明治期における関東の里神楽の神楽改正について
文教大学の斉藤修平先生から頂いたパンフレットに関東の里神楽に関する文章があったので転載する。「2017年度 文教大学生活科学研究所 特別公開講座 地域に伝わる伝統芸能 神楽の魅力と課題」というパンフレットの中の「神楽のあらまし(関東の神楽と出雲流神楽)」という文章である。執筆者は斉藤修平先生である。
里神楽は明治期に大きく変容している。明治初期に神職演舞禁止令が発令され、神職が神楽を舞うことが禁止され、多くの神職が神楽から手を引いた。神楽の担い手は民間の氏子たちに移ったのである。また、この際に神がかりすることも禁止された。現在では神がかりを残す神楽は島根県石見地方の大元神楽と広島県備後地方の比婆荒神神楽など僅かである。
神楽の演目にも統制が入り、男女のきわどい所作や神を冒涜する所作が禁じられた。試験制度はこの他、古代史や神道の知識を問うものだったようである。
○里神楽の近代
明治時代、維新政府は天皇を求心力とする国家経営に乗り出します。教部省を設置して、宗教関係者を教導職化し、神道を国の中心に据えてきます。芸能に対しても、国家経営に資するものとなるよう、行政化(監視、統率)していきます。里神楽も神々について民衆に教化できるもの、と理解され教導職化(つまり神楽師の誕生)が図られ、神楽演目も整理されていきます。神楽(巫女舞を含む)など、祭りでの音曲を生業とする家々はお上の要請で集い、演目整理・統一に向かって進むことになります。お上に承認された「検査済み神楽」が整い、この上演が里神楽の出発点になりました。
私たちが神社で見ることができる神楽の多くは、検査済み神楽だとご理解ください。その上で、関東(とりわけ江戸)の里神楽の特徴は①採り物神楽を捨て、神能仕立てに向かっている。②歌謡(神楽歌)を捨て黙劇化を採用し、仮面劇化、神話劇化を目指してきました。③神能のなかに舞の伝統を積極的に残し神楽の本分を大切にしてきました。④一般の方々を強く意識した奉納芸に特化して、歌舞伎、能、壬生狂言、長唄他、周辺の芸能を積極的に取り入れていく姿勢を維持してきました。つまり、儀礼的な神楽から神賑わいの芸能を追求してきたのです。⑤神話を題材とするだけでなく、能楽やお伽話からも題材を取り入れていることをご理解ください。
これを読むと、関東の里神楽が神話劇中心の神能であること、黙劇であること、神楽歌が無い理由が明治期の神楽改正にあることが分かる。元々は鷲宮神社の土師一流催馬楽神楽の流れを汲むので儀式舞もおそらく存在していたと考えられるが、明治期の改正で神能に集約したのである。
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