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2020年7月26日 (日)

神体出現の神楽――石塚尊俊「里神楽の成立に関する研究」

石塚尊俊「里神楽の成立に関する研究」(岩田書院)を読む。あとがきによると「西日本諸神楽の研究」を博士論文として提出、受理されたので出版した後、地方史の仕事で七年間費やした。腰の骨を痛めて外出がままならなくなり、それで書き下ろすことはせず、既に発表済みの論文等を持ってきて構成したとのことである。

石塚神楽理論の極意は神体出現の神楽――直面の者の舞があって、その舞に誘われて在所の着面の神が現れ舞うというもの――であり、演劇化される以前の神楽の古態を示しているとすると考えるのである。その例が宮崎県の銀鏡(しろみ)神楽であり、最終章で解説されている。

島根県石見地方にも似た様な神楽があって「山の大王」というのだが、別名「手草(たぐさ)の先」とも呼ばれ、「手草」という場を清める舞の次の段という意味合いである。「山の大王」では現れた山の大王を祝詞司(のっとじ)がもてなすのだが、難しい山言葉で話す山の大王の言葉を学の無い祝詞司が一々曲解するというコミカルな内容となっている。

岩戸神楽の分析では、中四国九州に分布する岩戸神楽を

1. 神話の筋書きに従って一つのまとまった劇として構成されているもの
2. 神話に登場する神々は一応みな出そろうが、その間に劇としてのまとまりは少なく、いうならば“多くの神々の舞”といった状態にあるもの
3. そこまでもなっていず、ただ神話に登場する神々が出ては入り、出ては入りして、要すれば単神舞の連続といった状態にあるもの

と分類する(157P)。出雲や石見の演劇化された岩戸神楽は1に該当する。これらの分布を地図にプロットすると3>2>1(3の方が中心からより離れている)といった周圏が見て取れると指摘する。素直に解釈すれば1よりも3の方がより古態を残していると考えられるであろう。

神楽の分類として出雲流神楽というのがあり、演劇化された神楽として中四国九州(その他関東など)に分布するとされている。佐太神社(佐陀大社)で能楽の様式が取り入れられて演劇化した神能が成立した。その影響が全国に広がったとするのが通説的理解であるが、石塚はこれに異を唱えるのである。佐太神社の神能も何もないところからいきなり立ち上がったのではなく、それ以前の段階のものがあったと考えるのである。

岩戸の次に五行神楽(五郎王子)が取り上げられる。いわゆる五郎王子譚であるが、五行神楽は全国に分布しており、神楽の中でも重要な段とされていると例を挙げる。竈(かまど)祓いの祭文として備後、備中で発達、長大化するが、これは修験の山伏の手になるものだろうとする。中世から五郎王子譚はあり、その他の演目が演劇化を始める前から、おそらく戦国期には備後・備中で演劇化が始まっていたのではないかとしている。

また切目にも言及される。熊野の切目王子のことだが、なぜか出雲・隠岐・石見に切目の演目が残されているのである。修験の山伏が伝えたとしか考えようがないが、石塚は歴史資料を駆使して切目王子の原型を求めている。

神楽の舞台装置として白蓋(天蓋)を取り上げる。神楽には必須の舞台装置であるが、やはり元を辿ると仏教的要素があるとする。元は棺を蓋う覆いだったのである。

また、離島に残された古い神楽では大体天蓋の下、一間四方で舞うものとなっていると指摘する。舞台を一杯に使うのは後の神楽の要素であると考えるのである。

この様にして全国の神楽を比較することで里神楽の成立過程を探っているのである。これは残された文献が少ないからで、各地の芸態を比較検討することで神楽の歴史的展開を探ろうとする試みである。

 

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