ステージ上の芸能――橋本裕之「舞台の上の文化 まつり・民俗芸能・博物館」
橋本裕之「舞台の上の文化 まつり・民俗芸能・博物館」(追手門大学出版会)を読む。舞台の上の文化というのは要するにステージ上で演じられる芸能のことだろう。ある民俗音楽学者は芸能が本来の文脈(奉納神楽とか)を離れてステージ上で演じられたら、それは芸能のショー化だと言って厳しく批判した。
民俗芸能には二つの法律が深く関わっている。文化財保護法は戦後に制定された法律だけど、制定当初は民俗芸能は時代に応じて変化するもので保存に馴染まないという理由で指定の対象から外されていた(記録作成の選択対象となっていた)。が、後に保存に馴染まないから無形文化財としての保存が必要だにロジックが切り替わり指定の対象となったのである。
それともう一つ平成初期に制定された通称おまつり法、これは郷土芸能を観光資源として地域おこしに活用する趣旨の法律だ。この法律に民俗学者たちは一斉にネガティブでヒステリックな批判の声を挙げた。前述のステージで演じられる芸能はショーだという批判もその一つである。
この批判は郷土芸能の持つ真正性が損なわれるという点で本質主義的なものである。一方で著者の橋本氏はおまつり法を観光的な文脈で読み解けないかと検討している。芸能の持つ真正性を脱中心化したいとのことである。要するに平成に入った辺りから論じられるようになった構築主義的なスタンスである。なお、著者の橋本氏は構築主義という言葉を用いていない。
民俗芸能的な研究は元を辿ると戦前に刊行された旅行雑誌に行きつくのである。近代に入って鉄道や郵便網が整備され、移動が活発化した。観光と民俗芸能は元々深い関わりがあったのであるが、民俗学者たちはその事実を隠蔽し、旅行雑誌を一段劣るものと見なしたのである。橋本氏のスタンスは原点に回帰する的なニュアンスも含まれる。
私見だが、民俗芸能の保存と活用は二項対立的なものでなく現代では表裏一体のものとしてあるのではないか。
創作和太鼓は近年発足したもので、民俗芸能としての真正性を欠いているのだが、現在では地域おこしの核としても期待されている。
博物館論についても触れられる。初読なので核心的な部分は理解できていないが、博物館には展示者側の意図した見方がある一方、来館者たちは必ずしも展示者の意図とは異なった見方をするものである。そういう意味では屈折した関係である。
田楽の復元に関わった経緯についても語られる。中世の田楽を現代に再現しようという試みである。このときの経験がきっかけで後にNHKの大河ドラマ「義経」の芸能考証として参加することになったそうだ。
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