。
南雲功「黄金の翼に乗って」は科学哲学的な内容。目にとまったのは「人間主義から自然主義を見ると、人間性を無視した唯物論的世界観であり、社会構造の崩壊をまねく思想である。」(6-7P)という一文。唯物史観の欠点がすっと胸に落ちた。
<追記>
なお、ここで言う自然主義とは文学のそれではないとのこと。
<追記>
近代は言わば自然主義の時代である。科学が技術と結びつき、高度な発展を遂げた。その恩恵下に我々もいるのである。
「黄金の翼に乗って」では自然主義的視点、人間主義的視点、霊性的視点の三つが比較衡量される。基本的な認識については自然主義的視点から科学リテラシーを涵養する他ないだろう。しかし、自然主義的視点では人間性が等閑視されるといった事態にも繋がりかねず、その点で人間主義的な観点から修正が施されることになるだろう。霊性的視点について言えば、例えば神楽の悪疫退散祈願なども霊性的な念願の現れである。
近代における自然主義が科学技術的な成果物を持つとしたら、人間主義は人権という成果物を持つだろう。さて、現状における自然主義と人間主義であるが、コロナ禍の渦中に我々はいる。そこでは都市の強制ロックダウン―強制力をもったそれ―が地方自治体の首長たちによって提起されている。これは言わば科学的見地から人権に制限を加えるものと言える。自然主義と人間主義の葛藤がそこに見いだせるのである。現行憲法下では私権の制限は難しいとも指摘されており、憲法改正は案外こういった切り口で改正論議が始まるのかもしれない。
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