« 越境する民族誌――山下晋司『観光人類学の挑戦 「新しい地球」の生き方』 | トップページ | ユビキタス――河野眞「フォークロリズムから見た今日の民俗文化」 »

2020年12月13日 (日)

マクロ的視点で――佐藤郁哉「現代演劇のフィールドワーク 芸術生産の文化社会学」

佐藤郁哉「現代演劇のフィールドワーク 芸術生産の文化社会学」を読む。現代演劇をフィールドとした民族誌。フィールドワークに8年かけたとのことだが、その労力に見合う内容だと思う。演劇のことはほとんど何も知らないのだけど興味深く読めた。日経・経済図書文化賞を受賞したそうだが、むべなるかなというところだ。

日本における現代演劇は公教育に取り入れられることもなく、ときには政府の弾圧の対象ともなってきたという不幸な歴史があるが、そういった脆弱な制度と社会のねじれについて考察されている。

フィールドワークは小劇場系の劇団に制作として入ることで行われたとのことなので、そういったミクロ的視点からのものかと予想していたが、実際にはマクロ的視点からのものだった。

第一章では小劇場演劇のサクセスストーリーが語られる。元はアングラ(アンダーグラウンド)と呼ばれた前衛劇だったが、次第に政治色思想色が薄まり、80年代に入るとポップな感性の芝居を上演する小劇場演劇が人気を集める様になった。100~200人収容規模の小ホールで演じられる小劇場演劇には三千人の壁、四千人の壁と呼ばれた観客動員数の壁があったが、それを超え数万人規模の動員数を達成する劇団が登場するようになった。それらの劇団では中ホールである紀伊国屋ホールでの上演をもって小劇場すごろくの上がりと呼ばれるようになった。

そのようなサクセスストーリーに対して商業主義化だという批判が行われるようになった。それはアングラから出発した小劇場演劇が組織維持のために利潤を追求する資本主義的な行動原理へと変節したというものである。これには大衆社会論が裏打ちされており、大衆化され自ら文化を生み出す力を喪失した大衆に提供されるレディメイドの均質化された画一的、紋切り型の大衆文化(マス・カルチャー)であるという批判である。が、それは何ら具体的な実証データに基づかない現実の姿とはかけ離れた図式であるとする。

80年代にはそれまで男性層が中心だった小劇場演劇の顧客層が若い女性層へと変貌する。が、それは6万~7万人といった小規模であり、大衆消費市場(マス・マーケット)と言うにはほど遠い状態であったとする。

また、商業主義という利潤追求の姿勢はむしろ芝居で食えるようにするという方針からきたものであったと指摘する。

80年代にはチケットぴあのシステムが稼働し、それを積極的に活用してチケット販売を効率化するようになった。

結果的に小劇場演劇のサクセスストーリーはその次となるべき新たな物語を描くことなく、ブームは沈静化した。一方で、俳優の中にはマスメディアに出演して知名度を上げる者も出てきた。

第二章では、90年代に入ると、文化行政ブームが起き、政府や自治体、企業のメセナ事業といった助成が始まり、劇団の経営基盤を支えることとなったと指摘する。文化行政ブームは「文化の時代」と「地方の時代」という二つのキーワードを流布するものであった。政府系の助成として芸術文化振興基金が設けられ、芸術に対する本格的な助成が始まった。

全国で公立ホールが建設ラッシュとなったが、その多くは多目的ホールの箱もの行政であり、多目的とは中途半端の裏返しでもあった。また、それを支えるマネジメントの人材は芸術に対して特別に訓練されたことのない公務員たちであり、しかも数年で異動してしまうといった有様だった。そのような中で専用ホールの建設も見られるようになり、芸術監督が業界から起用される事例も出てきた。1997年には新国立劇場が開場した。

「文化の時代」と「地方の時代」というキーワードと併せて「心の豊かさ」「文化の発信」が強調されるようになった。が、物から心へとという論法は根拠薄弱であると指摘する。衣食足りて礼節を知るという論法だと貧しい社会では文化への欲求は希薄とであるという論理になるからである。

90年代はまた産業の空洞化が起き、経済のソフト化が謳われるようになった時代でもある。

第三章では日本においては近代演劇は体系的に取り込まれた訳ではなく、その結果、業界的なスタンダードが存在せず、横断的な視野が存在しないタコつぼ状態だったとする。が、その演劇界に変化が訪れる。やがて演劇界、演劇人という自覚が生まれてくるのである。50年代には新劇団協議会といった業界団体が設立される様になってきた。ただ、当初のそれは職業的なギルドといった性格ではなく、親睦会的な存在であったとする。新国立劇場演劇部門の芸術監督の選定の不透明さを巡り、演劇業界の中から批判が起きる。が、新劇団協議会は法人化で忙殺されており、その批判に十分に応えることができなかったとしている。他、日本劇作家協会などが発足している。日本劇作家協会は劇作料、上演料の最低水準の設定など成果を見せる。

第四章では劇団制に代わるシステムが模索される。米国ではプロデューサーが劇作家、演出家と組んで、公演の都度、俳優や技術スタッフを集めるプロデューサー制が敷かれていると指摘する。日本の場合、劇団が俳優や技術スタッフを丸抱えし、徒弟制的な仕組みで劇の内製化を図ってきたのだが、それに代わる道筋が示される。それは俳優や技術スタッフの養成システムの未確立もあって一朝一夕で成るものではない。

現在ではプロデューサー公演も増えてきている。固定メンバーによる舞台とは異なり、出自を異にする俳優、スタッフが集うことによる相乗効果が見込まれるが、実際には新顔同士がかみ合わないままに幕が開いてしまい、そのまま終わるといったことも少なくないとも指摘される。

第五章では演劇人の職業化、プロ化が語られる。プロといっても職人、名人的な工芸化(クラフト化)といった方向性もある。芸術の場合は既成概念を打ち破る天才が求められるとする。

第六章では結論が述べられる。芸術とは体制の庇護を受けるものでありながら、反体制的な批判を含むものがしばしば生み出されるというパラドキシカルな存在である。芸術は科学などに比べて弱い制度であり、特に演劇はこれまでの沿革上、脆弱な制度と社会とのねじれが存在するとする。自立と依存のパラドックスに対する解決策が求められるとする。それは報酬システムの確立と専門化で達成される。

日本では欧米と比べ、現代演劇が産業化の基盤を確立し得ないままにマスメディアが発達してしまったとする。そのため舞台よりも映画やテレビなどへの出演の方が優先される傾向が見られる。舞台がステータスではないのである。

日本の演劇界が個人の才能や突然変異を点で終わらせることのない肥沃な土壌へと変わっていくためには脆弱な制度を強化することが求められる……としている。

本書では報酬システムを四つに分類する。

・独立型報酬システム。
 大学などの研究機関、特に基礎科学の分野。芸術の分野では、フランスのロイヤル・アカデミー、スターリン時代のソビエト連邦の芸術界など。
・半独立型報酬システム。
 芸術の分野では現代美術界。
・サブカルチャー型報酬システム。
 特定地域におけるマルディグラなどの民族・民衆芸能のパフォーマンスや世代限定のサブカルチャーなど。芸術の分野では黒人ジャズ。
・異種文化混合型報酬システム。
 エンタテイメント産業。

本書に図示された劇団の系譜を見ると、小山内薫の系譜は残っているのだけど、島村抱月の系譜は残っていないのである。これは抱月がスペイン風邪で亡くなってしまったことも影響していると思われる。

<追記>
「比較社会・入門 グローバル時代の<教養>」(苅谷剛彦/編)の第三章「芸術 アートはビジネスになりうるか」(佐藤郁哉)を読む。「商業主義」というキーワードに興味があったので。ここでは日米の演劇シーンを取り上げる。商業主義は芸術性/商業主義という二項対立で用いられることが多いだろうか。

実験的・前衛的な小劇団が経営の安定化を図ろうとすると、観客動員数の増大、つまりチケット収入を増やす方向に向く。しかし、それは演劇の実験性、前衛性を損なう方向に作用する。そういった小劇場のジレンマをいかに解決するかだが、米国ではNPO法人化して助成金を得るという方向で収入を多角化、解決しているとのこと。日本でもNPO法人の設立が盛んとなり、また文化芸術に関する助成金が増える傾向にある。ただ、日本の場合、欧米の様なノウハウがなく模倣するだけといった事態にもなっていると分析する。

|

« 越境する民族誌――山下晋司『観光人類学の挑戦 「新しい地球」の生き方』 | トップページ | ユビキタス――河野眞「フォークロリズムから見た今日の民俗文化」 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事