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2019年11月

2019年11月30日 (土)

寝過ごす

国会図書館に行く。今回はダブル盛り蕎麦とお握りを食す。江戸里神楽公演のパンフレットを読む。時間の関係で途中までしか読めなかった。関東の社中でも舞台芸術を意識している団体があることが分かった。

今回は寝不足で眠たかった。帰りの電車であざみ野駅を寝過ごしてしまい、江田駅から帰る。

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2019年11月24日 (日)

備後東城荒神神楽能本――天照大神之山ドリコエ

◆はじめに
 備後東城荒神神楽能本、広島県比婆郡東城町戸宇の栃木家本に収録された「天照大神之山ドリコエ」では天照大神は登場せず、イザナギ命が誕生したばかりの日本国を巡って第六天の魔王に荒神、地神として祀ろうと言って自分の領分にしようとする……というところだろうか。

◆延宝能本
 延宝能本の「天照大神之山ドリコエ」に手を入れてみた。詞章の崩れで意味がとれない部分はそのままにしてある。カタカナはひらがなに改めた。

一 抑々(そもそも)御前罷立神(しん)化をば如何なる神(しん)とや思召す 是は天神七代の末(すえ)イザナギノ尊(みこと)とは我事(わかこと)なり 某(それかし)須弥(しゆみ)の半腹(はんぷく)にて三国をつくづく見(みれ)ば 青海(あをうな)原なり 此下(このした)に国(くに)無きやと思い 御鉾(みほこ)を下ろし大海(たいかい)を探りければ 陸地(ろくじ)は近く覚(をほへ)たり 丑寅の隅を見ければ大六天の魔(ま)王住(すみ)ける 彼魔王を謀り 指図を取らばやと存候

二 如何にや魔王 此国を我に得させよ 得さするならば神に荒(こう)神 人間(にんけん)の為には産(うぶ)の神 地にては堅牢地神と崇め 四季上品(じやうぼん)の初尾(を)を参らせんと宣えば さらば(しかれば)魔(ま)王申ける それ思いも寄らぬことなり 此国を我領事せんと思(をもふ)所(ところ)に 余の指図を得させよとは思いも寄らねども 真(まこと)に宣旨の如く 我を地神荒神と崇め給(たまは)ば 某が手をくもで(蜘蛛手か)けち(結か)かへにして墨をつけ 天の杉板(いた)に押(をし)て 世(よ)の指図と定(さだ)め奉らん 去(され)ば魔王謀り指図をしけるは 東西九百九十九里南北五百五十里 辰巳より戌亥へ放かし 丑寅より未申ヱは短き国なり 然るに魔王を止(の)ぞかんために大日本国と名(なつ)く国土をぶねう(武寧か)に守らばやと存候

◆参考文献
・「日本庶民文化史料集成 第1巻 神楽・舞楽」(芸能史研究会/編, 三一書房, 1974)p.172

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備後東城荒神神楽能本――皆サン、鹿嶋之能

◆はじめに
「日本庶民文化史料集成 第1巻 神楽・舞楽」に収録された備後東城荒神神楽能本(広島県比婆郡東城町戸宇の栃木家蔵本)は始めに「皆サン」「鹿嶋」の順で収録されている。「皆サン」は始まりの舞なので、舞台を清める意味合いがあるのかもしれない。「鹿嶋」はこれは鬼が日本に攻めて来たのを迎え撃つ内容で、中国地方に多く見られる鬼退治ものの原型かもしれない。

◆皆サンノノウ
 「皆サンノノウ」に手を入れてみた。詞章が崩れて意味がとれない箇所はそのままとした。カタカナはひらがなに改めた。

皆サンノノウ

一 抑々(そもそも)本地姿は虚空蔵 松之尾(まつのを)の明神と者(は)我事なり

●諸神諸仏皆(かい)さん奉(たてまつらん)其為に身体(しんたい)是迄顕れたり

●チワヤフル神も不残(のこらす)聞し召せ みのすゝ河の清(きよき)かいさん

●若(もしも)かいさん掛からん神有(あらは) 松尾ノ明神に届けべし

◆鹿嶋之能
 「鹿島之能」に手を入れてみた。詞章が崩れて意味がとれない箇所はそのままとした。カタカナはひらがなに改めた。

鹿嶋之能

一 日之本(ひのもと)なれば照(てるそ)かし あいろ(文色か)の松に影を差す

抑々(そもそも)御前に罷立(まかりたつたる)身(しん)かをば 如何成身(神)とや思召す 是東海道十五ヶ国(こく)之内常陸(ひたち)拾(ちう)六郡之有住(ぐんのあるち)鹿嶋(かしま)之明神とは某(それかし)か事(こと)にて候

○されば鬼国より修羅(しゆら)は気負いをなし 日本に渡(わたり) 彼(かの)要(かなめ)の石を抜き日ノ本ノ衆生をとり伏せんと巧むを 某(それかし)神通以(もって)悟り 夫(それ)法便(神力)之弓(ゆみ)に神通(じんつう)の鏑(かむら)矢(や)をぶつ番(つが)い 修羅をば鬼国に射返し 日本の衆生を安全(ぜん)に守ばやと存(ぞんじ)候

●皆神は出雲の国ヱと急げ供(とも) 住吉鹿嶋(すみよしかしま)は後に残れり

〇常陸成(ひたちなる)あいろこいろの山超(やまこえ)て 東の果ては鹿嶋成(かじまなる)らん

〇風(かぜ)動く 霧ぞ働く波高し あびきが浦に鬼(おに)ぞ見(み)えけり

一 あをう 某(それがし)日本に渡(わた)り 彼要の石を抜き 日本の衆生を取り伏くし 某日本に住せばやと存候

一 あをう 某住せばやと存候

〇かのうまい(叶うまいか)にて候

一 さらば神通比べに参ろう

〇共汝が計らい

一 あをう 行も水居も水 去つては逃(のか)れん弓矢かな 続けや続けや八万鬼の情(勢)

◆参考文献
・「日本庶民文化史料集成 第1巻 神楽・舞楽」(芸能史研究会/編, 三一書房, 1974)p.171

記事を転載→「広小路

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https化する

ブログをhttps化する。このブログはコメント欄を閉じているので、あまり関係なさそうだが。ホームページのcanonical属性を一々置換せねばならなかった。

<追記>
ウェブページのお勧め記事の一覧のリンクも手動でhttpsに修正する。300PVくらいは自分のアクセス。

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2019年11月21日 (木)

意外とエンタメ性に富んでいた――広島県比婆郡東城町戸宇の栃木家蔵本

「日本庶民文化史料集成 第1巻 神楽・舞楽」に収録された広島県比婆郡東城町戸宇の栃木家蔵本の延宝本と寛文本(荒神神楽能本)を精読する。栃木家本の研究は岩田勝の独壇場であるが、呪術性が強いかと思いきや、実際に読んでみると思っていたのとは違い、エンタメ性に富むものであった。やはり能本なのである。

詞章が崩れて意味がとれない箇所は多いし、確かに「松の能」「目連の能」「身売りの能」等、葬式神楽と関係があると思われる演目もあるけれど、「身売りの能」など読んでいて、この話はこの後どう展開するのだろうと思ったくらいである。岩田勝は栃木家本に呪術性を見い出そうとした。確かにそれは作品の解釈に寄与するが、それはこの豊穣な海の一部でしかなかったのではないか。

大体どこの神楽でも唯一神道流の改作を経た資料しか残っていないところに、この栃木家蔵本は両部神道的な要素が残っていて、その意味では奇跡的に残されていたということができる。

「日本庶民文化史料集成 第1巻 神楽・舞楽」は分厚い本で、普通のコピー機でコピーすると、綴じの部分に大きな影が出来て、その箇所が読めないことがあるので、「備後東城荒神神楽能本集」をコピーしたいなら国会図書館の遠隔複写サービスがいいだろう。

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2019年11月17日 (日)

備後東城荒神神楽能本――金剛童子

◆はじめに
 広島県比婆郡東城町戸宇の栃木家の蔵本に「垢離の金剛童子」が収録されていた。金剛童子は護法童子の一柱であるが、両部神道的な内容で、神楽が唯一神道化するに従って廃れたと思われる。

 謡曲「護法」は陸奥国名取の老女の許を修験僧が訪ねる。名取の老女は紀国の熊野の御山に参詣したいが歳をとって叶わないので、熊野から勧請したと語る。それを見た僧と名取の老女の前に金剛童子が顕現する……という内容である。

◆岩田論文
 岩田勝「神楽能における金剛童子」「広島民俗論集」を読む。謡曲「護法」と備後比婆荒神神楽の「金剛童子」との関係を論じたもの。謡曲「護法」を読んでから読むと比較的分かり易かった。

◆延宝本:コリノ金剛童子
 延宝本「コリノ金剛童子」に手を入れてみた。詞章が崩れて意味がとれない箇所はそのままにした。カタカナはひらがなに改めた。

コリノ金剛童子

 長の村(挊) 越後吉政[花押]

一 抑々(そもそも)御前(をんまえ)に罷立(まかりたつた)る法者(はうしや)をば 何成(いかなる)法者とは思食(をほしめ)す 是は抑(そも)紀野国牟婁(むろ)の郡供えの里闇(さとおと)音無河(をとなしかわ)の川上に住舞(すまい)御座(まします)垢離(こり)の金剛童子之遣わしめの法者とは某(それがし)か事にて候

〇去(されは)某(それがし)千日の垢離(こり)をも取り、垢離の功力(くりき)を以て金剛童子(こんごうとうじ)を舞出し 一目礼(ひとめをかま)ばやと存候

〇熊野成 三之御山(をやま)に隠せとも 他所(よそ)へは聞こえし音無の河

一 熊野成 三(みつ)ノ御山によりきして 四方(よも)の衆生(しゆしやう)を守(まもる)神々

一 神(かん)ノ座(くら)岩に染(そ)み出て掛作り 飛騨の匠が神(かみの)ちかえか

〇去は某(それかし)程無(ほとなく)垢離も達したと存候 金剛童子は是に御身いきなされ候処を一目礼はやと存候

●橋がかり 〇みもすす(身も鈴か)河の河上にみもすゝ河の河上に身こそおりい(降り居か)御座(をはします)

△抑々(そもそも)罷出たる神(しん)をば如何成(いかなる)身(しん)とや見申候 是者紀野国牟婁(むろ)の郡(こうり)音無河の川上に住舞申垢離の金剛童子とは我事(わかこと)なり

〇去は願(くわん)も成就(しやうしゆう)之其為に 真(まこと)の身(しん)是迄(これまて)顕れたり

一(腰を掛けて云)下にも行くや足はや舟のつんなつて 三つばかしはのたくしんたく(托身託か)の二世(にせ)の願も三世(さんぜ)の所も 皆々悉く願成就して また身(しん)体是まで顕れたり

一 舞上るか

◆寛文能本:金剛童子の法者

 寛文能本「こんこうとうじのほうしや」に手を入れてみた。詞章が崩れて意味がとれない箇所はそのままにした。カタカナはひらがなに改めた。

金剛童子の法者

一 旅の衣わ鈴懸(すゝかけ)の旅の衣わ鈴懸の 露けき袖や絞るらん

一 抑々(そもそも)御前に罷立る法者をばいかなる法者と見給 是は紀の国牟婁(むろ)の郡音無川(をとなしかわ)の川上に住まい座垢離(こり)の金剛童子の遣わしめの法者とわ某(それかし)が事にて候

一 されば某(それかし)千日の垢離(こり)をも取り程なく垢離も達したと存候 垢離の功力を以て金剛童子を一目拝ばやとそち候

一 熊野なる三の御山に還せども他所ゑは聞くべし音無の河

一 熊野なる三の御山によりき(寄り来か)して 四方(よも)の衆生(しやしやう)を守(まもれ)神かみ

一 神(かん)の座(くら)岩に染め出で掛け作(つくり)飛騨の匠の神のちかへ(誓へか)か

一 されば金剛童子(こんごうとじ)は見行成にて御座候 是にて一目拝まばやと存じ候

◆寛文能本:金剛童子の法者
 寛文能本「こんこうとうじのほうしや」に手を入れてみた。詞章が崩れて意味がとれない箇所はそのままにした。カタカナはひらがなに改めた。

 金剛童子の身(しん)の云(ゆい)立

一 抑々我は是紀の国牟婁の郡音無川の川上に住まい仕(つかまつ)ぬ垢離の金剛童子(金こうとうし)とわ我事なり

一 願(くわん)の成就の其の為に身体是まで顕れたり

一 下にも行くや葦早舟の綱つても 三葉(みつは)柏の行末守たくしんたく(托身托か)の道は遠きや とりのろうじ(※名取の老女)の子孫に至るまで 二世の願(くわん)と三世の所も皆々悉く 願(くわん)成就して神体是まで顕れたり

◆謡曲「護法」

ワキ:熊野の僧
シテ:名取の老女
ツレ:老女に仕ふるもの
同:護法善神

名取熊野新宮の縁起を叙す。

次第「山又山の行末や、山又山の行末や、雲辺のしるべだろうか」
ワキ詞「これは本山三熊野(みくまの)の客僧でござる。私はこの度松島平泉への志があるので、お暇乞いの為に本宮証誠伝(ほんぐうしようじやうでん)に通夜(おこもり)申したところ、あらたに霊夢を蒙ったので、ただ今陸奥(みちのく)名取の里へと急いでいます」
道行「雲水の、行方も遠い東路(あづまじ)に、行方も遠い東路に、今日思い立つ旅衣、袖の篠懸(すずかけ:修験者が着る直垂と同じ形の麻の衣)露結ぶ、草の枕の夜な夜なに、仮寝の夢をみちのくの、名取の里に着いたことだ。名取の里に着いたことだ」
一声二人「どこでも、崇めば神も宿り木の、御影を頼む心かな」
サシ老女「これは陸奥の名取の老女といって、年久しい巫(みこ)でございます。私は幼(いとけな)い時からも、他生の縁も積もったのでしょうか、神に頼みをかけまくも(心にかけて思う心も、言葉に出して言うことも)、かたじけないことに程遠い、彼の三熊野の御神に仕える心浅からず、身はさくさめの年(若い女)詣(まうで)、遠いのも近い頼みかな」
シテ「そうではあるけれども次第に年老いて、遠い歩みも叶わないので、彼の三熊野を勧請申し、ここをさながら紀の国の」
二人「室の都や音なしの、かわらぬ誓いぞと頼む心ぞ真(まこと)なる」
歌「ここは名を得た陸奥の、ここは名を得た陸奥の、名取の川の川上を、音無川と名づけつつ、梛(なぎ)の葉守(はもり)の神(樹々を守る神)ここに、証誠殿とあがめつつ、年詣で日詣でに、歩みを運ぶ小女子(をとめこ)が、年も古るくなった宮柱、立ち居暇なき宮路かな。立ち居暇なき宮路かな」
ワキ詞「如何にここにいる人に尋ね申すべき事がございます」
ツレ詞「何事でしょう」
ワキ「承り及んだ名取の老女と申すのは、この御事でございますか」
ツレ「左様でございます。これこそ名取の老女にでございます。何の為にお尋ねなさるのです」
ワキ「これは三熊野から出た僧でございますが、老女のお目に掛かって申したい事がございます」
ツレ「暫くお待ちください。その次第を申しましょう。どのように申しましょう。これに三熊野から出た山伏がございますが、お目にかかりたい次第を仰せになっています」
シテ詞「あら、思いもよらない事だ。こちらへと申しなさい」
ツレ「畏まって候。客僧よこちらへお出でになりなさい
シテ「三熊野からの客僧はどこにお入りになった」
ワキ「これにてございます。何とやら卒忽(そこつ)な様にお思いになるでしょうが、夢想の様を申す為にここまで参って来たのです。扨(さて)も(ところで)私はこの度松島平泉への志があるので、お暇乞の為に本宮証誠殿におこもりしたところ、あらたに霊夢を蒙りました。お前は陸奥へ下ったならば言伝すべし。陸奥名取の里に、名取の老女と言って年久しい巫(みこ)がいる。彼の者は若く盛んな時は年詣(としまいり)しなかったけれども、今は年老い行歩(ぎやうぶ:歩行)も叶わないので参る事もない。ゆかしい(何となく懐かしい)とこそ思え。これにあるものを慥(たしか)に届けよと新たに承り、夢から覚めて枕を見れば、なぎの葉に虫食いの御歌があります。有難く思い、ここまで遥々持って参ってきたのです。これこれ御覧なさい」
シテ「有難いとも中々にえぞいはしろ(蝦夷岩城か)の結び松、露の命のながらえて、このような奇特を拝む事の有り難さよ」
詞「老眼で虫食いの文字は定かでない。それで高らかに遊ばされよ」
ワキ詞「ならば読んで聞かせ申しましょう。何々虫食いの御歌は、道遠し年もやうやう老いにけり、思ひおこせよ我も忘れじ」
シテ「何のう道遠し、年もやうやう老いにけり、思ひおこせよ、我も忘れじ」
ワキ詞「実に実にご感涙尤もでございます。そうではありながら、二世の願望が顕れて、うらやましゅうございますぞ」
シテ詞「仰せの如くこれほどまで、受けられ申す神慮なので、崇めても尚有難い、二世の願や三つの御山を」
ワキ「写して祝う神なので」
シテ「ここも熊野のいはだ川」
ワキ「深き心の奥までも」
シテ「受けられ申す神慮とて」
ワキ「思いおこせよ」
シテ「我も忘れまいとは」
地「有難や、有難や、実に末世と云いながら、神の誓いは疑いもなき梛(なぎ)の葉に、見る神歌は有難や」
シテ詞「どのように客僧へ申しましょう。此処(ここ)に三熊野を勧請申してございます。お参りなされよ」
ワキ詞「すぐにお供申しましょう」
シテ「此方(こちら)へお入りなされ。御覧なされ。この御山の有様、何となく本宮に似せたところ、これをば本宮証誠殿と崇め申します。またあれに野原の見えているのを、あはかの里新宮と申します。また、此方(こなた)に三重に瀧の落ちているのを、名にし負う(名高い)飛龍(ひりよう)権現のいらっしゃる那智のお山と崇め申しなされ」
クリ地「それ勧請の神所国家に於いて其の数ありと雖も、取り分け当社の御来歴、旅神(りよじん)を以て専ら説くのです」
シテサシ「もとは摩伽陀(まかだ)国の主として」
地「御代を治め国家を守り、大非(仏の広大な慈悲)の海深くして、萬民無縁の御影を受けて、日月の波静かである」
シテ「そうであるとは申すけれども、尚も和光(わくわう)の御結縁(けちえん)」
地「あまねく天の足曳(あしびき)の、大和の島に移りまして、此の秋津国となし給う」
クセ「処は紀の国や、室(むろ)の郡に宮居して、行人(旅人)征馬(従軍する馬)の歩みを運ぶ志、直(すぐ)なる道と成ったから、四海波静かで、八天塵治まった。中にも本宮や証誠殿と申すのは、本地が弥陀でいらっしゃるので、十方界に示現して光遍く御誓い、頼むべし頼むべしや、程も遥かな陸奥の、東(あづま)の国の奥よりも、南の果(はて)に歩みして、終(つい)には西方(さいはう)の臺(うてな)に坐しないことがどうしてあろうか」
シテ「大悲(仏の広大な慈悲)擁護(おうご)の霞は」
地「熊野山(ゆやさん)の嶺にたなびき、霊験無雙(双)の神明は音無川の河風の、声は萬歳の峯の松の、千年の坂既に六十路(むそじ)に至る陸奥の、名取の老女こればかり、受けられ申す神慮、実に信あれば徳がある。有難し有難き告(つげ)ぞ目出度かった」
ワキ詞「どのように老女へ申しましょう。これほど目出度い神慮でいますので、臨時の幣帛を捧げて、神慮を清(すず)しめ申しなされ」
シテ詞「心得申しました。いでいで(さあさあ)臨時の幣帛を捧げ、神慮を清(すず)しめ申そうと」
ワキ「あまの羽袖(袖を羽に喩える)や白木綿(しらふゆ:白色のゆう)ばな」
シテ「神前に捧げ諸共に、謹上再拝、仰ぎ願わくはさ牡鹿(さおしか)の八つの御耳を振り立て、利生(仏の冥加)の翅(つばさ)を並べ、世界の空に翔りては、一天泰平国土安全諸人快楽(けらく)、福寿円満の恵みを遍く施し給えや。南無三所権現護法善神」
シテ「不思議だな老女が捧げる幣帛の上に化(け)した人が虚空に駆けり、老女の頭(かうべ)を撫でるのは、どのような人でいらっしゃいますか」
護法「事も愚かや権現の御使(おんつかい)護法善神(ごほふぜんしん)よ」
シテ「何権現の御使護法善神とや」
護法「いかにもの事である」
シテ「有難や、目の当たりになる御相好(顔つき)」
地「神は宜禰(きね)の習いを受け」
護法「人は神の徳を知るべきと言って」
地「参(まゐり)の道(だう)には」
護法「迎え護法の先達(修験者の先導者)となり」
地「扨(さ)ても(ところで)また下向の道に帰れば」
護法「国々迄も、送り護法の」
地「災難を去りつつ悪魔を払う送り迎えの護法善神なり。それ我が国は小国であると申すけれども、それ我が国は小国であると申すけれども、太(だい)神光を指し下ろし給う、其の矛のしただりに、大日の文字、顕れたことにより、大日の本国と号して胎金(たいこん:胎蔵界と金剛界)両部の密教である」
護法「なので本よりも、なので本よりも、日本第一りようげん(燎原か)熊野(ゆや)三所現権と顕れて、衆生(生きとし生けるもの)済度(法を説いて人々を迷いから解放し悟りを開かせること)の方便(衆生を導く巧みな手段)を蓄えて、発心(信仰心を起こすこと)の門を出でて、いはだ川の波を分けて、煩悩の垢を濯げば、水のまにまに(ままに)道をつけて、危うきかけぢの谷を走れば、下にも行くか、足早船の、波の打櫂(うちがい)水馴(水に慣れた)竿、下れば差し、上げれば引く、綱でも三葉柏にこのように神託の道は遠い。年を旧(ふ)る名取の老女の子孫に至るまで、二世の願望三世の所望、皆悉く願成就の、神託を新たに告げ知らせて、神託を新たに告げ知らせて、護法は上がりなさったことだ」

◆参考文献
・「謡曲叢書 第一巻」(芳賀矢一、佐佐木信綱/編, 博文館, 1914)※「護法」pp.786-791
・岩田勝「神楽能における金剛童子」「広島民俗論集」(広島民俗学会/編, 渓水社, 1984)pp.134-151
・「日本庶民文化史料集成 第1巻 神楽・舞楽」(芸能史研究会/編, 三一書房, 1974)pp.171-172
・筑土鈴寛「使霊と叙事伝説」「筑土鈴寛著作集第四巻 中世宗教芸文の研究二」(筑土鈴寛, せりか書房, 1996)pp.279-302

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2019年11月16日 (土)

江戸里神楽公演学生実行委員会のパンフレットを読む

国会図書館に行く。今回はダブル盛り蕎麦といなり寿司を食す。今回は江戸里神楽公演学生実行委員会のパンフレットを読むのが主な目的。主要な部分はコピーしてまだ読んでいない。

<追記>
コピーした部分を読んだが、江戸里神楽公演学生実行委員会という組織は外からは正体不明の組織と映るようである。全貌を把握するには、全パンフレットに目を通した方がいいか。

岩竹美加子/訳「民俗学の政治性―アメリカ民俗学100年目の省察から ニュー・フォークロア双書27」(未来社)の冒頭部分を読む。著作権の関係で半分しかコピーできなかったが、読み返してみると、かなり構築主義を匂わせた構成であった。

川野裕一朗「民俗芸能を取り巻く視線―広島県の観光神楽をいかに理解すべきなのか」「森羅万象のささやき 民俗宗教研究の諸相」の前半部分を読んだが、芸北神楽を評価しようという心意気は立派だが、やはり梶矢手の解釈で変な箇所がある。阿須那系梶矢手というのは石見神楽系としか考えられないからである。

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2019年11月13日 (水)

新宿で反省会を催す

新宿で「第二回 かながわのお神楽公演」反省会に出席。文教大学の斉藤先生、若手民俗学者のH氏、司会を務めたSさん、Bさんが出席。僕自身は元々単なる観客だったこともあって舞台裏の事情は分からず、発言は少ししかしなかった。

会議の内容はいずれ江戸里神楽公演学生実行委員会のサイトで発表されるだろう。

今回、ポメラの矢印キーが故障で使えなかった。まだ使いたい場面はあるので困る。新型を購入すべきか。

帰りは酒場が居並ぶ思い出横丁を通って帰った。昼間と違って混んでいた。

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2019年11月10日 (日)

備後東城荒神神楽能本――身ウリ能

◆はじめに
 広島県比婆郡東城町戸宇の栃木家に蔵されていた寛文時代の能本に「身ウリ能」が収録されている。父の菩提を弔い母を生かすため自らを千両で商人に売る姫がいた。姫は父の菩提を弔うため一日の暇を乞う。ところが、商人の目的は奥州の池に住む大蛇が一年に一度人を取って喰うため、その生贄に姫を千両で買ったのだ。いざ大蛇に喰われんとしたその時、姫は一時の暇を得て法華経を読誦する。法華経の功徳によって救済された蛇は姫の母を壺坂の観音、姫を竹生島の弁財天とし、自らを蛇王権現とした……という内容。これも葬儀の際に舞われる神楽だったらしい。途中で商人の目的が大蛇に姫を食わすことだというのが意外な展開であった。

◆寛文本:身ウリ能
※原文に手を入れてみた。一部詞章の崩れで意味がとれない箇所があってそのままとしている(カタカナをひらがなに改めた)。

一 抑々(そもそも)御前に参たる物は何成(いかなる)物とや思召す これは奥州(をうしゆう)のカネタカ(兼高か)と申す商(アキ)人なり それ歳十二三の我が身を売る人あらば買い申さんために国々を尋ね これは大和の国宇陀の郡壺坂宿(ツホサカシュク)に宿を取り それ触状(フレチヤウ)札を立てばやと存じ候 歳十二三の未だ男の肌触れ申さん女人のみを 売る人あらば値小切(ギ)らず買い可申候
 姫出で
一 のうのうお札の前に参に候
 商人
〇さんて御身は未だ二十歳(ハタチ)にも足らざる身を 何を志して身を売り玉う 詳しく語り玉へ 聞きて買い可申
 姫
さん候 我が親は四方に四万の蔵黄金湧く故に金(コカネ)の長者(チヤウヂヤ)と申すなり 長者卅九まで子無くに依つて 長谷の観音(クワンヲン)に百日詣でん申て 四十歳に自らを儲け三歳に父親四十三の歳に死(しゝ)給うに依つて 卅九の申し子四十だりを忌むと申事これなり 然れども万宝失せ貧苦になる事限りなし 生きたる母の身命(シンメウ)もなし 死したれ父の斎(いつは)はんの斎料(ときりやう)も左右に無し ある時に御堂(ミドウ)に尊(タツ)とき生人(シヤウニン)の談義に我が身を売りても親のご菩提を弔(トムロ)うべきと説き玉うを聞く故に 自らが身を自ら売り参らせて 生きたる母親の身命に致し 死したる父のご菩提を弔い申せん為なれば 買い取り賜び玉けれ 商人様
〇商人
其の上は差違なく金千両に買い申すぞ姫君
〇ヒメ
然らば今明(コンメウ)日の暇を賜び給われ しかも明日は父親様の十三年忌なれば御僧頼み弔い申て その後はとにもかくにも御供申べく候
〇商人
それ暇は易き事小町売りの人なれば 哀れにわ存ずれども 甲に焼金(ヤキカネ)の印を仕りて参らせ申ぞや姫君
姫は宿にたち帰り母親の前に参りて 如何に母親様東の蔵の跡にて金を千両見つけて候ほどに 五百両をば御身様の今日や明日やの身命(シンメウ)に参らせ申 又五百両をば明日は父親様の十三年忌なれば 御僧様ましますやと尋ね さて家出(シュユツケ)出で様子申にあらず その後如何に母を様この程の金わ自らが身を商人(アキビト)に売り只今連れられ行き申候程に 厳(イツク)ノ島が関の里にもあるならば 訪れの文(フミ)を参らせ可申 時に母うやさてさて死したる父の御(コ)菩提とて身も売り 生きたる母を振り捨て立出(タチデ)申わ 腹立(ハラタツ)や千両の黄金(コカネ)も欲しがらす(曲) 客も無き次第かな
〇時に商人出金千両に買い申姫に偽りを宣(ノタモ)う
〇母云 さてさて何某(ナニカシ)程なる人の子を売るは買うわとは如何成(イカナル)事ぞや
〇商人 なになに金千両に買い申姫に付 お知られ□(不明)あるまづく候 はやはや親縁子縁を切り玉へとて劔(つるき)を抜いて愛を切るとき 剣ほどチャケな物わ世も有らじ 親子を嫌わで通す月ぞ
〇時に母親は腹立(ハラタツ)やも得た歌にて舞処なり
〇又商人宣う(の玉う) 如何に姫君聞き給へ 御身を高々に買い申事彼の奥州に大(ヲキ)なる池候が これに五色の大蛇あり この国震動し人を取る事限りなし 依つて一年に一度棚祀りを致すが寅年は拙者?(セツチャ)が前なり 我も姫は一人持ちたれども 哀れみを悲しみて御身を千両に買い下すなり 明日は御棚(みたな)に上げ大蛇のカンジ(勘事か)に与え申す ただ一筋に思い切り玉ヱや姫君
〇姫 さん候(ぞうろう)愚かなる仰せかな 父親様のご菩提の為とて 自らが身を自らが売るより初(ソ)めて 如何なる大蛇うにの 餌食になりとも火の中水の中に沈め給(タモ)うとても 老少不定(ロウシヤウフチヤウ)の前世(ゼンセン)の約束ぞ 命惜しむにあらず 急がせ玉や商人
〇時に姫を棚に置き 時に毒蛇姫を呑まんとする時 如何に大蛇生(シヤウ)ある物なら聞き玉へ シヤウリヤを刹那の暇(いとま)を得させよ 父の譲りに法華経一つ玉わり候 これを唱え申すぞ毒蛇
〇蛇(ヂヤ) さん候 法華経と聞けば有難や 返事の暇(ひま)を参らせ申すべし
〇姫袂より法華経を出て 一巻二巻をば諸神諸仏に奉 三の巻四の巻をば父母の御為なり 五巻は自らが身のたへ 六巻は商人に奉 七巻は今(コン)日の聴聞の人々に奉 八巻をば大蛇に授けるぞとてなぎ隠るなり
〇蛇(ヂヤ) この池に住まう事九百九十九年 人を取る事九百九十九人 御身を服し千人に達ずべきと存ずる所に 尊(タツ)時仏に参り会い 御経の功力を以て十六の角もはらりと落ち 蛇体を逃れ 申御経布施に金千両奉 御身の母をば壺坂の観音と祝申べし御身をば後には竹生島(チクフシマ)弁財(ヘサイ)天と祝可申 我をば後ろに蛇王権現と祝玉 商人をばカンヌ王と祝玉へ 先ず先ず只今御身をば 某(ソレガシ)が頭(カシラ)に乗せ申て 元の壺坂えただ一時に居り付申にて候

◆余談
 身売りの能は読んでいて、「あ、こういう展開になるのか」となった。意外性というか予想もしていない方向に話が進んで、精読するのが楽しかった。

◆参考文献
・「日本庶民文化史料集成 第1巻 神楽・舞楽」(芸能史研究会/編, 三一書房, 1974)pp.183-184
・「神楽源流考」(岩田勝, 名著出版, 1983)

記事を転載→「広小路

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2019年11月 9日 (土)

能を初鑑賞

梅若能学院会館「招魂」に行く。狂言「寝音曲」独吟「井筒」能「杜若」が演じられる。

「寝音曲」は太郎冠者が主に謡を謡えと命じられるが、あれこれ理屈をつけて断り、酒をしこたま飲んだ後、主の膝枕で謡い、そうでないと調子がでないふりをするが、段々混乱してきて……という内容。

能を鑑賞するのは初めての体験。セリフというか謡は何とか聞き取れたが、囃子方の「いよ~っ」ポン!という囃子に紛れて聞き取れなくなってしまう。隣の席の人は草書体の台本を持ち込んで参照しながら鑑賞していた。

動画で見たときには微動だにしないかの様に見えたが、生で見るとわずかに揺らいでいた。とはいえ、通常の動きからは考えられないくらいの微妙なものである。凄まじい身体能力だ。関東の里神楽の動きが早く思えるほどゆっくりとした所作だった。

文教大学の斉藤先生の勧めでシテの梅若長左衛門氏に挨拶する。まあ座っていきなさいとなる。会場には成城大学の山田先生(民俗学)と境先生(経済学)もいらしていて挨拶する。梅若氏は柳田民俗学の嫡子と言っていい成城大学の御出身とのことで、民俗学に造詣が深く、民俗学を語りはじめると止まらないという印象の方だった。ちなみに、日本の民俗が失われたのは戦後の鳩山一郎内閣の新生活運動の影響によるのだとか。他、柳田国男と折口信夫の確執や大嘗祭(大嘗祭の真実を知る者は天皇陛下と一部の人しかいない)などについて。

歌垣はフリーセックスではなく歌を詠むことによる求愛で応じる/拒否する方も歌で応じる。それで契約関係みたいな状態となり、子供が生まれれば継続、生まれなければ他の相手を探す……といったニュアンスのものだったそうだ。今でも銚子では漁師町なので女の子は高校生になったら家を出て下宿するとのこと。

柳田国男が記述自体は平易だが、結論を書かないので、結局のところ何がいいたいのか分からないという僕の質問に対しては山田先生が評論家の吉本隆明が体液的だと形容したとのこと。岡正雄は柳田国男の自宅に一年間下宿していたが、後に柳田を「一将功成りて万骨枯る」と評したとのこと。

あるとき若手が議論していた際に、重鎮が「柳田先生はそんなことをおっしゃらなかった」とピシャリと制止して、会話は途切れた……という話もあるそうだ。柳田自身、何かを取り上げて考察しようとした若手研究者に「君は考えなくていい。自分が考える」といった趣旨の発言をしたことがあるそうだ。柳田自身は自らを生きるデータベース化しようとしていた様だが、今からみると老害と言っていいかもしれない。

 

杜若(かきつばた)

シテ:杜若精霊
ワキ:僧
處は:三河

業平杜若の古跡を伊勢物語に依りて述べ。経文の功徳にて花の精まで成仏する事を作れり

ワキ詞「これは諸国一見の僧でございます。私はこの間は都にいて、洛陽の名所旧跡を残りなく一見しました。また是から東国行脚を志しています」
道行「ゆふべゆふべの仮枕、ゆふべゆふべの仮枕、宿は数多く変わったけれども、同じ憂き寐(寝の異体字)の美濃尾張、三河の国に着いたことだ。三河の国に着いたことだ」
詞「お急ぎになる間に、程なく三河の国に着きました。また、ここの沢辺に杜若(かきつばた)の今を盛りと見えます。立より詠(なが)めようと思います。実に光陰とどまらず、春過ぎ夏も来て、草木(さうもく)心なしとは申すけれども、時を忘れぬ花の色、かほよ花(カキツバタの異称)とも申すだろうか。あら美しい杜若かな」
シテ詞「のうのう御僧、何しに此の沢でお休みになっていらっしゃるのか」
ワキ詞「是は諸国一見の者でございますが。杜若の趣きがあるのを詠めています。扨(さて)ここをばいずこと申しますか」
シテ「これこそ三河の国八橋(やつはし)といって、杜若の名所でござます。さすがにこの杜若は名にし負う花の名所(などころ)なので、色もひとしお濃紫(こむらさき)の、おしなべての花のゆかりとも、思いなぞらえずに、とりわけお詠めくださいな。あら、心な(趣きを解することのない)の旅人(りょじん)かな」
ワキ「実に三河の国八橋の杜若は古歌にも読まれたという。いずれの歌人の言の葉だろうと承りたくございます」
シテ「伊勢物語に曰く、ここを八橋と言うのは、水行く河の蜘蛛手(蜘蛛の足の八方に出たように)なので、橋を八つ渡したのです。その沢に杜若のとても趣きがあるように咲き乱れたのを、ある人かきつばたと云う五文字(いつもじ)を句の上(かみ)に置いて、旅の心を詠めと云ったので、からころも着つつなれにし妻しあれば、はるばる来ぬる旅をしぞ思う。これは在原(ありはら)の業平(なりひら)がこの杜若を詠んだ歌です」
ワキ「あら趣きがあることだ、扨(さて)はこれ、東(あづま)の果ての国々までも業平はお下りになったのか」
シテ「こと新しい問事(とひごと)かな。此の八橋のここだけか、猶しも(なお)心の奥深い、名所名所の道すがら」
ワキ「国々ところは多いけれども、とりわけ心の移り行く末にかけて」
シテ「思い渡った八橋の」
ワキ「三河の沢の杜若」
シテ「はるばる来た旅を」
ワキ「思いの色を世に残して」
シテ「主は昔は業平だけれども」
ワキ「かたみの花は」
シテ「今ここに」
地「在原の跡を隔てるな杜若、在原の跡を隔てるな杜若、沢辺の水の浅くなく、契った人も八橋の蜘蛛手に物を思われる。今とても旅人に、昔を語る今日の暮れ、やがて馴れた心かな、やがて馴れた心かな」
シテ詞「いかに申すべき事がございます」
ワキ詞「何事でございます」
シテ「見苦しいけれども、妾(わらわ)の庵(いほり)で一夜をお明かしください」
ワキ「不思議だ賤しい賤(しづ)の臥處(ふしど)より、色も輝く衣(きぬ)を着て、透額(すきびたひ:冠の一種)の冠を着け、これを見よと承る。これはそもそも如何なる事でございますか」
シテ「是こそ此の歌に詠まれた唐衣(からころも)、高子(たかこ)の后の御衣(ぎょい)でございます。また此の冠(かむり)は業平の豊(とよ)の明(あかり)の五節(ごせつ)の舞の冠なので、かたみの冠唐衣、身に添え持っております」
ワキ「冠唐衣(からきぬ)はまず置こう。扨々(さてさて)あなたは如何なる人か」
シテ「誠は私は杜若の精です。植え置いた昔の宿の杜若と詠んだのも女の杜若に、なった謂れの事です。また業平は極楽の歌舞の菩薩の化現なれば、読み置く和歌の言の葉までも、皆法身(ほつしん:宇宙の理法そのものとして捉えられた仏のあり方)説法の妙文(優れた経典)なので、草木(さうもく)までも露の恵の仏果(悟り)の縁を弔うのです」
ワキ「これは末世の奇特(殊勝)かな。正しい非情の草木に言葉を交わす法(のり)の声」
シテ「仏事をなすか業平の、昔男(業平のこと)の舞の姿」
ワキ「これぞ即ち歌舞の菩薩の」
シテ「仮に衆生と業平の」
ワキ「本地寂光(じやくくわう:智慧の光)の都を出て」
シテ「普(あまね)く済度(仏・菩薩が苦海にある衆生を救い出して涅槃に渡らせること)」
ワキ「利生(仏の冥加)の」
シテ「道に」
地「はるばる来た唐衣、はるばる来た唐衣、着つつ舞を奏でよう」
シテ「別れ来た跡の恨みの唐衣」
地「袖を都に返そう」
シテ「抑(そも)此の物語は、如何なる人の何事によって、思いの露の忍ぶ山、忍びて通う道芝の、始めもなく終わりもなし」
シテサシ「昔男(業平)初冠(うひかむり:能で垂纓[すいえい]または巻纓[けんえい]の冠のこと)して奈良の京、春日の里に知る由して狩りにいった」
地「仁明(にんみやう)天皇の御宇(御世)だろうか、とても恐れ多い勅を受けて、大内山(おほうちやま)の春霞、立つや弥生の初めの方、春日の祭の勅使として透額(すきびたい)の冠を許された」
シテ「君の恵みの深い故」
地「殿上での元服の事、当時其の例は稀なので、初冠(うひかむり)とは申すのか」
クセ「そうではあるけれども世の中の、一度(ひとたび)は栄え、一度は衰える理(ことわり)の誠である身の行方。住む所を求めるといって、東の方に行く雲の、伊勢や終わりの海面(うなづら)に立つ波を見て、ますます過ぎた方の恋しさに、羨ましくも帰る波かなと、うち詠め行けば、信濃の浅間(あさま)の嶽(たけ)だろうか、くゆる烟(けぶり)の夕景色」
シテ「扨(さて)こそ信濃の、浅間の嶽に立つ烟」
地「遠近(ちこち)人(あちこちの人)の見るか(いや、そんなことはない)と咎めぬと口ずさみ、猶はるばるの旅衣、三河の国に着いたので、ここぞ名にある八橋の、沢辺に匂う杜若、花紫のゆかりなので、妻はあるかと、思い出た都人(みやこびと)。そうであるところに此の物語、其の品の多い事ながら、とりわけ此の八橋か、三河の水の底なく、契った人の数々に、名を変え品を変えて、人待つ女物(婦人物)病み玉すだれの、光も乱れて飛ぶ蛍の、雲の上まで行くべくは、秋風吹くと仮に現れ、衆生済度の我ぞとは、知るや否や世の人の」
シテ「暗きに行かない有明の」
地「光普(あまね)き月はなく、春か昔の春でない、我が身一つは元の身にして。本覚(衆生に本来備わっている悟りの智慧)真如(普遍的な心理)の身を分け、陰陽の神とは云われたのも、ただ業平のことだろう。このように申す物語、疑わせるな旅人。はるばる来た唐衣、着つつ舞を奏でよう。
シテ「花前(くわぜん)に蝶が舞う紛々たる雪」
地「柳上(りうじやう)に鶯が飛ぶ片々たる金」
シテ「植え置いた、昔の宿のかきつばた」
地「色ばかり昔だったか。色ばかりこそ」
シテ「昔男(業平)の名を留めて、花橘の匂い移る、菖蒲(あやめ)のかづらの」
地「色はいずれ、似るにも似たり杜若花菖蒲(はなあやめ)。梢(こすゑ)に鳴くは」
シテ「蝉の唐衣の」
地「袖白妙の(白い)卯の花の雲が、夜もしらじらと明ける東雲(しのゝめ)の、浅紫の杜若の、花も悟りの心開けて、すわ今こそ草木国土、すわ今こそ草木国土、悉皆(ことごとく)成仏の、御法(みのり)を得て失せたことだ」

井筒(ゐづゝ)

前シテ:里女
後シテ:井筒女
ワキ:僧
處は:大和
季は:九月

伊勢物語なる業平と紀有常の女と契る事、其の他の段をつゞりて合わせて作れり

ワキ詞「これは諸国一見の僧でございます。私は此の程南都七堂に参りました。また是から初瀬に参ろうと考えています。是なる寺を人に尋ねたところ、在原寺(ありはらでら)とか申すので、立ち寄り一見しようかと思います」
狂言「しかじか」
ワキ「さては此の在原寺は古(いにしえ)の業平が紀の有常(ありつね)の息女と夫婦でお住まいになった石上(いそのかみ)でしょう。風ふけば沖つ白浪たつた山と詠じたのも、この処での事でしょう」
歌「昔がたりの跡問えば、其業平の友とせし、紀の有常の常なき世、妹背をかけて弔はん、妹背をかけて弔はん」
シテ次第「暁ごとに閼伽(あか)の水、暁ごとに閼伽(あか)の水、月も心を澄ますだろう」
サシ「そうでなくてさえ物の淋しい秋の夜の、人目稀な古寺の、庭の松風更け過ぎて、月も傾く軒端(のきば)の草、忘れて過ぎた古(いにしえ)を、忍ぶ顔でいつまでか、待つ事なくて永らえよう。実に何事も思い出の、人には残る世の中かな」
歌「唯いつとなく一筋に、頼む仏の御手(みて)の糸、導き給へ法(のり)の声、迷ひをも照らさせ給ふ御誓い、迷ひをも照らさせ給ふ御誓い、げにもと見えて有明の、ゆくへは西の山なれど、ながめは四方(よも)の秋の空、松の声のみきこゆれども、嵐はいづくとも、定めなき世の夢心(ゆめごゝろ)、何の音にか覚めてまし、何の音にか覚めてまし」
ワキ詞「私はこの寺に安らい、心を澄ます折節に、とてもなまめいた女性(にょしょう)が、庭の板井(いたゐ)を掬(むす)びあげ花水(はなみず:仏前に手向ける花と水)とし、ここの塚に回向(えこう:仏事を営んで死者の成仏を祈ること)の気色が見えたのは、如何なる人でいらっしゃるか」
シテ詞「是はこの辺りに住む者です。この寺の本願(本願主:造寺など功徳となる事業の発起人)在原の業平は、世に名を留めた人です。なので其の跡の印もこの塚の陰でしょうか。妾(わらは)も委しくは知りませんが、花水を手向け御跡を弔い参らせております」
ワキ「実に業平の御事は、世に名を留めた人です。そうではありながら、今は遙かに遠い世の、昔語りの跡なのを、しかも女性の御身として、このようにお弔いになる事、其の在原の業平に、きっと故ある御身でしょう」
シテ「故ある身かとお問いになる、其の業平は其の時さえも、昔男と言われた身の、ましてや今は遠い世に、故もゆかりもありはしないでしょう」
ワキ「もっとも仰せはそのような事であるけれども、ここは昔の旧跡で」
シテ「主こそ遠く業平の」
ワキ「あとは残ってさすがに未だ」
シテ「聞こえは𣏓(朽)ちぬ世語りを」
ワキ「語れば今も」
シテ「昔男(業平)の」
地「名ばかりは、在原寺の跡舊(ふ:旧)るびて、在原寺の跡舊るびて、松も老いた塚の草、これこそそれよ亡き跡の、一村すすきの穂に出たのは、いつの名残だろう、草茫々(ばうばう)として露深々と古塚の、誠なるかな古(いにしえ)の、跡懐かしい景色かな、跡懐かしい景色かな」
ワキ詞「猶なお業平の御事を委しく物語ってください」
クリ地「むかし在原の中将、年を経てここに石の上、ふった里も花の春、月の秋といって住んでいたところ」
シテサシ「其の頃は紀の有常の娘と契り、妹背(夫婦)の心浅くなかったところに」
地「また河内の国高安(たかやす)の里に、知る人があって、二道(ふたみち:二人の異性を関係をもつころ)に忍んで通ったところ」
シテ「風ふけば沖つ白波立田山」
地「夜半(よは)にか君が独り行くだろうと、おぼつか波(はっきりしないで気がかりなこと)の夜の道、行方を思う心が解けて、よその契りはかれがれ(枯れ枯れ)です」
シテ「実に情知るうたかた(水の上に浮かぶ泡)の」
地「哀れを述べた理(ことわり)なり」
クセ「むかし此の国に、住む人がいたが、宿を並べて門(かど)の前、井筒によりてうない(髫髪:うなじで束ねた子供の髪)子の、友達かたらって、互いに影を水鏡、面をならべて袖をかけ、心の水も底ひ(極めて深い底)も無く、移る月日も重なって、おとなしく耻(恥の異体字)じがましく互いに今はなった。其の後彼のまめ男(好色の男)、言葉の露の王章(たまずさ:手紙の美称)の、心の花も色そって」
シテ「筒井筒、ゐづゝに掛けたまろ(私)がたけ(丈か)」
地「生えたことだよ、妹(妻)が見ない間にと、詠んで送ったところ、その時女も比べ超し、振分髪(ふりわけがみ:髪を肩までの長さに切り、左右に分けさばいたまま垂らしたもの)も肩過ぎた、君でなくして誰が上げるべきかと、互いに詠んだ故だろうか。筒井筒の女とも、聞こえたのは有常の娘の古い名でしょう」
ロンギ地「実に旧(ふ)るびた物語、聞けば妙なる(言いようもなく美しい)有様で、心を引かれる、お名乗りください」
シテ「誠は私は戀(恋)衣、紀の有常の娘とも、いざ白波の立田山、夜半にまぎれて来ました」
地「不思議かな、さては立田山、色に出る(秘めた恋心が表情に出る)紅葉ばの」
シテ「紀の有常の娘とも」
地「または井筒の女とも」
シテ「恥ずかしながら私であると」
地「言うや注連縄の長い世を、契った年は筒井筒、ゐづゝの陰に隠れたことだ、ゐづゝの陰に隠れたことだ」
ワキ詞「更けゆくか、在原寺の夜の月、在原寺の夜の月、昔を返す衣手に、夢待ち添えて仮枕、苔の莚に臥したことだ、苔の莚に臥したことだ」
後シテ「仇であると名にこそ立てれば桜花、年に稀な人も待っています。このように詠んだのも私なので、人待つ女とも言われました。私は筒井筒の昔から、真弓(弓の美称)槻弓(槻の木で作った丸木の弓)年を経て、今は亡き世に業平の、形見の直衣(なほし:昔の貴族の平常服)身に触れて、はずかしや昔男(業平)にうつり舞」
地「雪をめぐらす花の袖」
シテ「ここに来て、昔へ返す在原の」
地「寺井(てらゐ)に澄んだ月がさやかである、寺井に澄んだ月がさやかである」
シテ「月やあらぬ、春や昔と詠んだのも、いつの頃だろうか。筒井筒」
地「つゝゐづゝ井筒に掛けた」
シテ「まろ(私)のたけ(丈か)」
地「生えたことよ」
シテ「生えたことだよ」
地「そうでありながら見えた昔男(業平)の、冠直衣(かむりなおし)は女とも見えず、男だった業平の面影」
シテ「見れば懐かしい」
地「我ながら懐かしい。亡婦(ばうふ)魄霊(はくれい:魂)の姿は、しぼんだ花の色でなくて、匂いが残って在原の、寺の鐘もほのぼのと、明ければ古寺の、松風や芭蕉葉の、夢も破れて覚めたことだ、夢は破れ明けたことだ」

 

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2019年11月 4日 (月)

「第七回 梅鉢会」で神楽を鑑賞する

埼玉県越谷市のこしがや能楽堂で催された「第七回 梅鉢会」に行く。神楽が上演され、「八上姫(因幡白兎前段)」「天孫降臨」「因幡白兎」を鑑賞する。「八上姫」と「因幡白兎」は未見の演目。

越谷市までは3時間ほど掛かるのだけど、あざみ野駅から田園都市線~半蔵門線~東武線と一本で繋がっているので、寝ている内に着くという感覚で遠い感覚はない。

「八上姫」は八上姫に大国主命の兄の八十神(ここでは三神)が求婚するも断られてしまう。おかめさんが、目隠しをして鈴の音を頼りに姫を捕まえたものが姫をお嫁さんにできると言うのでそうすると、八上姫はそこへやってきた大国主命とすり替わってしまう。大国主命を捉えた八十神は怒り、罰として八十神の荷物を持たせることになる。困り果てた大国主命の許に再び八上姫が現れる……という筋。

梅鉢会・八上姫・八上姫
梅鉢会・八上姫・八上姫
梅鉢会・八上姫・八上姫に求婚を断られる八十神
梅鉢会・八上姫・八上姫に求婚を断られる八十神
梅鉢会・八上姫・目隠しする八十神
梅鉢会・八上姫・目隠しする八十神
梅鉢会・八上姫・目隠しして八上姫を探す八十神
梅鉢会・八上姫・目隠しして八上姫を探す八十神
梅鉢会・八上姫・そこへやって来た大国主命
梅鉢会・八上姫・そこへやって来た大国主命
梅鉢会・八上姫・八十神、大国主命を捕まえる
梅鉢会・八上姫・八十神、大国主命を捕まえる
梅鉢会・八上姫・八十神に蹴飛ばされる大国主命
梅鉢会・八上姫・八十神に蹴飛ばされる大国主命
梅鉢会・八上姫・八十神の荷物を持つよう命じられた大国主命
梅鉢会・八上姫・八十神の荷物を持つよう命じられた大国主命
梅鉢会・八上姫・従者のもどきが荷物を背負う
梅鉢会・八上姫・従者のもどきが荷物を背負う
梅鉢会・八上姫・困り果てた大国主命の許に八上姫がやって来る
梅鉢会・八上姫・困り果てた大国主命の許に八上姫がやって来る

「天孫降臨」は他の社中と同じ粗筋。ニニギ命が降臨するので、通り道を掃き清めようとしたもどきと猿田彦命が喧嘩を始めてしまう。そこに天鈿女命が現れる。猿田彦命は自分は天孫の道案内をしようとしているのだと答える。ニニギ命が現れ、夫婦となった猿田彦命と天鈿女命は連れ舞を舞う。最後に黒雲を猿田彦命が切り払う……という内容

梅鉢会・天孫降臨・もどきをぶつ猿田彦命
梅鉢会・天孫降臨・もどきをぶつ猿田彦命
梅鉢会・天孫降臨・連れ舞を舞う猿田彦命と天鈿女命
梅鉢会・天孫降臨・連れ舞を舞う猿田彦命と天鈿女命
梅鉢会・八上姫・黒雲をなぎ払う猿田彦命
梅鉢会・八上姫・黒雲をなぎ払う猿田彦命
梅鉢会・天孫降臨・ニニギ命
梅鉢会・天孫降臨・ニニギ命

「因幡白兎」隠岐の島に住む白兎がワニザメをだまして因幡の国へ渡るが、騙されたと知って怒ったワニザメたちに毛皮を剥かれ丸裸となってしまう。そこに八十神が現れる。八十神は塩水を白兎の身体に撒いたので白兎はいよいよ苦しんでしまう。そこに大国主命が通り掛かり、従者のもどきとおかめさんに真水を持ってきて掛けさせ、蒲の穂を身体に撒きつけると身体が元通りとなる(しかし、苦しんでいる白兎を他所に、もどきとおかめさんは物を運ぶときの舞を舞うのだった)。そして八神姫も現れ、大国主命と八上姫は連れ舞を舞う……という粗筋。

梅鉢会・因幡白兎・白兎
梅鉢会・因幡白兎・白兎
梅鉢会・因幡白兎・鰐鮫
梅鉢会・因幡白兎・鰐鮫
梅鉢会・因幡白兎・鰐鮫を飛び越える白兎
梅鉢会・因幡白兎・鰐鮫を飛び越える白兎
梅鉢会・因幡白兎・実はお前たちを騙したのだと白兎
梅鉢会・因幡白兎・実はお前たちを騙したのだと白兎
梅鉢会・因幡白兎・怒った鰐鮫に毛皮を剥かれてしまう
梅鉢会・因幡白兎・怒った鰐鮫に毛皮を剥かれてしまう
梅鉢会・因幡白兎・通りかかった八十神に塩水を撒かれてしまい苦しむ
梅鉢会・因幡白兎・通りかかった八十神に塩水を撒かれてしまい苦しむ
梅鉢会・因幡白兎・そこへ通りかかった大国主命一行
梅鉢会・因幡白兎・そこへ通りかかった大国主命一行
梅鉢会・因幡白兎・真水をかけて傷を癒す
梅鉢会・因幡白兎・真水をかけて傷を癒す
梅鉢会・因幡白兎・蒲の穂を身につけて傷を癒す
梅鉢会・因幡白兎・蒲の穂を身につけて傷を癒す
梅鉢会・因幡白兎・白兎、もどきとおかめに連れられて一旦退場する
白兎、もどきとおかめに連れられて一旦退場する
梅鉢会・因幡白兎・戻ってきた白兎・大国主命に面会する
梅鉢会・因幡白兎・戻ってきた白兎・大国主命に面会する
梅鉢会・因幡白兎・八上姫もやって来る
梅鉢会・因幡白兎・八上姫もやって来る
梅鉢会・因幡白兎・連れ舞を舞う大国主命と八上姫
梅鉢会・因幡白兎・連れ舞を舞う大国主命と八上姫
梅鉢会・因幡白兎・八上姫と大国主命
梅鉢会・因幡白兎・八上姫と大国主命
梅鉢会・因幡白兎・復活した白兎
梅鉢会・因幡白兎・復活した白兎

「八上姫」の笛が横浜のそれと異なる様に思える。多摩川の東と西で笛が異なるそうで(太鼓は同じだという)、埼玉と神奈川の違いが出たのだろうか。

こしがや能楽堂はオープンエアの会場で晴れていてよかった。普段は写真禁止だと思うが、今回は許可された。写真を撮って見ると日差しによって陰影が生まれていることに気づく。今日は未見の演目が二演目あったのでお得な気分。

子供はいたが、飽きて駆け回っていた。まあ、それも神楽だろう。

こしがや能楽堂
こしがや能楽堂
花田苑
花田苑

こしがや能楽堂は花田苑という公園に併設されていた。花田苑は美しい日本庭園だった。

会が終わって帰りがけに白石信人さんに声をかけられて挨拶する。Facebookだけの繋がりだったがリアルな繋がりとなった。

実は途中までレンズの手ブレ補正を切っていて警告マークが点滅しているのに気づかず写真を撮った。さすがに手ブレ写真量産がと思ったら、ボディ内手振れ補正のおかげか無事だった。

パナソニックGX7mk2+12-35mmF2.8で撮影

 

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2019年11月 3日 (日)

備後東城荒神神楽能本――目蓮の能

◆はじめに
 広島県比婆郡東城町戸宇の栃木家に伝わる寛文年間の能本に収録された「目蓮の能」に手を入れてみた。意味がとれない箇所が幾つかあったので、そこはそのままとした。ご了承願いたい(カタカナはひらがなに改めた)。

 木蓮尊者の一人息子が母を成仏させたいと訴えるが、母は八万劫の劫災を経なければならないところ未だ一万劫しか経ていないと断られる。それでも成仏を願い、その心が通じ、神殿を建てて祝うべしと教えられる……という様な内容である。

◆寛文本:目蓮の能

抑々(そもそも)御前に罷立る物(者)は何成物(いかなる者)とや思召す 是は 天竺内フダイ国に田そう(伝相)長者の一人子に羅卜(ラフク)太子とは某(ソレカシ)が事にて候 されば釈尊は天竺バツダイ河の北の面(ツラ) 沙羅双樹(シヤラシヤウシユ)の木(コ)の本(下)に御せボウニ何れの仏 人間 鳥類 畜類 木草に至るまで参候程に 某(ソレガシ)母の青提(シヤウタイ)婦女も参り玉へ 御僧には斎料(トキリヤウ)をも入玉へ 手の内の志をも取り天に上げ玉へと 朝夕に教化(キヤウケ)申せば 宣う様は 聴聞に参りたとて 四方の蔵が八方に成るべきか それ参ず斎料(トキヤウリヤウ)をも入るとて 四方蔵が失せべきかと宣(のた玉)いて 悪人となり それ仏神に憎まれ大リガ八(ヤツ)ニワイマワ母ヒモウワ八万地獄大郎が竈に煮えうき 辛苦を経給(たも)う事を 神通(ジンズウ)を以て悟り候へば 某(ソレガシ)釈尊の御弟子に参りて 母の菩提不如を一度(ヒトタビ)忉利(とうり)天に舞浮かべて 本(元)の姿を一目拝まばやと存じ候
〇諸行無常(ムヤウ)の春る(衍)花とは開けし風是生滅法(シヤウメツボツ)の夏の日に落花(ラツクワ)して生滅滅巳(シヤウメツメツイ)の秋月とわ照らしつれども 寂滅為楽(ヂヤクメツイラク)の冬の雲に隠るこの四つ歌詠む 又地水火風空の五輪の歌 又次に
極楽の明けずの門が何て開く 南無阿弥陀仏(なむわみたふつ)の六の字で開く
〇これは太郎が釜に着いたと存じ候 太郎が釜を破(ワ)れてしばやと存じ候 文(もん)に曰く ヲンベイシラマンタヤソワカ
〇その時太郎が釜を開け給うらん人わ如何なる物やらん
〇さん候(ぞうろう) 木蓮尊者の一人子こ(衍)に羅卜(ラブク)太子とわ某(ソレガシ)事なり されば某(ソレガシ)が母青提(シヤウタイ)婦女 太郎の釜に浮き信仰を経させ玉程に 忉利天に舞い浮かべと存じ候
〇それ思いも寄らん事 汝が母は大業人(こふにん)にて候えば 八万劫災(コウサイ)を経させんと思いし所に 未だ一万劫をも経させいで舞浮かべんとは思いも寄らぬ事なり
〇さん候(ぞうろう) 尤もの義にては候が 法華(ケ)経の一字の梵字(ボジ)は変わるとも 親子の字は変わらんと申す 鬼の目からも泪とよ 是非舞浮かべて玉われの主(アルジ)
〇げに聞けば哀れなり 一字の梵字(ボジ)変わらんとよ 鬼の目からも泪とよとの仰せかや
〇さん候(ぞうろ)
〇然らばヲウゴガタワ(峠か)八間(ケン)に神殿を建て 三方へ御綱(ミツナ)をはえ ゴヲウ(護法か)ヤゴヲウヤと舞遊び玉へ 然らば文を教えべし トクダツサンガイシユノウクケン この文(モン)を以て浮かべ玉へ 然らば我をば前方(ゼンボウ)塔の後戸に伽藍荒神と祝い給へ
〇さん候 仰せの如く崇め申にて候
〇然らば某(それがし)も法楽を一番舞納めばやと存じ候
一 あら目出度の御事や 只今の主の教えの如く 母君青提(シヤウタイ)婦女(ニヨ)をば 忉利天に舞浮かべて 即身成仏(ソクシンチヤウブツ)の姿を拝まばやと存じ候
一 親様の仏なると打ち聞けば 嬉しながらも濡れる袖かな次第に歌数(カス)にて舞出可申


 岩田勝は「ゴヲウヤ」を護法やと解釈している。

◆参考文献
・「日本庶民文化史料集成 第1巻 神楽・舞楽」(芸能史研究会/編, 三一書房, 1974)pp.187-188
・「中国地方神楽祭文集 伝承文学資料集成 第十六輯」(岩田勝/編著, 三弥井書店, 1990)
・「神楽源流考」(岩田勝, 名著出版, 1983)

記事を転載→「広小路

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2019年11月 2日 (土)

インタビューとアンケートに目を通す

文教大学の斉藤先生から六月の「第二回 かながわのお神楽公演」の資料を送ってもらう。家元へのインタビュー、神楽師と観客へのアンケート結果が主な内容。公演は演じる側も見る側も概ね満足だったようだ。年齢構成は高く、50代~70代で約八割を占める結果となった。

最終的には元学生スタッフがまとめるのだけど、家元のインタビューをまとめるよう指示されている。

六月の頃は単なる一観客だったのだけど、加藤社中の加藤俊彦さんに斉藤先生を紹介していただき、このようなご縁ができた。僕自身、ボランティアは初の体験なので、資料をよく読まねば。

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