証拠不十分――諏訪春雄「日中比較芸能史」
諏訪春雄「日中比較芸能史」(吉川弘文館)を読む。ネットで検索しても、この本のレビューはヒットしないが、三村泰臣「中国地方民間神楽祭祀の研究」でこの本の評価について触れられていた。
更に諏訪は目連戯に止まらず、中国南方の民間祭祀と日本の民間神楽祭祀との間に深い関係性があり、日本の神楽の謎を解く鍵もそこに隠されていると指摘した。日本の民間神楽祭祀の解明には中国南方を始め、東アジアの民間祭祀と比較考察する必要があることをしきりに提案した。しかし当時の日本の神楽研究者たちは、東アジアの民間祭祀を実見することも確認することも怠り、諏訪の貴重な指摘を眉唾物とみなし、神楽研究の新たな芽を育てる道を拒否し続けてきたのである。(12P)
とある。通読して思ったが、神楽の場合、江戸時代に詞章が神道流に改訂されていて、それ以前に遡るのが難しいのである。その例外が両部神道色を残す奥三河の花祭であり、本書でも大きく取り上げられている。
思うに、唐の時代までは大陸と直接の交流があったが、それ以降は日宋貿易、日明貿易等で書物を通じて大陸の概念が入ってくることはあっただろうが、ダイレクトに民俗に影響を及ぼしたと考えるのには証拠が乏しすぎると思う。古代に陰陽五行思想などが渡来し、それが大陸と日本で別々に発展したと考えた方が素直な気がする。
目連戯とは仏弟子の目連が地獄に堕ちた母を救うために地獄巡りをし、母を救い出すという内容の劇である。諏訪はその目連戯が奥三河の花祭にかつて存在した大神楽の「浄土入り」と構造が一致すると指摘するのである。
また、日本の五郎王子譚についても中国の「坐后土」と呼ばれる神話劇とで粗筋がほぼ一致している(※五郎王子では所務を巡って兄王子たちと戦いになるのに対し、「坐后土」では后土聖母娘娘が遅参した五郎に土用を割り当てるという違いがある)と指摘している。
諏訪は神楽の分析で折口信夫の鎮魂説と岩田勝の悪霊鎮送説との折衷説の様な立場をとる。天岩戸神話のような擬死再生のモチーフと土公祭文のような御霊鎮めのモチーフとが神楽に見られると分析するのである。基本的には擬死再生のモチーフが古代からあった観念で、中世に御霊鎮めのモチーフが加わったと考えるのである。
日本や中国には天地地下と三層の垂直構造の概念があり、丸い天蓋は天を表わしているとしている。
神楽に限らず、様々な民俗について日中韓の芸能の比較が行われている。フレイザーの感染呪術という概念は初めて知った。たとえば「他人を災いにおとしいれるために、その人の毛髪、爪、持ち物などを焼く呪術」(39-40P)などがその一例である。
本書が発行されたのは1994年でそれから25年以上が経過した。現在では日本の学者の中国での調査も進んでいると思われるので、出版当時の評価とはまた違っているかもしれない。
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