備後東城荒神神楽能本――天神
◆はじめに
広島県比婆郡東城町戸宇の栃木家蔵本に「天神」が収録されていた。菅原道真のことであるが、伴大納言との因縁を記している。実際には伴大納言は道真が二十代の頃に応天門の変を起こして流罪となっている。本来のライバルである藤原時平の名は見られない。この台本は天神に関する古いものに属すると思われるので、元々から時平ではなく伴大納言を相手としていたことになるか。
某(それがし)は天神であるが、伴大納言の訴訟によって筑紫の国の大宰府に追いやられた。上洛を遂げて仇を雪ごう……といった内容である。
◆延宝本:天神
「天神」に手を入れてみた。詞章の崩れで意味がとれない部分はそのままとしている。カタカナをひらがなに改めた。
長の村井上挊 越後
一 雪に越路(こちじ)の白(しら)山や 雪に越路の白山や 松風いつく(何処か)なるらん
●我屋(わかや)を出(いて)てさんしかば 落つる涙は白しんこう 万治(ばんぢ)は皆夢の如し よりよりひざう(秘蔵か)を仰ぐべし
●我屋を出てさんしかば 落つる泪(なみた)は北南地(ほくなんち) さんしよ(三所か)は夢の如くなりけり
〇我屋を出(いて)て其後に 戻り来(こ)ん帰り来ん供云(ゆい)難し 定し事が定めなければ
〇抑々(そもそも)御前に罷立る神(しん)化をば 何成(いかなる)身とや思召す 是月光(くわつくわう)の都に本地如来(によらい)天満天神とは 某(それがし)が事にて候
一 去者(されば)某さしたる事も無かりしに 飯代内官(ばんだいなごん:伴大納言か)の訴訟(そしやう)により九州筑前(ちくぜん)の国大宰府(ださいふ)の郡(こうり) 安楽寺(あんらくぢ)の御元(みもと)まで流されて 憂き辛苦を経る事誰(たれ)故ぞ 大内言(なごん)故と(今に)思(おもへ)無念なり 上楽(洛)を遂(とげ)北野の天神と祝(いはゝ)ればやと存じ候
春の日の徒然に 拾二之歌(うた)を詠(えいじ)ばやと存候 扨(さて)十二歌子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥に付(つけ)て読可(よむべし)
一 梅(うめ)は飛ぶ 桜(さくら)は枯れる世中(よのなか)に 何迚(なにとて)松は連れなかるらん
一 こち吹かば 匂い起(をご)せや梅の花 北野(きたの)に我(われ)があらん限りは
一 何国(いつく)にも梅だに有(あら)ば我と知(し)れ 必(かなら)ず立たる社(やしろ)なくとも
一 吹風(ふくかせ)に心を許すな梅花(うめのはな) 松には風の吹かぬ間(ま)もなし
〇 去(され)ば奈良の当代寺(とうだいじ:東大寺か)の橋(はし)の建立(こんりう)に太内言(たいなごん)登(のぼらん)事(こと)は世も有らじ 都五条橋詰待請(みやここしやうはしづめまちうけ) 羽(は)白の矢をうつ番(つが)い 念力岩をも通すとや 右の会稽(くわいけい)を雪がばやと存候
◆参考文献
・「日本庶民文化史料集成 第1巻 神楽・舞楽」(芸能史研究会/編, 三一書房, 1974)p.172
記事を転載→「広小路」
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