一人二役は無理――佐藤両々「カグラ舞う!」
月刊ヤングキングアワーズ3月号を買う。「カグラ舞う!」今回は土蜘蛛(葛城山)の配役が決定するまで。瞳が胡蝶と鬼と二役やりたいのだけど、真夏の暑い神楽甲子園では一人二役は体力的に無理と説得される。
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月刊ヤングキングアワーズ3月号を買う。「カグラ舞う!」今回は土蜘蛛(葛城山)の配役が決定するまで。瞳が胡蝶と鬼と二役やりたいのだけど、真夏の暑い神楽甲子園では一人二役は体力的に無理と説得される。
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◆はじめに
埼玉県久喜市鷲宮の鷲宮神社の土師一流催馬楽神楽の第八段「内外清浄杓身曾貴(ないげしやうぜうしやくみそぎ)之舞」は現在では「祓除清浄杓大麻之段(はつじょしょうじょうしゃくおおぬさのまい」と表記されており、天津神が地上に下って高天原に帰る際に川で身を清める舞だと説明されている。素面の二人による舞である。元は黄泉の国に下ったイザナギ命が地上に戻ってきて身の穢れを川の中流ですすいだことに由来しているとある。素面の二人による舞。二人とも杓、扇、鈴を持って舞う。
歌 大原や せがいやせがいの 水を手に汲みて 鳥は鳴くとも 遊びてゆかん さえ
◆武州鷲宮神楽資料
カタカナはひらがなに改めた。
第八 内外清浄杓身曾貴之舞 同巫女二人
此神楽は巫女二人にて舞なれとも、女に限らず男も舞ことあり。其故は伊弉冊尊薨(かく)御の時、伊弉諾尊諒闇に沈ませ玉ひ、其御心の迷汚(よこれ)をなおさんと、則日向の檍原(あわきがわら)の川の瀬に御幸なされ、中つ瀬に至り御身をすゝぎ清め、御心のけがれを清浄(あきらか)にあそばされしことを表す。仍て内外しやうぜうと云、忌服の義も是より起れり、兼邦卿百首の哥、たちばなの小戸のみそぎを始にて今も清むる吾身なりけり、惣て祓いは水辺にて行へきこと本式也、依て祓ひ洗ひ同訓也、しかれとも冷水にかゝるは却て不浄の意もあり、身曾貴は身をそゝぐ義なり、心さへせうぜうなればよきと云へは、天竺の教か扨(さて)河神は速秋津日神、速秋津姫神なり、爰(ここ)にて其狂れるをなおし玉ふ神を神道日神、次に大直日神と申す、此神楽は人々身の過を改むへき教にして、内外清浄なるは神の心なり、されば諸人日々己れが過を知て直すこと湯に入て垢を去るか如し。
◆余談
巫女二人による舞で華がある舞。最近では巫女さんが9名いるとのことで、二度舞われることが多い。
◆参考文献
・「日本庶民文化史料集成 第1巻 神楽・舞楽」(芸能史研究会/編, 三一書房, 1974)p.348
・鷲宮催馬楽神楽パンフレット
記事を転載→「広小路」
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◆はじめに
この舞は未見である。埼玉県久喜市鷲宮の鷲宮神社の土師一流催馬楽神楽の第七段「大道神宝三種神器事之段(たいどうじんほうさんじゅじんぎわざのまい)」はいわゆる三種の神器に題材をとった舞で、国を鎮護し守る神楽とされている。着面の三人による舞。一人は神璽(しんじ)事人といい、翁面をつけ、鈴と宝珠を持つ。宝剣(ほうけん)事人は千歳面をつけ鈴と剣を持つ。もう一人の内侍所(ないしどころ)事人はイザナミ命の面をつけ、鈴と鏡を持って舞う。」
大道とは天下を治める道のことを言う。
歌 神代より 三種(さぐさ)の宝 伝わりて 豊葦原(とよあしはら)の しるしとぞなる。
◆武州鷲宮神楽資料
カタカナはひらがなに改めた。
第七 大道神宝三種神器事之舞 同三人
大道とは天下を治る道を云、何を以ておさむるなれば三種を以て政道の根本とす、是にます宝なけれは神宝とは也(ママ) 天照太神より瓊々杵尊へ天下を御譲りなされし時、此三の宝を以て一天の君となし玉ふ 教(のり)良公の哥に、神代より三種の宝伝はりて、豊あし原のしるしとぞなる、爰(ここ)にて玉を持舞は櫛明玉神、是玉作の祖なり、鏡を持舞は天の糠(ぬか)戸神、これ鑑作の祖也。剣は天目一箇(あまのまひとつ)神、是金工の祖なり、三種とは曲玉、八咫の鏡、草薙剣なり、伝に云、此三種を智仁勇の三徳にたとふ、是みな物によせて道を伝へ玉ふ親切を味ふべし、玉は仁、鏡は智、剣は勇なり、是を一心にたもつ時は、天下平安におさまること、又天にとつては鏡は日、玉は月、剣は星なり、三光あるを以て天とし、三器つたはるを以て天子とし、三徳を守るを以て人とす、何れも国家鎮護の神楽なり。
◆参考文献
・「日本庶民文化史料集成 第1巻 神楽・舞楽」(芸能史研究会/編, 三一書房, 1974)p.348
・鷲宮催馬楽神楽パンフレット
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◆はじめに
この舞は未見である。埼玉県久喜市鷲宮の鷲宮神社の土師一流催馬楽神楽の第六段「八洲起源浮橋事之段(やしまきげんうきはしわざのまい)」は舞台中央に橋を置き着面の二人による舞である。イザナギ命とイザナミ命を表わす。八洲とは日本の総称で、イザナギ命とイザナミ命の国生みの神話を題材としたものである。イザナギ命は太刀を携え白形、扇、鈴を持つ。イザナミ命は月形、扇、鈴を持って舞う。
歌 妹(いも)と我と いるさの山の 山あららぎ 手なとりふれぞや 香をかをすがにや 香をかをすがにや
◆武州鷲宮神楽資料
カタカナはひらがなに改めた。
第六 八洲起源浮橋事之舞 同二人
八洲とは大八洲と申て日本の惣名なり、起源とは其国々の濫觴(はしまり)を云 則ち陰陽神天浮橋に立玉へて国を求玉ふ、是日本の起也、古哥 海原におのころ嶋のあらはれて今天皇(すめらき)を御代ぞ久しき、恐くも阴阳(いんよう)両神を表せし舞なり、橋は不通を通する義、陰陽感通の処を云、夫婦の道は互に志を通ずること、両岸隔たる処へ橋を渡して往来するが如し、仍て子孫繁昌、或は開運を祈るに奏することあり、哥に、渡り見し方こそなけれ久方の天の浮はしかけ初てより、兼良公云、天の浮橋は今丹後州(くに)天の橋立是也、ニ神其上に立故に其名を得と云云、丹後風土記云与佐の郡に家あり、丑寅に速石里とあり、其里に長大崎と云あり、長二千二百二十九丈広さ九丈二尺、是を天の橋立と云、伝曰く四海静謐(ひつ)なる時は通せざる所へ橋をわたして通路するが如く、兆民何の愁もなく、天下泰平なるかたち又日月の行道を表したる舞なれは尤可慎む。
◆余談
八洲起源浮橋事之舞はゆったりとした動きの催馬楽神楽の中でも激しい動きを伴う舞だった。
◆参考文献
・「日本庶民文化史料集成 第1巻 神楽・舞楽」(芸能史研究会/編, 三一書房, 1974)p.347
・鷲宮催馬楽神楽パンフレット
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◆はじめに
埼玉県久喜市鷲宮の鷲宮神社の土師一流催馬楽神楽の第五段「磐戸照開諸神大喜之段(いわとせうかいしよじんたいきのまい)」は巫女二人と翁の三人による舞。日神が岩戸に隠れて、その後岩戸から出てきて再び世の中が明るくなって、諸神、万民が大喜びしたという舞である。素面の鈿女命は五十鈴に青幣と麻をつけた榊と鈴を持つ。翁面を着けた手力男命は榊の枝をつけた白大幣に鈴を持つ。大宮女命(おおみやめのみこと)は鏡と白幣をつけた榊と鈴を持って舞う。
歌 千早ぶる 神の御室に ひきしめの 万代(よろずよ)かけて 祝う榊葉
◆武州鷲宮神楽資料
カタカナはひらがなに改めた。
第五 磐戸照開諸神大喜之舞 同翁一人・巫女二人
磐戸照開とは、日の神岩戸に隠れ玉へし時、思兼神遠く慮りて鈿女命に舞を奏(かな)でさせ玉ふ、是神楽の始也、時に日の神何故に如此えらくするやとのたまへて、岩戸をほそめにあけ御覧ありけれは、夜の明たる如く人々の面白々と照りけれは、諸神大に喜び玉ふと云ことを其儘題号せり爰に巫女(かんなき)二人交りて舞は鈿女命、大宮売(おゝみやめ)神、翁は手力雄男(たちからお)命を表してなり、榊に鏡を付るは神代に中つ枝ヱ(ママ)には八咫鏡、上(かん)つ枝には八坂の御統(みずまろ)、下つ枝には青幣をとりかけとあり、御統は玉のことなり、其玉を略してかたがたには鈴を付るなり、伝に云此神楽は昔し天照太神磐戸を出させさせ玉ふが如く、前段瓊々杵尊一天の君と成玉へて、御仁政を四方に施したまへは、万民大に喜びの眉を開くの意、今日に至りて、神孫正統し天下を照し玉ふこと又同じ義なり。
◆参考文献
・「日本庶民文化史料集成 第1巻 神楽・舞楽」(芸能史研究会/編, 三一書房, 1974)p.347
・鷲宮催馬楽神楽パンフレット
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京橋エドグランで催された垣澤社中の神楽を鑑賞しに出かける。東京駅で八重洲口と丸の内口を間違える。仕方がないので切符を買って抜ける。更に外に出て、京橋エドグランがどこなのかグルグルと回る。
文教大学の斉藤先生と合流する。一杯飲んで暖をとろうという話になって八重洲口地下街の居酒屋で飲む。日本酒を飲んだのだが、これで酔ってしまう。
能には仮面を付けたままでも声が通るようにする発声法があるとのこと。関東の神代神楽は黙劇なのでそれは無いとのこと。
京橋エドグランに戻ると、既に神楽は始まっていた。まず神前舞が披露される。次に本間、乱拍子、ニンバの曲に合わせて舞が披露される。
垣澤社中・神前舞
それからワークショップ(着付け、笛、太鼓など)が催される。が、酔っていて戦闘不能でトイレに籠っていた。
そして御祝儀三舞が演じられる。今回の三番叟は女性である。今回のテーマは「伝統と革新」。まず伝統として古典が演じられた後で、創作神楽が披露される。「IZANAMI」byカミクラナノメ。垣澤社中三代目家元の娘さんが、自分で演奏し、打ち込んだ音源を元に舞が披露される。イザナギ命と離縁したイザナミ命が黄泉の国から解放されて地上に戻ってくる。そして自分が生み為した世界や森羅万象の神々のために幸の舞を授ける……という内容。お神楽というよりは創作舞踊という印象だった。舞は順調に進んだが、最後にクモを投げるところが失敗したとのこと。
広島県の芸北神楽が最も現代的な神楽かと思っていたが、その先を見せられた感もある。
垣澤社中・御祝儀三舞・三番叟
垣澤社中・御祝儀三舞・獅子舞
垣澤社中・御祝儀三舞・大黒舞
垣澤社中・IZANAMI
垣澤社中・IZANAMI
垣澤社中には島根県出身の女性がいて、相模流の神楽を学んでいる人がいるとのこと。
京橋エドグラン側の責任者の方は笛を吹ける人だった。
帰りも酔いが残っていて、東京駅の方角が分からず、通行人に尋ねてなんとか東京駅に辿り着く。そこから地下の横須賀線、武蔵小杉でJRから東急への乗り換え(一駅分くらい歩く)、日吉で東横線から横浜市営地下鉄という形で乗り継いで、なんとか家に辿り着く。
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◆はじめに
この舞は未見である。埼玉県久喜市鷲宮の鷲宮神社の土師一流催馬楽神楽の第四段は「降臨御先猿田彦鈿女之段(がうりんみさきさるだひこうずめのまい)」である。五穀豊穣、国家安穏を祈る舞で、安産の祈願のために奉納したともいう。天孫降臨を題材とした舞で、猿田彦命と天鈿女命は後に夫婦となる。天孫である瓊瓊杵尊を迎える舞でもある。着面の二人による舞。猿田彦神は天狗面を着け、鉾と鈴を持ち、鈿女命は赤幣、鈴、扇を持って舞う。
歌 久竪の 天の八重雲 ふりわけて くだりし君を 我ぞ迎えし
◆武州鷲宮神楽資料
カタカナはひらがなに改めた。
第四 降臨御先猿田彦鈿女之舞 同二人
降臨とは前に段々国も固りけれは、よき君を立て、天下を治めんと、則日神皇孫に勅して曰、葦原千五百(いを)秋の瑞穂国は是吾子孫王(きみ)たるへき地なりと宣て、則瓊々杵尊日向の高千穂の峯に天降玉ふ道の衢(ちまた)に、鼻の高き眼は鏡の如くなる異形の神出て、自らを事勝国勝長狭と名のる、是猿田彦大神なり、時に鈿女命むかひて其故を問ひ玉ふ、後に夫婦となり玉ふ、爰に矛(ほこ)を持ち舞は、其山路の雲霧を払ひ、或は海河の浅深を試み、皇孫の先に立ち啓(みちび)き行玉ふ故に御先と云、哥に久方の天の八重雲振分て降し君を吾がむかへし、尤も此神は生れながら大徳を備へし故に、天孫くだり玉ふと聞と其儘迎奉り、皇孫に神籬(ひもろき)の奥秘を伝え玉ふ、智勇ばつくんと云べし、伝に云皇孫天上の玉座をはなれて降臨あると、人民母の胎内をはなれて出生すると、其義同しき故安産祈禱には此神楽を奏することある也
◆参考文献
・「日本庶民文化史料集成 第1巻 神楽・舞楽」(芸能史研究会/編, 三一書房, 1974)p.347
・鷲宮催馬楽神楽パンフレット
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◆はじめに
埼玉県久喜市鷲宮の鷲宮神社の土師一流催馬楽神楽の第三段「浦安四方国固之段(うらやすよものくにがためのまい)」は国を堅固にするための舞である。五行神楽で素面の四人による舞である。四人はそれぞれ句々廼智(くくのち)命、軻遇突智(かぐつち)命、罔象女(みづはめ)命、金山彦命を指す。四人がそれぞれ青、赤、白、黒の幣を持って右手に鈴を持って舞う。天候不順のときにこの神楽を奏してその神を祭れば、天候が回復すると言われているとのこと。
石見神楽で例えると、「四神」に相当する神楽か。
歌 高砂の さいさごの 高砂の おのやにたてる 白玉椿(しらたまつばき) 玉柳(たまやなぎ)
◆武州鷲宮神楽資料
カタカナはひらがなに改めた。
第三 浦安四方国固之舞 同四人
浦安は日本の惣名也、凡て神代より吾国を呼所十四名あり。扨(さ)て浦は海の片はらと云。 中略 政こと静なれは浦々島々まて安く平に治ると云うことの名也、天地四方をあはせて六合(くに)と云、其国を固めしは埿煮尊の神徳に仍て国土はなれるもの故に地も崩れず、前に天の理を示し、爰に地の理をあぐ、依て五行の舞を奏するは猶国を堅固にするの神楽なり、四方とは天の四徳、三光りの境地の惣名也、四時の循環するも神の徳たり、青幣(あおき)は東にかためどりて木の祖(おや)句々廼智(くくのち)命、赤幣(あかき)は南にして火の祖軻遇突智(かくつち)命、白幣は西にして金の祖金山彦命、黒幣は北に配して水の祖罔象女(みつはめ)命、中央に黄幣を立置は埴安姫命をかたどる是土を主(つかさ)どる神なり、此神四季土用に渡りて守り玉ふ故に、雪霜風雨順ならざる時は、この神楽を奏して其神を祭れは必ず其しるしあり。
◆参考文献
・「日本庶民文化史料集成 第1巻 神楽・舞楽」(芸能史研究会/編, 三一書房, 1974)p.347
・鷲宮催馬楽神楽パンフレット
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◆はじめに
埼玉県久喜市鷲宮の鷲宮神社の土師一流催馬楽神楽で第二段に舞われるのが「天心一貫神楽歌催馬楽之段(てんしんいつかんかくらうたさいばらのまい)」である。この曲は建築にあたっての清めの舞と言われている。素面の二人による舞である。一人は山雷神(やまいかづちのかみ)で、もう一人は野槌神(のづちのかみ)である。山雷神は榊と鈴を持ち、野槌神は篠と鈴を持って舞う。
歌 笹の葉に 雪降り積もる 冬の夜に 豊の遊びを するがたのしさ
◆武州鷲宮神楽資料
カタカナはひらがなに改めた。
第二 天心一貫神楽歌催馬楽之舞 同弐人
天心一貫とは天地通徹の神の理也、此神高天の原に在て天地と気を通し、万物を生育し、陰陽の切用を一貫きにするの義也、前に天地成就す、故に爰は神聖その中に生まずのぎ、天と云は地は其のうちにこもれり、是天御中主命の神徳によつて天も落る事なし、神楽歌は神秘なれは常は催馬楽を諷なり、今も禁裏におひて節会(せちえ)の時必す神楽哥を乙女奏すること也、催馬楽は古へ諸国より天子へ貢ものを馬につけさせてさゝぐる道すがらうたへし歌の由、豊年を祝すの意、猶伝授あり、此神楽に榊をもち舞は山雷(やまいかつち)神、竹を持しは野槌(のつち)神、是山野を守る神なればかく云なれとも、あなかち両神にかゞはる可は神楽の本意にそむくことあり、されはいつれも何の神の舞と定めぬがよきと国当申し置し、又榊竹は雪霜にもしぼまず、常はなるもの故、神事に用ること勿論なり、天神地祇を祭にも又同し社地に植おくこと也。
◆参考文献
・「日本庶民文化史料集成 第1巻 神楽・舞楽」(芸能史研究会/編, 三一書房, 1974)pp.346-347
・鷲宮催馬楽神楽パンフレット
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◆はじめに
埼玉県久喜市鷲宮の鷲宮神社の土師一流催馬楽神楽の最初の舞として舞われるのが「天照国照太祝詞神詠之段(あまてるくにてるふとのりとしんえいのまい)」である。素面の一人による舞。中啓(扇)を持ち、その後、中啓を幣と鈴とに交換する。天照国照とは天と地をわけへだてなく照らす、太祝詞は立派な祝詞という意味で、天岩戸で天児屋根命が詠んだ祝詞に由来するという。
歌 八雲立つ 出雲八重垣 妻籠めに 八重垣つくる その八重垣を
◆武州鷲宮神楽資料
カタカナはひらがなに改めた。
初段 天照国照太祝詞神詠之舞 舞壱人
此神楽は清陽なるものは薄靡て天となり、重り濁れるものは滝滞て地となるの意にて、天地開闢と共に一理の神明とゞまり、天上地下尊卑へだてなく照し玉ふ心、仍て天てる国てると云、太祝詞は天児屋根命磐戸の前にて神祝(ほさき)し玉ふに起しことにて、今祓の惣名とはなれり、中臣祓にも天津祝詞のあり、是を正義直授(じきじゅ)の祓と云、其心ざす所を神へ申上るを太祝詞と云、爰にて祝詞を読あぐる故に此名あり、神詠は素戔嗚尊出雲国にて詠じ玉へし和歌なり。是哥(まま)道の根元三十一字の始にして尤伝秘のあること也、是を唱るるゆへに神詠とは云なり、歌はうつとふると云訓にて、古今集の序にも力をも入ずして天地をうごかし、目に見へた鬼神をもあはれと思はせ抔(など)しるせり、夫吾国は神道を以て世を治め、哥道を以て民を救の階たり、崇べし尊べし
◆参考文献
・「日本庶民文化史料集成 第1巻 神楽・舞楽」(芸能史研究会/編, 三一書房, 1974)p.346
・鷲宮催馬楽神楽パンフレット
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昨日で阪神淡路大震災から25年が経過したとのこと。当時の僕は姫路に住んでいたが、アパートで寝ていて、最初の激震で目が覚めて背筋がぞっとしてしばらく布団から出られなかった。姫路は震度4強だったが、棚のものが幾つか落ちた。ただ引っ越しを控えていて荷物を段ボールにまとめていたので大した被害は無かった。
後で聞いた話だと、同期によると神戸市内では洗濯機が吹っ飛んだとのことであった。重心の低い洗濯機が吹っ飛ぶのは余程のことである。上司は死ぬかと思ったと言っていた。取引先の社長はちょうどトンネル内を運転中だったが、事故を起こしたかと思ったそうである。本社に務めている女の子は実家が焼失したとのことだった。
当日は出社したが、一日仕事にならなかった。神戸を通るルートが通れなくなったので、現在の加東市を通る372号線が代替ルートとなったのだけど、社町に狭隘な区間があり、そこで大渋滞を引き起こしていた。今地図をみると流石に一直線になっている。強制収容されたか。
営業で外回りしていると乗用車の後席に毛布にくるまった人が乗っていたのを目撃した。後で明石にいったが、新幹線の高架が崩落しているのを見た。また、神戸のポートアイランドは液状化で道がデコボコになっていた。
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今年は日付けをずらして帰省する。去年くらいからずっと頻尿気味で移動中に困る。
広島駅の回転寿司で生ガキを注文したところ、シーズン外なのですが、蒸しガキならできますとのことなので、蒸しガキを注文する。美味しかった。そういえば、高速バス、広島市内のルートが変更になっていた。でもやっぱり広島駅を出て高速に乗るまでに40分くらい掛かるのは変わらない。
浜田市の三宮神社で催された石見の夜神楽定期公演を鑑賞する。今回は岡見神遊座の「十羅」「大蛇」。かぶりつきで鑑賞する。今回はできるだけ肉眼で鑑賞する様心がける。浜田で「十羅」は珍しいと思うが、岡見は益田市の隣なので、そういう影響もあるのだろう。
浜田市・三宮神社・石見の夜神楽定期公演
三宮神社・拝殿内・ストーブで暖をとる
石見の夜神楽定期公演・岡見神遊座・十羅
大蛇を眠らせる酒は環日本海
大蛇にまかれるスサノオ命
発熱する。インフルエンザではなかったようだが、風邪薬を飲んで休む。今回は車も無いしあまり外出していない。行っても出雲大社浜田分祀まで。おみくじによると今年の運気は悪いらしい。慎むべし慎むべし。
益田市のグラントワで「富野由悠季の世界」展を鑑賞する。今回帰省した理由の半分がこれ。安彦良和氏の原画が印象的である。CGでは出せない味かもしれない。手書きの企画書などはちょっと離れていると読み難くて読み飛ばしたものもある。2ブロックに渡る展示で、見ているだけで疲れて椅子で休憩する。館員さんから大丈夫ですか? と尋ねられる。そんなに顔色が悪かっただろうか。途中で喉が渇いて喫茶店で休憩する。時間の都合で行きも帰りもスーパーまつかぜだった。
帰りはスーパーまつかぜで鳥取まで行き、そこからスーパーはくとで智頭線を通るプラン。ただ、乗り継ぎが悪く(実際、そんな客は滅多にいないだろう)二時間近く待たされる。この時も頻尿気味で困る。スーパーはくとは倉吉発だとは知らなかった。ただ、倉吉で時間を潰すより待合室のある鳥取の方が良かっただろう。智頭線は真っすぐでトンネルが多い印象。上郡についてから山陽本線を走るのだけど、そこからが意外と長い印象。岡山で乗り換え前提のやくもとは異なる。終点の京都まで乗れば良かったかと思ったが、新大阪駅は場内に有人のチケット売り場があって、一旦場外に出なくてもそのまま乗り継ぎできた。結果オーライ。新幹線で新横浜まで戻る。
山陰に帰省して思うことは冬の朝が暗いこと。横浜だと午前5時くらいには明るくなりだすのだが、浜田だとまだ暗いから早い時間だろうと思っていると、実は朝8時過ぎだったりする。
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山内志朗「普遍論争 近代の源流としての」(平凡社)電子版を読み終える。本質主義/構築主義の対立はスコラ哲学の実在論/唯名論にまで遡るということで、参考になるかと思って読んでみたが、記述自体は平易なものの、初学者で一読では難しかった。
電子版で読んだが、書籍版だと約480ページ。その内後半がスコラ哲学関係の学者名小辞典となっている。本文は4章まであるが、3章までが難解というところだろうか。
本質主義というのは不変のエッセンス(神髄)が存在するという立場だが、構築主義もそれが時代の潮流によって影響を受けているとするだけで、エッセンスの存在自体は否定していないだろう。
芸において神髄が存在していないという人は多分いないだろう。言ってしまえば個々の芸、スキルつまり下部構造を統括する上位のスキル、上部構造となるが、それが何層にも渡って形成されているのだろう。それは脳の神経回路というところにまで帰せられるか。それは個々人の持って生まれたセンスと経験によって獲得した何物かということになるか。
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鎌倉の鶴岡八幡宮にて行われた佐相社中の奉納神楽を見学に行く。鎌倉は三十年ぶり。鎌倉は横浜から意外と近かった。横須賀線で大船から二駅。ずっと藤沢経由になると思い込んでいた。しかし、未だに鶴岡八幡宮しか行ったことがない。
文教大学の斉藤先生と合流する。能は着面でも声が通るよう発生練習するとのこと。神楽ではしない(基本、黙劇なので)。
海外で生活していて東京に戻った中年女性と芸能人の方と休憩室でご一緒する。芸人とはあちこちに女を作る、自然とそうなるものなのだとか。笛は昔は結核になるから女性には吹かせなかったとのこと。
その他、外国人男性と結婚した中年女性と会話を交わす。たまたまこの日に鶴岡八幡宮にお参りしたら神楽をやっていたとのこと。
奉納神楽は禊三相(みそぎみっそう)、稲荷山、熊襲征伐(言いつけの場と新室楽[にいむろうたげ]の場)、八幡山、山神が10:30~16:30くらいにかけて演じられた。今回、幕間は比較的短かったのだけど、寒さで暖かい休憩室に避難していた。一月ということもあってかなり身体が冷えた。当日は小雨がぱらついたのだけど、本降りにはならなくてよかった。
禊三相・イザナギ命
禊三相・上筒男命
禊三相・中筒男命
禊三相・底筒男命
稲荷山・天狐
稲荷山・ウカノミタマノオオカミ
熊襲征伐・言いつけの場・景行天皇
熊襲征伐・言いつけの場・倭姫命
熊襲征伐・言いつけの場・モドキが倭姫の衣装を持ってくる
熊襲征伐・言いつけの場・小碓命と倭姫命
熊襲征伐・新室楽の場・熊襲建
熊襲征伐・新室楽の場・女装した小碓命
熊襲征伐・新室楽の場・熊襲建、従者のモドキに髪をカットしてもらう
熊襲征伐・新室楽の場・熊襲建、女装した小碓命から酒を注がれる
熊襲征伐・新室楽の場・酔い伏した熊襲建
熊襲征伐・新室楽の場・酔い伏した従者のモドキ三人
熊襲征伐・新室楽の場・勝ち誇るヤマトタケル命
八幡山・武内宿祢
八幡山・弓矢を持った神功皇后・しきみの舞
八幡山・急に産気づいた神功皇后
山神の舞
山神の舞
熊襲征伐、言いつけの場には小碓命の兄の大碓命は登場しなかった。八幡山では住吉の神は登場しなかった。代わりに神功皇后の従者のモドキ二名が加わっている。
佐相社中の笛は他所の笛とは異なった響きだった。具体的には裏音というかひいを多用しない。祭囃子で稽古した少年少女が神楽の世界に入るとのこと。
今回も写真撮影したが、拝殿の柱が太く、死角が大きかった。また、正面に置かれた棚が高く視界を遮り、ピントが棚に合ってしまった。GF2のISO感度を3200にしたまま忘れていた。
おみくじは末吉だった。
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◆はじめに
本田安次「日本の伝統芸能」に収録された九州の神楽に「三宝荒神」が幾つか収録されていた。そのうち幾つかには荒平の名が記されていたので、荒平の系統に属する神楽かもしれない。
◆銀鏡神楽
本田安次「日本の伝統芸能」第三巻に宮崎県の銀鏡神楽の荒神柴問答が収録されていた。神主と荒神の神道の知識を競い合う問答が中心となるが、これが神道流になった三宝荒神の最も進んだ形態と言えるのではないか。
唯一神道荒神柴問答
神主詞
維時(このとき)良辰(あした)に謹請再拝し俯伏して掛まくも畏き天照太神及八百萬の神達の広前に、恐み恐み申す
抑(そもそも)旧例に任せ、百種最上の神酒(みき)を備へ、三才の源を動かし、平けく安らけく聞しめせと申す。彼の三才の源と云は、混沌未分、一圑の元気陽気は清(すん)で登り、陰気は濁って降り、二つに別れて天地の位を定む。其の別るゝの初め、天に化生なる神を號(号)(なづ)けて天の御中主尊と申し奉る、是即ち天地の全体にして、本源の神明なり、天上の御中(みなか)にましまして天を主(つかさ)どりたまふ。是名有つて像(かたち)なし、天地自然萬化の源なれば、是を造化の神と云ふ。凡そ神道は天地開闢の本源を語るに理儀前後を論ぜず、神明を称して道の躰とす、亦理儀妙合して陰陽を道とす。天に在つては天の霊徳を称して天神の神号とし、地に在つては地の霊徳を称して地神の祗号(しんごう)とす。故(かるがゆへ)に神号を深く貴み、篤く重んじ奉り、神号によつて道を説く、大抵神道は天神唯一を以て語るに、天道を説いては人事に移し、人事を以て天道を配合す。神と人と亦唯一なり。是神道の要義にして、天御中主尊是れ神道の本源なりと承つて候
荒神怒つて曰く
抑(そもそも)汝は何者にて吾が御前に差寄せ、誰ぞとは怪しみ申すぞや、吾即ち天地陰陽不思議の始め、混沌の堺より天地和合の淳気をきざし、一霊の神姓既に像を成して、一大三千界をなす。新羅萬像悉くわが御前の所為にあり、三界の棟梁とは吾が事なり、汝事の所以早々申せ、聞ん
神主曰
されば今月今日吉日良辰を撰んで当社壇に於て天神地祇八百萬の神達を勧請し奉り、なかんづく当処鎮守大明神及今宮八幡太神宮、若宮大明神を専一に共敬し奉り、神代の遺法御神楽不信懈怠なく興行し、一天泰平四海静謐五穀豊饒の御祈祷を為し奉る折柄、御神明のかの柴榊に御出現ましまして御柴(みしば)をことゆえなく御免し下さるでござらふ
荒神曰
如何にも神主申さる通り、此の霊場に於て天津神地(くに)津神群処(あらゆる)諸々の神等及当処鎮守大明神、今宮八幡太神宮、若宮大明神均く専要(せんよう)に招請致され、神代の古風御神楽申さるの段殊勝千萬なり、是によつて朕(われ)柴榊(しばさかき)に示現を為す、神主願うる通り大願成就の段免し取らするであらうず、併(しか)しながら朕御前かの御柴に争い浮きたれば、柴榊の本儀一件悉く神主ひろめ申されよ
神主曰
然ればあらまし柴榊の義申し上ぐるでござらふ。夫れかの御柴とござるは、天照太神天の磐戸に籠り賜ふ節、御怒りを解き奉らんがため、天児屋根命、太玉命計略(はかりごと)を以て香護山の五百箇眞坂樹を根こじにして天磐戸の御前に植え、三種を餝(かざ)り(飾り)給ふとござる。上津枝には八坂瓊に曲玉を懸、中津枝には八咫の鏡を懸け、下津枝には青幣白幣を懸玉ふとござる。而して天鈿女の命、手力雄の神、思兼神及び八十(やそ)よろづの神たち御神楽を始め玉ふと承つてござる。かの御鏡及び曲玉青幣白幣を飾りたまふは如何なることを以て飾りたまふや、御託宣なされよかし、聴聞仕らん
荒神曰
如何にも神主よきところの不審なり。夫れこの三器を眞坂樹に餝(かざ)り(飾り)玉ふは、榊は寶(宝)器本記に曰く、四時凋(しぼ)まず、夏冬別て葉茂る故に眞坂樹の義あり、御鏡は日神の躰を表し、曲玉は月神の相を表す、宝剣は星宿の理を現はす、かくの如し、然るに第三青白の和幣の説異議あれども、本より幣帛を天津金木と称するときは金なり剣なり、是を以て御帯剣(みはかせ)をかけたまふとも謂なり、この三神三天の表相、なかんづく三通の頌文あり、神主演談致されよ
神主
御託宣殊勝千萬に聴聞仕り、御神徳のほど驚き奉つてござる。かの三天の表相、三種につき三通の頌文とござる。あらまし申上ぐるでござらふ。夫れ曲玉は仁恩淳和の徳を表す、御鏡は清明神通の徳を表す、御剣は正直決断の徳を表す、一書(あるふみ)に曰く、皇天(すめらみかど)盟て宣く、八坂瓊の曲玉の如く妙なるを以て御宇(くに)ををさめ、まつた眞経津(まふつ)の鏡の如く分明(あきらか)なるを以て山河海原をみそなはす、則ち霊剣を携へて天下(あめがした)を平げ、萬民(をたから)をかゝやかせよと言寿(ことぶき)たまふ、かくのごとくでござる。さてまた三種神宝につき三箇の御神詠ござると承つて御坐る、事の序でに御示し下されよかし、用心仕りたふござる。
荒神曰
尤もの願ひ、信心千萬に思ひはんべる。まことに甚深微妙の神歌なれども、吟じ授くるであらうず、慎んで聞得(もんとく)召されよ
神霊 憐みの深きこゝろの玉なれば 天の御孫にそへて降しつ
宝剣 これはまた国を治むるしるしとて 同じ御床に奉りきや
内侍所 宿すかげ一つの塵も残らぬを こゝろにせよと送る鏡を
かくの如くかの御神詠を唱ふるときんば、天人地三歳ともに清明にして、国家泰平ならん、神代のむかし、太神(をんがみ)の御慍(いか)りをやすめたまひて再び溫(温)潤の仁徳を以て天下泰平ならむ。また八咫の鏡の如く明かに照り給ひて、諸神のねんごろにのみ祈り給う心をみそなはし、鈿女の命は茅(ちまき)の矟(ほこ)を以て戯れ舞ひ遊びたまひしもこの所以なり。今託宣して、日神の至徳を讃嘆するもの也。また三種を三歳に配当したる融通の神語あり、神主演説申されよ
神主曰
御託宣ありがたく得心仕つてござる。然れば三歳和同の神語、天人地配当の訣(わけ)あらまし申上ぐるでござらう。曲玉は水徳にして一靈(霊)の元、これ天也、御鏡は陽物火徳にして土を生ず、これ地也、青白の幣帛(にぎて)を一津(ひつ)にかけたまふはこれ陰陽の躰、人倫の運命にして、魂魄はこれ也、かるがゆへに日月は天地の魂魄也、魂魄は日月二神の霊姓なり、本文に曰く、元気圓(円)満神変加持、一礼感応神通加持、清明成就神力加持、三歳和同の神語かくの如し、怠慢なくかの神語を唱ふるときんば、元気萬世に享通して絶えず、一霊末世に阜(ふ)然たり、性命は天地山海に均しく、草木器財まで時をたがへず、人物も断絶せず、是神道の太極也と承つてござる。また柴と云ふは三種の題号、榊の題目なり、譬へば歌の言葉に、久方とは天と読む枕詞、神とは千早振、柴とは榊の異名を申すでござる。最早御柴の義大概相済んでござれば、御免し下されよかし、大願成就仕りたふござる。
荒神曰
成程殊勝なり、神主恭敬再拝して祝詞申されよ。朕(われ)御前託宣を以てゆるしとらするであらうず
神主祝詞曰
然れば祝詞申し奉るでござらふ。掛巻も綾に畏こき天照太神を根本の御𨕫(しめ)に勧請法楽奉り、古例に任せ、種々の礼奠(れいてん)を備え、御神楽を奏し、天津祝詞太祝詞の言(こと)を以て称辞竟(お)へ奉る、彌々一天泰平四海静謐、風雨順時五穀豊饒、別而は今日の本願主 藤原重好公御家内均しく御廷寿生福、御子孫繁栄、上下一繞、寿は亀鶴よりも永く、栄は松柏に論じ、惣屋安穏、常磐堅磐に守護り幸へ賜へと惶み惶みも申す。
荒神曰
抑々(そもそも)汝能く聞け、自己の心を観ぜざる故に、或は鬼神の猛形と現じ、一切の苦患を觸(触)れ行ふことぞかし、また正直淳和にして自己の心を祭る時は、智福自在にして、諸願成就の徳を与えん、汝恭敬するところの殊勝によつて、終にゆるしとらせん
榊葉をいつの時にか植初めて
神主曰
天の磐戸の口となるらん
柴問答 終
※旧字体を一部新字体に改めた
神道荒神綱問答
神主曰
今年今月今日吉日良辰(あした)を撰み、新たに斎潔無礙の道場を構へて、天神地祇を請入し奉り、御注連を八針にとりさいて、天津金木を御神屋にかざり、種々の礼幣を備え、五大所成の霊壇、三十二相八々の変神天地一圏に荘厳し、終夜宴楽(とよのあかり)を奏し、内外清浄の玉籤を取り、祝詞し稱(称)辭(辞)竟(お)へ奉るところに、忿怒極悪の形相にて浮き立まします神明、幽明事理、神祇正伝、業統の極意、千里の神交、符節を合するが如く、御託宣精微を以て暁(さと)し給へ、慎んで聴聞仕らん
荒神曰
殊勝なる敬白古今に獨歩する、神主肅然たり、まことに吾が神道の大底は正直なり。正直を體(体)認して意念の煩を去り、清浄豁(かつ)達なるときんば皥(さわやか)に、皥なるときんば熙(いちじるしく)して天地同根、萬物一体となり、神明(かみ)と人倫(ひと)と和楽す、故に神秘不測(ふしぎ)を悟らずといふことなし、目に經(経)(ふれ)て意(こころ)に達し、口に誦して坦明なり、譬ば時雨の化するが如し、事の所以早々申し聞かん
神主曰
神主固より浩渺(びょう)にして解し難し、ひそかに以て是を痛み申す、誤を正し、教を下し玉へ、されば大願成就として舊(旧)例に任せて御綱を飾り奉ってござる、御綱を事故なく御免し下され、まつたかの御綱の本儀こまやかに、事相のわけ一々御示しなされよかし、大願成就仕りたうござる。
荒神曰
如何にも神主、尤もの願ひなり、あらまし御綱の儀、演(の)べ聞かせん。夫れ綱と云つば、序でを絶へず、次第々々に相續(続)(つ)ぐを綱と云ふ。太祖伊弉諾伊弉册尊滄溟を國(国)となし、瓊矛を以て自凝嶋(をのころしま)に降りまして共に夫婦となりたまふ。これ形体の上にて交合(まくばへ)の道自然に出て人爲(為)の私に非ず、天地陰陽の理是甚深の意味、猶口授祕(秘)訣あり、よつて天下の主宰政を修めたまふ、寶(宝)祚窮(きわま)りなく、聖業日月に配し、鬼神(神)をもとめ、神道の根元、綱の極位是也、さてまたこの兩(両)頭龍神の儀、神主演説申されよ
神主曰
御託宣聴聞仕り、神秘不測の御綱驚き入り奉つてござる。誠に五百名世の御示現、億兆として躋(せい)壽(寿)の夢を覺(覚)し、煩惱(悩)の塵埃を斷(断)じ、一旦(しばらく)これをさしをく、聊(いささ)かわが神道宗源の奥儀極め難し、猶顕露(あらは)の事幽冥(かくれ)たる事、誠に深い哉、何れ両頭の明鏡に向ふが如く示し受け申さん
荒神曰
然らば一通り示すであらう。去ればこの両頭龍神といつぱ、かの彦龍命、比咩龍命の両躰なり、則ち變(変)化するときんば陰魄(はく)陽魂と現じ、或はまた難陀跋難陀と示現する所也、すべて変作無量無邊(辺)の躰也、然ればこの両儀本文に曰く、太陽龍王は伊弉諾尊の変化神なり、大陰龍王は伊弉册尊の変化神なり、かの両儀の棟梁朕(われ)御前にあり、神主思慮のほど申されよ
神主曰
去れば右両神の御変作無量の神躰、就中此の霊場に於て両頭龍神とあらはれ給ふ事不審に存じ奉る、併(しか)しながら、伊弉諾伊弉册尊の変作の霊と承るときは、この両神は生死清濁のはじめ、一切萬行の根元、とりわけ男女(みとの)和合(まくはへ)を初めたまへば、これ則ち生死のはじめと存じ申す、まつたこの綱に於て、三津の津奈と云ふ傅(伝)へござる、かの三條の儀、御託宣ましませかし、聴聞仕りたふござる
荒神曰
いかにもその意儀さとし難し、神主辭(辞)して朕(わが)御前に需(もと)めらるに於ては、私情にこれを説く、かの三品の綱と云つぱ、天人地三才に亘つて妙術あり、人に有ては三業三熱の起源なり、人倫もし心念清浄にして三毒の穢なき時は、神明に通和し、天の三光に融通するもの也、これ則ち変通力の三妙是にあり、三元自らあきらかなり、然れば常住不変の神躰といふかくの如し
神主曰
御綱の霊験掲焉の儀、御託宣聴聞仕り、邪談妄雑をはらひ、安心仕つてござる。さてまた御綱切断の儀式あり、その所以一々御示し下されかし、則ち御綱切断仕り、大願成就仕りたうござる。再住の願に任せ、事故なく御ゆるしなされよかし、綱切断仕り、大願成就仕るでござらう。併しながら古今希なる御出現なれば、切断の儀微細に御示し下され、聴聞仕るでござらう
荒神曰
神主再住の願によつて、秘訣ながら殊に恭敬法樂(楽)せらるの段殊勝に思ひ侍る間、切断の儀あらまし示し聞するであらう。夫れ切断と云つぱ、最初両頭につき三業三熱三段の儀相濟(済)たれども、未だ凡意煩悩の氣(気)綱離れ難し、切れ難し、よつて切断の儀願ふるところ尤も也、先づ神主、三業の頌文を解せられよ
神主曰
成程御託宣御尤もに存じ奉る。三業の頌文とある上は、唱え奉るでござらう。身業清浄拜(拝)供印口業清浄読誦唱意業清浄觀(観)念相かくの如くでござる。かの頌文を以て礼拝恭敬するときんば、その功徳に依て一切の業因煩悩を離れ、是等の業識離るるときんば、生きては楽しみ、死しては神なり、加之(しかのみならず)、聖祖の考神宗源の暉(ひかり)を重ね、明徳を積み、洞天の禍(禍)を治め、長鯨爪牙の災孽(げつ)なく、一天安全ならん、最早切断の儀示し下されよかし
荒神曰
いかにも神主、願ふる通り此上は切断の儀示し聞せん。夫れ祓に曰く、朝の御霧夕の御霧を朝風夕風の吹拂(払)ふことの如くとあり、誠に雲たなびき重るといへども、風しきりに吹ときは忽ち跡形もなく吹払ふて、清天白日顯(顕)れ、これ風神の妙徳なり、また凡天の心に妄念の雲、胸中に充ち、暫時も明かなることなし、然れども自己の神は天御中主尊と同根なり、更に業識何かあらん、よつてもう妄相の雲忽ちに消失せん、かくの如し。綱切斷(断)劒(剣)の威徳を神主申せ、聞ん
神主曰
然らば素懐愼(慎)まず申し演(のべ)ん、夫れ形體(体)兼備するものをば眞(真)剣を以て切断し、人意猛志邪念をば理剣を以て切断す、これをまた利剣智剣とも申すなり、夫れ祓に曰く、繁木が本を燒(焼)鎌の敏鎌を以て打払ふことの如くと御座る、焼鎌は真剣、敏鎌は智剣なり、譬ば繁れる山林の草木を真剣を以て切払ふが如く、人の心中の惡(悪)念妄想の繁気をば智恵の眼を開き、智剣を以て切払ふ、かくの如くなるときんば、妄想のたなびくことなく、必ず丹心潔白成らん、最初より切断の儀、條數(数)の御託宣承つてござれども、此上切断決定の極位聽(聴)聞仕りたうござる
荒神曰
いかにも神主申さる段神妙なり、切断の問答数箇條と云へども未だ九牛の一毛にして有增(増)の事なり、然れども願に任せ、切断をゆるし、切断決定の神詠を授けん、歌に曰く
思ふ事皆盡(尽)(つき)ねとて麻の葉を切々切りて流れつるかな
身は社 己が心を神としれ あらためてまた餘(余)處(処)な尋ねそ
礒の神ふるの木綿(ゆたすき)かけまくも 国を治むる剣なりけり
神主曰
御示を受け得心仕つてござる。然れば伊弉諾伊弉册の両神御出生なされて、初めて夫婦となり玉ふ、これ天下の男女夫婦婚礼の初め也、天地開闢し、陰陽二気変化和合して人物生ず、二神其の道理を見給ひ、人は夫婦の別なく好合の道なければ父子兄弟なく、誰か子兄弟という別なければ人倫明かならず、禽獣(きんじゅう)同然なり、然るを二神先づ夫婦の礼を立賜ひ、天下の人々を教へて夫婦配偶の礼儀を立てゝ男女の道戲(戯)れ亂(乱)れぬ法を立教へ玉ふ所以也と承つてござる、この二柱の神の敎(教)に依つて天下の人倫を正し玉ふは如何か、聴聞仕らん
荒神曰
殊勝なり惣じて神道は陰陽流行を以て道とす、天地の間日月星辰風雨雪霜寒熱の所作山川草木に至るまで、一物として陰陽の所為に非ずといふ事なし、この陰陽を則ち未生の伊弉諾伊弉册尊と云ふ。陰陽の精霊化生して、躰生の神と成つて出現し玉ふを人躰と云うて可なり、己生の伊弉諾伊弉册と宗統なり、天地の功用を為し始めて大八洲を開き萬民の安居を定め、衣食の用を足はし、夫婦父子君臣五倫の道を建てたまふ。その神の功、あげて計(かぞ)ふべからず、是を以て吾国に生るゝ人は、貴賤上下均しく二尊の神恩を貴み敬はざる事なし、朕(われ)御前託宣をなし免しとらせん
神主祝曰
掛巻も畏き陰陽二(ふたはしら)の神を始め奉り、天照太神を根本の御𨕫に勸(勧)請し奉りて、山川海原に群生種々の礼奠(てん)を備へ御神楽を奏し、天津祝詞太祝詞を以て稱(称)辞竟奉る。殊にまた貴賤老若均しく群集し祝禱(祷)(はぎいの)り奉る、これによつていよまし一天泰平四海靜(静)謐風雨順時五穀豊饒、別しては今日の大願主(誰名)延寿生福子孫繁栄、寿は亀鶴よりも永く、栄は松拍に倍し、壹(壱)統安穩(穏)常磐堅磐に守り幸へ賜へと恐れみ恐れみも申す
荒神曰
如何に汝よく聞け、自己の神を観ぜざれば則ち正直の本源を失ふことぞかし、故に神明の心穢き時は、鬼神の妄形と現じ、毒蛇の三悪をなし、一切の苦患を流行す。亦正直淳和にして、自己の神明を祭り、神心清く潔きときんば三毒の邪念を切断し、或は智福自在にして大願成就の徳を與(与)へん、今汝尊敬する事殊勝千萬なり、これによつて終に免し取らせん
千早振るわが心より成す業を
神主曰
何れの神か余処に見るべき
綱問答畢
◆参考文献
・「本田安次著作集 日本の伝統芸能 第三巻 神楽Ⅲ」(本田安次, 錦正社, 1994)pp.183-196
・「新・神楽と出会う本 歌・楽器・お囃子」(三上敏視, アルテスパブリッシング, 2017)
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◆はじめに
広島県比婆郡東城町戸宇の栃木家蔵本に収録された「金ノクヨウ(鐘の供養)」は、紀の国牟婁(むろ)郡日高の住持が鐘の供養を行おうとするが、そこに白拍子が現れ、強力に供養の聴聞に来たと告げる。強力は女人の結界が張ってあるからと断る。それでも白拍子はそれなら我が舞を見よと舞う。強力は断ることができないが、鐘は誇らしげな白拍子を打ち据える。その鐘はかつて蛇体となった姫を成仏させたものだった。白拍子は住持に説得されて都へ帰り、鐘の供養は成る……といった内容である。同じ寛文本の「熊野の日高の鐘巻の子細」の後日譚の様な形となっている。
◆寛文本
「金ノクヨウ(鐘の供養)」に手を入れてみた。詞章が崩れて意味がとれない箇所はそのままとした。カタカナはひらがなに改めた。
金ノクヨウ(鐘の供養)
一 身(み)を捨(す)てて菩提(ほたい)を求(もと)むる行(きやう)人も 小笹(をさゝ)の露(つゆ)に濡(ぬ)るる衣(ころも)かな
一 抑々(そもそも)御前に罷立たる愚僧(ぐそう)は何成出家とや思召(をぼしめ)す 是(これ)は紀(き)の国の牟婁(むろ)の郡(こうり)日高(ひたか)の住持(ちうぢ)とは拙者(せつしや)が事にて候
一 然(しか)れば此(こ)の寺の鐘(金)を鋳(い)させ候が 未だ供養(くよう)申さず候間 程(ほと)なく供養整えばやと存じ候 如何に新発意(しんぼつ)この由を披露(ひろう)申や
○承りて(うけ玉わりて)候里(さと)に出 この由鐘(金)の供養の聴聞(ちやうもん)に参給え(玉へ) 然れども 女人は結界(けつかい)と申けるに 都(みやこ)より白拍子(しらびやうし)此(こ)の由聞きて供養の(くよう)の聴聞(ちやうもん:長文)に参り候 この由を強力(ごうりき)見るより 早く咎め申せば 時(とき)に白拍子(しらひやうし)と云(ゆ)う女人とは 我が身わ定(さた)め無しとて 水干(すいか)に鎧(よろい)立烏帽子(たてえぼし)白金にて蛭巻(ひるまき)したる刀を差し 都(みやこ)方の男の舞(まい)と名付て 只見せて給われ(玉われ)と申ける時に強力(ごうりき)力に及(をよ)ばず さらば一目(ひとめ)見て早く帰(かヱ)れと申しける時に白拍子(しらひやうし)誇りて金を拝みければ 彼の金は空より降りて かの白拍子(しらひやうし)を打ち伏せるなり これはいかがども住持(じうじ)にこの由を申は 住持(ちうじ)宣(のたも)うはこの寺に置き文(をきぶみ)ありしを見るに 其の昔マナゴの長者(ちやうぢや)が娘この寺に参り候を祈て蛇体(たい)を逃れて成仏なしてあると書物(かきもの)の有り あれをも 焼(しやう)真言を以て祈に本(もと)の都に帰(かヱ)し可申と宣う(の玉う) その時御僧立ち帰り宣(の玉)へば 金(鐘)連ねどもしゆ女をに上(あ)がるなり 白拍子(しらひやうし)は御僧たちを拝み本の都に帰(かヱ)り申も 焼(しやく)真言の功力(くりき)なり 其の時金(鐘)供養(くよう)の文きに曰く且之思くと付けん菩提(ぼたい)と見たりとて 諸行無常是生滅法生滅巳寂滅為楽と唱(とな)えて 金(鐘)の供養成就(ぢやぢう)申か
◆参考文献
・「日本庶民文化史料集成 第1巻 神楽・舞楽」(芸能史研究会/編, 三一書房, 1974)pp.188-189
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◆はじめに
広島県比婆郡東城町戸宇の栃木家蔵本に所蔵された「クマノノ日タカノ金マキノシサイ(熊野の日高の鐘巻の子細)」は道成寺に似た話で、ある長者の許に姫が一人いた。姫は成長するに従ってある山伏を自分の夫と思い込む。そのことに気づいた強力はその気がなく日高の川を超えて逃れる。蛇となって追ってきた姫だが、山伏は日高の寺の鐘の中に身を隠した。姫は蛇体で鐘を七重に巻き、鐘を砕いてしまった……という内容である。
◆寛文本
「クマノノ日タカノ金マキノシサイ(熊野の日高の鐘巻の子細)」に手を入れてみた。詞章が崩れて意味がとれない箇所はそのままとした。カタカナはひらがなに改めた。
クマノノ日タカノ金マキノシサイ
一 旅(たび)の衣(ころも)は篠懸(すずかき)の露けき袖を絞るらん
一 抑(そも)御前に罷立たる愚僧をば 如何な僧とや思召(おほしめ)す これは諸国一見(いつけ)と心掛(が)くる行人に御座候 それいかようの迷(まよ)いの衆生罪(さい)人に 業(こう)人にある所を助(たす)け浮(う)かべんが為なり それいも(芋か)山長者(ちゃうぢや)が本(もと)に宿を取り仕り候 然れば宿(やと)に歳三歳程(ほと)なる姫を一人持(も)ち候(そろ)えば 毎年(まいねん)もて遊(あそ)びの土産(みやけ)を取らせ候 次第に成人(せいじん)し十ニ三の時に父母に向(む)かいて申ける あの御山伏は何処(いづく)の人ぞと申ければ 父母一人(ひとり)子の寵愛(ちやうわい)の余り言葉にあれば姫(ひめ)が夫妻(ふさい)よと申けば 姫わ真(まこと)と思(をも)い 又其の以後(いご)某(それがし)泊り申 夜中の事なるに 姫わ強力(こうりき)に近づき 密かに申けば あの御山伏は姫をば何時で親(をや)に預(あつ)け給う(玉う)ぞと申けば 強力(ごうりき)ははつたと合点(けてん)申 さて密かにこの由(よし)を愚僧に申ける さてさて現世(げんぜ)は夢(ゆめ)幻(まぼろし)の如く 又は娑婆(しやば)の奔(はし)るにも譬えたり 未(み)来速やかに成(ちやう)仏と心掛くる仏体(たい)の拙者(せつちや)に 女房(ぼん)の心掛くるわ是非に及ばず 然らばや問え暇(いとま)乞(こい)申 夜深(よふか)くに出可申 急(いそ)ぎ参れや強力(こうりき)それ日高(ひだか)の川に着き急(いそ)ぎ 大河(が)を渡(わた)りてそれおもん見るに姫(ひめ)わ右の父母の言葉(ことは)を本と思(をも)いて 早(はや)追(をつ)かくると見え候
脇立より忍びて見候へば 渡(わた)りに参りて 上下ヱ揺(ゆ)らされ悩(なや)む心が はや大蛇となりて追(をつ)かくると見え候 然らば愚僧は日高の寺に参て住持(ぢうじ)を頼(たの)み この由を申頼(たの)みければ その時撞(つ)き金を下ろし彼の内に御弟子(みでし)隠れ給(玉)を 姫わ程なく追(をつ)かけ参 住持(ぢうじ)は立出でそれマナゴの長者(ちゃうぢや)の姫と見えてこの寺に来るは不思議とて咎めける
○さん候 御山伏を見送(をく)りて参りて候が 撞(つ)き金は釣りて本に御座候は不思議(ふしき)に候
○さん候 ほをきやうし(法教旨か)再建立(さいこんりやう)の為下ろして候 不審(ふしん)あるまじく候
しかしながら自(みずか)らめくり見申とて 七重(なゝヱ)に身巻て尾はたを以て打ち締めければ 鐘(金)ははや締(し)め砕(くた)くと見え候 住持(ぢうじ)宣(のたも)うは行人も諸真言の以(もつ)て祈り給へ(玉へ)
彼の手には余興に口伝(くでん)可ある
日高(ひだか)の渡(わた)りの水は尽(つ)きるとも 拙者(せつちや)が法(ほう)は尽(つ)きざりけりと云(ゆ)う事もあり
◆参考文献
・「日本庶民文化史料集成 第1巻 神楽・舞楽」(芸能史研究会/編, 三一書房, 1974)p.188
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http://www.iwata-shoin.co.jp/shohyo/sho1157.htm
三村泰臣「中国地方民間神楽祭祀の研究」という本の書評を藤原宏夫氏が「民俗芸能研究」52号で行っているのがネットに掲示されている。
昔テキストファイルのスクラップブックにコピペしたのを今読んでみると、中身が大分理解できる。少しは成長したということか。「中国地方民間神楽祭祀の研究」は一部分(将軍舞に関するところを)僕も読んでいるが、これなら国会図書館に通って読んでみても悪くないかもしれない。
Amazonで確認したら、中古本が55,000円と高騰している。5,000円くらいならと思ったけれど、あまりに馬鹿馬鹿しい値付けなので無理。
<追記>
神田より子氏も「山岳修験」47で書評を行っている。
http://www.iwata-shoin.co.jp/shohyo/sho1124.htm
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◆はじめに
「日本庶民文化史料集成 第1巻 神楽・舞楽」に収録された広島県比婆郡東城町戸宇の栃木家本の「三宝荒神」は三宝荒神に関するものの中でも古いものに属するのではないかと思われる。
三上敏視「新・神楽と出会う本 歌・楽器・お囃子」によると、三宝荒神というのは、祭りに山の神が乱入してきて「わしは山の支配者である。わしの許可なく祭りをするのは何事か。榊一本切り取ることは許さない」(32P)というものだそうだ。三上は乱入系と名づけている。
◆三宝荒神能
「三宝荒神能」は日本の三方宝荒神が天竺から六面八面の荒神が日本にやって来るのを防ぐ内容である。
広島県比婆郡戸宇の栃木家に伝わる寛文年間の能本に収録された「三宝荒神能」に手を入れてみた。意味がとれない箇所が幾つかあったのでご了承願いたい(カタカナをひらがなに改めた)。
三宝荒神能
一 御前に罷立る神化(か)をば何成神とや思召す これは大文つの三神三宝荒神とは某(ソレカシ)が事にて候
一されば某がし日本四方(ヨモ)の衆生を守護し御座をならせ玉をべしと存ずる所に それ尊(トヲト)の六面の荒神来る由を聞き 如何に気負いを成すとも 白(シロ)金の御(おん)垂らしに なつめ(棗か)のかむら(鏑か)を一つ使い大国に射返さばやと存じ候 あれに見たわ六面の荒神と見かけ申たにて候
〇さん候 某(ソレカシ)日本に住せばやと存じ候
〇さらば一句かけ申
〇一字千金(せんきん)に当たる 一天他生をたずく(手装か)
一字千チエン(知縁か)わ日月の如し 一月の齢(レイ)の月を返し
〇えんのう(演能か)の使いに発せられたり さてよすまある
一 されば某(それかし)六面の荒神射返し申所に 天竺より八面荒神来由神通を以て悟り ただ易々と防ぎ退けばやと存じ候
あれに見えたるは八面の荒神見かけたにて候
〇さん候 日本に渡り四方(ヨモ)の守護とならばやと存じ候
〇某(ソレガシ)住せばやと存じ候
〇さらば一句掛け申
〇さん候
〇シハフネ(柴舟か)や シハフネヤ 漕ぐに心かい削がれて
〇鬼 ふきの返せしシハ(柴か)の松風去つて何(ナジ)退けや
〇 あら目出度や 六面八面の荒神をただ易々と防ぎ退け 日本の三宝荒神と御座を和らげ四方(ヨモ)の衆生を無事に守(マボ)らばやと存じ候
〇いざなりと 匿(しな)ぶしなりとも
良き様に納べし
◆参考文献
・「日本庶民文化史料集成 第1巻 神楽・舞楽」(芸能史研究会/編, 三一書房, 1974)pp.186-187
・「新・神楽と出会う本 歌・楽器・お囃子」(三上敏視, アルテスパブリッシング, 2017)
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◆はじめに
広島県比婆郡東城町戸宇の栃木家蔵本の「たいしやく天ノ能(帝釈天の能)」は帝釈天が現前し、天竺の長者に塔を建立されて本尊とされている由を語る。そして修羅が攻め上るも相戦い、神通の矢に方便の弓で修羅を易々と退治、三界の衆生を守護する……という内容である。
◆寛文本
「たいしやく天ノ能(帝釈天の能)」に手を入れてみた。詞章が崩れて意味がとれない箇所はそのままにした。カタカナはひらがなに改めた。
たいしやく天ノ能
一 抑々(そもそも)御前に罷立る神化(しんか)をば何成物(者)とや思召(をほしめ)す 是天竺三十三天の主(あるじ)帝釈(たいしやく)天とはそれがしが事にて候
一 某(それがし)天竺に長者(ちやうぢや)多(をゝ)くも候ゑ共 中にもしんたつちやうと申すは 四方に四万の倉にあき充ちて 何(なに)を乏(とぼ)しと思(をも)うこともなし 万の宝(たから)は たゝ現世(けんぜ)の明しん栄華(ゑいくわ)栄耀(ゑいよう)はさらふ(攫ふか)うとう(善知鳥か)の為に非らず こし□□(不明)の謡いには何(なに)を貸すべし 高さ四十四丈(てう)の金(こかね)の光堂(ひかりとう)を建(た)て いかにも位豊(ゆたか)なる仏う この塔(とう)お本尊(ぞん)と祝わんと申と承って候
一 されば某(それかし)神通を以て此の由を悟り 丈(たき)十丈(でう)に伸び上がり 此の塔(とう)本尊と祝わればやと存候所に 下界(かい)の修羅(しゆら)は此の由聞き 高(たか)さ 十六丈(ぢやう)に伸び上がり 此の塔(とう)本尊と祝わんとする 修羅(しゆら)が攻め上る事程も(ほと)もなし 陣(ちん)を取事須弥(しゆみ)七分に陣(ちん)を取修羅(しゆら)が毒矢を放す事は 真砂(まさこ)を撒くが如(こと)くなり 合戦(あいたゝかい)申事七日七夜 如何に攻め上るとも 某(それかし)神通の矢に方便(ほうへん)の弓を以て修羅(しゆら)をば易々退治(たいじ)し 三界(かい)衆(しゆ)生を穏(をた)やかに守護せばやと存じ候
◆参考文献
・「日本庶民文化史料集成 第1巻 神楽・舞楽」(芸能史研究会/編, 三一書房, 1974)p.185
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◆はじめに
広島県比婆郡東城町戸宇の栃木家蔵本の「清盛之能」は平家の棟梁である平清盛が厳島神社など諸寺諸社を建立して篤く信仰したところ、厳島明神が現前して薙刀を与え天下を治めさせる……という内容である。
◆寛文本
「清盛之能」に手を入れてみた。詞章が崩れて意味がとれない箇所はそのままとした。カタカナはひらがなに改めた。
清盛之能
一 抑(そも)御前に罷立る某(それがし)をば如何なる物とや思召す 神武(ぢんむ)天皇より五十代 桓武(くわんむ)天皇より平家始まり給い(玉い)候 其の以後に王代八十一代高倉(たかくら)の末に平家の大将(たいしやう)清盛とは某がしが事にて候
されば某がし弓矢のぢんすを射てば他の将軍(しやうぐん)ひげ(卑下か)功名(こうめう)名を万天(ばんてん)に上げ 武運(ぶをん)長久ため現世(げんせ)未来(みらい)の為に諸塔(とう)を建て 諸社を建立(こんりやう)申します 東大寺を建て 次に大塔(とう)を建て又越前(えちせん)の気比(けい)の社を立 たいそかい(胎蔵界か)の大日を崇め奉 又をうぼう(王法か)元年に辛(かのと)の歳に兵庫(ひをこ)の築島(つきしま)を整(とゝの)え 名をば経島山(きやうどさん)と名付け某(その)以後(いこ)安芸の国厳島(いつくしま)を建立(こんりやう)申 百八十間(けん)の回廊(くわいろう)を整(とゝの)え 某上長床(ながとこ)に一夜の参篭(さんろう)申さばやと存(ぞん)候
さて神(しん)出給う(玉う)
一 抑々(そもそも)御前に罷立る神化(か)をば何成神(しん)とや見給(たも)う これはせんよう(宣揚か)とう(塔か)はけか国の内 安芸(あき)の国の主(あるじ)厳島(いつくしま)の明神とは我事なり
一 さればごんせん(御前)か御社を磨き立 百八十間(け)の回廊(くわいろう)を整え現世(げんせ)未来(みらい)の願(くわん)成就(ちやう)の其の為に真(まこと)の神(しん)これまで現れたり
一 ならとこれにて白金(しろかね)の蛭巻(ひるまき)したる薙刀(なきなた)を 汝に得さするぞ これを以て天下(か)を治むるべし
○さて神(しん)は人給う(玉う)
○また清盛(きよもり)曰く
一 波の上出ひの花わ残らね共 験(しるし)は残るこれぞ目出度き
一 長床(なかとこ)参篭(さんろう)申新たさよ 白柄(しらゑ)の薙刀長く久しく
◆参考文献
・「日本庶民文化史料集成 第1巻 神楽・舞楽」(芸能史研究会/編, 三一書房, 1974)p.184
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◆はじめに
広島県比婆郡東城町戸宇の栃木家蔵本に収録された「ゑびすのゆいたて」は胡(えびす)が釣りをして、次々と宝を釣り上げるので、これ以上は釣らせまいと竜王が姿を現す……といった内容である。
◆寛文本
「ゑひすのゆいたて」に手を入れてみた。詞章が崩れて意味がとれない箇所はそのままにした。カタカナをひらがなに改めている。
ゑひすのゆいたて(胡の云立)
一 波高ければたもたも□(不明) 浦風(うらかぜ)の咎(とか)なれ
一抑々(そもそも)御前に罷立る神化をば 如何なる神(しん)とや思召(をほしめ)す これは西宮百八十間(けん)の□(不明)色の主 荒胡三郎とわ某(それかし)が事なり
一 さればなんふう(南風か)だふ(道か)の風(かせ)の波間仕え降ろし万の宝を釣り上げばやと存(そぢ)候
一 やうら目出度(めてた)の御事や 釣り上げみ候(そうら)ゑは白金(しろかね)の宝を釣り上げて候 今(こん)日の鯛旦那(たんな)に疾(と)く疾く譲らばや存候(そろ)
一 やら目出(めて)たや二番(にはん)に釣り上げ見れば黄金(こかね)の丸かせ(※丸めたもの)を釣り上て候
一 海龍王の万の宝を釣り取るは そも如何なる者ぞ
一 抑(そも)此方(こなた)の事を仰(をを)せ候か○さん候(そうろ)
右のことを申
一 それ思(をも)いも依らん事これよりも上の宝釣り取られる共、これより下の宝をば釣り取られまいにて候
○釣り取ろうにて候(そろ)
○釣り取られまいにて候
○さらば神通くらべに参ろう
○難陀(なんた)竜王跋難陀(はつなんた)竜王□(不明)しゆき(和修吉か)竜王沙羯羅(しやかつら)竜王徳叉迦(とくしやか)竜王阿那婆達多(あなばだつ)竜王摩那斯(まなし)竜王優鉢羅(うはつろ)竜王 これまで顕れたり
◆参考文献
・「日本庶民文化史料集成 第1巻 神楽・舞楽」(芸能史研究会/編, 三一書房, 1974)pp.182-183
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◆はじめに
広島県比婆郡東城町戸宇の栃木家蔵本に所蔵された「文殊菩薩ノウ」では、文殊童子が竜女が蛇体の苦しみを逃れたいと訴えるのを聞き入れて法華経を読誦する内容である。
◆寛文本
「文殊菩薩ノウ」に手を入れてみた。詞章が崩れて意味がとれない箇所はそのままにしてある。カタカナはひらがなに改めた。
「文殊菩薩ノウ」
一 抑々(そもそも)御前に罷り立(たつ)たる神化をば如何なる□□(破損)す 我須弥(しゆみ)のはんふくに住まい仕る文殊(もんしゆ)童子とは我が事にて候
一 欲界(よつかい)のじヱつく末世(まつせ)の衆生を済度(さいど)せんとて立ち寄りて候 あれに見ヱたるは蛇女と見たり 何処(いずく)の人にて候ぞ
○さん候 我自らは竜(りやう)女にて候 蛇体の苦しみを逃れさせて賜び給えと文殊菩薩を父のみ奉る申て
○さん候(ぞろう) 易き文あり此処(こゝ)に法華(ほけ)経五の巻の肝文(かんもん)に一ぢや(蛇か)ふとく(婦徳か)さほん天王 二蛇帝釈(たいしやく)三蛇(しや)まをう(王か) 四蛇(ぢや)天りゆ(竜か)上王 五蛇(ぢや)仏しゝそん(子子孫か)女子そくとく(即得か)成仏とそ文(妙文めうもん)にて成仏に為し申そ蛇身□□(破損)せ王へや
○さん候 文殊菩薩上(のちかヱ)にて苦し(ゆ)みを逃れ申こと有難(ありかた)く存(そん)じ奉り ○さ庭をろをなに入信(にふしん)あるべし 文殊大将軍(しやうくん) ○さん候諸仏云いもな方如来諸発心(ほつしん)かいせ文殊きやうりき(強力か)
一 仏とわ何を云(ゆ)らんこけ(苔か)衣(ころも) たゞ慈悲心(ちひしん)を説けとわ
一 仏にわ成るこそ易し なり難(にく)や姿わならで心こそなれ
◆参考文献
・「日本庶民文化史料集成 第1巻 神楽・舞楽」(芸能史研究会/編, 三一書房, 1974)p.182
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あけましておめでとうございます。
さて、今年ももう少しだけ神楽の記事が続きます。その後は更新ペースが落ちるでしょう。「カグラ舞う!」が連載しているので、月に一回は更新するとは思いますが。
今年もよろしくお願いします。
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