歩く・見る・聞く――石塚尊俊「顧みる八十余年―民俗採訪につとめて―」
石塚尊俊「顧みる八十余年―民俗採訪につとめて―」を読む。出雲の碩学と言える著者の自伝的作品。生い立ちから中学校卒業までは普通の自叙伝風に描かれるが、大学に上がって民俗学を専攻するようになってからはテーマ別に分かれる。日記、採訪ノートをこまめにつけていたようで、何月何日、何時何分の特急で移動し、誰と会い、どこそこに泊まった等細かに記録されている。
民俗採訪七十年の章では、サエの神に始まって/タタラ・金屋子神をたずねて/納戸神との出会い/俗信の由縁を探る/イエの神・ムラの神、年頭行事/離島を訪ねて/奥所の神楽/民俗の地域差を考える―北陸同行地帯と安芸門徒地帯―と節が分かれる。また、各節に関連する論文が引用されている。
神楽については、離島を訪ねて/奥所の神楽といった節で言及される。中四国・九州と丹念に見て回っている。その成果が「西日本諸神楽の研究」としてまとまっていて博士論文ともなっているのだけど、郷土史の執筆等、神楽だけに専念する時間的余裕が無かったようで、東北、関東、中部など東日本の神楽には奥三河の花祭り以外言及されない。これがいかにも惜しく思われる。
「サエの神に始まって」では境界の神である塞の神を考察している。してみると、僕のルーツである浜田市下府町の才ヶ峠は塞の神と地獄の閻魔様の眷属を祀る十王堂が共存していることが特徴か。いわば生の世界と死の世界とを分かつ境界でもある訳だ。
戦時中は出征していて、中国戦線にいたようだ。満州や南方戦線だと生きて帰れなかっただろうと述懐している。中国では国境警備などに従事していたようで、激しい戦闘には遭遇していないようである。それでも、牛尾三千夫に対しては出征していない癖にといった複雑な感情があるのを別の論文(講演)で読んだことがある。
大正生まれの人であり、戦後、高度経済成長で民俗が失われ始めるまでの言わば民俗学の絶頂期を歩く・見る・聞くといった行為に費やしている。そういう意味では地方在住の民俗学者としての務めを忠実に果たしている。
<追記>
石塚は雑誌「山陰民俗」を主宰していたが、山陰民俗学会発足の経緯については語られていない。それは他の講演などで説明されたことだからかもしれない。
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