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2020年2月16日 (日)

コノハナサクヤヒメと桜狩

◆はじめに
 天降ったニニギ命はコノハナサクヤヒメと出逢う。コノハナサクヤヒメは美人で、ニニギ命は求婚する。父の大山津見(おおやまつみ)神は姉の石長比売(いはながひめ)と一緒にコノハナサクヤヒメを送りだした。ところが、石長比売は醜かったため、ニニギ命は石長比売を送り返してしまい、コノハナサクヤヒメだけを妻とした。大山津見神は恥じて「姉妹を献上したのは、姉の石長比売と結婚すればその寿命は盤石であろうと誓約(うけい)したからだ。妹のコノハナサクヤヒメとだけ結婚したので、皇孫の寿命は桜の花が散るようにはかなくなってしまうだろうと呪詛した。それで天皇の寿命には限りがあるのだ。

 そしてコノハナサクヤヒメはニニギ命に妊娠したと告げた。ところがニニギ命は一夜で孕むとは信じがたい。国つ神の子であろう」と言ったので、コノハナサクヤヒメは誓約(うけい)して、生まれる子が天孫の子だったら無事だろうと言って産屋に火を放った。そうして無事生まれたのが火照命(ほでりのみこと)、火須勢理命(ほすせりのみこと)、火遠理命(ほをりのみこと)の三柱である。

 日本書紀の一書によると、ニニギ命はお前たちを試したのだと言い訳するが、コノハナサクヤヒメはうちとけようとしなかった……という内容。

 コノハナサクヤヒメの話型は世界に分布しておりバナナ型と呼ばれるのだそうだ。石とバナナでバナナを選んでしまったので人の寿命は短くなったという話型。

◆関東の里神楽
 石見神楽や芸北神楽ではコノハナサクヤヒメの神話は神楽化されていないが、関東の里神楽(神代神楽)では「笠沙櫻狩」という演目で神楽化されている。生憎と未見である。

「笠沙櫻狩」は2007年の横浜市歴史博物館の「里神楽の魅力と伝承」講演で映像が流された記憶がある。ちらりとだが。イワナガヒメがコノハナサクヤヒメに嫉妬するといった内容だと聴いたことを記憶している。

 佐相社中の「桜狩」の解説台本が入手できたので要約してみる。

~笠狭崎(かささのみさき見初めの場~
 オオヤマツミノカミがイワナガヒメとコノハナサクヤヒメを連れて笠狭崎で花見をする。酒宴となり、イワナガヒメとコノハナサクヤヒメが連れ舞を舞う。そこにニニギノミコトが登場する。ニニギノミコトはコノハナサクヤヒメに一目ぼれしてしまう。ニニギノミコトはオオヤマツミノカミに面会してコノハナサクヤヒメを妻に迎えたいと申し出る。喜んだオオヤマツミノカミはコノハナサクヤヒメに加えてイワナガヒメも差し出す。そうするとニニギノミコトの一族が花の如くに栄え、岩の様に永遠の命を授かると言って。オオヤマツミノカミは退場する。再び酒宴となるが、ニニギノミコトはコノハナサクヤヒメにばかり意識が向いている。そして手紙をイワナガヒメに渡し、オオヤマツミノカミに届けるように言う。不思議に思ったイワナガヒメは手紙をオオヤマツミノカミの許に届けに行く。ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメは館へと戻る。

~大山津見神の館~
 ニニギノミコトという立派な方に二人の娘を嫁がせたと一安心したオオヤマツミノカミは館に戻ってくる。そこへニニギノミコトから手紙を預かったイワナガヒメが帰ってくる。イワナガヒメはオオヤマツミノカミに手紙を渡す。手紙はイワナガヒメに対する離縁状であった。イワナガヒメはもう一度ニニギノミコトの気持ちを確かめようと二人の許へと向かう。イワナガヒメのただならぬ様子を見たオオヤマツミノ神はヒメを連れ戻すため随臣を呼ぶ。随臣はイワナガヒメの跡を追う。

~醜女(しこめ)~
 ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメが館に戻ってくる。酒宴が催される。そこにイワナガヒメが登場する。この恨み晴らさずにおくべきかと憤り、二人を呪いの藁人形で呪い殺そうとする。イワナガヒメは鬼女へと変じてしまう。そこに随臣が到着する。ニニギノミコトに事の次第を述べ、ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメを館から逃げさせる。そこに鬼女と化したイワナガヒメが襲いかかる。随臣とイワナガヒメの立ち回りとなって、斬られたイワナガヒメが引っ込む。随臣も跡を追って引っ込む。何とひどい事になってしまったと嘆くコノハナサクヤヒメ。ニニギノミコトに支えられて舞台を去る。

「桜狩」は未見の演目である。機会があれば見てみたい。関東の里神楽は幕間が長く、着付けと休憩とで約一時間くらい間があるので、三場演じるには半日かかってしまう。

◆古事記
 古事記の該当部分を直訳調ではあるが現代語訳してみた。

 ここに、天津日高日子番能邇々芸命(あまつひたかひこほのににぎのみこと)、笠沙(かささ)の岬で麗しい美人に逢った。そうして「誰の娘か」と問うたところ、答えて「大山津見神(おほやまつみのかみ)の娘で名は神阿多都比売(かむあたつひめ)、またの名は木花佐久夜毘売といいます」と申した。また問うて「お前には兄弟がいるか」と問うたところ、答えて「自分には姉の石長比売(いはながひめ)がいます」と申した。そうして「私はお前と結婚しようと思う。どうだ」とおっしゃったところ、答えて「私には申すことができません。私の父大山津見神が申しましょう」と申した。そこで、その父の大山津見神に結婚を乞いに(使いを)やった時に、大いに喜んで、その姉の石長比売を添えて多数の机に置いた(結納の)品を持たせて送り出した。そこでそうして、その姉はとても醜いので、見て畏れて返した。ただ妹の木花佐久夜毘売だけを留めて、一夜の契りを結んだ。

 そうして大山津見神は石長比売を返したことで大いに恥じ、申し送って「私が娘二人ともに献上した理由は、石長比売を使えば、天つ神の御子のお命は雪が降り風が吹くとも、常に岩の如く不変で堅固な岩の様にいらっしゃるだろう。また、木花佐久夜比売(このはなのさくやひめ)を使えば、木(桜)の花が盛んに咲くようにお栄えなさるだろうと誓約(うけひ)して献上したのだ。このように石長比売を返らせて独り木花佐久夜毘売だけを留めたために、天つ神の御子のお命は木(桜)の花のようにはかなくなるだろう」と言った。そこで、このために今に至るまで、天皇の寿命は長くないのだ。

 そこで、後に木花佐久夜毘売は参り出て「私は妊娠しました。今産むときに臨んで、この天つ神の御子は私事で産むべきではないので、申しました」そうして、「佐久夜毘売、一夜で妊娠した。これは我が子ではあるまい。必ずや国つ神の子だろう」とおっしゃった。そうして答えて「私が孕んだ子がもし国つ神の子であるならば、産むときに幸運でないでしょう。もし天つ神の御子ならば、幸運でしょう」と申して、ただちに戸の無い八尋もある(高い神聖な)建物を作り、その建物の内に入り、土で塗り塞いで、まさに産もうとするときに火をその建物に着けて産んだ。そこで、その火が盛んに燃える時に産んだ子の名は、火照命(ほでりのみこと)<これは隼人の阿多君(あたのきみ)の祖先だ>。次に産んだ子の名は火須勢理命(ほすせりのみこと)。次に産んだ子の名は火遠理命(ほをりのみこと)、またの名は天津日高日子穂々手見命(あまつひたかひこほほでみのみこと)<三柱>。

◆日本書紀
 日本書紀もほぼ同じ内容であるが、異同を見てみる。

 時に皇孫は姉は醜いと思い召さずに避けた。妹は顔が良い(美人)だとして、引いて召した。ただちに妊娠した。そこで磐長姫(いはながひめ)は大いに恥じて呪詛して「もしも天孫が私を斥けずにお召しになったら、生まれる御子の命の久しいことは、盤石の如く永遠に続いたでしょう。ただ妹だけ独りお召しになった、そこでその生まれる御子は必ず木(桜)の花の如く散り落ちてしまうでしょう」と言った。

一書に曰く、磐長姫は恥じ恨んで唾を吐いて泣いて「現生の青民草は木の花の如く急に移ろって衰えるでしょう」と言った。

一書に曰く(中略)そうして後に母の吾田鹿葦津姫(あたかしつひめ)は燃え残りの中から出てきて、(瓊々杵尊の許に)行ってとりたてて「私が生んだ御子と我が身が当然火の災いに当たったけれども少しも損なわれる所はありませんでした。天孫よ、おそらく御覧になったでしょう」と言った。答えて「私は元からこれは私の御子だと知っていた。ただし一夜で妊娠した。疑う人が有ろうかと思い、衆人(もろひと)に皆これは我が御子であること、並びにまた天つ神は一夜にして妊娠させることができることを知らしめようと思い、またお前は人知では計り知れない霊威があり、御子たちはまた人に優れた意気があることを明かそうと思ったのだ。そこで先日の嘲る言葉を発したのだ」とおっしゃった。

一書に曰く(中略)母の誓約(うけひ)は既に霊験あらたかであった。まさに知った。真に皇孫の御子であることを。そうだけれども、豊吾田津姫(とよあたつひめ)は皇孫を恨んで共にうちとけず言葉を交わそうとしなかった。皇孫は憂えて、歌を詠んで

 沖(おき)つ藻(も)は 辺(へ)には寄(よ)れども さ寝床(ねどこ)も あたはぬかもよ 浜(はま)つ千鳥(ちどり)よ

(我が妻は寝床を一緒にしようとしない)とおっしゃった。

……日本書紀では、大山津見神に代わって磐長姫自身が呪詛の言葉を吐いている。また、瓊々杵尊は最初から我が子だと分かってはいたのだと言い訳するが、木花佐久夜毘売は心を閉ざしてしまった……という結果となっている。

◆余談
 一夜にして孕むという展開は雄略天皇の時代にも起きる。采女の童女君(おみなぎみ)を召した雄略天皇だったが、童女君が一夜で孕んだことを疑い、自分の子であると認めなかったのだ。数年後、家臣の物部氏の諫言でようやく雄略天皇は自分の娘であると認める……というお話である。童女君とあるのでかなり若い年齢だったのではないかと推測される。一晩で七度とあるので雄略天皇は絶倫だったようだが、童女君は痛かったに違いない。雄略天皇だけは家臣から恐れられているイメージがあり、他の天皇とは違う印象を与えるが、こんなエピソードもあるのだ。案外、この雄略天皇のエピソードが神話に逆流したのかもしれない。

◆参考文献
・「古事記 新編日本古典文学全集1」(山口佳紀, 神野志隆光/校注・訳, 小学館, 1997)
・「日本書紀1 新編日本古典文学全集2」(小島憲之, 直木孝次郎, 西宮一民, 蔵中進, 毛利正守/校注・訳, 小学館, 1994)
・「口語訳 古事記 完全版」(三浦佑之, 文芸春秋, 2002)

記事を転載→「広小路

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