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2020年4月10日 (金)

定義づけが困難――三浦秀宥「荒神とミサキ―岡山県の民間信仰―」

三浦秀宥「荒神とミサキ―岡山県の民間信仰―」を読み終える。この本は約500ページあるのだけど、読むのに時間がかかった。10ページずつちまちまと読んで何とか終わりまでこぎつけた。

タイトルにあるように岡山県の民俗を扱った本。やはり普通の民俗学者だと一県+αくらいが限界のようだ。元々は著者が発表していた論文を合わせて一冊の本にしたもので、その点で内容に重複が多い。

タイトルが荒神とミサキなのだけど、荒神信仰もミサキ信仰も全国に拡がっており、内容も様々であり、明確な定義づけは不可能な様である。基本的には守り神なのだけど、祀らないと祟る神でもある。ミサキは使令でもあって、神の眷属であり、その眷属が民を守護する(護法童子など)という信仰があるとのことである。

荒神信仰やミサキ信仰には修験の山伏が関わっているらしいのだけど、岡山県――備前・備中・美作の場合、鳥取県の伯耆大山に拠点を置く山伏の集団が影響を及ぼしていたとのこと。山伏の世界にも派閥があるようだ。

荒神神楽にも言及されている。著者は仏教系の大学を出ており、住職も務めている仏教系の民俗学者であるから、神楽に関しては石塚尊俊や岩田勝の方がより深化していると思われる。だが、見方を変えると、荒神神楽の背景にあるものが詳細に描写されていることになる。

僕自身は島根県石見地方の出身であるが、岡山県で見られるような荒神信仰やミサキ信仰は無いのである。僕は国鉄の機関士の子供であるが、本家は山持ちである。また、母方は農家であるが、このような習俗を目にしたことがないのである。石見地方も浄土真宗が強いらしく(うちは禅宗)、雑事雑修を拝すると言われているので、そういう習俗が発達しなかったのかもしれない。

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