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2020年7月

2020年7月30日 (木)

外で練習――佐藤両々「カグラ舞う!」

月刊ヤングキングアワーズ9月号を買う。佐藤両々「カグラ舞う!」今回は部室内での練習ではなく外に出てチャンチキのの練習。神楽甲子園に向けて練習に熱が入る。現実世界ではコロナで今年の神楽甲子園は中止だろう。全くとんでもない世の中になった。

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証拠不十分――諏訪春雄「日中比較芸能史」

諏訪春雄「日中比較芸能史」(吉川弘文館)を読む。ネットで検索しても、この本のレビューはヒットしないが、三村泰臣「中国地方民間神楽祭祀の研究」でこの本の評価について触れられていた。

 更に諏訪は目連戯に止まらず、中国南方の民間祭祀と日本の民間神楽祭祀との間に深い関係性があり、日本の神楽の謎を解く鍵もそこに隠されていると指摘した。日本の民間神楽祭祀の解明には中国南方を始め、東アジアの民間祭祀と比較考察する必要があることをしきりに提案した。しかし当時の日本の神楽研究者たちは、東アジアの民間祭祀を実見することも確認することも怠り、諏訪の貴重な指摘を眉唾物とみなし、神楽研究の新たな芽を育てる道を拒否し続けてきたのである。(12P)

とある。通読して思ったが、神楽の場合、江戸時代に詞章が神道流に改訂されていて、それ以前に遡るのが難しいのである。その例外が両部神道色を残す奥三河の花祭であり、本書でも大きく取り上げられている。

思うに、唐の時代までは大陸と直接の交流があったが、それ以降は日宋貿易、日明貿易等で書物を通じて大陸の概念が入ってくることはあっただろうが、ダイレクトに民俗に影響を及ぼしたと考えるのには証拠が乏しすぎると思う。古代に陰陽五行思想などが渡来し、それが大陸と日本で別々に発展したと考えた方が素直な気がする。

目連戯とは仏弟子の目連が地獄に堕ちた母を救うために地獄巡りをし、母を救い出すという内容の劇である。諏訪はその目連戯が奥三河の花祭にかつて存在した大神楽の「浄土入り」と構造が一致すると指摘するのである。

また、日本の五郎王子譚についても中国の「坐后土」と呼ばれる神話劇とで粗筋がほぼ一致している(※五郎王子では所務を巡って兄王子たちと戦いになるのに対し、「坐后土」では后土聖母娘娘が遅参した五郎に土用を割り当てるという違いがある)と指摘している。

諏訪は神楽の分析で折口信夫の鎮魂説と岩田勝の悪霊鎮送説との折衷説の様な立場をとる。天岩戸神話のような擬死再生のモチーフと土公祭文のような御霊鎮めのモチーフとが神楽に見られると分析するのである。基本的には擬死再生のモチーフが古代からあった観念で、中世に御霊鎮めのモチーフが加わったと考えるのである。

日本や中国には天地地下と三層の垂直構造の概念があり、丸い天蓋は天を表わしているとしている。

神楽に限らず、様々な民俗について日中韓の芸能の比較が行われている。フレイザーの感染呪術という概念は初めて知った。たとえば「他人を災いにおとしいれるために、その人の毛髪、爪、持ち物などを焼く呪術」(39-40P)などがその一例である。

本書が発行されたのは1994年でそれから25年以上が経過した。現在では日本の学者の中国での調査も進んでいると思われるので、出版当時の評価とはまた違っているかもしれない。

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2020年7月26日 (日)

神体出現の神楽――石塚尊俊「里神楽の成立に関する研究」

石塚尊俊「里神楽の成立に関する研究」(岩田書院)を読む。あとがきによると「西日本諸神楽の研究」を博士論文として提出、受理されたので出版した後、地方史の仕事で七年間費やした。腰の骨を痛めて外出がままならなくなり、それで書き下ろすことはせず、既に発表済みの論文等を持ってきて構成したとのことである。

石塚神楽理論の極意は神体出現の神楽――直面の者の舞があって、その舞に誘われて在所の着面の神が現れ舞うというもの――であり、演劇化される以前の神楽の古態を示しているとすると考えるのである。その例が宮崎県の銀鏡(しろみ)神楽であり、最終章で解説されている。

島根県石見地方にも似た様な神楽があって「山の大王」というのだが、別名「手草(たぐさ)の先」とも呼ばれ、「手草」という場を清める舞の次の段という意味合いである。「山の大王」では現れた山の大王を祝詞司(のっとじ)がもてなすのだが、難しい山言葉で話す山の大王の言葉を学の無い祝詞司が一々曲解するというコミカルな内容となっている。

岩戸神楽の分析では、中四国九州に分布する岩戸神楽を

1. 神話の筋書きに従って一つのまとまった劇として構成されているもの
2. 神話に登場する神々は一応みな出そろうが、その間に劇としてのまとまりは少なく、いうならば“多くの神々の舞”といった状態にあるもの
3. そこまでもなっていず、ただ神話に登場する神々が出ては入り、出ては入りして、要すれば単神舞の連続といった状態にあるもの

と分類する(157P)。出雲や石見の演劇化された岩戸神楽は1に該当する。これらの分布を地図にプロットすると3>2>1(3の方が中心からより離れている)といった周圏が見て取れると指摘する。素直に解釈すれば1よりも3の方がより古態を残していると考えられるであろう。

神楽の分類として出雲流神楽というのがあり、演劇化された神楽として中四国九州(その他関東など)に分布するとされている。佐太神社(佐陀大社)で能楽の様式が取り入れられて演劇化した神能が成立した。その影響が全国に広がったとするのが通説的理解であるが、石塚はこれに異を唱えるのである。佐太神社の神能も何もないところからいきなり立ち上がったのではなく、それ以前の段階のものがあったと考えるのである。

岩戸の次に五行神楽(五郎王子)が取り上げられる。いわゆる五郎王子譚であるが、五行神楽は全国に分布しており、神楽の中でも重要な段とされていると例を挙げる。竈(かまど)祓いの祭文として備後、備中で発達、長大化するが、これは修験の山伏の手になるものだろうとする。中世から五郎王子譚はあり、その他の演目が演劇化を始める前から、おそらく戦国期には備後・備中で演劇化が始まっていたのではないかとしている。

また切目にも言及される。熊野の切目王子のことだが、なぜか出雲・隠岐・石見に切目の演目が残されているのである。修験の山伏が伝えたとしか考えようがないが、石塚は歴史資料を駆使して切目王子の原型を求めている。

神楽の舞台装置として白蓋(天蓋)を取り上げる。神楽には必須の舞台装置であるが、やはり元を辿ると仏教的要素があるとする。元は棺を蓋う覆いだったのである。

また、離島に残された古い神楽では大体天蓋の下、一間四方で舞うものとなっていると指摘する。舞台を一杯に使うのは後の神楽の要素であると考えるのである。

この様にして全国の神楽を比較することで里神楽の成立過程を探っているのである。これは残された文献が少ないからで、各地の芸態を比較検討することで神楽の歴史的展開を探ろうとする試みである。

 

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2020年7月24日 (金)

日本古典文庫「源氏物語」を読み終えて

日本古典文庫「源氏物語」上中下巻を読み終える。大作だったので読み終えるのに時間が掛かった。現代語訳ではあるが長年の夢が叶った。本文は登場人物の名前がそのときの位で呼ばれているので、読んでいてこの人は誰だったかなと読み返すことが多かった。結果的に粗筋をつけていたのが役に立った。粗筋を自分で起こしていなかったら途中で混乱して物語が把握できなくなっただろう。

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物語は解決しない――日本古典文庫「源氏物語」「夢の浮橋」

日本古典文庫「源氏物語」「夢の浮橋」を読む。薫は延暦寺に着いて経巻と仏像の供養を営み、翌日横川の寺へ行く。僧都は薫を喜んで迎える。薫は小野に自分の関係者が滞在しているらしいと僧都に尋ねる。僧都は浮舟はやはり貴人だったと思い、愛された人を出家させてしまったのは分別のないことであったと思う。僧都は薫に事の次第を語って聞かせる。薫は僧都に同行を願うが、僧都は今日明日はさしつかえる、月が変わったらと答える。薫は浮舟の異父弟を使者にして僧都の手紙を小野に届けさせる。薫たちの行列が小野の近くを通る。声で浮舟にはそれと知れたが、浮舟は何も言わずにいた。薫は小君(浮舟の異父弟)に浮舟の母には知らせるな、大騒ぎして事が露見するからと言いつけて小君を小野へやる。尼君たちは浮舟が女王だったことを知って浮き立つ。僧都からの手紙では、還俗して元の夫婦に返る様に勧めていた。浮舟は自分が生きていることは知られたくないから小君とは会わないことにする。小君は薫の手紙を浮舟に見せる。浮舟は泣きだしながらも今日は返事ができないと答える。姉と再会できなかった小君は薫の許へ帰り、事の次第を報告する。薫は落胆する。誰かが密かに恋人として置いているのではないかとも考える。

……これから先はご想像に任せますといった感じの締めくくりだ。中将は出家如何に関わらず浮舟を狙っているし、匂宮も浮舟の母君が騒げば事を察知するだろう。物語は何も解決していないままに終わる。

宇治十帖は宇治の姫君の誰かが入水するということしか知らずに読んだ。光源氏の物語が連作短編集的な趣きであるのに対し、宇治十帖は長編小説といった構成だった。

源氏物語の女性は典侍と近江の君を除いては、いずれも運命に翻弄される存在である。通い婚という明らかに母系社会なのだが、女性が表に出ることはなく受け身の存在であり続ける。

 

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2020年7月23日 (木)

生きていた――日本古典文庫「源氏物語」「手習」

日本古典文庫「源氏物語」「手習」を読む。その頃、比叡の横川に某僧都といって人格の高い僧がいた。八十を超えた母と五十くらいの妹尼を持っていた。この親子の尼君が願果たしに大和の初瀬に参詣した。帰る途中大尼君が病気になった。旅中のことなので僧都は故朱雀院の御領で宇治の院に宿泊することにする。院の庭の後ろの森と見えるほど茂った大木の辺りで人の姿があった。狐が化けているのかと思って見ると、黒く長いつやつやした髪を持ち、酷く泣いている女であった。僧都は不思議に思い、このまま放置すると死んでしまうので女を保護する。尼君(僧都の妹)が見るとそれは気品の高い女であった。大尼君の病気が癒えて僧都の一行は横川に帰ることにする。女は重篤な様子のままだった。女を快く思っていない弟子たちは反対するが僧都は祈禱する。すると物怪が出て、死にたいと言っていた者が暗い晩に一人でいたから取って来たと告げる。浮舟の姫君はようやく意識を取り戻す。以前のことはよく思い出せず、ただ身投げする決心をして出て行ったということだけが意識に上った。尼夫人たちが看病するが、浮舟は黙り込んだままである。ただ、尼にして欲しいとだけ願う。浮舟が自分が生きていることは誰にも知られたくないと言う。尼組は死んだ一人娘の代わりができた嬉しく思う。尼君の婿は現在では中将になっていた。弟が僧都の弟子となっているので、よく寺へ上った。その途中で小野の尼君を訪ねるのであった。尼君は浮舟と中将を夫婦にしたいと考えはじめる。中将は浮舟の後姿を見て惹かれはじめる。中将は求婚者となるが、浮舟は返歌をしない。尼君が外出した折を見て中将がやって来る。中将は迫るが浮舟は大尼君の部屋に逃れる。浮舟は僧都が女一の宮が物の怪で患っているため祈禱をしに中宮に呼び出され小野に降りて来たことを知る。浮舟は尼君が不在の間に授戒しようと僧都に頼む。僧都はやむなく浮舟を授戒させる。尼君が帰って来て取返しのつかない事をしたと恨み言を言うが、浮舟の心は安寧を得る。それを知った中将は落胆する。浮舟はようやく返歌する。女一の宮の病気は平癒する。僧都は宇治の院で浮舟を発見したことを中宮に話す。明石中宮は行方不明になった宇治の姫君のことではないかと考え薫に聞かせようかと思うるが薫にとっても浮舟にとっても恥となると考え、その場では何もせずにおく。宰相の君もそれを聴いていた。中将は経を読む浮舟の美貌を目にし、出家していても構わぬと浮舟を自分のものにしようと考えはじめる。年が明けた。大尼君の孫の紀伊守が来て薫の大将と宇治の姫君の話をする。その話を聞いて浮舟の心は凍りつく。薫は一周忌の仏事を営む。中宮は小宰相に事の次第を薫に話すように言う。小宰相は薫に僧都の話を聞かせる。小宰相はその人は尼になったと言う。薫は匂宮の耳に入れば出家していても構わずに動くだろうと考える。小宰相は匂宮はこの話は絶対に知らないと保証する。薫はまず僧都に会って詳しい話を聴こうと考える。

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2020年7月22日 (水)

入水する――日本古典文庫「源氏物語」「蜻蛉」

日本古典文庫「源氏物語」「蜻蛉」を読む。宇治の山荘では浮舟の姿が消えたことで騒ぎになる。浮舟の秘密に関与していた右近と侍従には最近の浮舟の煩悶に気づいていたので宇治川へ身を投げたと想像がつくのであった。兵部卿の宮(匂宮)も怪しい気配のある返事を受け取っていたので気がかりで使いを出した。使いが到着すると家の中は女の泣き叫ぶ声に満ちていた。浮舟が亡くなったことだけが知らされる。そこで匂宮は時方に宇治へ行き確かなことを調べてくるように命じた。遺骸が無いことから時方は怪しむが女房たちは秘密は秘密のままにしようとする。浮舟の死後に疑いが掛けられては故人の不名誉になるからである。常陸夫人(浮舟の母)が来た。夫人は自分も宇治川に身を投げたい気分になる。女房たちは薫に相談せず今夜のうちに葬儀を済まそうとする。このとき薫は母宮(女三の宮)が病気で石山寺へ参篭していた。使いは葬儀の翌朝に宇治へ来た。薫は石山寺に参篭しているので直ぐには動けない。なぜ自分に葬儀の相談をしなかったかと恨み言を述べる。一方、浮舟を失った兵部卿の宮(匂宮)は惑乱していた。他人には病気をしている様に見せかける。大将(薫)もそれを知り、浮舟は匂宮が知れば必ず深い愛着を示す人であった。生きていれば自分は裏切られた男として醜聞になるところであったと浮舟への想いが少し醒める。薫は二条院へ行く。ちょうどその頃式部卿の宮(源氏の異母弟)が亡くなっていた。冷静な薫を見て匂宮は死んだ愛人に対して冷淡であると思う。薫は匂宮に浮舟との関係を匂わすが、匂宮はそ知らぬ振りをする。薫は中の君に浮舟とのことを話す。中の君は薫が隠そうとしたからそんなことになったのだと恨み言を言う。兵部卿の宮の許へ侍従(浮舟の女房)が来る。侍従は浮舟の様子を語って聞かせる。薫も思い余って宇治へ行くことにした。八の宮と来世の交わりを約していたのに宮の女王に心惹かれたため信仰をよそにした報いを受けたのだと考える。薫は右近(浮舟の女房)と話をして真実を知らされる。二条院に上がった際に浮舟は匂宮に姿を見られ、その後手紙が来るようになったことを話す。薫は浮舟は自分と匂宮の間で煩悶して死んだのだろうと思う。薫は浮舟を早く京へ迎えなかったことを悔いる。薫は浮舟の形見に常陸守の実子を側に仕えさせることにする。薫は浮舟の四十九日の準備をさせる。匂宮は元来多情な性質であったから恋の遊戯も復活した。薫は故人の残した身内の者の世話をしながら恋しさを紛らわせていた。匂宮は姉の一品の宮(女一の宮)の許を訪ねる。小宰相という女房は才気があり容姿も優れていた。匂宮は小宰相と関係を持とうとするが、小宰相は応じないのを薫は面白く思う。明石中宮は法華経の八講を行い六条院(源氏)や紫の上の供養をする。薫の大将は女一の宮の姿を隙見する。女一の宮は例えようもない美しさだった。薫は今また女一の宮へ懸想して、若い内に出家していたらこんな苦しみを得ることはなかったのにと思う。薫は妻の女二の宮と女一の宮を比べる。女二の宮は薫の妻となって以来、女一の宮との手紙のやり取りは途絶えていた。薫は小宰相を訪ねる。明石中宮は薫が亡くした浮舟は匂宮の二条院の夫人(中の君)の妹だ、そして浮舟の許へ匂宮も通っていたと聞かされる。薫は宇治の大姫君が生きていて妻とすることができたなら、どんな人を見ても動揺することはなかったのにと思う。それから薫は二条院の女王(中姫君)が恨めしくなる。浮舟の軽率さを思い、妻としてではなく愛人としておくのにはふさわしい女性であったと考える。そして浮舟を宇治に置き放しにした自分の軽率さを後悔する。匂宮は侍従(浮舟の女房)を呼び寄せる。匂宮は侍従を自分に仕えさせようと考えるが侍従は受けなかった。亡くなった式部卿の宮の姫君を女一の宮へ仕えさせることになった。匂宮は八の宮と兄弟であった式部卿の宮の娘である宮の君を恋愛対象として考えることになった。六条院に来た薫を見て侍従(浮舟の女房)は浮舟が生きていて薫と匂宮のどちらかにでも愛されていたらと思う。薫は女一の宮に仕える中将の君を見て、匂宮に意趣返ししたく思うが、恋愛馴れしていない自分には難しいと思う。女二の宮だけでなく女一の宮も得ていたらどれほど輝かしい運命であったかと思う。宮の君(式部卿の宮の娘)も桐壺帝の孫であったと薫は思い出す。が、薫は宮の君を血族であるがあまり関心を覚えなかった。宇治の姫君たちが忘れられない薫だった。

 

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2020年7月21日 (火)

恋の板挟み――日本古典文庫「源氏物語」「浮舟」

日本古典文庫「源氏物語」「浮舟」を読む。兵部卿の宮(匂宮)は浮舟のことが忘れられなかった。中の君は匂宮が多情であり、事に及んだなら自分も恥ずかしい思いをすることになるだろうと、宇治の山荘に隠してあることは秘密にする。薫の大将は中々宇治へは通うことができなかったが、特に焦りはしなかった。一方で、京へ迎える家は作らせていた。正月のある日、二条院で匂宮は童女が手紙を運んできたのを目に留める。それで匂宮は宇治の山荘にいるのは浮舟だと悟る。確かに大将(薫)は宇治へ時折通っている。匂宮は薫が不在の日を見計らって宇治に出かける。薫と誤認させて山荘に入った匂宮は浮舟と密通する。浮舟は相手が薫でないことを悟ったが、時すでに遅しだった。姉の女王(中の君)がどう思うかと泣く。匂宮はその日一日山荘で過ごす。匂宮は中の君が浮舟のことを隠していたことに恨み言を漏らすが、中の君は薫のことと誤解する。薫は宇治へ出かけた。浮舟は罪の意識に悩まされるが、同時に匂宮のことも忘れ得ず煩悶する。雪の中、匂宮は宇治の山荘に出かける。匂宮は浮舟を連れて外へ出た。宇治川の対岸の別荘に二日間逗留する。薫の京へ迎える準備が整った。浮舟は安堵しつつ匂宮も忘れられない。薫は夫人の宮(女二の宮)に浮舟のことを打ち明ける。その話は匂宮へ筒抜けとなってしまう。匂宮も浮舟を宇治の山荘から連れ出す計画を立てる。薫は四月十日と日取りを決める。浮舟は何も知らない常陸の君(母)が会話をしているのを聞いて身も凍る思いをする。そして宇治川に身を投げてしまおうと思い始める。薫の随身は式部小輔の所で時々見かける男が山荘に来て手紙を渡そうとしているのに気づき、詰問する。その場は言い逃れたが、随身はよく気の付く男で薫に事の次第を報告する。その男は兵部卿の宮の邸へ入っていったといい、薫は匂宮と浮舟の関係を悟る。自身は中の君を想いつつも手を出していないのにと薫は思う。浮舟を捨てる気にもなれず、薫は手紙を書く。浮舟は誤聞であると返事を書くが、胸がふさがってしまう。女房にも秘密の知られたことを悟られてしまう。女房はどちらか一人に決めてしまえと進言する。薫は宇治の山荘を侍に警戒させる。浮舟は手紙を破り捨てる。そこに通ってきた匂宮だが、中に入れずに泣く泣く引き返す。母の常陸の君からは不吉な悪夢を見たと手紙が来る。

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2020年7月18日 (土)

間一髪――日本古典文庫「源氏物語」「東屋」

日本古典文庫「源氏物語」「東屋」を読む。源右大将(薫)は常陸守の養女(八の宮の実子である浮舟)に興味を覚えつつも、世間体がはばかられて手紙すら送られずにいた。常陸守には前妻と中将の君(浮舟の母)との間にできた子供が何人かいて、連れ子の姫君(浮舟)には愛情を持たなかった。中将の君は浮舟に幸せな結婚をして欲しいと願い、求婚者たちの中から適当な者を選んでいた。左近衛少将が良いであろうと、八月に結婚の約束をしていた。左近少将は浮舟が常陸守の実子でないと知って、にわかに態度を翻す。仲人を通して常陸守の実子で大事にしていた歳は十五六の姫君と結婚してしまう。中将の君は呆れてしまい、左近少将への印象が悪化する。中将の君は浮舟を二条院の中姫君の許に預けることにする。中姫君と浮舟はすぐに打ち解ける。中将の君も浮舟の側に居ることにする。中将の君は匂宮と左近少将を見比べて、少将に嫁にやらずに済んで良かったと思う。中将の君が浮舟の将来について中姫君に相談している最中に薫が訪ねてくる。薫は浮舟が二条院にいることを知らされるが、にわかにその気にはなれなかった。ところが、匂宮が浮舟の存在を知ってしまう。浮舟は自分が何者であるか語らなかったが、匂宮は浮舟に迫る。が、中宮の病状が悪化したという知らせで事なきを得る。中将の君は薫が熱心になっていたのに、匂宮に迫られてしまった事を危惧し、二条院から出て京の町中に居を移させる。。薫は宇治の山荘を訪ね、弁の尼と会話して浮舟を改装した宇治の山荘に移せないかと相談する。薫の使いが来て弁の尼は浮舟の許へ行く。夜になって薫がやって来た。薫は浮舟を連れて宇治の山荘に行った。薫は今すぐ妻として迎えるのははばかられる。しかし、女房並みの待遇にはできないと思い、しばらく宇治の山荘に隠しておくことにする。

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2020年7月14日 (火)

三人目の姫君登場――日本古典文庫「源氏物語」「宿り木」

日本古典文庫「源氏物語」「宿り木」を読む。そのころ後宮で藤壺と言われていたのは亡き左大臣の娘の女御であった。帝がまだ東宮だったとき最初に上がった人だったが、内親王(女二の宮)を一人産んだだけだった。内親王が十四の歳に裳着の式を挙げようとしていたが、夏ごろに物の怪に煩わされて死んだ。女二の宮には確かな後見人がおらず、帝は配偶者として源中納言(薫)がふさわしいと考える様になった。薫はほのめかされながらも本意ではないと思う。この話を左大臣(夕霧)が聞いて、六の君に配偶者に薫を考えていたのであるが、兵部卿の宮(匂宮)に縁組を決める。匂宮は権家の婿となるのは自由を失うことだと考えるが多情な性質なので満更でもない。薫は女二の宮に手紙を送るようになるが、内心では死んだ宇治の大姫君ばかりが思われた。左大臣(夕霧)は六の君の結婚の用意にかかる。そのことを聞いた中姫君は幸福が破綻したと煩悶する。中の君は五月頃から妊娠していた。薫は大姫君に勧められたとおりに中姫君と結婚していればと悔やむ。薫は二条院を訪ねる。薫は中姫君と面会する。中姫君は宇治の山荘に移りたいと相談をもちかける。匂宮は結婚で六条院へ行くべきか考えあぐねていたが、左大臣の死者(頭中将)が来て止む無く行くことにする。それを見た中姫君は泣く。輝く未来を約束されている匂宮なので多妻であっても世間は同情しない。匂宮は昼間に新夫人(六の君)を見て愛情を覚える。それから宮は気軽に二条院へ行くことができなくなった。薫は二条院を訪ねる。薫は中姫君の袖をつかむがそれ以上のことはできない。二条院に戻ってきた匂宮は薫の残り香に気づく。薫は再び二条院へ行き中姫君に面会する。中姫君は薫に自分には母の異なる妹がいてその妹が大姫君に似ていると告げる。八の宮のかりそめの恋でできた姫君(浮舟)である。薫は心惹かれる。九月に入り薫は宇治を訪ねる。薫は弁の尼に面会し、山荘を御堂として改築することを指図する。弁の尼は薫に浮舟の話を語って聞かせる。浮舟の母の中将の君はその後陸奥守の妻となって任地へ下った。その後更に常陸介となって任地へ下ったという。薫が山荘の件を中姫君に報告した手紙を匂宮が読む。二条院にいた匂宮を左大臣(夕霧)が迎えに来る。その権勢に中姫君は圧倒される。薫は権大納言となり右大将を兼任することになった。挨拶回りをしていると夕霧の左大臣が弟(薫)のために自家で宴会を催す。その夜明けに二条院の夫人(中姫君)は男子を出産した。右大将(薫)は中姫君が男子を出産、着実な地位を築いたことで自分に冷淡になるだろうと考えるが、一方で中姫君の幸せを喜ぶのであった。その月の二十幾日に女二の宮の裳着の式(成人式)が行われた。女二の宮を訪ねて行くのがおっくうな薫は自邸に引き取ろうと考える。若君の五十日が過ぎて薫はまた二条院の中姫君を訪ねた。薫は自分の意志でない結婚の苦痛を訴える。帝は藤壺で宴を催した。夕霧から薫へ柏木の遺品の笛が贈られた。按察使大納言は一臣下に過ぎない薫が内親王を娶るのはいかがなものかと不満を覚える。その翌晩薫は女二の宮を自邸に迎える。女二の宮は美しく、自分の宿命も悪くないと薫は喜ぶ。しかしながらそれで過去の傷は癒されなかった。賀茂の祭があった後、薫は宇治の山荘を訪ねる。すると浮舟が山荘を訪ねて来たのに出くわす。薫は隙見をする。浮舟には大姫君の面影があった。まして八の宮の娘である。薫は弁の尼に浮舟への言伝を頼む。

 

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2020年7月11日 (土)

二条院に移る――日本古典文庫「源氏物語」「早蕨」

日本古典文庫「源氏物語」「早蕨」を読む。春になった。父宮と姉を亡くし暗い気持ちでいる中の君だった。阿闍梨から初物の蕨や土筆が届く。女房たちは源中納言(薫)の妻となっていればと残念がっていた。中納言の姉君に持っていた愛は浅薄なものではなかったと中の君は思う。兵部卿の宮(匂宮)は宇治に通うことが困難となり、中の君を京へ迎えようと決心した。薫は匂宮を訪ねる。匂宮は薫に中の君を二条院に迎えようと相談する。薫は後見人の立場から承る。薫は中の君と夜通し話した経験については触れなかった。中の君は宇治の山荘を離れるのも独居するのも心細かった。匂宮の愛が永久に変わらぬと見られずに思い悩む。薫は中の君が京に発つ前日に宇治を訪ねて来た。薫は中の君に友情以上の感情を抱かなかったことを残念に思う。薫は中の君と物越しの対談をする。薫は二条院の近くに引っ越すので何事でも御用を承ると言う。老女(弁の君)は尼になって宇治の山荘に残ることになっていた。薫は大姉君の望むままに尼にさせておけば命が助かったかもしれないと思う。中の君は宇治の山荘から京の二条院に引っ越しした。入用のものや費用は薫が負担した。二条院の夫人の居間は装飾で輝くばかりであった。こうして中の君は匂宮の夫人に収まった。薫は引っ越しの報告を受けるが、得べき人を他へ行かせてしまったことを後悔する。左大臣(夕霧)は兵部卿の宮(匂宮)が意外な結婚をしたことを不快に思う。娘の六の君の裳着の式(成人式)を行い、薫(夕霧の弟)を婿として迎えようと考えるが、人生のはかなさを実感した薫にその気はなかった。陽春となり薫は匂宮を訪ねていった。薫は中の君のいる西の対に行く。中の君は会うべきか迷うが、女房たちが中の君が今こうしていられるのは薫のお蔭だと言い、匂宮もよそよそしいと言う。が同時に匂宮は中の君に近づく薫を警戒しはじめる。

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2020年7月10日 (金)

結婚するものの――日本古典文庫「源氏物語」「総角」

日本古典文庫「源氏物語」「総角」を読む。宇治の姫君たちは八の宮の一周忌の準備をしていた。大体の仕度は源中納言(薫)と阿闍梨の手でなされていた。薫は兵部卿の宮(匂宮)と中の君の縁談を取り結ぼうとする。大姫君は自分は結婚する意志が無い。中の君と結婚してはと薫に勧める。その夜薫は大姫君と話をしようとするが、大姫君は薫を恐れてしまう。薫は他の男が強引に結婚してしまうことを恐れる。大姫君は病を得た。九月に薫は宇治へ行く。大姫君は病を理由に会わない。中姫君と結婚してくれと伝えるが、それでは匂宮に申し訳が立たないとなる。薫は老女(弁の君)に手引きさせて大姫君の寝室に忍び入るが、気づいた大姫君は逃げてしまい、薫は中姫君と会話を交わす。六条院で薫は匂宮に面会する。薫は中姫君は匂宮に任せようと考え、宮を宇治へと案内する。薫と面会した大姫君は薫が中姫君に興味を移したと安心する。薫は安心した大姫君の裾を押さえて引き寄せる。総角(あげまき)の女王(大姫君)は口惜しがる。薫は残念に思いながら手を放す。兵部卿の宮(匂宮)は弁の君の手引きで中姫君の許に行き、想いを遂げる。姫君たちは思い乱れる。匂宮を婿として迎えなければならなくなった総角の姫君は第二の夜を待つ。三夜目、なかなか宮中から出られない匂宮の許へ源中納言(薫)が来る。匂宮は馬で宇治へ向かい、薫は宿直で残る。その後、匂宮は容易に宇治へ通えず手紙だけを送る日が続いた。大姫君は自分が当事者であるより心苦しいことだと思う。九月の十日、匂宮は薫と共に宇治へ出かけた。大姫君は中姫君が結婚して物思いに沈むことが多くなったので、愛をより一層厭わしく思う様になっていた。薫は一人臥する。六条院では左大臣(夕霧)が同じ邸内に住んでいて、六の君と匂宮を結婚させたいと願っていたので、八の宮の姫君を夫人として迎えることははばかられるところがあった。中納言(薫)は三条の宮が出来上がり次第、大姫君を迎えようと考えていた。十月になって兵部卿の宮(匂宮)は宇治で紅葉狩りを催す。が、薫の他、多くの官人が従ったため、宇治の姫君の山荘を訪ねることはできなかった。中の君は煩悶する。歓待の仕度をしていた女房たちは失望する。姉女王(大姫君)は健康を損ねる様になった。左大臣(夕霧)の息子の衛門督が中宮に告げ口したため匂宮は外出がままならなくなった。また、左大臣の六女との結婚も決められた。薫は大姫君が病気になったと聞いて見舞いに来た。薫は祈禱させるが、病人にその気がないので快癒しない。匂宮から手紙が来た。十一月になった。中宮(明石中宮)は譲歩して勢力のある後援者を結婚して得た上で、夫人の一人として八の宮の姫君を迎えればよいと言う。兵部卿の宮は正妻を持ちたくないと否み続ける。薫は宇治へ行き、大姫君を看病する。総角の姫君(大姫君)が亡くなった。薫は悲しみながらも葬儀を済ませる。兵部卿の宮(匂宮)からも慰問の品が届けられる。中納言(薫)は出家を考えるが、母君(女三の宮)の思召しもはばかられ、中の君の境遇は見捨てられないと煩悶する。雪の日、匂宮が山荘を訪ねて来た。中の君はもう遅いと思って否み続ける。匂宮は一夜を明かし、空しく帰った。総角の姫君の四十九日が行われた。薫は京へ戻ることにする。大姫君を失った中納言(薫)があれほどの悲しみを見せているのを思うに、優れた女性なのだろうと中宮は考え直して、中の姫君を二条院に迎えて通わせるように仰せがあった。薫は三条の宮に大姫君を迎えようとしており、形見にせめて我が家の人としておきたかったと考える。

……ここで大姫君が亡くなるとは思わなかった。意外な展開。

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秘密のケンミンSHOW、全国の祭り特集(石見神楽登場)を見る。

秘密のケンミンSHOWを見る。番組後半は日本の祭り特集(夏だ!祭りだ!お家でワッショイ!ケンミンお祭り祭り!)。島根県からは江上敬子が登壇。
300万人動員する青森ねぶた祭や56万人動員する桐生八木節まつり、200万人動員する浜松まつり、石見神楽が紹介される。石見神楽だけ動員数が表示されない。人口全国46位。石見神楽はどんちっちタウン(銀天街)の道路を閉鎖して行われる祭り(銀天街どんちっちタウン神楽フェスタ2018エキサイティング大蛇)を撮っている。神事を超えたエンタテインメントとのこと。30演目くらいあると紹介。本来は神事だが、明治時代に神職が舞うことが禁止されたために一般庶民のものとなり大衆芸能化したとのこと。客席への乱入も定番。益田のキヌヤの中で石見神楽上演。保育園で子供が自作の道具で神楽の真似をしている。石見神楽の未来も安泰と結んでいた。

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2020年7月 9日 (木)

父宮亡くなる――日本古典文庫「源氏物語」「椎が本」

日本古典文庫「源氏物語」「椎が本」を読む。二月の二十日過ぎに兵部卿の宮(匂宮)は大和の初瀬寺へ参詣することになった。宇治に六条院(源氏)の遺産として右大臣(夕霧)の土地と別荘があった。薫の宰相中将が同行する。匂宮は八の宮との交渉も薫がいれば都合よく運ぶだろうと満足する。聖人(八の宮)の住居は別荘から船で渡って行ける場所に位置していた。薫の許に八の宮から手紙が届く。兵部卿の宮が返事を書く。薫は自分で赴く。兵部卿の宮は以前から宇治の姫君に関心を抱いていて、自由な行動のできないのを恨みに思っていたから、この機会に女王の消息を知りたいと手紙を出す。こんなときは軽く相手をしておくべきだと八の宮は中姫君に返事を書かせる。それから直接の手紙が八の宮へ届くことになった。中姫君が返事を書いた。八の宮は親として譲歩してもよいと思われる男が求婚してきたなら結婚を許そうと思っていた。源宰相中将(薫)は中納言になった。華やかな高官になったが、父の罪をあがなうため仏勤めしたいと願っていた。中納言(薫)は宇治の宮へ出かけた。迎えた八の宮は自分が亡くなった後も女王たちを時々訪ねてやって欲しいと心細さを話す。薫は承る。秋が更けていくにつれて八の宮は健康を損ね、山寺へ籠ることにした。八の宮は女王たちに自分が亡くなった後、軽率な結婚はしてはならないと言い置く。山寺で八の宮は病を得た。そして遂に亡くなる。せめて遺骸を見たいという女王たちを山寺の阿闍梨が執着心が生じるからと制する。薫も八の宮の訃報を受け取った。薫は弔問の品々を贈る。兵部卿の宮(匂宮)からも慰問の手紙が来たが女王たちは返事を書かなかった。匂宮はよそよそしく扱われると恨めしがる。八の宮の四十九日が済んだ。中姫君が匂宮の手紙に返事を書けないでいるので、姉の大姫君が代わりに手紙を書く。兵部卿の宮は軽薄な求婚者とは見られていなかった。忌中が過ぎてから薫が訪ねてきた。大姫君と会話した後で老女(弁の君)が応対する。兵部卿の宮(匂宮)が薫と会うときは必ず宇治の姫君の話題が出た。新年の前に雪の中、薫は宇治を訪ねた。兵部卿の宮は好色ではないと告げる。兵部卿の宮は手紙を送る。中姫君から返事が来る。兵部卿の宮は右大臣(夕霧)の六女には関心を抱いていなかった。その年に三条の宮は火事で焼けて入道の宮(女三の宮)が六条院に移った。そのため薫は繁忙だった。その夏、薫は宇治の山荘を訪ねた。女王たちを隙見する。薫は大姫君を恋しく思うのだった。

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2020年7月 8日 (水)

出生の秘密を知る――日本古典文庫「源氏物語」「橋姫」

日本古典文庫「源氏物語」「橋姫」を読む。その頃世間から存在を無視されている親王(八の宮、源氏の異母弟)がいた。帝の継嗣にもなりうる人だったが、時代が移って政権が反対側へいってしまい無勢力となってしまった。妻を愛していたが二人目の姫君が生まれた際に亡くなってしまった。悲しんだ宮は出家しようと考えるが、二人の姫君を残して世を捨てることができない。財政事情は窮迫し、女房たちが離れていく。宮は自らの手で姫君たちを育てた。家も荒れ、仏勤めばかりをして暮らした。後妻を迎えることも無かった。大姫君は品がよく、中姫君は可憐であった。冷泉院が東宮のとき、朱雀院の母である弘徽殿女御が廃太子を計画、八の宮を利用しようとしたことがあるため、光源氏派から冷ややかな扱いとなり、源氏派が栄える世になって今日に及んでいる。八の宮の邸は火事で焼亡してしまった。そこで宇治の山荘に移った。宇治に聖僧として崇められる阿闍梨がいて宮が宇治に住んでいるのを知ってから時々訪問する様になった。阿闍梨が院の御所へ参った際、八の宮の話題に触れる。八の宮は俗聖と呼ばれている。薫中将も人生を厭わしく思いながらもまだ仏勤めもよくしなかったので興味をもって聴いた。八の宮の姫君を自分へ託せないかと冷泉院(十の宮)は言う。薫は八の宮に興味を覚えお目にかかりたい、教えを受けたいと願う様になった。その後、手紙が交わされる様になり、薫が訪ねて行くようになった。唐紙障子を隔てて姫君たちが住んでいることが分かったが、異性に心動かされぬ人たるべく宮を訪ねてきたのだからと思い直す。そして三年が経った。秋の末、八の宮が仏堂に七日間お籠りになった。宮の不在時に山荘を訪ねた薫は姫君たちが琵琶と琴を合奏している場面に出くわす。姫君たちを垣間見た薫は大姫君に関心を抱く。薫は自分は好色な男ではないといい、交際を求める。老女が応対する。老女は薫の出生の秘密を知っていると打ち明ける。衛門督(柏木)が亡くなった際、遺言を伝えられたと言う。薫は興味を惹かれつつも、ここでは女房たちに聞かれると思い、自分には心当たりがないがと断って退出する。薫は八の宮や寺へ贈り物をした。八の宮は薫から送られた手紙を読んで、この人はすぐれた人格者だから自分が亡くなった後も遺族に尽くしてくれるだろうと言った。薫は兵部卿の宮(匂宮)に宇治の話をする。匂宮も薫の話しぶりに宇治の姫君たちに興味を覚えた。十月になって薫は宇治へ出かけた。薫は老女(弁の君)と面会した。老女は柏木が亡くなった経緯を語った。老女は柏木と女三の宮(薫)の母が交わした手紙を手渡す。出生の秘密を知った薫であったが、母の許を訪ねてみると経を読んでいた。今更自分が秘密を知ったことを知らせる必要はないと思って、自分の胸一つに納めることにした。

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2020年7月 6日 (月)

明暗が分かれる――日本古典文庫「源氏物語」「竹河」

日本古典文庫「源氏物語」「竹河」を読む。最近亡くなった関白太政大臣(髭黒)の話。紫式部の筆の跡には遠いものになるであろう。玉鬘の尚侍の産んだ子は男三人と女二人であった。姫君を入内させるを希望していたが、太政大臣は亡くなってしまったので、出入りする人が減ってしまった。六条院は子の一人として尚侍を見ていて遺産の分配もした。夕霧の右大臣は兄弟の情を持っていて、援助することを忘れなかった。男子は放任していても出世するだろうが、姫君たちをどうすればよいか玉鬘は煩悶していた。今上帝から入内の催促があるのだが、中宮一人が寵愛を受ける中に入内しても苦しいだろうと思っていた。また、過去に尚侍として出仕するはずだった冷泉院からも入内の催促があった。姫君は美人という評判があって求婚者も絶えなかった。右大臣家の蔵人少将(夕霧と雲井の雁の間に生まれた子)も熱心な求婚者だった。近い間柄だったから隔てのない取り扱いを受けていた。夕霧自身も認める手紙を寄こした。玉鬘夫人は上の姫君はただの人とは結婚させまい、次の姫君は少将に与えても差し支えないと思っていた。四位の侍従(薫)はその頃十四五であったが大人びた公達となっていて将来有望で、尚侍は婿にしてみたいと思っていた。髭黒の邸は女三の宮の三条の邸に近かったから源侍従はよく遊びに来るのだった。尚侍は源侍従を弟と思って親しんでいた。正月の元日に人が集まった。右大臣(夕霧)も子息を連れてきた。尚侍は姫君の縁談、冷泉院の仰せをどうするかを夕霧に相談する。夕方になって薫が来た。藤侍従を訪問する。蔵人少将が先に来ていた。薫の爪音は太政大臣(頭中将)の爪音に似ていると言われる。また、亡くなった大納言(柏木)に不思議なほど似ているとも言われる。この時以来薫は藤侍従の部屋へよく来るようになって姫君への憧憬を伝えさせた。蔵人少将が想像したとおり、玉鬘の家の者は薫をひいきにする様になった。三月になった。玉鬘夫人の姫君たちは十八九であった。姉の方は気高い美貌で、妹の方は姉には負けるが清楚な感じのする容貌だった。二人が碁を打っていると、そこに蔵人少将がやって来た。覗くと姫たちが碁の勝負をしていた。少将は幸福感を覚える。冷泉院からは毎日の様に催促があり、尚侍も辞退するのはもったいないと考える様になった。そのことを知った蔵人少将は母(雲井の雁)に訴える。玉鬘は姉の院参を済ませてから妹を与えればよいと考えていたが、蔵人少将は姉の姫君のことばかりが思われるのであった。蔵人少将は藤侍従が源侍従(薫)から来た手紙を読んでいたのを取り上げてしまう。四月九日に内侍の長女は冷泉院の後宮へ入ることになった。上の姫君は蔵人少将からの手紙を読み、返事を書く。少将は返事を書くが、姫君は却って失望した。薫の侍従は藤侍従と連れ立って院の庭を歩いていたが、失恋の気持ちを薫は友に漏らす。妹の姫君との縁談もあったが、上の姫君が院参してから蔵人少将は玉鬘の邸に近づかなくなった。今上帝は故人の関白(髭黒)の意志は姫君を入内させることであって、院へ奉ることでななかったと遺憾に思召した。新女御(上の姫君)は懐妊した。翌年の正月には男踏歌があった。蔵人少将も奏楽者として出席した。新女御が見ているであろうかと興奮する。四月に院の第二皇女が生まれた。院の寵愛が深まる。新女御と女一の宮の母である弘徽殿女御の女房たちの間に対立が生じる。尚侍は二女(妹の姫君)を女官にして宮中へ出し、尚侍の職を譲ることに決めた。雲井の雁から蔵人少将のことで申し出があったことを申し訳なく思う。前尚侍(玉鬘)はこれで尼になることも考えたが、どちらの姫君もこれで安心と見極めてからと子息たちが止めた。次の年に新女御が院の皇子を産んだ。院は以前にも増して新女御を寵愛した。女一の宮の母である女御は新女御を恨む様になった。源侍従(薫)は参議中将になっていて、薫る人と呼ばれる様になっていた。立派になったものだと玉鬘は寂しく思う。蔵人少将は三位の中将となっていたが、初恋を忘れることができず、左大臣家の令嬢と結婚をしたのであるが、妻に対する愛情が起こらなかった。院の新女御は煩わしさに自邸へ下がることが多くなった。御所へ上がった妹の姫君は却って華やかに幸福な日を送っていた。薫中将は中納言になり、三位の中将(蔵人少将)は参議になった。源中納言(薫)は前尚侍に挨拶周りをする。玉鬘は新女御が自邸へ引きこもったことで陰の機嫌を損ねたと自嘲する。薫を婿にしていたらと玉鬘は思う。新右大臣(紅梅)は二女を兵部卿の宮(匂宮)の婿として迎えたいと願っていた。玉鬘は息子たちの出世が遅いことを嘆いていた。

……「紫の筆の跡には遠い」とあるので、他人の作か。

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2020年7月 1日 (水)

想い違い――日本古典文庫「源氏物語」「紅梅」

日本古典文庫「源氏物語」「紅梅」を読む。按察使大納言と言われている人は亡くなった太政大臣(頭中将)の次男だった。亡くなった柏木の衛門督のすぐの弟だった。順調に出世して現在では権力を得ていた。最初の妻は亡くなって太政大臣(髭黒)の娘の真木柱は兵部卿の宮(源氏の弟)と結婚していたが、夫に死別した後、大納言が通う様になった。子供は前の妻から生まれた娘二人と真木柱との間に男子をもうけていた。真木柱は兵部卿の宮との間に娘が一人いた。真木柱夫人は明るい性格で家庭内は平和だった。大納言は娘の裳着の式を行った。求婚者たちが現れた。東宮には夕霧の左大臣の長女が侍しているが長女を入内させることにした。次女には兵部卿の宮(匂宮)と結婚させたいと思っていた。匂宮は大納言の一人息子の若君を可愛がっていた。大納言は娘を入内させて自分の代で皇后を出すことに成功した。長女には母の真木柱がついている。東の女王(真木柱の連れ子)は非常に内気だった。大納言は結婚させたいと考えたが母の真木柱は内気なので難しい、出家して尼になる途もあると述べる。東の女王は父である大納言にも顔を見せなかった。御所で大納言の若君に兵部卿の宮(匂宮)が声をかける若君は紅梅の枝を差し出す。匂宮は大納言の次女には興味がなく、真木柱の連れ子である東の女王に手紙をとり付いてくれないかと頼む。若君は大納言に手紙を見せる。東の女王は内気で結婚して世間並は生活をすることが想像できない。匂宮は桐壺の帝の八の宮の姫君に懸想中で宇治に通っているという噂だった。

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世代交代――日本古典文庫「源氏物語」「匂宮」

日本古典文庫「源氏物語」「匂宮」を読む。光源氏が亡くなった後、その美貌を継ぐ人は現れなかった。冷泉院は恐れ多くて引き比べるべきではない。今上天皇の三の宮(匂宮)と同じ六条院で成長した女三の宮の若君(薫)が美貌の貴公子だとされていたが、源氏と同じくまばゆいばかりというのではない。匂宮は紫夫人(紫の上)が愛育した人だから、大方は二条院に住んでいる。元服後は兵部卿の宮と申し上げる。源右大臣(夕霧)には多くの令嬢がいた。長女は東宮に侍している。下の令嬢は三の宮が娶るとの世評であったが、恋愛結婚でなければと本人にはその気は無かった。夕霧は匂宮に好意を抱いている。六条院がいなくなってからは各夫人たちはそれぞれの家に帰っていたが、花散里は東の院を遺産として与えられていた。夕霧は自分が生きている間は六条院が荒れない様にと配慮する。東北の町に一条の宮(女二の宮)を移して月に十五日通っている。明石夫人(明石の君)は幾人もの宮の世話をして幸福に暮らしていた。夕霧は紫の上が生きていればと思う。六条院(源氏)を慕う者は多かった。そして紫の上もそうであった。春の花の盛りは短くとも印象は深く残る。二品の宮(女三の宮)の若君(薫)は冷泉院が特に愛された。十四歳で元服した。すぐに右近衛の中将に昇進した。母宮(女三の宮)は仏勤めばかりをしており、出入りする中将(薫)を頼みとしていた。中将は自身の出生について疑問を抱いていたが、母の女三の宮には訊けずにいた。母はなぜ突然出家したのか。亡くなった六条院も自分の出生の秘密で悩まされたのではないかと考える。歳の離れた兄である夕霧も中将を大切にする。中将はこの世のものとは思われぬ薫りを身にまとっていた。あまりに薫るので忍び歩きも不自由である。兵部卿の宮(匂宮)はうらやましく思って競争心を燃やした。源中将(薫)は二条院に始終伺う仲でもあった。匂う兵部卿、薫る中将と並び称される。匂宮は冷泉院の女一の宮に恋心を持っていた。一方、厭世的な中将(薫)は恋愛をしては、却ってこの世を捨てる妨げとなるだろうと思っていた。楽天的にはなれず放縦な生活態度もとらなかった。一品の姫君(冷泉院の女一の宮)とは麗しい性質の人を妻にできればと思っているが、院から隔てられているため、積極的にはなれなかった。やむなく情人関係となった女も多くなったが、隠れて通うので自然と女三の宮の許に女房勤めで集まるようになった。皆、薫とのはかない関係を慰みにしていた。夕霧の右大臣も娘の一人は匂宮へ、一人は薫へという願望を持っていたが、言いだすことははばかっていた。典侍の産んだ六女は女二の宮の許で養育させていた。御所の正月の弓競技の後で六条院で宴会が開かれた。匂宮が勝った。中将(薫)は宴席で求子の一節を歌った。

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神楽が泣かす番――佐藤両々「カグラ舞う!」

月刊ヤングキングアワーズ8月号を買う。佐藤両々「カグラ舞う!」今回は指導役に就任した頼護(神楽の母方の従兄)と昴の相性が悪い等々。今度は(子供の頃鬼を見て泣いていた)神楽が泣かす番だと言われる。

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