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2020年11月

2020年11月29日 (日)

質的データを分析してみる

佐藤郁哉「質的データ分析法」を読み終えたので、試しにかながわのお神楽第二回公演の神楽師アンケートの要約をテキストに起こしてみる。13人分のデータ。9時ごろから始めて13時くらいまでかかった。思ったより疲れる作業だった。EXCELに転記する作業は一時間弱で終わった。

おそらくEXCELに転記する手間がMAXqdaでは省かれるのだろう。

結果をここに掲示することはしないが、幾つかの点。奉納神楽と舞台上の神楽で違いはあるかという質問に、舞台の上では見つめられているという視線の強さを感じさせる回答があった。別に舞台だからといって手を抜く訳ではないのである。

稽古については、奉納神楽と舞台とで特別に分けている回答はなかった。出演者が増えるので、その立ち位置の確認などは行ったそうだ。

フィールドワークを行う研究はこういう風にするのかというのが少しだけ分かった気がする。

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2020年11月28日 (土)

アウトライン化とマトリックス化――佐藤郁哉「質的データ分析法 原理・方法・実践」

佐藤郁哉「質的データ分析法 原理・方法・実践」(新曜社)を読む。本書は社会学や民俗学、文化人類学、経営学などの分野でフィールドワークを行った成果を一本の論文としてまとめる手法について書かれたもの。

僕自身は論文を書く機会はないのだけど、江戸里神楽公演学生実行委員会のアンケート調査の結果を見せてもらったことがあって、それで自分にはデータを読む力がないなと思わされたのだけど、そんなことがきっかけとなって本書に興味を抱いたものである。

ここからはツールについて私見が混じる。フィールドノートはプレーンテキスト形式で書くのがいいだろう。ファイル名に日付を入れて日付順でソートできるようにするといった細かいテクニックにも触れられている。なぜ、プレーンテキストかというと、GREPが使えるからである。同じフォルダに入ったテキスト文書であれば、横断的に高速で検索してくれる。結果、探し出しやすくなるといったメリットがある。

それから定性的コーディングに移る。コーディングというと、プログラミングを連想してしまうが、定性的データではそうではなく、文書を読んでいき、適切な文書セグメント単位で分節して見出しをつけていくことである。

紙ベースで言えば、見出しをつけた文書セグメントをカードに移していく作業になる。要約でも構わない。これでフィールドノート全体の文脈から切り離されることになる。脱文脈化である。

カードに移し終えたら、今度は分類して50音順、日付順など適切な基準で並びかえていく作業となる。分類もしくは配列化である。

データで作業していく場合はアウトラインプロセッサ機能でツリー構造化していくことになる。僕が日常的に使用しているテキストエディタは秀丸エディタだけど、秀丸はGREPとアウトライン化の機能を持っているので、適当なものと言えるだろう。

一旦カード化アウトライン化して脱文脈化した文書セグメントを今度はコード・マトリックスに展開、移し替えていく作業となる。これはEXCELなどの表計算ソフトで行うものである。列に見出し、行に事例をとる。こうしてマトリックスの内容が充実してきたら、そこで再文脈化が行われることになる。

こうして完成した(完成途上でもよい)マトリックスを行単位、列単位で見て、そこから傾向を掴んでいくという作業になる。

実際にはQDAソフトというものがあり、それを使えば上記の様な作業を一元化して行うことができるそうである。QDAソフトを販売しているWEBサイトを覗いてみたが、価格は分からなかった。学生割引はある。

<追記>
MAXqdaの価格が分かったが、一般向けで約15万円と高価であった。主な顧客は大学、企業、官公庁で一般には販売する気がないだろうという価格設定である。

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2020年11月22日 (日)

ノート:オンライン公開講座「島根の日本遺産 神々や鬼たちが躍動する神話の世界~石見地域で伝承される神楽~」(2020年11月15日配信)

オンライン公開講座「島根の日本遺産 神々や鬼たちが躍動する神話の世界~石見地域で伝承される神楽~」(2020年11月15日)をアーカイブ配信で視聴した。講師は俵木悟・成城大学文芸学部教授。

↓以下ノートを取った。プレゼ資料とメモ(要約)が混在して区別がつかないが、ご容赦願いたい。

■生きられる伝統としての石見神楽

 石見神楽躍進のきっかけとなった大阪万博での「大蛇(オロチ)」の上演ヒストリーなど。

■日本遺産 神々や鬼たちが躍動する神話の世界~石見地域で伝承される神楽~

石見神楽の日本遺産認定を記念した講演。

アニメ「鬼滅の刃」が人気となっている。鬼滅は鬼たちが躍動する世界。石見神楽も神と鬼が躍動する世界である。地方の文化に目を配ってくれることになれば。鬼滅人気にあやかってか、今日も多数の受講者がいる。

石見神楽を実際に見たことがある人、約100名(オンライン上の受講者は200人超くらいか)。

■日本遺産とは?
>日本遺産(Japan Heritage)
 地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産(Japan Heritage)」として文化庁が認定

 ストーリーを語る上で欠かせない魅力溢れる有形や無形の様々な文化財群を地域が主体となって総合的に整備・活用し、国内だけでなく海外へも戦略的に発信していくことにより、地域の活性化を図ることを目的とする

・日本遺産とは
 2015年に第一回認定
 2019年に石見神楽が認定された。

 文化財保護法ができるだけ昔の形を保ったまま保護・保存することを主眼にしているのに対し、日本遺産では総合的に今の時代に活かしていくこと(地域の活性化)を眼目にしている。

 文化財保護法が個々の文化財を点として保存していたのに対して、日本遺産では文化財群をストーリーで結び付け面として把握・発信。外国の人へも発信

 石見神楽だけでなく関連する様々な遺産もひっくるめて認定

 点から面へ。ストーリーとして活用。

>神々や鬼たちが躍動する神話の世界~石見地域で伝承される神楽~

・神楽
 大元神楽、石見神楽、井野神楽、有福神楽、三葛神楽、久城神楽舞、種神楽舞二題、三谷神楽、丸茂神楽、匹見神楽、道川神楽、多根神楽、宅野子ども神楽、都賀西神楽、都神楽、梶尾神楽、雪田神楽、座敷神楽、柳神楽、抜月神楽、黒渕神楽、白谷神楽など

所在地
 浜田市、益田市、大田市、江津市、川本町、美郷町、邑南町、津和野町、吉賀町

・有形民俗資料・工芸(品)
 神楽木彫面、石見神楽面(長浜面、市木面)、長浜人形、石州半紙、石州和紙、石見神楽蛇胴、石見神楽衣装(刺繍衣装)、勝地半紙、甑、鏝絵、柳神楽の面と衣装
・建造物(群)
 列女お初の碑、温泉津町重要伝統的建造物群保存地区、大元神楽伝承館、市山八幡宮、松尾山八幡宮、三渡八幡宮、太鼓谷稲荷神社、剣玉神社
・古文書・典籍
 紙本墨書神楽台本、紙本墨書藤井宗雄著書、御花の目録、年中祭祀之儀式
・史跡・名勝
 鏡山、丸山城跡、蟠竜峡
・天然記念物
 八戸大元神社のムクの木、オロチカツラ、愛宕神社の社叢
・食
 角寿司(箱寿司・押し寿司)

神楽に関する民俗資料・工芸、建造物、古文書、名勝、食文化など。ストーリーとしてまとめる

■石見の神楽の歴史的変遷
 いつ頃始まった?
 →実は分からない。古い時代の史料が残っていない
  日本中にある様々な神楽の中である種のタイプの神楽が石見に伝わった。
  伝えられる過程でも変化している

■神楽の種類と石見神楽の位置
>神楽とは? なぜ「かぐら」と呼ぶのか
・語源は「神座(かむくら)」 神様がましますところ。山の上とか海の彼方、人間の生活圏から遠く離れたところにいる
 カミを降ろし、依り付かせる場所やものを「かむくら」と呼ぶ
 転じて、神座にカミを迎えて行う鎮魂(たましずめ/たまふり)の行事のこと

・二つの神楽
 御神楽
  賢所(内侍所)で12月中旬(本来は旧暦11月新嘗祭前日の鎮魂祭)に催される宮中儀礼
 里神楽
  民間の祭祀などに演じられる神楽の総称
  神社祭礼に奉納されるものも、土地や集団で独特のカミを祀る民間信仰に基づくものもある

神楽とは「神座(かむくら)」が転訛したもの。
 神様を依り憑かせる場やもの
 鎮魂(タマシズメ、タマフリ)が目的。魂、人間の生命力は一定期間で衰える
 衰えた生命力を定期的に奮い起こさせ体内に定着させる
 旧暦の十一月に宮中で鎮魂祭が催されていた。御神楽
 巫女、猿女(さるめ)君(アメノウズメ命の子孫)らが奉仕
 冬至に近い時季に太陽の再生を願う
 御神楽に対して民間の里神楽
 霜月(旧暦十一月)冬至に近い日に全国で神楽が行われる
 その総称として里神楽

>里神楽の種類(本田安次の分類による)
1.巫女神楽(巫女舞)
2.採物神楽
   手に榊・鈴・扇・剣・鉾などさまざまな採物を持って舞う
   後に直面の採物舞(神事舞)の余興として、神話や説話を題材にした着面の舞(神楽能)が組み合わされるようになり、一般化した
3.湯立神楽
4.獅子神楽


・巫女神楽:巫女の清まった身体に神を降ろす
・採物神楽:採物を依代と考える。儀式的な神事舞と神話や説話を題材にした神楽能
・湯立神楽:釜で湯を沸かして、湯気が立つ。それを目印にして神さまが降りて来る
・獅子神楽:獅子という想像上の霊獣の頭(かしら)に神さまが降りて来ると考える

石見神楽は採物神楽の一つ
 採物は芝居の道具ではないのか?
 神話や説話を物語にした芝居を舞うようになったのは、後の時代の話
 直面の儀式舞に加えて余興として神楽能が演じられるようになった。それらが一体化したものが採物神楽
 出雲の佐太神社の佐陀神能が採物神楽の源流と考えられていたが(出雲流神楽)、現在ではこの説はほぼ否定されている。江戸時代の改革の結果、整理されたという説が有力になったため

邑智郡の大元神楽が石見神楽の源流
 大元神は姿も性格もはっきりしないが、自然の一切を取り仕切る根源的な神とされる
 一定期間の式年に行われる
 ござ舞などの儀式舞と神楽能
 神がかりの儀式が残されている
 儀式が終わった後、大元神の化身である藁蛇は樹に巻きつけられる
 一年経って藁蛇が腐ると、神様が元の世界に戻ったと考える

 ビデオ:胴の口、塵輪など再生。塵輪にはゆったりしたテンポではあるものの平舞いがある
 神がかりの儀式は本来ビデオで見せる類のものではない

>「古態」としての大元神楽
  島根県邑智郡(現江津市)を中心に伝承される、中国地方の神楽の古態を残す代表例
  採物舞と神楽能による構成
  神がかりの託宣儀礼を伴う式年神楽(数え7年ごと)を行う

・六調子神楽
 囃子のテンポが穏やかな、神楽能の古い様式
 明治の神楽改正の影響をあまり受けなかった神楽(演目)を六調子と呼ぶことも

  勇壮で派手な調子の八調子
  六調子と八調子の違いは実はよく分からない
  テンポの緩急はどちらの調子にもあるので、それだけを以て分類するのは難しい
  近代の神楽改正の影響を強く受けた神楽を八調子と考える説あり

■石見神楽の近代化への変遷
・神職演舞禁止令?(明治初年頃)
   実際にこの名称で禁令が出たかははっきりしない
   ←近代化の影響 神職が神楽を舞うのがはばかられるようになる
 →農民神楽へ
   神楽が崩れる心配が出てくる
・八調子神楽の誕生
 明治10年代、浜田市周辺の神職を中心に「神楽改正」。台本ができる「神楽の声」
 「見て楽しむ」神楽の成立。
   神楽能の普及 一般の人に神楽が広がる素地ができる
・昭和29年「校訂石見神楽台本」作成
   これは今でも普通に入手できる台本
   →勇壮に華麗にパフォーマンスが洗練された

石見神楽といえば「大蛇(オロチ)」というイメージがあるが、大蛇(オロチ)が石見神楽のシンボルとなったのはそう古いことではない

■石見神楽を変えた大阪万博
 大阪万博での「大蛇」上演を機に石見神楽は全国的に知られるようになった

■大阪万博のお祭り広場
>大阪万博
 日本万国博覧会:1970年3月15日~9月13日開催:アジア初の万博 千里丘陵で開催された
 統一テーマ「人類の進歩と調和」
>催し物の場としてのお祭り広場 →万博のシンボル、調和を表現
 会期中、27万人の出演者と1000万人を超える観客
・世界各国からの催し物(おまつり)
 「世界の花まつり」「アジアのまつり」「象まつり」「子供まつり」「老人のまつり」「あなたとわたしのまつり」等々
 お祭り広報担当プロデューサー:渡辺武雄(宝塚歌劇団郷土芸能研究会主宰)
  →万博の数年前に石見神楽の調査に来ていた

 大阪万博を見たことのある人→100人近い数字

 日本のお祭りと西洋の広場の精神と性格をかねそなえて、世界の人々が交歓し、演技し、同時にそこに参加して観賞する場所である。(中略)完成すれば、このお祭広場こそ日本万国博のテーマを表現する象徴的なモニュメントとなるであろう。
(日本万国博ニュース別冊 日本万国博覧会会場基本計画」)

 様々なイベントが企画された

■「日本のまつり」というイベント
「日本のまつり」は、お祭り広場最大の呼び物として企画された催し物のメーンエベントであった。主催国日本のナショナル・デー「日本の日」にタイミングを合わせて開幕、6シリーズに分けて、60種類に及ぶ全国の代表的な郷土芸能が上演された。“民俗の心のふるさと”“芸術の母体”といわれる祭りの独特のリズム感と、祭りにつきものの踊りと歌、衣装や道具を通じて、日本人の美的表現を求め、多様性を再発見し、加えて未来の「進歩と調和」への原動力にしようというのがこの企画のねらいであった
(「日本万国博覧会公式記録」第2巻)

全6シリーズのプログラム。60件ほどの郷土芸能が披露された。四十七都道府県全てから出演した。第四シリーズに大蛇が出演。元々は松江のホーランエンヤが候補だったが、参加が難しくなったため石見神楽の出演となった。決まったのは万博前年の10月

日本のまつり(4)
7月28~30日 19:00
制作:原浩一
 1.プロローグ
 2.天神祭(大阪)
 3.松江のどう行列(島根)
 4.大海のほうか(愛知)
 5.十津川の大踊(奈良)
◎6.石見神楽・大蛇退治(島根)
 7.太地の鯨踊り(和歌山)
 8.淡路島の船だんじり、つかいだんじり(兵庫)
 9.白石踊(岡山)
 10.那智の大祭(和歌山)
 11.勝山の左義長(福井)
 12.二本松の提灯祭(福島)
 13.フィナーレ

■石見神楽の「日本のまつり」出演
・「オロチ退治」の出演 オロチ退治というタイトルで、出演者が「石見神楽20人」とされていた
 石見神楽20人の出演
 (昭和44年10月13日)
・なぜ「石見神楽20人」?
 会場の広さをカバーするため、プロデューサーの原浩一が大蛇を8頭出すというアイデアを出した
 大会場で一対一の鬼退治では迫力がない。大蛇でなければならなかった

当時、団員を20名抱える社中はほとんど無かったはず。

>「石見神楽20人」がもたらしたもの
・ひとつの社中ではまかなえない人数
 →複数の社中が合同で演じる
 →演技の相違の調整
 (一緒に稽古できる、比較的近い社中)
・「浜田市石見神楽社中」の結成
 有福神楽、上府社中、長澤社中からの合同メンバー35名(囃子は3団体からそれぞれ4人)
  ちなみに有福社中と上府社中は旧国分町の社中。万博前年の合併で浜田市となった

・総計11頭の大蛇
 8頭+花道に2頭+姫とりの場面に1頭 上府社中によると13頭
 通常より長い蛇胴
 頭(口)に火を吐く装置 それ以前でもあったが、普及したのは万博後
演技の工夫
 「巻立て」「胴合わせ」「大車輪(全頭巻き)」

■地域資源としての石見神楽
■石見神楽ブームと多様な展開
・新しい神楽社中の創立と活躍
・子供神楽の隆盛
 上府子ども神楽団(昭和47年)、有福子ども神楽社中(昭和48年)、佐野子ども神楽社中(昭和50年)等々
・神楽競演大会の定着
 西日本神楽大会(浜田市、昭和46~53年)、陰陽神楽競演大会(邑南町、昭和51年~)、陰陽選抜神楽競演大会(吉賀町、昭和51年~)等々

・「大蛇」の看板演目化
 各社中が大蛇の多頭化を進める。 →それまでは一頭か二頭だった
 蛇胴の製作の専業化。
 カラフル大蛇の出現。
 →「石見の顔」としての大蛇の定着
  石見に来たら、せっかくだから「大蛇」が見たい

■石見神楽の県外進出
 万博での評判から、万博終了後も、各地のイベントに継続的に出演
 万博出演の3社中が、「浜田市石見神楽社中」として、交替で当番を務める
 窓口は浜田市観光振興課
 →「神楽の浜田市」の定着

  関西テレビ「日本の祭り」で紹介された。宝塚祭りにも出演
  京都の祇園祭の八坂神社への出演など
  近年、大阪に常設館ができた(※騒音問題のため現在では閉鎖)

派手でダイナミックな「大蛇」は神楽をよく知らない人にも分かりやすい受けやすい、石見の顔として定着していった

外に出る(出張公演)から神楽で観光客を誘致するようになった

■神楽で人を呼ぶ試み
・石見観光振興協議会「なつかしの国石見」観光キャンペーン
 平成24年から
 石見の夜神楽毎日公演など、「自ら出て行く活動」から、「神楽で人を呼ぶ」活動へ
 →神楽の多面的な魅力の発信

>神楽による観光資源の広域化
・平成24年3月、中国地方神楽観光振興協議会設立
 神楽は石見を超えて、中国地方を代表する顔に
  国土交通省や観光庁も支援

日本遺産に認定されたが、広い視野をもって見て欲しい

■神楽と生きる石見の人びと
■神楽とものづくりの伝統
>地元の伝統産業・工芸との協業
・石州半紙(和紙) 国の重要無形文化財
 地場の原材料(楮、三椏など)と綺麗な水を利用した手すき和紙の技術
・長浜人形
 人形を作る粘土の型の技術が石州和紙で作る神楽面の造形に応用される
 紙製面によって、大きく複雑な造形の面が実現

  石見でも江戸時代までは木彫りの面だった
  軽い面でダイナミックな動きが可能になった

>神楽のものづくりにおける創造と展開
・神楽衣裳
 細川衣装店主の細川勝三が、農村歌舞伎の盛んな四国で修業し、改良を加えた独自の技術

 数少なかった衣装店は、神楽関係者のネットワークの結節点であり、情報発信拠点でもあった
 『校訂石見神楽台本』(S29)の刊行の拠点

 細川氏は戦前、松竹(歌舞伎の興行主)の衣装部に所属していた経歴あり
 簡単には真似できない技術

・神楽蛇胴
 提灯式蛇胴の誕生
  明治中期、浜田市の神官で神楽師であった植田(旧姓花立)菊市とその弟の花立万太郎によって考案
  兄弟で実演販売

植田蛇胴製作所
 長らく全国でほぼ唯一の蛇胴の製作所、注文は中国地方を中心に全国から
 神楽のみならず、地域を代表する工芸品として展示されたりしている
 また、人形浄瑠璃文楽など他の伝統芸能にも使用されている
  夫婦一組で全国の蛇胴を手掛けてきた

>神楽ものづくりと社会福祉
・いわみ福祉会の神楽関連事業
 佐野神楽工房・神楽ショップくわの木
  障がい者の自立を目指す職業訓練や自立支援の一環として、神楽衣装や蛇胴、神楽面などの製作・販売を行う

 近年ではその成果を神楽団に認められて使用されるようになっている

■未来に託す神楽
>若者の神楽への取り組み
・高等学校の部活動として
   事例:邇摩高校石見神楽部 他、郷土芸能部
 「体験」から文化の継承、持続的発展へ
 「神楽がやりたい」から地元に残る若者たち
 女性の神楽への進出の足がかりにも 多くの神楽団に囃子手として入団
・子ども神楽の隆盛
 「子どもたちの憧れ」としての神楽
   万博後、子供神楽団が多く結成された

 広島県では神楽甲子園が毎年開催されている。ドラマや漫画の題材にもなっている
 事例:土江子ども神楽団 海外公演もこなす

若年層の神楽が重要だと思うのは、これが更に下の小さい子供たちにまで神楽の魅力を伝えて世代を超えて持続的に神楽に関心を持つ若者を育てていくから。

伝統芸能というと年配者の長年の経験や知識に基づいて演じるものこそが正統だと思われてしまうかもしれないけれど、子供たちにはどんなに立派な演技であっても「何かよく知らない偉そうなオジサン」がやっているものでは中々魅力的に映らない。それに対して自分達よりちょっと年上のお兄ちゃんお姉ちゃんが一生懸命に芸能に取り組んでいるのを見たら、小さな子供たちもそれが恰好よくて、いつか自分も神楽やってみたいと思うようになるのでないか。

石見では他の地域の神楽の継承者が知ったら羨むのではないかと思う程、こうした持続性ができている

浜田市世界こども美術館で子供が触れて遊べる神楽コーナーがあって、衣装を着たりして神楽の真似事をして遊べるようになっているが、結構さまになっている

(神楽展のポスターを示して)地域の真正な伝統文化だとか神事としての宗教的な意義だとかいった難しいことではなく、鬼や大蛇に立ち向かうかっこいいヒーローという姿。健全な親しまれ方

そうやって神楽の世界に踏み込んで、いずれ成長すれば、その先にある深淵な神話の世界や伝統の芸や技術の奥深さに目覚めていくかもしれない

多くの伝統芸能はどうしても奥深さを初めからアピールしてしまうためにハードルを上げてしまって裾野を広げることに失敗しているのではないか。

この地域の神楽に取り組む若者や子供の活動は、神楽と共に生きる石見の人たちの最もベーシックな神楽への関心のあり方を示しているようで興味深い

 実際に神楽をやってみたいと思う人→60名くらいが挙手

■まとめ:生きられる伝統としての石見神楽
・神楽は芸能だけではない
 生業、教育、福祉など、様々な側面で地域の生活と関わる文化である
  生活の中で生きられてきた全体を見て欲しい
・神楽は伝統だけではない
  古くからあるものが形を変えずずっと残っているのではない
 時代に合わせた改革や工夫(の蓄積)が、現在の石見神楽の隆盛につながっている
  生きられる伝統と言う性格がよく現れている文化
 石見で神楽を見ることで、その多面的な魅力に触れて欲しい

質問:
Q.なぜ全国的に神楽が舞われていないのでしょうか?
A.全国にたくさん神楽はある。北海道にも本州から伝わった神楽がある。神楽が無いのはおそらく南西諸島だけ。
  神楽はヴァリエーションが豊富
  中国地方は神話劇の神楽。関東だと舞、セリフもない。特段物語もはっきりしない。東北だと権現舞、獅子頭を被って舞う。伊勢の太神楽は演芸化している。門付け芸。正月に染太郎・染之助が「おめでとうございます」というが、彼らは神楽師。神楽といってイメージするものが異なるのであって、実際には色々な神楽がある

Q.どこで行われている神楽にもストーリーがあるのでしょうか
A.中国地方には多いけれども、セリフが無くて舞で表現する神楽が他地域には多い。無いものの方が多い
  神楽は舞が基本。そこに能という芝居がくっついて今の神楽となった

Q.「鬼滅の刃」でも必殺技で神楽の舞が使われていますが、武術的要素としての神楽は現実性がありますか?
A.技術的に使えるかと言われると多分まったくない
  様式化された芝居である
  刀剣類を象徴的に使う舞が多い
  戦うための武具としてではなく、神様を依りつける祭具として使われている
  島根県では古代の祭具としての武具が多く発掘されている
  刀剣類を使うことについては修験の山伏の影響が強いのではないか

「鬼滅の刃」に関連しては、島根県奥出雲町の奥出雲たたらと刀剣館に所蔵されている黒刀「月下の笹」が主人公の刀にそっくりとのこと。玉鋼も所蔵されている
 鬼の舌震「鬼の試刀岩(しとういわ)」

Q.現代において神楽はどのような役割がありますか
A.石見地方は戦後、過疎・高齢化に悩まされているけれど、全国に石見と言えばこれがあるとアピールしていく、近年では実際に石見に見に来ていただく。観光資源
  神楽をやりたいから敢えて地元に残る若者がいる
  観光に終始してしまうかもしれないが、その周辺にある人々の生活をひっくるめて見て欲しい

俵木先生のコメント
 神楽は単純に見て楽しめる面白いもの。初めから歴史的な価値のあるオーセンティックな(真正な)文化と思って見るよりも、まず純粋に子供のように面白がって見るのがスタート。はまるとその先に色々と奥深さがある。関心を集める、裾野を広げるために気軽に神楽に触れられる環境が必要


……俵木先生は結構早口で、発言をテキストに起こすのに何度も聞き返した。

俵木悟『八頭の大蛇が辿ってきた道―石見神楽「大蛇」の大阪万博出演とその影響―』という論文が「石見神楽の創造性に関する研究」(島根県古代文化センター, 2013)に収録されている。今回の講演で話したような内容が収録されている。

相互リンク「広小路

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2020年11月21日 (土)

おかめの天照大神

YouTubeで「国指定 重要無形民俗文化財 椎葉神楽 尾前神楽(おまえかぐら)※2時間版」を見る。天照大神が天照大神というより鈿女命に見えた。おかめの面だし。椎葉神楽でも八調子というらしい。もっともゆったりしたテンポだけど。

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神なき都市の祝祭――矢島妙子『「よさこい系」祭りの都市民俗学』

矢島妙子『「よさこい系」祭りの都市民俗学』(岩田書院)を読み終える。以前に読んだ大月隆寛「民俗学という不幸」で過激な都市民俗学批判があり、都市民俗学とはとっくの昔に終わったジャンルだと思っていた。が、1990年代に入って、札幌のYOSAKOIソーランが言わば神なき都市の祝祭として観客動員数200万人を達成、その後も全国各地にヨサコイ系の祭りが生まれるなど、むしろこの時期になってようやく都市民俗学的な題材が登場したというところだろうか。

都市の伝承母体の事例としてヨサコイのチームが挙げられる。ヨサコイ自体、鳴子を使い、地域の民謡を取り入れればOKという緩い制約だが、そのチームも地縁、血縁、社縁に限らず選択縁からも人を集めている。脱退も自由で(他の社会学的な研究によると3年で辞める人が多いらしい)、その点からでも自由な枠組みである。

本書では事例として屯田兵が開拓した地域の地元チームが取り上げられる。札幌のYOSAKOIにはニシン漁をモチーフとした踊りが多いが、この地域のチームは開拓の歴史を踊りに反映させている。その地域に住む人達が屯田兵の子孫かというと違うのだが、地域の歴史として、そのリアリティを受け入れているのである。

制約の緩いヨサコイ系自体は開放系だが、開放だけだと発散してしまう。そこでルールとして地域性を取り上げることで、地元へと凝縮させるのである。本書ではオーセンティシティを「らしさ」と訳すが、「らしさ」に留まらずリアリティが観客から求められているのである。

またフォークロリズムの観点からもヨサコイ系が取り上げられる。フォークロリズムをここではセカンドハンド、セコハンとしているが、実は高知のよさこい踊り自体、徳島の阿波踊りのセカンドハンドではなかろうか。

何々をフォークロリズムだと言うことは簡単だが、では、なぜそのセカンドハンドが観客を惹きつけるのか観光学的理由づけによらずして明らかにして欲しいものだ。YOSAKOIソーランがフォークロリズムだとして、それはノスタルジーでは説明できないのだ。

YOSAKOIソーランの動画を見たのだが、率直に言って現代的なダンスであり、「これって民俗学で取り上げるべきものだろうか?」と思ってしまった。ただ、一人の学生が高知のよさこい踊りに感激して創始されたものであるというエピソード、観客動員数200万を超える大成功事例であり、更に全国にヨサコイ系の踊りが広がっていることから、研究の対象にしない手はない。そういう意味で都市民俗学の出番がやってきたというところだろうか。

余談。
香山リカがぷちナショナリズムの事例としてYOSAKOIソーランを挙げているらしいことを知る。しかし、基本的には大都市といえどローカルな祭りであるヨサコイ系を一足飛びにナショナリズムに結び付けてしまうのは早計に過ぎるのではなかろうか。

 

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2020年11月17日 (火)

唱教の比較研究――渡辺伸夫「椎葉神楽発掘」

渡辺伸夫「椎葉神楽発掘」(岩田書院)を読む。宮崎県東臼杵郡椎葉村一帯に伝わる神楽を取り上げた論考集である。椎葉神楽は国の重要無形民俗文化財に指定されている。元々は村の広報誌に連載された記事を元に一冊の本に構成されたもの。元が広報誌だから平易な記述かと思ったら、そうでもなくて読了まで時間が掛かった。

特に唱教(神の本地を説く唱え言)に力を入れており、他所の地域の神楽歌や和歌、歌謡などとの比較を行う。博覧強記と言えるだろう。九州の神楽は江戸時代に唯一神道流の詞章改訂を受けたところが多いのだけど、椎葉神楽には詞章改訂の影響を受ける前の形のものが保存されており貴重な史料となっている。

その唱教なのだけど、基本的には口伝で伝えられる性質のものであって、それを何かの時に書物として記録するのだけど、詞章が崩れている箇所が多々あって、意味が通じるようで通じない消化不良感がある。不明な箇所は他所の神楽の詞章などと比較することで意味が通じるようになる場合もある。

「宿借り」は特徴のある神楽である。暗くなって一人のみすぼらしい旅人が宿にやって来る。破れ笠に蓑を負い、腰に刀を帯び、破れ草鞋を履き、竹杖をついている。旅人は「御宿申し候」と一夜の宿を乞う。宿の主人は「御宿なるまじく候」と断る。それから宿借り問答が始まりとなる。旅人の正体はどうやら村に祝福をもたらす山人(山の神)らしい。この後に仲裁役が出て宿の主人と旅人にお神酒を注ぎ盃ごととなる。最後に主人は「どうぞゆっくり泊っていって下さい」と言い、旅人は宿に上がらず、一礼をして神楽宿を去る。旅人は宿を借りることになった……という内容。

他の地域では宿を借りず、祝福の杖と隠れ蓑を渡すという内容のものがある。祝福の杖は志官杖という杖だが、これは荒平の持つ死繁昌(死反生)の杖と繋がっているだろう。なでれば老人も若やぎ、反対側でなでれば死人も生き返るという魔法の杖である。

椎葉神楽では、ある舞の途中に見物衆が突如乱入することがある。芝入れといい、榊やご幣を手に乱舞する。そして見とがめられると「樽一本で許して下さい」といって酒を注いで回る。これは次の曲の「芝荒神」にかかるものである。

芝荒神は荒神が神主と問答をする。荒神の出自、神道に関すること、榊のいわれなど。問答の後に荒神は金剛杖を神主に譲り与える……という内容。荒神と神主が問答する神楽は九州各地に残されていて、唯一神道流に改訂されたものでは、荒神が神主と神道の知識を競い合う的な内容となっている。芝荒神の祖父は荒平という詞章が残っているとのことである。

椎葉神楽にも将軍舞があり、多くは「森」という。弓通しという信仰行事があって、舞子二人が向きあって坐し、弓をつき立てて互いに相手の弓弦を引っ張り合って輪形を作る。この弓輪の中を幼児や赤児や祈願者をくぐらせる。弓をくぐり抜けることで災厄を祓うという。また椎葉神楽の将軍舞には御酒の宝渡しがあるといった特徴がある。太夫が先地の舞子に焼酎を渡すと、舞子はそれを矢とともに道化の衆に渡す。お宝の焼酎は道化の衆が飲む……といった内容である。

また、神楽せり歌が多数収録されている。これについても和歌や歌謡と比較を行っている。ゴヤセキ(囃し)とは、老若男女問わずよく歌い、讃辞や風刺恋情を歌に表現して騒ぎ明かすことである。せり歌は神楽に寄せる心情や男女の恋情を内容としている。昔は神楽がきっかけで結婚した者もいたとのこと。

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2020年11月12日 (木)

キャンセル待ちで申し込む

オンライン公開講座 神々や鬼たちが躍動する神話の世界「生きられる伝統としての石見神楽」アーカイブ配信に申し込む。講師は成城大学の俵木悟氏。多分、「大蛇(オロチ)」の大阪万博の話などをされると思う。

当初ZOOMで視聴するのは…と思っている内に予定数が埋まり、キャンセル待ちの状況となった。こちらの姿の映像は配信されないと知り、ようやく申し込んだもの。で、結果的に当日のライブ配信は視聴できないものの、アーカイブ配信が見られることになった。ただ、申込にはYahooのアカウントが必要だった。

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2020年11月 3日 (火)

根強いアンチが――田丸久深「YOSAKOIソーラン娘」

田丸久深「YOSAKOIソーラン娘」を読む。札幌を舞台にぼっち女子だったヒロインがヨサコイソーランを始めることで変わっていくという物語。

某小説投稿サイトにアップしていたエッセイにコメントがついて、それがきっかけで「ヨサコイソーラン 批判」で検索したところ、朝日新聞の記事がヒットした。その記事の中で引用されていたのが「YOSAKOIソーラン娘」なのだ。

札幌のヨサコイソーランは観客動員数200万にも上る大規模な祭りだけど、実は札幌市民の間では複雑な思いが交錯しているようなのだ。


「ヨサコイなんて音楽がガンガンうるさいだけで、やる意味がわかんないです。当日も見に来てくれって言われてますけど、あたし、絶対行きません」(56P)

「ヨサコイなんてうるさいだけじゃない。どうせ高知のお祭りのパクリだし、なんであんなのが毎年開催されてるのか、意味わかんない」(58P)

「そもそも、お祭りでもないわよね。ただのダンスコンテストでしょ? しかも参加者からお金取ったり、桟敷席も有料だったりで、ああいう商業色強いのってどうなんだろうと思う」(58P)

「踊り子が移動で地下鉄に乗ってるんだけど、マナーが悪いのよね。化粧とか衣装も品がないしヤンキーみたいじゃない? チーム名も漢字の当て字が多いし」(59P)

「友達なんて、ヨサコイのテレビ中継も見たくないからその時期には内地に旅行に行くのよ。私もお金があったらそうしたいわ」(59P)

「実際、騒音問題もひどいんでしょ? 野外フェスみたいにどこかの土地を借りてやればいいのにね」(59P)

「踊り子たちって、群れたら強いと思ってるじゃない? あれが気持ち悪いのよね」(59P)

 彼曰く、ヨサコイの成り立ちのエピソードが気に食わないのだそうだ。桟敷席を有料化したり、流行の歌手にテーマソングを作らせたり、企業スポンサーがついているところばかりが活躍していることなど、商業色が強くなってしまったことを嫌っていた。(84P)

 札幌人はヨサコイが嫌いなことをひとつのステータスにするふしがある。ヨサコイの話をすると田舎者として見られるのは、職場の洗礼で嫌というほど味わっていた。(85P)

 YOSAKOIソーラン祭りは市民の祭りではない。ただの金稼ぎの手段だ。踊りもただのダンスコンテストだ。そんな声もあちこちで上がり、とある企業が行った『ヨサコイは好きか嫌いか?』というアンケートでは若干数ではあるが『嫌い』が上回る結果になった。(114P)

「ヨサコイとか、もう下火だろ。参加客から金とって観覧席も金とって? 芸能人呼んで公式ソングとか作らせてたけど、テレビの中継だって時間も減ったしさ」(270P)

アンチの発言に対するヒロインの言葉は、

「踊り子にも、気持ちがあることをわかってほしいの」(274P)

だ。気になってYouTubeでヨサコイソーランの動画を見てみたが、率直に言って現代的なダンスであり日本古来の踊りとは異なる印象だった。これ民俗学で取り上げる意味があるのかなと思った。「民俗芸能」とは何か定義せよと言われたら、それは民俗芸能で取り上げるに値するものが民俗芸能なのだという循環論法の様な定義があるのだけど、民俗芸能とは違うんじゃないかと思わされた。

もちろん、200万人も観光客を動員する祭りであり、またヨサコイソーラン自体は高知のよさこい祭りに刺激を受けて札幌の大学生が創始したというエピソードもあり、研究の対象にしない手はない。実際、矢島妙子『「よさこい系」祭りの都市民俗学』という研究書が出版されている。なお、高知のよさこい祭りも徳島の阿波踊りに触発されて戦後に始まったものである。

しかし、本書を読むとアンチ・ヨサコイソーランの声も根強いようである。本書のヒロインもアンチの声を恐れて自分がヨサコイソーランをやっていることを言いだせない。

高知のよさこい踊りも見てみたが、こちらは舞の要素が残っているかなという違いは感じた。高知のよさこいには正調踊りがあるが、札幌のヨサコイソーランには多分存在しない。

<2024.04追記>
YOSAKOIソーランの創始者である長谷川岳・参議院議員が札幌市職員に対するパワハラ言動を録音されて釈明に追われているというニュースを見た。巨大イベントを成功させることで国会議員まで成り上がったという事例である。おそらく初心を忘れてしまったのだろう。

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