招かれざる客――折口信夫「日本藝能史六講」
折口信夫「日本藝能史六講」を読み終える。折口の本を通読するのは初めて。折口は祭礼から芸能が文化してきたと考える。そこには招かれざる客たちいて、それが観客の発生となったとしている。また、もどきについても重視していた。
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折口信夫「日本藝能史六講」を読み終える。折口の本を通読するのは初めて。折口は祭礼から芸能が文化してきたと考える。そこには招かれざる客たちいて、それが観客の発生となったとしている。また、もどきについても重視していた。
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中国経済産業局セミナー「伝統文化・神楽を担う組織の長期的な経営を考える~今だからこそ,将来を見据えた運営を~」をリモート聴講した。広島県の芸北神楽は官民あげて支援しようという機運があることが見えた。
メモの取り方が下手で箇条書きになってしまったが、概要は以下のようなものである。
まず、 広島経済大学 メディアビジネス学部 学部長/教授 北野尚人氏の「伝統文化を担う組織の後継者育成と鑑賞者開発」という挨拶があり始まる。
中国経済産業局の狙いは、中国地方の歴史・文化・産業の融合を図り付加価値の向上を図るというものである。地域資源の活用が考えられるが、その魅力の典型が神楽である。神楽を継承する団体は中国地方で500団体以上にも上る。そこでは次世代への継承が求められる。
続いて、静岡文化芸術大学 文化政策学部 芸術文化学科 准教授 高島知佐子氏の講演が始まった。
高島氏はアートマネジメントの分野を研究しているとのこと。元々欧米発祥の学問なのだけれど、日本には独自の文化があるので欧米の研究とは異なったものになっているとのこと。
2018年に文化財保護法が改正され、文化財の保存と活用が謳われることになった。地方自治体は伝統芸能の保存と活用について総合的な政策を立案することが求められることとなった。
活用というと舞台での公演が想起されるが、これは別の観点がら見ると、芸能のショー化である。そうするとショーで演じられる演目だけ継承する団体が発生する。ところが、その芸能が観光客に飽きられるとその保存団体自体が消滅してしまうことがある。
また、現在では小中学校の教育題材として伝統芸能が取り上げられ、一定の効果を挙げている。しかしながら、高校、大学に進学すると地元を離れる子供も増えてくる。また、一方で伝統芸能の継承者の高齢化も見られる。そこで、10代後半から50代までの後継者獲得が課題となっている。
伝統芸能でよくあることで、一度鑑賞してそれで終わりでリピートに繋がり難い問題があると指摘する。
事例として小田原の相模人形芝居が取り上げられる。現在は5座のみが継承している。元々は地域内での娯楽だったが、現在では都会や海外での公演も増えているとのこと。
従来だと配役は固定的だったが、現在では柔軟に変更してマルチロール化を図っている。
そこでは現代のライフスタイルに合わせて無理なく続けられるようルールを変更しているとのこと。例えば女性の参加も認められた。産休も認められる。
人形のメンテナンスは従来は外部業者に依頼していたが、費用がかさむため、現在では内製化を図り座員が行っている。
資金面では現在民間財団の助成金や公的支援も受けている。
ちなみに、人形芝居はのめり込むと財産を食いつぶすとも言われていたとのこと。
また、全てを内製化はせず、必要に応じて外部資源を活用している。
現在では団体間の交流があり、人手が足りないときの応援もある。
伝統芸能は演じ手+道具+場所で構成される。
道具の原材料が高騰して国内調達できない可能性が高いものも多い。
一方で、道具作りのみで生計を立てることが難しい事情もある。長期的には道具生産と調達の効率化をしなければ維持できない。
人形浄瑠璃では国立文楽劇場のスタッフに相談している。また国立劇場から徳島へ移ったスタッフもいるので徳島の事業者に相談することがある。地域を超えて繋がることも必要である。また、多様な人がアクセスできる情報交換の場が求められる。
上演組織についてみると、ルールと分業について、時代に合わせたルールの変更とルールを踏まえた分業体制が求めれる。小田原の人形芝居では演じ手だけが継承されてきており、太夫と三味線は東京の外部組織に依頼していた。現在は内製化を進めている。
伝統を守ろうとするとルールは厳しくなる傾向にある。だが、ライフスタイルに合わないと参加や継続が難しくなる。後継者育成においてはルールを見直すことが肝要である。
ルールの見直しには伝統とは何かを定義する必要がある。伝統とは変化していないようで実は変化している。守るべき伝統と変えてもよい点を改めて考えることが求められる。
そこでは皆が参加し易いルールと分業になっているか、一人に過度な負担が掛からない様に考える必要がある。そのコアな一人が抜けると存続が難しくなる事例もあるからである。
同じ芸能が抱える同じ課題を共有することが必要。
公益的な団体にも相談すべし。また公共団体では産業関連の部署も参加を求められる。そうすることで資金面での安定を図るのである。
質疑応答:
Q.伝統芸能の活用について資金面での問題はないか。熱気が下がったときのことも考慮する必要がある。
A。制度に振り回されないことが重要。補助金が切れた後を見据える必要がある。
相模人形芝居ではルールを変更してきた。人形芝居のみならず衣装に関心のある人、道具に魅力を感じる人たちを獲得してきた。また(産休等と思われるが)一時お休みを容認したことも大きい。
高校生の質問
Q.芸北神楽の団体に所属しているが、古い神楽の保存に関心がある。芸北神楽は芸能に特化し、神事的な要素が薄れてきている。そのことに疑問を感じる団員もいる。どのようにバランスをとればいいのか? また広島の神楽団同士で連携することが難しい現状にある。
A.神事としての側面が軽んじられる傾向は全国的に見られる。神事なのかショーなのかで分かれるが、段階的に本質に踏み込んでいけるようにバラエティをもっていることが求められる。例えば公演前にワークショップを行う団体がある。
相模人形芝居も最初から団結していた訳ではなかった。問題意識のある団体が頑張ることで変化していったのである。なので、そういう団体が頑張るしかない現状ではある。外と繋がることで伝統が侵される訳ではない。少しづつやりたい人を増やす、長期的に取り組む必要がある。
続いて、休憩を挟んで星城大学経営学部講師 高崎義幸氏の「ひろしま神楽を取り巻く環境の変化と対応」についてがはじまる。
高崎氏はNPO法人広島神楽芸術研究所の理事でもある。広島生まれの広島育ちとのこと。
昨年のニュースとして、
・コロナで神楽甲子園が中止となった
・コロナで公演の目途が立たない。資金面で苦慮することも
・神楽衣装店がコロナ禍のため経営危機に。従業員を解雇した
などと言ったものが見られた。
ところで広島神楽(芸北神楽)は郷土芸能界の風雲児である。勧善懲悪の分かりやすい内容で、初めて神楽を見る人や外国人にも好評である。
広島では大ホールの一階席(5000円のチケット代)が前売りで売り切れる。神楽ドーム(三千人収容)が満席になるといった観客動員力がある。村の芸能という文脈を超えている。
その人気を背景に観光活用が活発化してる。広島神楽を活用した街のにぎわい創出について広島経済同友会が提言している。
広島には五つの系統の神楽がある(芸北神楽、安芸十二神祇、比婆荒神神楽、備後神楽、芸予諸島の神楽)。
芸北神楽では戦後、競演大会が盛んになった。競争原理が働いて芸が磨かれ華やかになっていった。いつしか観光の眼差しが向けられるものになった。そして芸北神楽から広島神楽へと。今や文化的観光コンテンツである。
芸北地域の人口推移について
人口減少が著しい。80年代では7万人の人口だったところ、現在では3万8千人ほどにまで減少している。また、高齢化が進んでいる。人口が加速度的に減る状況で神楽団の運営を考える必要がある。
神楽1.0
土着の神楽。農村の祭礼
祭礼と結びついており、神楽の担い手は農家の長男に限られていた。上演回数も少なく氏子だけの寄付で賄えていた。舞台は神社だった。
神楽2.0
GHQによる思想統制(検閲)を受けた神楽の危機。佐々木順三が能や歌舞伎の演目をモチーフに創作したのが新舞。近隣の娯楽として定着した。
男性の労働力が都市に吸収された。その結果女性や子供が参入した。また、舞台として地域のコミュニティセンターで神楽が演じられるようになった。
神楽3.0
スーパーカグラ
衣装に蛍光塗料を仕込む、鬼の首が宙を舞うといった当時では斬新な演出が見られる。
中川戸神楽団は創作演目「板蓋宮」を自信をもって競演大会に臨んだが、審査員からこれは神楽ではないから審査の対象にならないとそっぽを向かれた。ただ、会場はその日一番の盛り上がりだった。
審査員のために神楽を舞っているのかと言われた。そこで演じる場所を地元から都会の劇場に移し、自主公演を開催した。
結果、芸北神楽が広島で広く知られるようになった。また、エンタメ性が強くなっていった。打倒、中川戸神楽団を目標にする団体も出てきた。
神楽4.0
舞台芸術化
オロチで交響楽団との共演を果たした。「厳島」は補助金によって創られた創作演目。宮島ではご当地神楽として人気に。
専門分業化が起きた。演出家、脚本家、音響、照明などに分業。
パリコレに出演。インバウンド向け神楽も。
コロナで無観客ライブ配信。クラウドファンディングで資金を募る。160人ほどから計300万円ほどの出資を受けた。
神楽団の経営資源の現状(アンケート)
・ここ10年程で54団体から51団体へ減少。
・男性と女性の割合が6:1
・10代から30代の団員が減少。高齢化している。
・練習状況も週三回稽古するところが週二回になった団体もでてきた
・祭りの直前のみ練習の団体も増えている。
上演状況
・共演大会が減っている。イベントは変わっていない。17団体が年間上演回数10回以上。その中でも琴庄神楽団が突出している。これは「厳島」を舞えることが大きい。年間40回以上上演。
活動方針
・昔からの演目は継続させたい団体が多い。
・6団体が観客が驚くような仕掛けを施したいと考えている
→挑戦的、外交的な神楽団も少なくない
悩み
・団員不足。若手がいない。仕事と家庭との両立。
・一方、必要経費の捻出については悩みが少ない
後継者不足の意見について
・現状維持に苦労
・20代30代の団員が他地域に住んでいて練習に参加できない。本番では裏方として参加することになってしまう
・消防団と神楽団体は必須という意識が薄くなってきた。
→緩い繋がりにシフトしている
・活動の縮小化
・経営資源、志向性(保守的/進歩的)で神楽団の二極化
・学習塾やサッカー少年団に若手を取られる
強み
・エンタメ性。一度見ただけで理解できる。無形文化財故の柔軟性(舞いを変更できる等)
・継承団体の多さ
・支援組織の存在
・専用施設の存在(神楽ドームなど)
経済界の支援が期待できるのではないか。観光化の機運を活かして、適切な支援をお願いする
・柔軟性:表現幅の広さ×神楽支援の動き
→新しい神楽への挑戦
・オリジナル演目の開発
・出演依頼の増加
・収入UP知名度UP入団希望者UP
かつての中川戸神楽団のように突出した神楽団が出て全体を牽引することが求められている
神楽5.0
次の世代の広島神楽を構築していく必要性
アニメや映画、小説を題材とした新しい神楽があってもいいのではないか
例:歌舞伎がアニメ「風の谷のナウシカ」を歌舞伎化した。
歌舞伎にできて神楽にできないことはない
新しい神楽を作るには多大な労力と資金が必要
経済界の支援や投資を得る
支援組織によるマネジメントやコンサルティング
挑戦意欲のある神楽団の登場が望まれている
・チャンスを活かして弱点を補う
・まちづくりとしての神楽振興
・リモートワークの普及、価値観の多様化で田園回帰の方向性も見られる
観光まちづくり
・福祉業界や教育界との連携など(※福祉業界については石見神楽で事例あり)
・社会更生の一環としての神楽もあり得るのではないか
・終戦直後、疲弊した農村の人々は神楽で活気を取り戻した
・都会へ出た人は神楽をみて郷愁を感じた
・様々な困難に直面している今、神楽で活気を
質疑応答:
Q.新しい神楽への取り組みについて、実際にアニメを神楽化した事例はあるのか?
A.アニメを題材とした神楽は現在ない(高崎氏自身の目標)
歌舞伎にできて神楽にできないことはない。鬼退治の漫画(鬼滅の刃)が人気を博している(※鬼滅の刃には神楽の要素がある)
実例として神楽の紙芝居アニメーションができた
Q.見た目だけで楽しんで知識レベルが低下していないか? 神楽団の沿革に興味を抱かない若手団員の存在もある。伝統意識の低下
A.ショー化した神楽は掴みとしては良い。そこではまってもらって徐々に本質へと誘導する。勉強会やワークショップの開催などが挙げられる
芸能は変化するものなので、今の価値観で物事を見ることも必要である。既に文脈を超えている
Q.学会の報告としても素晴らしい。コロナで無観客開催となっているが、今後の神楽の展開について。リモートワークについて。更に次世代の神楽について。無観客ライブ配信での動員数について
A.動員数については数字が出なかった
脇からの意見:ずっと同じところにステイしているのは伝承に過ぎない
局からは、神楽は中国エリアを代表する文化コンテンツである。知財として外に発信できないかとあった
高校生の質問
Q.旧舞を継承する団体に所属している。新しいものと古いもので二極化している。既にいる神楽ファンでも偏りが出てくる。格差が生まれてくるのではないか?
A.様々な神楽があるのが広島の良さである。旧舞があるから新舞が目立つのである
脇からの意見:それはマーケティングにおけるターゲッティングの問題と言える。従来からいるファンの維持と新規層の開拓の両方が求められる
脇からの意見:神楽を見ている二、三歳くらいの子供が自然に踊り出す。これだよ、これ
公共団体の性格上、一つの団体にスポットライトを当てて支援するのは難しい。広島ではNPOを経由して支援する仕組みになっている
高島氏:宝塚や四季といった商業的に成功している劇団はレパートリーを増やしている。そこには当然失敗もある
……といった様な内容でした。今日のために学校を早退したと語る高校生が質問したのだけど、筋道だてて話すことのできる子で、高校生でこれだけと驚かせていました。
あと、迫先生のご発言がありましたが、30年前に安芸十二神祇の社中の再生に携わったそうです。30年を経て再び苦境に陥っているとのことで、これは芸北神楽と安芸十二神祇のパイの奪い合いでもあります。観光神楽化した芸北神楽に対し安芸十二神祇は劣勢なのです。
芸北神楽はバトルに特化して現在でも行き過ぎではないかと思える面もあるのですけど、当事者の中ではさらにその先を見据えていることが伺えて驚きでした。
レパートリーを増やすといったのは、ここではバトル特化型の演目から離れた演目を取り入れることだと思います。
セミナー中では広島神楽≒芸北神楽といった扱いでした。五系統併せての広島神楽ではありませんでした。
芸北神楽では神楽の舞台芸術化に価値を感じているようです。より大きな舞台で大勢の観客の前で神楽を見せる方向に舵を切っている訳です。
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Google翻訳を使ってみて数日が経った。英辞郎などを参照しながら機械翻訳された文章に手を入れている。Google翻訳では訳してくれない言葉でもweblioなら翻訳してくれる場合があることに気づく。しかし、Google翻訳のレスポンスの速さと言ったら。恐るべき能力だ。
英語はしゃべれないし、難しい単語が覚えられなくて読むことも滅多にないけど、高校までの知識で何とかなっている。ただし、「, which」の用例は知らなかった。
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Google翻訳を試しに使ってみて、これならいけるかもと思い始める。サイト構成はindex2.htmlとでもすればよい。記事は書き直しになるだろう。とりあえずTOPページをいじってみる。
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メールBOXにジャストシステムの翻訳ソフトの宣伝が入っていた。1000万語もの辞書搭載。いいなあと思う。ホームページの文章を英訳して海外に発信する……なんてことも不可能ではない。
パソコンを買い替える前は一太郎とATOKを使っていたのだけど、今は使っていない。
調べたら、該当するソフトはジャストシステムとは別の会社の製品だった。Amazonでレビューを見てみるが、さほど評価は高くなかった。Google翻訳でいいか、という気になる。
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山﨑一司「花祭りの起源 死・地獄・再生の大神楽」(岩田書院)を読む。奥三河の花祭の原型で、七日七夜に渡って催された――準備まで含めると三十日くらいかかったとされる――大神楽(おおかぐら)の実像がどのようなものであったか考察した論考。
大神楽を行うには米二十五俵、金百両もの負担を要したとのこと。百両は現在の貨幣価値に置き換えると一千万円くらいらしい。それだけの費用の負担があるので、大神楽は二十年に一度の豊作の年にしか行われないものだった。大神楽が催されると決まった際は村中神楽の噂話でもちきりだったらしい。
三遠南信地域に神楽を持ち込んだのは修験道の山伏たちであった。修験道の本山は熊野にあったが、承久の変(1221)によって熊野修験団は崩壊、全国各地の霊山に離散した山伏たちがやがて土着し、神楽を伝えたとする。神楽は修験道の教理を文盲の民衆たちにも分かるよう視覚的聴覚的に表現したものであった。
大神楽は湯立神楽の系統に分類されるが、本田安次は三遠南信の霜月神楽を伊勢流神楽と分類した。が、著者によると伊勢信仰が入る前から大神楽は実修されていたとしている。
著者は大神楽の実像がどのようなものであったか、「御神楽日記」(1581)「神楽叓」(1656)「神楽順達之次第」(1872)といった大神楽の式次第を記した文書によって追っていく。大神楽の式次第は百番にも及ぶ長大なものであった。
大神楽の次第で最も重視されたのは「生れ清まり」と「浄土入り」だった。
「生れ清まり」は生れる子と清められる子のことを言う。生子(うまれご)は各家庭で子孫の誕生を大神楽の神仏に祈願する。そして成就の暁に大神楽で願果たきをして神の子(神子[かんご])として終生の加護を願う。「清まり」では神子になったものが十三歳の成人を迎えた後の大神楽において成長の無事を神仏に感謝し、それまでの成長過程におけるケガレを祓い清め、生命力の再生を願うものだったとする。
祭場(山)を造って祢宜・巫女とそのお供の爺婆を登場させ、観客の前で性交を演じるといったことも行われる。妊娠・出産・産湯などの過程を演じて見せることで、村の子が神の子として生成されたことが示される。
山見鬼とはこの造立された山を偵察しに来る鬼である。山を見るから山見鬼なのである。
「浄土入り」の舞台は白山であるが、どのような構造であったのか確かな史料は伝わっていないとする。白山は地獄を模したもので、死に装束に身を固めた神子たちが三途の川を渡り地獄入りして鬼に責め苦を受ける。それを山見鬼たちが救出してケガレは祓い清められ、神子たちは新たな自身に再生するという次第である。擬死再生のモチーフがそこに見られる。
七日七夜に渡って実修された大神楽が現在では一日一夜の花祭に編成されているので、失伝した次第が多いのかと予想していたが、実際には内容の失われた次第はあまり無くて、花祭に継承されている次第が多いようだ。
現在では花祭を行う集落が限界集落化していて、伝承の継承が危惧されているとのこと。
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Microsoft Teams をインストールする。
伝統文化・神楽を担う組織の長期的な経営を考える
https://www.chugoku.meti.go.jp/event/kikaku/201225.html
広島で催されるこのセミナーのWEB聴講に申し込んだもの。
1月25日(月)13:00-
申込は先着順:WEB聴講は80名
https://www.chugoku.meti.go.jp/event/kikaku/pdf/201225.pdf
内容はこちら
https://woodenplane.air-nifty.com/log/2021/01/post-1539d6.html
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文教大学の斉藤修平先生から頂いたパンフレットに関東の里神楽に関する文章があったので転載する。「2017年度 文教大学生活科学研究所 特別公開講座 地域に伝わる伝統芸能 神楽の魅力と課題」というパンフレットの中の「神楽のあらまし(関東の神楽と出雲流神楽)」という文章である。執筆者は斉藤修平先生である。
里神楽は明治期に大きく変容している。明治初期に神職演舞禁止令が発令され、神職が神楽を舞うことが禁止され、多くの神職が神楽から手を引いた。神楽の担い手は民間の氏子たちに移ったのである。また、この際に神がかりすることも禁止された。現在では神がかりを残す神楽は島根県石見地方の大元神楽と広島県備後地方の比婆荒神神楽など僅かである。
神楽の演目にも統制が入り、男女のきわどい所作や神を冒涜する所作が禁じられた。試験制度はこの他、古代史や神道の知識を問うものだったようである。
○里神楽の近代
明治時代、維新政府は天皇を求心力とする国家経営に乗り出します。教部省を設置して、宗教関係者を教導職化し、神道を国の中心に据えてきます。芸能に対しても、国家経営に資するものとなるよう、行政化(監視、統率)していきます。里神楽も神々について民衆に教化できるもの、と理解され教導職化(つまり神楽師の誕生)が図られ、神楽演目も整理されていきます。神楽(巫女舞を含む)など、祭りでの音曲を生業とする家々はお上の要請で集い、演目整理・統一に向かって進むことになります。お上に承認された「検査済み神楽」が整い、この上演が里神楽の出発点になりました。
私たちが神社で見ることができる神楽の多くは、検査済み神楽だとご理解ください。その上で、関東(とりわけ江戸)の里神楽の特徴は①採り物神楽を捨て、神能仕立てに向かっている。②歌謡(神楽歌)を捨て黙劇化を採用し、仮面劇化、神話劇化を目指してきました。③神能のなかに舞の伝統を積極的に残し神楽の本分を大切にしてきました。④一般の方々を強く意識した奉納芸に特化して、歌舞伎、能、壬生狂言、長唄他、周辺の芸能を積極的に取り入れていく姿勢を維持してきました。つまり、儀礼的な神楽から神賑わいの芸能を追求してきたのです。⑤神話を題材とするだけでなく、能楽やお伽話からも題材を取り入れていることをご理解ください。
これを読むと、関東の里神楽が神話劇中心の神能であること、黙劇であること、神楽歌が無い理由が明治期の神楽改正にあることが分かる。元々は鷲宮神社の土師一流催馬楽神楽の流れを汲むので儀式舞もおそらく存在していたと考えられるが、明治期の改正で神能に集約したのである。
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◆稲荷山
2019年9月に千束八幡神社で「稲荷山(千箭[ちのり]の悪鬼退治)」を見た。黙劇で初見の神楽なのでストーリーが分からない。千箭の悪鬼退治とあるけれど、鬼が出てこない、鬼退治しないじゃないかと思っている内に終わってしまった。
また、2020年1月に鶴岡八幡宮で佐相社中の演じる「稲荷山」を見た。こちらも登場人物は神と天狐だけでもどきと鬼、千箭は登場しなかった。
その後、稲荷山のストーリーが分かった。稲荷山は前段「言付けの場」と後段「鬼退治山の場」からなり、僕が見たのは前段だけであった。
神は稲荷大神もしくは宇迦之御魂大神(ウカノミタマノオオカミ)だった。だから天狐が登場するのである。
◆動画
YouTubeで「里神楽 千箭凱旋(ちのりがいせん)」という動画を見る。残念ながら、どこの社中かどこの神社に奉納されたものかの情報は無かった。24分程の動画。これを見るに、鬼退治以降の場がある社中も存在することが分かる。内容は稲荷大神がまず出て舞い、それからモドキが運びの舞でお酒を持ってきて千箭がそれを飲み、それから鈴と弓を持って舞う……というような内容だった。
◆黙劇とマイク解説
関東の神代神楽は基本的に黙劇でセリフはほとんどないのだけど、これは観客に一定の知識を要求していると言えるだろう。神代神楽の演目の多くは記紀神話に題材をとったものであるから、何となくでも知っている人は多いだろう。それでも日本神話の知識を前提にしていることに変わりはない。「稲荷山」の場合、日本神話には無い独自のストーリーなので、初見の人間には前提となるストーリーの知識がない。これ、弓と矢で舞っている(シキミの舞)ことは分かるけれど、何のためなのかということが分からない。
神楽というのは老人と子供が見るものである。神楽の盛んな地域の動画を見ると、観客は老人と子供である。関東の神代神楽の場合、神楽師の着付けと休憩で時間が掛かって幕間が一時間くらい空くことが通常である。この間に観客が入れ替わってしまうという難点がある。一社中の構成人数は十名前後であり、また一演目当たりの登場人物も多いので、幕間が長いこと自体はどうしようもない。
そんな悪条件でも子供に神楽を見せることを考えなければならない。神楽を見て育った子が大人になって親になって、そのまた子(孫)に神楽を見せるというサイクルが神楽の盛んな地域では確立されているのである。
という訳で子供に神楽を見せるにはどうしたらよいかということになるが、子供には日本神話の知識は断片的にしかない。ヤマタノオロチや海幸山幸、因幡の白兎といったお話は絵本にもなっているので知っている子供も多いだろう。それ以外については知らない子供も多いのではないか。
そこで重要となってくるのがマイク解説である。マイクによる解説は黙劇という建前には反するものとなってしまうが、神楽のストーリーを理解させるのには役立つ。近年ではマイクで解説することが増えている。これは観客がストーリーを理解し易いように配慮したものだろう。今後もマイク解説は広まっていくと思われる。
なお、マイク解説をすると、舞い手が解説に合わせて演じてしまうといった現象も見られるそうだ。
記事を転載:「広小路」
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あけましておめでとうございます。昨年はコロナ禍で明け暮れましたが、今年も続くでしょう。ワクチンは今年中に接種できるのでしょうか。
それとは関係なく、今年は断捨離の年となりそうです。積読の本が沢山あるのですが整理しなければなりません。困難なミッションを完遂できるかどうかが今年一年の課題となります。
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