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2019年12月24日 (火)

東北と南アルプスの神楽――久保田裕道「神楽の芸能民俗的研究」

久保田裕道「神楽の芸能民俗的研究」を再び読む。著者は先ず「民族」や「地域」といった概念に帰属意識という心意を見いだす。そして芸能が地域における帰属意識の単位となり得るのではないかと考察する。分析の対象となるのは東北の早池峰神楽と南アルプスの霜月神楽である。

タイトルに「芸能民俗」とある。「民俗芸能」が転倒したような概念だが、その分析にはまず「民俗芸能」の定義が必要であると述べる。

そこで議論の前提として「民族」という概念について考察する。要約すると帰属意識となる。つまり意識が媒介する概念なのだが、この帰属意識は対象範囲を狭めると郷土意識についても見ることができる。

次いでムラをコミュニティと同義なものと考えて論を進める。ムラも各種に分類されるが、ここでは心意の面、ハレとケの双方を含めた民俗から想定しなければならないとする。

更に地域という帰属意識の基盤となる概念を分析する。
・生産の方法とそれに用いる民具
・年中行事
・神社と祭りと民俗芸能
・講などと社会構造・年齢集団の活動 と分類するものと

・水田灌漑
・入会林野・共有林野
・交易圏(流通圏)
・国府祭のような神社祭祀 とする分類、単純化すると、

・経済
・社会
・信仰・儀礼 といった分類を行う立場がある。

そして芸能による帰属意識という観点から地域への帰属意識を探るという方向性に持っていく。民俗芸能の定義には諸説あるが、まとめると下記の様になる。

・人、時、場所といった様々な制約条件を有すること
・伝承者とその民俗社会および享受者との間に共通理解があること
・上記要素を満たした身体表現もしくは道具を使用した操作表現であること

芸能研究は解釈をめぐる問題と機能をめぐる問題とで進められてきた。解釈には伝承的解釈と構造的解釈がある。伝承的解釈が進めば、それは機能に近くなってくる。そして機能は、

・その芸能を成り立たせている機能
・芸能が人々に働きかけるシステム

と分類される。そうした芸能の機能およびその様々な範囲(集団、地域など)の相互関係が帰属対象としての地域を決定するとする。

著者は芸能の研究対象として神楽を選ぶ。神楽は信仰に直結しており、性質がつかみ易いとする。一方で神楽ほど明治期を境に大きな転換を遂げている芸能もないとしている。つまり本来持っていた目的や性格を外れ、その形が変貌しつつある芸能であるとする。その点で神楽に二面性を認め、神楽の持つ本質と属性から地域の帰属対象としての民俗を探ることとする。

まず、東北の山伏神楽について、権現様と呼ばれる獅子頭を奉じる神楽である。代表的なものとして早池峰神楽の岳神楽と大償神楽とが挙げられる。両者は隔年ごとに冬場の巡業を行っていた。巡業のない年は炭焼きをしていたが、炭焼きよりも神楽の方が実入りがいいのだそうである。

大償周辺は耕地面積が少なく、煙草の栽培が大きな収入源であった。また、稲作可能な土地は少なく焼き畑農業も行われていた。巡業の地域はムラとマチに分かれた。経済的に裕福なマチでは現金収入が期待できた。

また、大償神楽では神楽の伝承者が特定の家筋の長男に限られていた。芸能の伝承者と享受者が明確に分かれるのである。

岳神楽と大償神楽の弟子筋の神楽もあるが、巡業はせず、村内の年中行事に携わっていた。またマチで各種伝統芸能が一堂に会す祭礼には出演して芸を磨いていた。ここでは芸能の享受者と伝承者が互換可能であった。

このように山伏神楽は興行型と慣行型に分類される。

南アルプスの湯立神楽では山伏神楽と異なり巡業地域、弟子神楽の形成は見られない。十五~六世紀頃の成立と見られるが背景には御霊信仰も見られる。

大井川・安部川流域の神楽には太々神楽的な要素が見られるとする。これは伊勢の大神楽を元に形成されたものである。太々神楽といっても湯立的な要素を持つものと、現代の仮面劇的なものとに分かれる。

神楽の精神的要素として願果たしが挙げられる。つまり願をかけることであるが「立願」と「願果たし」に分類される。

・宗教者を通じて願をかける。場合によっては舞を奉納する。
・願主自らが湯を浴び、再生することで健康を願う。
・健康に育った子供が自ら舞を奉納して願果たしをする。

もう一つの精神的要素として神送りが挙げられる。神楽で招いた神を送るのである。土地の神を接待するものと土地の神――格の低い精霊を追い出してしまうものとに分けられる。これは疫神を送る神事とも重なる。山間地帯のため稲作の虫送りよりも疫神を送る神事が発達したと考えられる。鎮めの儀式として反閇が行われる。

また、南アルプス圏の神楽に登場する鬼は、出雲流の神楽では悪鬼であるのに対してマレビト的性格を持つとする。禰宜との年齢争いに負けて舞を舞い退散させられるのである。この禰宜を最高神の天白とする説もある。

鎮めの儀式に用いられる面は「火の王」「水の王」が用いられる。

……この本、民俗については詳細に記述されているが、それだけに筆者の実力では要約することが難しい。

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久保田裕道「神楽の芸能民俗的研究」を読み終える。東北の山伏神楽(早池峰神楽)と南アルプス周辺(天竜川、大井川、安倍川流域)の湯立神楽についての研究書。

芸能民俗と民俗芸能とは逆さまの用語を使っている。柳田国男が芸能を民俗として取り扱わなかったこととも関連しているようだ(折口信夫に任せたとも解釈できるが)。

早池峰神楽については大償神楽と岳神楽とが交替で冬場に巡業していたとする。冬場は炭焼きをしていたが、炭焼きより実入りがよいのだとか。

南アルプスの鬼は出雲流神楽の鬼が悪役であるのに対し、そうではなくマレビト的性格を持つとする。反閇を踏んで大地を鎮めたりもするのだ。

また、南アルプス圏の神楽の共通要素として、願果たし、神送り、御霊信仰等を挙げている。

著者は僕より三歳年上のほぼ同世代の人。この本はもともと博士論文として書かれたものだったとのこと。

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