帰省組はNG?
浜田の夜神楽週末提定期公演、7/4(土)から再開される運びとなった。完全予約制とあるので密にならないよう人数を絞るのだろう。
・過去2週間以内に引き続き感染が拡大している地域への訪問歴がある場合は入場をお断りいたします。
とあるので、関東からの帰省組はNGか。
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浜田の夜神楽週末提定期公演、7/4(土)から再開される運びとなった。完全予約制とあるので密にならないよう人数を絞るのだろう。
・過去2週間以内に引き続き感染が拡大している地域への訪問歴がある場合は入場をお断りいたします。
とあるので、関東からの帰省組はNGか。
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日本古典文庫「源氏物語」「雲隠れ」まで来た。「雲隠れ」の帖は本文が現存していない。元々なかったとする説と途中で失われたという説の両方があるらしい。源氏の死にざまが描かれた帖だったろうと思われるので、現存していないのは残念である。もっとも空想の余地はあるか。
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日本古典文庫「源氏物語」「まぼろし」を読む。春になっても六条院(源氏)の暗い気持ちは変わらず、新年の賀で訪れる人がいても御簾の中に入っていた。兵部卿の宮(源氏の弟)が訪ねてきたときは会おうという気になった。恋愛から超越した六条院はかつて夫人(紫の上)が恨めしそうな様子を見せたことを思い出していた。女房の中納言の君や中将の君が話相手を務める。この世のことでは不足を覚えたこともない身分だったが、誰よりも不幸であると思わされる、それも仏の計らいであると六条院は述べる。大将(夕霧)にも御簾越しでしか会わない。明石中宮は御所へ返したが、三の宮(匂宮)は手元に置いておいた。出家すれば会えなくなると六条院は涙を流す。入道の宮(女三の宮)の許を訪ねる。が、宮は理解の無い歌を返歌するのであった。次に明石夫人を訪ねる。出家を遂げることもできないのが歯がゆいと漏らす。明石夫人の許には泊まらないで引き返す。紫夫人の一周忌が近づいていた。女王(紫の上)が作らせた極楽の曼陀羅を供養することとなった。秋になると法事の仕度のため心がまぎれることが多かった。大将の子息たちが六条院を訪ねてきた。六条院は紫夫人のものも含めて昔の手紙類を破らせた。執着を断つためである。仏会が終わった。いよいよ出家の意を固めた六条院だった。元日の参賀の客たちのための仕度を行わせた。若宮(匂宮)が追儺について語りながら走り回るのを見て、出家すれば、この姿も見られなくなるのだと思うのだった。
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日本古典文庫「源氏物語」「御法」を読む。紫夫人(紫の上)は大病以来病身になっていた。紫夫人亡き後この世にいるのは悲しいことだと六条院(源氏)は心痛していた。紫夫人は出家したいと望むが、六条院が反対していた。六条院自身も出家を望んでいたが、夫婦揃って出家すると、病身の紫夫人と離れ離れとなってしまう心配があった。願はたしで千部の法華経の供養を紫夫人主催で催す。法会は盛大に催されたが、余命の少ない紫夫人は悲しかった。宴に参加した花散里に紫夫人は歌を送る。夏になると暑気のため紫夫人は苦しんだ。衰弱が酷い。六条院は中宮(明石の姫君)を二条院に退出させる。明石夫人(明石の君)も見舞う。孫である三の宮(匂宮)の顔を見てその将来の姿を見られないのを悲しむ。秋になると紫夫人の病状は一進一退だった。六条院は千年を過ごす方法はないものかと考える。誦経をさせていたが、夫人の病状が悪化し、遂にこと切れる。六条院はこうなった以上、髪を切って出家した形にしようと考えたが、大将(夕霧)はいかがなものかと反対する。大将は垣間見た紫夫人の姿に惹かれていたのだが、今こうしてこと切れた夫人の姿を見たいと思う。女王(紫の上)の遺骸は納棺された。六条院は出家を考えるが、夫人を亡くした悲しみで出家したことになるので、当分はこのままで悲しみをしのぐ他ないと考える。六条院は過去に無い大きな悲しみを体験していた。太政大臣(頭中将)が見舞いの手紙を送る。紫夫人は瑕の無い玉のような善良な人だったので悲しむ者は多かった。女王に仕えていた女房たちの中でも尼になるものがいた。冷泉院の后の宮(秋好中宮)も手紙を送ってよこした。六条院は最愛の人を奪われ、この世に執着がなくなったが、未だ人聞きを気にして出家を躊躇していた。四十九日が来た。大将が主となって世話をした。
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日本古典文庫「源氏物語」「夕霧」を読む。大将(夕霧)は一人の夫人の忠実な夫と世間では思われていた。その大将は現在、友人で従兄の柏木の未亡人・女二の宮(朱雀院の娘)に接近したいと考えていた。女二の宮の母の御息所は物の怪に憑かれて比叡山の麓の小野というところに居を移していた。八月二十日頃、夕霧は小野を訪ねた。病床の御息所が応対する。夕霧は少将という女房を通じて女二の宮に恋心を打ち明けるが、女二の宮は夕霧を近づけようとしない。夕暮れになり霧が辺り一面を覆った。これで帰れなくなったと口実を見つけた夕霧は女二の宮に接近する。が、女二の宮は拒む。女二の宮は故人(柏木)の妹の夫である夕霧との噂が立ったら太政大臣家ではどう思うだろうか、また世間に噂が立ちはしないかと煩悶する。夕霧も敢えて事には及ばず一夜を過ごす。夕霧は家には帰らず花散里の許に行く。夕霧は女二の宮に手紙を書く。女二の宮は昨夜のことを母の御息所に知られたらどうしようかと思い悩む。御息所の加持祈祷をしていた僧侶が昨夜夕霧が朝帰りしたと御息所に漏らしてしまう。御息所は女房の少将を呼んで事情を訊く。御息所はなぜ女二の宮が男を近づけてしまったのかと考え、夕霧に手紙を書く。その後、御息所の病状が悪化する。手紙は夕霧の許に届いたが、妻の雲井の雁が奪って隠してしまった。雲井の雁は夕霧がまじめでなくなったと恨み言を言う。翌日になってようやく手紙が見つかる。夕霧は御息所と女二の宮に手紙を書いて出す。が、手紙を見ない内に煩悶したまま御息所の容態は悪化して亡くなってしまう。御息所の葬儀が行われ、夕霧も手を尽くした。女二の宮からの返信は無かった。四十九日も終わらぬ間に夕霧は小野を訪ねる。少将が応対する。夕霧は後見人のいなくなった女二の宮の面倒を誰が見るのだと主張する。少将は当惑するばかりである。夕霧は仕方なく帰る。雲井の雁は今になって夫の愛情が失われたと嘆く。六条院(源氏)も浮いた噂のなかった夕霧にこのような問題が持ち上がったことを知るが、干渉すべきではないと考える。六条院で源氏と対面した夕霧は素知らぬふりをする。女二の宮には出家する意思があったが、女三の宮に続いて女二の宮まで出家することになると不幸なことだと考えた朱雀院(源氏の兄)に反対される。夕霧は見切りをつけ女二の宮の住いである一条院を修築させ結婚式の準備を整える。女二の宮は邸に帰ることを拒むが家人の大和守が反対する。女房たちは女二の宮が髪を切らないよう鋏を隠してしまう。夕霧の三条の家では急な結婚話に驚く。夕霧は少将の手引きで女二の宮の寝所へ入る。女二の宮は蔵に籠って鍵を掛けてしまう。翌朝、夕霧は花散里の許へ行き、事情を訊かれる。夕霧は御息所が女二の宮の後見をするよう遺言したのだと答える。夕霧は花散里の善良さを褒める。花散里はそれは源氏の愛情が薄いということだと答える。三条の家へ帰ると雲井の雁は子供を連れて実家(太政大臣家)に帰っていた。夕霧は少将の手引きで女二の宮に接近する。が、女二の宮はまだ心を開かない。こうして夕霧は一条邸の主らしく振舞いだす。一方、雲井の雁は実家に居ついていた。夕霧は迎えに行く。が、雲井の雁はかたくなである。夕霧は一人寝する。太政大臣(頭中将)はこのことを知って一条の宮へ手紙を出す。蔵人少将が使いとなって手紙を届ける。一方、夕霧の愛人の典侍は自分のことを許しがたいと思っている雲井の雁に侮りがたい相手が出現したと思う。夕霧はたくさんの子に恵まれていて、雲井の雁が産んだ子と典侍が産んだ子がいた。このうち典侍が産んだ内の二人は花散里が引き取って育てていた。
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日本古典文庫「源氏物語」「鈴虫」を読む。夏に入道の宮(女三の宮)の持仏の供養が催された。六条院(源氏)は尼君の宮(女三宮)に来世の蓮の台の上では仲睦まじく暮らしてくださいと言う。源氏の女三の宮に対する愛情は今となって深まっていた。朱雀院は自分が分与した邸に移るよう促していたが、六条院が反対していた。また女三の宮への経済的補償も行う。秋になり、六条院は尼宮の住居の庭を草原に作らせて虫(鈴虫や松虫など)を放った。女三の宮に従って出家する女官たちは選んで数を絞った。六条院の誘惑に、出家してようやく心の平安を得た女三の宮は苦悶する。女三の宮の読んだ歌に六条院はあなたに恨ませる様な事は無かったはずだと答える。琴を弾くと兵部卿宮(源氏の弟)や大将(夕霧)たちが集まって来て音楽を奏する宴となる。六条院は音楽の得意だった衛門督(柏木)を思い出し涙を流す。冷泉院の使いが訪れ冷泉院に赴く。中宮は六条御息所の供養をするため出家したい旨語るが六条院は反対する。六条院は大将や明石の姫君よりもなお実子の冷泉院を大切に思っているのである。
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日本古典文庫「源氏物語」「横笛」を読む。衛門督(柏木)の四十九日が来た。六条院(源氏)は厚く寄付をした。大将(夕霧)も一条院の宮(柏木の妻、女二の宮)によくした。恋愛感情があるのだ。朱雀院は女二の宮、女三の宮とも不幸な境遇となったことを悲しむ。朱雀院は女三の宮へ自然薯と筍を送る。六条院も朱雀院からの手紙を読む。若君(薫)が立ち上がって筍をかじる。貴公子の相があるが、内親王もいる六条院で成長させるのは危険なことであるとも考える。大将は一条の宮を訪ねる。和琴を合奏する。女二の宮の母である御息所が柏木の笛を大将に渡す。自宅へ帰ると深夜となっており、雲井の雁が嫉妬する。その夜、夢に柏木が現れる。柏木は笛を手にし、他に望んだことがあると言う。夢はそこで覚める。笛は望んだ人の許へ行っていないと大将は考える。大将は六条院へ参る。六条院は明石の君の御殿へ行っていた。そこで大将は女三の宮(明石の君の娘、三歳くらい)と戯れる。大将は若君(薫)と対面、柏木に似ていると思う。六条院は大将の女二の宮への接近は不幸な結果になりはしないかと諭す。大将はあやまちは起こり様のない清い気持ちだと返す。大将は意を決して夕べの夢の話をする。六条院はその笛は由来のあるものであると語る。心中では譲りたい人は分明である(薫)と考える。大将は柏木が六条院に対して罪の意識を抱いていたと告げるが、六条院はとぼける。
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アクセス解析を辿って、YAHOO知恵袋の質問、『日本文学の課題で、「源氏物語」の六条院が完全な「四季四面の館」にはならず、矛盾を持つ欠陥住宅である理由を述べよ』という問題に出会う。
これは難問だ。少なくとも源氏物語を通読していなければならない。一日一帖読んでも54日かかる。文学部の日本文学の講義だから、読んでいるのは前提としても、六条院の描写は記憶の限りでは断片的にしか記されておらず、あちこちから情報を拾わねばならない。
説話文学に「四季四面の庭」というのがあり(酒呑童子や鈴鹿の御前)、東西南北(もしくは東南西北)それぞれ四季の景色が映し出される空想上の庭であるが、四季四面の館となると聞いたことがない。しかも「矛盾を持つ欠陥住宅である」とされている。
六条院は元は六条御息所が住んでいた土地に造営したもので、春夏秋冬の邸にそれぞれ夫人たち(中宮も含む)が住む形となっている。どの邸に誰が住んでいるかまではネットで調べられるが、知恵袋の回答にあるように、紫の上を正妻格として調和がとれていたところに女三の宮が入り正妻となる(ただし、愛情は薄い)ということで夫人たちのバランスが崩れる……といった解釈になるか。
マザー・コンプレックスである源氏が最も想う人は藤壺であろう。紫の上も女三の宮も藤壺の系譜に連なる人物である。幼い頃から養育した紫の上もその点では藤壺の代理に過ぎないのであり、四季四面の館に各夫人を取りそろえたところで、源氏の心はなおも満たされることがないのである。
そもそも四季四面というのは一面が一つの季節に対応するというものであり、そもそも矛盾をはらむ四季四面の館という概念設定がおかしいのである……と出題者の意図が分からないとすることもできるか。
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日本古典文庫「源氏物語」「柏木」を読む。右衛門督(柏木)の病状は春になっても快方に向かわなかった。六条院(源氏)も自分が死ねば許すだろうかと考える。衛門督は女三の宮に手紙を書く。返信を渋る女三の宮に小侍従(女官)は手紙を書くように促す。小侍従は手紙を持って衛門督の所へ行く。手紙を読んだ衛門督は感激し返信する。女三の宮の体調が変わり、男子(薫)を出産する。六条院はこれも自分の犯した罪(藤壺との密通)の報いであろうと考える。女三の宮の体調は優れなかった。また、赤子を愛そうとしなかった。女三の宮は出家しようと考え始める。朱雀院は女三の宮の体調が悪いと聞いて密かに六条院まで行幸する。女三の宮は自分の命はもう長くないから出家したいと願う。六条院は物の怪がそう言わせることもあると反対したが、朱雀院は願いを聞き入れる。夜明けが近づき、女三の宮の髪は切られ授戒する。加持をした際、物の怪が出て、紫の上が助かったと思ったから女三の宮の方に来たのだと語る。衛門督は女三の宮が出産、出家したことを聞き、妻の女二の宮に会う。衛門督の危篤を聞いた今上帝は衛門督を権大納言に出世させる。左大将(夕霧)は昇進の祝いで衛門督の許を訪ねる。少年の頃から親しくしてきた二人だが、衛門督は夕霧に自分は六条院の不興を買った、その心痛から病となったのだと打ち明ける。詳しく聞きたかった夕霧だが、加持の僧たちが来て止む無く立ち去る。衛門督は遂に死んでしまった。父の太政大臣(頭中将)とその妻は衛門督の死を悲しむ。女三の宮は衛門督の死を知ってもの哀れな気持ちとなる。衛門督との事も運命かと思い泣く。三月に入り、若君(薫)の五十日が来た。六条院は女三の宮が自分を捨てたと嘆いてみせる。女三の宮は初めから愛することを知らなかったのだから、どう返事をすればよいか分からないと答える。若君には貴人の相がある。大将(夕霧)は衛門督が自分に打ち明けたことの意味を考える。衛門督の問題と女三の宮の出家とは関わりがあると考えるようになる。左大将(夕霧)は一条の宮(衛門督夫人の女二の宮)の許を訪ねる。女二の宮の母の御息所は自分はこの結婚に反対だったのだ、法皇(朱雀帝)が許可したからそれではと賛成したと言う。大将は太政大臣の許を訪ねる。太政大臣は憔悴していた。大納言(柏木)の葬儀が催された。大将は一条院の宮(女二の宮)を見舞う。
……田辺聖子「新源氏物語」では女三の宮は幼稚な姫としてよく書かれていなかった。女三の宮が好きになれなかったのだろう。「はやげん」という源氏物語の粗筋を漫画化した作品では女三の宮は薫の出産出家後、精神的に成長すると解釈している。実際に読んでみると奥深いところはないと書かれていたが。
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日本古典文庫「源氏物語」「若菜(下)」を読む。衛門督(柏木)は女三の宮の事が忘れられない。大それたことを想うようになって、六条院(源氏)の顔をまともに見ることができない。六条院で弓の遊びが催される。衛門督は女三の宮が東宮に献上した猫を得る。左大将(髭黒)は男子を出産した玉鬘を重んじている。娘の真木柱を引き取りたいと思っているのだけど、母方の祖父である式部卿宮が許さない。真木柱の許に兵部卿宮(源氏の弟)が通うようになる。冷泉帝が譲位した。太政大臣(頭中将)は関白の職を辞す。左大臣(髭黒)が右大将になり関白も兼任した。六条の女御(明石の姫君)が産んだ男子が今上天皇の東宮となった。右大将(夕霧)が大納言も兼ねて左大臣に移った。六条院は冷泉帝に男子の無かった事を残念に思う(自分の血統が続かないので)。女王(紫の上)は出家したいと六条院に語るが、六条院はそれを認めない。女御(明石の姫君)は住吉神社への願はたしを願い、六条院の参詣に同行する。明石の尼君(明石の姫君の祖母)も同行する。明石の尼君は素晴らしい運の持ち主だと噂される。近江の君は双六で「明石の尼様、明石の尼様」と唱える。女三の宮は二品(ほん)の位に上がって勢力を増す。女王(紫の上)は女御(明石の姫君)が産んだ女子(女一の宮)を養育する。女三の宮は若々しく少女の様な頼りなさで、六条院は宮の教育に力を入れる。六条院は朱雀院の五十の賀として若菜の儀を計画する。女三の宮は六条院の指導で琴を弾く。女三の宮はもう二十一、二歳になるがまだ幼さが抜けない。そして美しかった。左大将(夕霧)は紫の上を意識する。六条院は夫人(紫の上)に過去の女性のことを語り、六条御息所にも触れる。夫人(紫の上)は急に胸の痛みに襲われて病床に臥す。治療や祈禱のかいもなく病状は悪化していく。六条院は夫人を六条院から二条院へ移し看護する。女三の宮の許へは通わなくなった。衛門督(柏木)は中納言になっていた。女三の宮の姉である女二の宮と結婚したが、女三の宮のことが忘れられずにいた。女三の宮に付いている小侍従という女官は宮の侍従の乳母の娘であり、乳母の姉が衛門督の乳母であった。衛門督は小侍従の伝手を頼って女三の宮への接近を試みる。女三の宮に隙が見えた日に衛門督は六条院に赴く。女三宮の周りに女官は少なく、小侍従だけが侍っていた。寝ていた女三の宮に衛門督は接近する。女三の宮は声を出すが女官がいない。恐ろしさで女三の宮は何もできない。衛門督は何もしないからと言い寄って事に及ぶ。その後、衛門督は太政大臣の屋敷に帰る。六条院を裏切った密通が急に恐ろしく思えてきたからである。女三の宮も事件が恐ろしく恥ずかしく思っていた。六条院が見舞うが、そこに夫人(紫の上)が息絶えたという知らせが入る。二条院に戻った六条院の前に六条御息所の怨霊が現れた。怨霊を祈禱で封じると夫人は息を吹き返した。引きこもっていた衛門督だが、見舞いに出かける。六条院は夫人に授戒を受けさせる。女三の宮は妊娠した。衛門督は時々忍んできた。女三の宮の妊娠が六条院に知らされた。六条院は異変を察する。小侍従が衛門督の手紙を持っていた。そこに六条院が現れた。隠していた手紙を六条院は読む。そして全てを悟る。秘密を知られた女三の宮は涙を流す。六条院は裏切られた気持ちであるが、自分の過去(藤壺との密通)を思い出し恋愛問題で他人を非難できないと思う。秘密が漏れたと知った衛門督は目を掛けてくれた六条院を裏切った罪で苦悶する。萎縮した女三の宮を六条院は幼稚と思う。前尚侍(朧月夜)が出家した。朱雀院の賀宴は延び延びになっていたが、実行される運びとなった。朱雀院からの手紙に返事を書けない女三の宮に六条院は強いて書かせる。十二月になった。試楽に衛門督は招かれた。病気を理由に辞退していた衛門督だったが、止むを得ず出席する。六条院は衛門督への憎悪を抑えつつ語りかける。決まりの悪い衛門督は苦痛に耐えられず退出する。衛門督は重い容態となった。朱雀院の賀宴が催された。
……柏木は何もしませんからといって近づいて、結局事に及んでしまう訳である。紫式部の男性観察が優れていた証だろう。それにしても源氏と女三の宮の間には肉体関係があったのだろうか。粗筋を読んだときは女三の宮が輿入れして直ぐ事件が起こったのかと思っていたが、実際には女三の宮は十五歳から二十一、二歳になっている。
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日本古典文庫「源氏物語」「若菜(上)」を読む。六条院(源氏)の兄の朱雀院は病気となり出家の準備を進めていた。母が亡くなり後見人のいない内親王の女三の宮の行く末が気がかりであった。権中納言(夕霧)が独身の内に話をまとめておくのだった、太政大臣(頭中将)の長男である右衛門督(柏木)も有望だが若すぎる、結局六条院に預けるのがよいとなる。六条院は自身で朱雀院を訪ねる。その席で朱雀院は女三の宮を六条院に降嫁させるよう頼み込む。女三の宮は紫の上と叔母姪の関係でもあり、六条院は結局女三の宮との結婚を承諾する。第一の夫人であるが正妻ではない女王(紫の上)に対し六条院は不安に思いつつ報告する。安泰だと思われた紫の上の立場がより若い女三の宮の登場で揺るがされたのである。紫の上は女三の宮の母は叔母だからと承諾する。女三の宮の裳着の式(成人式)が執り行われる。正月の二十三日に玉鬘(尚侍)の発案で若菜の儀が執り行われる。六条院は玉鬘と再会する。二月に女三の宮は六条院に入る。だが、女三の宮は未だに雛人形で遊ぶような幼い少女であった。六条院は内心落胆する。六条院は女王(紫の上)との間で板挟みになりつつ女三の宮の許へ通う。女三の宮は凡庸で愛情が湧かない。朱雀院が出家、前尚侍(朧月夜)も朱雀院の許から離れる。六条院との間で危険な恋をした朧月夜だが、六条院が再び好意を寄せてきた。前尚侍は迷惑に思うが、結局関係が復活する。桐壺の方(明石の姫君)が懐妊し、六条院に戻ってきた。明石の姫君と対面した後で女王(紫の上)は女三の宮と対面する。十月に六条院の四十の賀で女王(紫の上)は法要を催す。帝は権大納言(夕霧)を右大将に昇進させ四十の賀の宴を催す。新年になり桐壺の方(明石の君)の出産が近づいた。祖母の明石の尼君は姫君の出生の真相を語って聞かせる。三月に桐壺の方(明石の姫君)は男子を出産した。祖父の明石の入道は夢に見た栄華の道が開かれたと満足し、深山に隠遁する。明石の君は出家したいと姫君に言う。右衛門督(柏木)は自分も女三の宮との結婚の芽があったことで忘れられずにいた。六条院を訪問、蹴鞠をして遊ぶ最中に偶然女三の宮の御簾が上がっているのを目にし、女三の宮の麗しい姿を目に焼き付けてしまう。右衛門督(柏木)は女三の宮に手紙を送るが、つれない返事であった。
……数えで十五歳になる女三の宮は未だ雛人形で遊ぶ幼い面の残る姫君だが、今でいうと発達障害的なものだろうか。藤壺の系譜に連なる女性であり、結局源氏もその点に惹かれてしまうのである。
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日本古典文庫「源氏物語」「藤のうら葉」を読む。宰相中将(夕霧)は内大臣が自分と雲井の雁の仲について折れようとしていると聞いていたが、昔の雪辱のために待っていたいと考えた。一方、雲井の雁は夕霧が他の恋人と結婚したら自分は顧みられないだろうと煩悶していた。そこで内大臣は自分が折れることにして、大宮の法要で極楽寺へ参詣した折に夕霧に声をかける。四月になって藤の花が咲いた。内大臣は宴を催して夕霧を招く。内大臣は藤の枝を折って夕霧の盃の台に置く。夜が更けて酒に酔ったので夕霧は寝所を借りることにする。頭中将(柏木)は夕霧を雲井の雁の許へ導く。その結果を聴いて光源氏も満足する。明石の姫君が入内することが決まって紫の上は上加茂の社へ参詣する。頭中将(柏木)が勅使となる。花散里や明石の君を誘うが誰も来なかった。夕霧は恋人の典侍に手紙を送る。紫の上は明石の姫君のお付に明石の君を付けるように源氏に相談する。まず紫の上が付き添って、それから明石の君が付いた。紫の上と明石の君が対面した。二人は友情を結ぶ。明石の君の存在が玉に瑕の様にも噂されたが、東宮は明石の姫君を寵愛する。源氏はもう出家してもよいと考える。源氏は準太政天皇の位を得た。内大臣が太政大臣となり、宰相中将(夕霧)が中納言となった。夕霧は祖母の大宮の住んでいた三条殿を修築して、そこに移り住む。十月に六条院に行幸があった。朱雀院(源氏の兄)もやって来る。楽が奏された。
……光源氏が39歳から40歳にかけての出来事で、当時の源氏が絶頂期にあったことを示す帖である。
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日本古典文庫「源氏物語」「梅が枝」を読む。十一歳になった源氏の姫君の裳着の式(成年式)をあげるために仕度する。東宮も二月に元服し、東宮に入内させる予定である。源氏は薫香を思い立つ。弟の兵部卿の宮が訪ねて来る。前斎院から香が送られてくる。奥方たちも香を調合する。内大臣の子の頭中将や弁少将も訪ねて来る。源氏は楽を奏させる。中宮のいる御殿の西の離れで式を催す。明石の君は参加できない。源氏が姫君を東宮に入内させることを聴いて左大臣や左大将は自分の娘を入内させるのを躊躇したが、それを知った源氏はそれでは張り合いがないと姫君の入内を遅らせる。源氏は夫人(紫の上)と仮名談義をする。源氏は宰相の中将(夕霧)たちに書道を競わせる。兵部卿宮が訪ねて来て書道談義となる。内大臣は源氏が姫君を東宮に入内させるのを聴いて何とも言えない気分となる。今となっては雲井の雁と宰相の中将(夕霧)の結婚を認めるべきだったか、今からでもこちらから折れようかとも考える。一方、夕霧の反応は冷静である。夕霧には他に恋人を作ろうともしていなかった。夕霧は雲井の雁に手紙を送る。
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日本古典文庫「源氏物語」「真木柱」を読む。玉鬘を巡る争いは右大将(髭黒)の勝ちとなった。冷泉天皇が玉鬘に興味を示しているため、光源氏はまだ公表しないように言う。源氏は残念に思いつつも実家(内大臣)も歓迎しているのだから(既に弘徽殿の女御が入内しているので)やむを得ないと考える。仮に帝の情人となっても第一の寵愛は受けられないのである。大将は夫人や子息への愛も消えかかっていた。大将の夫人は精神を病んでいた。それで父の式部卿宮(紫の上の父)は実家へ戻るように促す。大将は思いとどまる様に説得するが、雪の日に玉鬘の許へ通おうとした大将へ夫人は火入れの灰を投げつける。大将は夫人を疎んじる様になった。大将は玉鬘の許に入り浸る。大将と夫人の間には十二、三になる娘(真木柱)がいた。式部卿宮は夫人を実家に帰す。大将は源氏と内大臣の両方と強い関係があり、式部京宮もどうしようもない。式部卿宮は源氏が須磨に流されていたとき、冷たく接したため、源氏にはよく思われていなかった。大将は式部卿宮の許へ赴くが娘(真木柱)とは面会できず、二人の息子だけを連れて帰る。玉鬘は宮中へ尚侍として参内する。冷泉天皇が玉鬘の美しさを認める。それを察した大将は玉鬘を自邸へ引き取って出仕させない様にしてしまう。源氏は玉鬘に手紙を出すが、大将が返事を書く。十一月に玉鬘は男子を出産した。もしも皇子を出産していたらと兄弟の頭中将は思う。近江の君は源中将(夕霧)に戯れの声をかけ、夕霧は異なことに思う……という内容。
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日本古典文庫「源氏物語」「藤袴」を読む。光源氏や内大臣(頭中将)から尚侍になる様に進められていたが、玉鬘は冷泉天皇の情人となるのでは、そうなると中宮や女御との関係がどうなるかと煩悶していた。源氏もいよいよ思いを隠そうとしなくなっていた。大宮が亡くなって玉鬘は喪服を着ていた。中将(夕霧)が源氏の言伝をもって玉鬘の許に来た。夕霧は玉鬘への恋心を打ち明ける。夕霧は源氏と玉鬘の処遇について話す。夕霧は源氏が玉鬘を自分の情人にするつもりではないかと牽制する。玉鬘への求婚者たちは十月に尚侍として出仕すると聞いて残念がる。頭中将(内大臣の息子)は父の言伝をもって玉鬘を訪ねる。兄弟であるが玉鬘は宰相の君を取り次ぎ役にして会話する。髭の大将も求婚者の一人であって内大臣に意向を伝えていた。髭の大将には数歳年上の夫人がいたが愛していなかった。大将は玉鬘が出仕に積極的でないと知って女房に仲介役を頼む。玉鬘は兵部卿宮(源氏の異母弟)に手紙の返事を書く……という内容。
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日本古典文庫「源氏物語」「行幸」を読む。光源氏は玉鬘を妻として迎えると内大臣(頭中将)の婿となることを懸念して躊躇する。十二月に行幸があって六条院からも奥方たちが見物に出かけた。源氏は忌日で参加していない。玉鬘は父の内大臣の姿を見る。髭の中将も登場するが好感を持てなかった。源氏は玉鬘に宮廷に尚侍として出仕する様勧めていた。源氏は玉鬘の裳着の式を執り行うことを決める。裳の紐を結ぶ役を内大臣に務めてもらおうと考える。源氏は病気の大宮(葵の上の母)を見舞い、玉鬘の秘密を打ち明ける。大宮は手紙で内大臣に来るように促す。雲井の雁のことだと思った内大臣だが、大宮を見舞う。源氏は内大臣と旧交を温める。源氏は玉鬘のことを打ち明ける。雲井の雁と夕霧のことは言わない。源氏は中将(夕霧)にも真実を打ち明ける。裳着の式が終わった。内大臣の子息たちは玉鬘を姉妹と知らずに恋をしていたことを恥ずかしく思う。成人式が終わったのだからと兵部卿宮(源氏の異母弟)は求婚する。……といったことを令嬢(近江の君)が聞きつけて、自分も尚侍として出仕したいと言い出す。それを聞いていた女房たちは失笑する……という内容。
……育ちが悪く損な役回りの近江の君だが、運命に翻弄される源氏物語の女性たちの中では唯一ポジティブな性格である。ポジティブさが失笑を買ってしまう貴族社会だが、現代なら能動的な女性と評価されることもあるのではなかろうか。自分を客観視できない点で近江の君はおまぬではあるが、地頭自体は悪くないのではないか。
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日本古典文庫「源氏物語」「野分」を読む。中宮は実家に戻っていた。いつにない大きな野分(台風)が吹き荒れた。草木が倒れ、家屋に損害が出た最中、中将(夕霧)は偶然、女王(紫の上)の姿を認めてしまう。それは最上の美であると思われた。夕霧は父の源氏が紫の上に面会させない理由を悟った吾。夕霧は大宮(夕霧の祖母)を見舞う。息子の内大臣(頭中将)の扱いには配慮が欠けたところがあった。夜、夕霧は紫の上の面影が忘れられない。翌朝、夕霧は花散里の許を訪ねる。その後、中宮の女房たちと会話を交わす。源氏は紫の上に夕霧に姿を見られたのではないかと言う。源氏は玉鬘の許へ行く。夕霧が離れたところから会話を聞いている。玉鬘を異腹の姉だと思っている夕霧は二人の会話を奇異なものだと思う。また、玉鬘も美しいと思う。夕霧は妹の姫君の許に行き、手紙を書く。大宮のところへ内大臣が来て、娘の雲井の雁や近江の君のことを話す。雲井の雁はまだ許されていなかった……という内容。
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日本古典文庫「源氏物語」「篝火」を読む。光源氏は近江の君が失笑されるのに同情的だった。それを見て玉鬘はもしも自分が内大臣(頭中将)と会ったとして恥をかかないだろうかと考え、源氏への不安感が和らぐ。秋となり源氏は玉鬘に添い寝していたが庭の篝火が消えかけているのを燃やさせる。灯りで玉鬘の姿が浮かび上がる。いつまでこの状態なのだろうと源氏は和歌を読むが、玉鬘は人が不思議に思うと返す。内大臣(頭中将)の子息たちが来て笛を吹いていた。源氏は琴を弾く。玉鬘が姉だとは知らずに公達たちは奏でるのであった……という内容。
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日本古典文庫「源氏物語」「常夏」を読む。夏のある日、内大臣(頭中将)の子息たちが六条院を訪ねて来る。内大臣は消えた娘を探し、ご落胤として令嬢(近江の君)が探しだされていた。源氏は夕霧と雲井の雁との仲を裂いている内大臣に親友とはいえ嘆息する。源氏は玉鬘に琴を弾いて聴かせる。源氏の恋は動かしがたいものになっていたが、表面上はそれを押しとどめていた。玉鬘が自分の娘だとは知らない内大臣は玉鬘をけなず。内大臣は昼寝をしていた雲井の雁をたしなめる。内大臣は娘の弘徽殿の女御の許へ令嬢(近江の君)を置かせることにする。育ちの悪い令嬢は礼儀作法を知らない。令嬢は弘徽殿の女御に手紙を送るが、そのことで女房たちに失笑される。
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日本古典文庫「源氏物語」「蛍」を読む。玉鬘は養父である源氏が言い寄ることに苦しんでいた。源氏の恋から逃れるために兵部卿宮へ関心がある風に玉鬘は装う。兵部卿宮が玉鬘に会いにやって来る。源氏は蛍を几帳の内に放ち、玉鬘の姿が浮かび上がる。それを見た兵部卿宮は玉鬘に惹かれる。それから源氏は玉鬘の許へ立ち寄って兵部卿宮(源氏の異母弟)への手紙を書かせる。中将(夕霧)が役所の者たちを連れてきた。馬場で競技が催される。源氏は花散里の許で休む。玉鬘が熱心に小説を読んでいるのを見て源氏は小説談義をする。一方、中将(夕霧)は雲井の雁との結婚を許されないことを苦しく思っていた。内大臣(頭中将)は消えた娘のことで夢占いをする。
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日本古典文庫「源氏物語」「胡蝶」を読む。三月の花盛りの日、光源氏は六条院で船楽を催す。玉鬘が現れて以降、求婚者が絶えなかった。夕霧(源中将)は玉鬘と親しく話すようになっていた。内大臣(頭中将)の息子たちも自分たちの姉であるとは知らずに求婚していた。源氏は玉鬘に送られた恋文を読んで細々と教え諭す。源氏はそれとなく恋心を打ち明ける。玉鬘は何と答えてよいか分からない。紫の上はそのことを知って嫉妬する。その後、源氏はついに本心を明かす。玉鬘は己の薄幸さに煩悶するのだった……という内容。
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日本古典文庫「源氏物語」「初音」を読む。新春の元日、光源氏は紫の上と和歌を詠みあう。それから姫君の許へ行く。次に花散里の許へ行く。玉鬘には養女以上の感情があることを憶える。それから明石の君の許へ行き一夜を過ごす。翌朝、紫の上の許に戻ると、紫の上は不満を漏らす。新春の宴が繰り広げられる。それから末摘花、空蝉と訪ねる。男踏歌が催される……という内容。
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日本古典文庫「源氏物語」「玉鬘」を読む。光源氏が若い頃愛した女性の夕顔は六条御息所の生霊か何かにとり殺されてしまったけれど、頭中将との間にもうけた姫君(玉鬘)がいた。姫君は長い間行方不明だったのだが、実は乳母の小弐に連れられて九州へ下向していた。美しく成長した姫には男たちの求婚が絶えなかったが、田舎者と小弐は全て断っていた。小弐は誰にも嫁がせるなと遺言して亡くなる。そのうち大夫の監(げん)という豪族が熱心に求婚してきた。断るも求婚が絶えず、供の者たちと姫君は逃げるように京の都へと向かった。京の都で落ち着いた後、長谷の観音に参るが、宿で今は源氏に仕えている右近という昔馴染みの女房と偶然遭遇した。右近は源氏に姫君の生存を伝え、源氏は内大臣(頭中将)の許では肩身が狭いであろうと六条院に引き取ることにして花散里の許に置くのだった。それから春の衣装が六条院の奥方に配られた。
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日本古典文庫「源氏物語」「乙女」を読む。藤壺の一周忌があけた。賀茂斎院(朝顔)は再び源氏との結婚を振られるが、断ってしまう。源氏の息子(夕霧)が元服した。四位に付けることもできたが、源氏は敢えて六位に留め、大学に入れさせる。梅壺の前斎院が立后する。源氏は太政大臣となり、頭中将(右大将)が内大臣となった。源氏とは従兄弟の関係だが、負けず嫌いな内大臣は娘の雲井の雁を東宮に入内させようと考える。が、雲井の雁は共に左大臣の家で育っていた従兄の夕霧と恋仲になっていた。そのことを知った内大臣は怒って雲井の雁を邸に引き取り、夕霧から引き離す。夕霧を女官たちが評して源氏の息子ではあるけれど六位ではと言う。夕霧は落胆する。源氏は五節の舞姫を出すことになり、惟光の娘を選んだ。雲井の雁と引き離された夕霧は惟光の娘と恋愛しようと考えるが、惟光の娘は女官となる。源氏は六条に新邸を構え、そこに妻たちを移す……という内容。
……光源氏は妻選びにおいて面食いではないが、息子の夕霧は花散里との面会場面を見るに面食いである。
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島村恭則「民俗学(Vernacular Studies)とは何か」という論文をアクセス解析を遡って偶々見つける。欧米を中心に発展した文化人類学は植民地の支配する-支配される関係を背後にはらんでいるのだけど、この論文では覇権的と定義している。覇権というとヘゲモニーだろうか。一方、(自国の国民が自国の)民俗を論じる民俗学は対覇権主義的としている。文化人類学と民俗学は隣接する学問分野だけど、覇権主義的、対覇権主義的な違いがあるとの主張である。
大月隆寛が「民俗学という不幸」で民俗学の立場を理論構築等において文化人類学に劣位のものとしてコンプレックスを表明していたことを思い出す。
また、太田好信「トランスポジションの思想」では非西欧出身の研究者は出身国のインフォーマント(情報提供者)として期待されていて、理論構築からは疎外されていると指摘していたことを思い出す。
日本に於いては柳田国男が民俗学を発展させたが、柳田自身は民俗学を社会変動論(欧米産の近代化論のあてはめとは異なる内発的発展論)として構想していたと指摘している。ただ、柳田以降の研究者は「民俗」そのもの探求――本質主義的なといっていいだろうか――が主流になったとする。
1990年代に入って日本でもこの流れから脱却する動向が見られるようになったとする。「民俗」を研究する学問から「民俗」で研究する学問への転換と論じている。
世界的には一部の国でフォークロアという語を忌避する動きがあり、フォークロアに代替する語としてヴァナキュラーが用いられるようになってきたとする。土着のといったニュアンスだろうか。その中で日本は「ネイティブ・フォークロア」研究としての民俗学が確立している国だとしている。
柳田に戻ると、一国民俗学が世界的に発展し、やがて世界民俗学が成立すると論じているという。それは1920年代から1930年代にかけてのものであり、当時としては帝国主義の時代であり、机上の空論にすぎなかったが、時代が下り、各植民地が独立を果たして数十年が経過した現代ではネイティブが自国の民俗を語る世界民俗学の可能性が開けてきたと考察する。それはポスト・コロニアルで西洋中心主義的な学問体系に変化を促すものである。現代における「グローバル・ヴァナキュラー・スタディーズ」としている。「グローカル」という造語を用いる研究者もいるようだ。
なお、興味深いことに注釈で「メトロポリスの一現象である、アカデミックな『カルチュラル・スタディーズ』には(中略)、メトロポリスの言語に基礎を置いた、現在主義的で、個人的な政治信条以上のものがない」とスピヴァクという学者が指摘している。
<追記>
島村恭則「フォークロア研究とは何か」「日本民俗学」278号を読む。抽象的な議論に終始するので、ピンとこない点も多いが、この中で印象に残ったのは、ドロシー・ノイズが提唱する「ハンブル・セオリー」である。
ノイズは、フォークロア研究が開拓すべき「理論」とは、社会学や人類学や心理学が構築するような大理論(グランド・セオリー Grand Theory)ではなく、ハンブル・セオリー(Humble Theory 謙虚な理論)だという。グランド・セオリーは、グランド・セオリー自身のために「人間の本性、社会の本質などの巨大な対象を構築してしまう」。それに対して「大学の親密なる他者」としてのフォークロア研究は、「グランド・セオリーとローカルな解釈の『なかば』にあって、グランド・セオリーを批判する位置にあり、そこに立ち上がる理論が「ハンブル・セオリー」だというのである[ノイズ ニ〇一一]。(19P)
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日本古典文庫「源氏物語」「朝顔」を読む。賀茂斎院(朝顔)が職を辞して桃園の宮へ移ったので、源氏は叔母の五の宮を口実に斎院へ会いに出かける。光源氏は朝顔に歌を送る。斎院時代に源氏と噂になったことのある朝顔は逡巡しつつ返歌を送る。それを察した紫の上は不満を漏らす。源氏が再び桃園の宮を訪れると、朝顔に仕えている源典侍が現れる。好色な典侍を源氏はいなす。朝顔は若い頃、源氏との結婚話も持ち上がっていたのだが、朝顔はそれを拒んでしまった。源氏が二条院に戻って寝ると、藤壺が夢に現れた。藤壺は自分の犯した罪が他人に知られたと源氏をなじる。
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