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2020年1月 8日 (水)

記述自体は平易だが――山内志朗「普遍論争 近代の源流としての」

山内志朗「普遍論争 近代の源流としての」(平凡社)電子版を読み終える。本質主義/構築主義の対立はスコラ哲学の実在論/唯名論にまで遡るということで、参考になるかと思って読んでみたが、記述自体は平易なものの、初学者で一読では難しかった。

電子版で読んだが、書籍版だと約480ページ。その内後半がスコラ哲学関係の学者名小辞典となっている。本文は4章まであるが、3章までが難解というところだろうか。

本質主義というのは不変のエッセンス(神髄)が存在するという立場だが、構築主義もそれが時代の潮流によって影響を受けているとするだけで、エッセンスの存在自体は否定していないだろう。

芸において神髄が存在していないという人は多分いないだろう。言ってしまえば個々の芸、スキルつまり下部構造を統括する上位のスキル、上部構造となるが、それが何層にも渡って形成されているのだろう。それは脳の神経回路というところにまで帰せられるか。それは個々人の持って生まれたセンスと経験によって獲得した何物かということになるか。

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