備後東城荒神神楽能本――橋弁慶云立(はしべんけいゆいたて)
◆はじめに
広島県比婆郡東城町戸宇の栃木家蔵本に収録された「橋弁慶云立」は源義経と弁慶の伝説を元にしている。義経が千人切を志す点で古い内容を反映させている。父義朝の供養のため千人切を志す義経の前に弁慶が立ちはだかるが、敗れた弁慶は義経の配下となる……という内容である。
◆寛文本
「はしべんけいゆいたて(橋弁慶云立)」に手を入れてみた。詞章が崩れて意味がとれない箇所はそのままとした。カタカナはひらがなに改めた。
はしべんけいゆいたて
一 抑々(そもそも)源氏(げんし)の安孫(あつそん)に義経が源九郎(げんくろう)とは某(それがし)が事にて候
一 されば父(ちゝ)義朝わ 驕(をご)ぬ平家(驕る平家)子を取られれすらう郎党(ろうとう)に討たれさせ給(たも)うこと 今に思ゑばむね□□(破損:無念か) それ都に出で千人切(せんにんきり)を□□□□(破損)や平家の一門に立ちつずけ□□□(破損)御菩提(こぼたい)を奉(ほう)せんと存じ候 □□□□(破損)ん早九百九十九人斬つたと□□□□(破損)明日は早朝(そうちやう)に供養(くよう)と□□□□(破損)待ち受け切らばやと存じ□□□□(破損)
弁慶の□□□□(破損)
熊野那智たんのう(湛増か)別当が子に見□□(破損)とは拙者が事なり 某(それがし)をも切らんとの かや
○さん候(ぞうろう) 御身を切り千人に達(た)して辻切(つじきる)供養(くよう)を早□(不明)致さばやと存(そん)じ候
弁慶某(それがし) やら子二年はい六歳兵法(へいほう)比べに其の為にこれまで遥々参りたり□□(不明) 君の御手を存ぜず申て候 命を賜び給え末代を主(しゆ)と頼むべし
一 汝が命(いのち)を切ることわ露塵(つゆちり)よりも易けれども 太刀の下より引き立てゝ末代□□(不明)被官(ひくわん)と結ぶべし
◆参考文献
・「日本庶民文化史料集成 第1巻 神楽・舞楽」(芸能史研究会/編, 三一書房, 1974)p.182
記事を転載→「広小路」
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