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2019年9月15日 (日)

浦島太郎と神楽

◆はじめに
 浦島太郎はよく知られた日本の昔話であるが、関東の里神楽(神代神楽)で神楽化されていた。2017年8月に横浜市天王町の橘樹神社で加藤社中による「浦島太郎」が上演された。関東の里神楽は基本黙劇であるが、マイクで解説しながら演じられた。

橘樹神社・加藤社中・浦島太郎、亀はモドキ
橘樹神社・加藤社中・浦島太郎、亀はモドキ
橘樹神社・加藤社中・乙姫
橘樹神社・加藤社中・乙姫
橘樹神社・加藤社中・浦島太郎と乙姫
橘樹神社・加藤社中・浦島太郎と乙姫の連舞
橘樹神社・加藤社中・故郷に戻ってきた浦島太郎
橘樹神社・加藤社中・故郷に戻ってきた浦島太郎
橘樹神社・加藤社中・老人となった浦島太郎
橘樹神社・加藤社中・老人となった浦島太郎
橘樹神社・加藤社中・去っていく浦島太郎
橘樹神社・加藤社中・去っていく浦島太郎

◆巌谷小波の浦島太郎
 巌谷小波が書いた浦島太郎が現在流通している浦島太郎の物語の基礎となるようだ。また、このストーリーは戦前の国定教科書にも採用され、浦島太郎の物語の定着に大きく貢献している。

 浦島太郎はある日、子亀が子供たちにいじめられているのを見て、子亀を買い取って解放してやる。それからしばらく後、海に出て釣をしていた太郎の許に子亀がやってくる。子亀は先日のお礼に太郎を竜宮に連れて行くと言う。浦島太郎を乗せるほどに大きくなった亀は太郎を竜宮につれていく。竜宮では乙姫様が太郎を迎える。歓迎の宴がはじまった。見たこともない世界で太郎は大いに楽しんでいたが、三日ほどして、自分は父母を残してきたことを思い出す。乙姫に暇を申して帰る太郎だった。乙姫様は太郎に玉手箱を与える。決して開けてはならないと言い添えて。地上に戻った太郎だったが、既に七百年が経過していた。困り果てた太郎は、こんなときに玉手箱を開けたらどうにかなるかもしれないと思いつき、蓋を開ける。すると箱から煙が出て来て浦島太郎は老人となって、足腰も立たなくなってしまった。めでたしめでたし。

◆浦島太郎の文学史
 三浦佑之「浦島太郎の文学史 恋愛小説の発生」(五柳書院)を読む。浦島太郎は民間伝承に起源を持つ口承文芸ではなく、中国の神仙小説に影響を受けた文学であるという内容の本。

 我々が現在知る浦島太郎は巌谷小波の日本昔噺のものをベースにしていて、それが国定教科書に採用されることで普及したとのことである。

 中世の御伽草子から巌谷小波の浦島太郎には、亀を解放してそのお礼に竜宮に招かれるという放生譚と報恩譚が見られるが、古代の浦島子にはそれは見られないとのことである。

◆論文
 浦島太郎に関する論文を幾つか読んだ。浦島太郎の物語は大まかに分けて古代、中世、近代と分類される。風土記逸文や万葉集などの古代の浦嶋子の話では亀を助けるという報恩譚の要素は無く、中世の御伽草子になって見られるようになる。また、亀と浦島太郎の異種婚姻譚でもあるが、近代になって亀と乙姫の人格が分けられるようになって婚姻譚の要素は消滅したと指摘している。武笠俊一「玉匣から玉手箱へ―浦島伝承史考―」「人文論叢」は元々は婚姻破綻譚だったとしている。また、近代の浦島太郎は亀を助けて龍宮へ行くものの、結末として玉手箱を開けることによる老化という点で報恩譚ではなくアンチ報恩譚であると武笠は指摘している。

 また、牧野陽子「海界(うなさか)の風景~ハーンとチェンバレン それぞれの浦島伝説~(一)~(三)」ではラフカディオ・ハーンが浦島太郎の物語を気に入っており、万葉集の歌を暗誦する程だったとしている。

◆ものぐさ精神分析
 岸田秀「ものぐさ精神分析」では浦島太郎を、

浦島太郎が龍宮城で時間の流れを感じなかったのも同じ理由からで、すべてが満足されるユートピアには時間はない。龍宮城にも四季はあるが、春夏秋冬はそれぞれ部屋の四方の壁の窓に気色として同時に映っているのであって、季節から季節への時間の流れはない(蛇足ながらつけ加えると、海の底にある龍宮城は人間が何ら欲望の不満を知らなかった胎児のときにいた子宮のシンボルである。海は羊水である。浦島を乗せる亀は浦島自身のペニスを表している。その頭がペニスの亀頭に似てい、陸へやってきてまた海に戻る亀は子宮外にあって、ときおり子宮へ、少なくとも子宮への通路たる膣へ戻るペニスのシンボルでなくて何であろうか)浦島が時間を知るのは、乙姫の願いを振り切って現実の世界に帰り、その言いつけにそむいて玉手箱をあけたときである(玉手箱は乙姫の性器のシンボルである)。浦島は、もはや龍宮城にいないのに龍宮城の乙姫を性的に求めたのであった。それは挫折せざるを得ない欲望であり、挫折せざるを得ない欲望をもったとき、浦島は時間の中に組みこまれたのであった。浦島太郎の物語は、性的欲望に仮託された子宮復帰願望の物語であり、われわれが時間をもったのは二度とふたたび帰れない母の子宮に帰りたいというむなしい願望を断ち切れない存在、いいかえれば、ゆきて返らぬ昔の夢をいつまでも追いつづける存在だからであることを暗示している。ちなみに言えば、確かに見知った家や道はあるのだが、誰ひとり知る人のいない、なじめない土地で、玉手箱をあけて老い果てた浦島の姿は、母の子宮内の楽園から軽率にもこの世にとび出してきて、確かに現実の世界ではあるのだが、何だか変だ、どこか間違っていると居心地わるく場違いな感じを抱きながら老いてゆくわれわれの姿であり、どうして乙姫に乞われるままに龍宮城にとどまらなかったかという浦島の嘆きは、どうして何の不安もなかった子宮内の生活を、ものを思わなかった幼い日々をあとに残してきてしまったかというわれわれの嘆きである。(197-198P)

としている。龍宮は子宮であり、浦島太郎の物語は子宮へ回帰する物語の暗喩なのであるとしている。

◆リュティの昔話論
 マックス・リュティ「ヨーロッパの昔話 その形と本質」では、

伝説のなかでだれかが百年、あるいはそれ以上の年月のあいだ眠っていたとすると、あるいは地下の国で過ごしたりすると、人間界へもどってくるときにこっぱみじんに砕け散ってしまったり、しわだらけにちぢまって非常な老人または老婆となってしまう。しかし、それは彼が人間界から離れた時間に気づかされてはじめて起きることである。すなわち、そのときになってはじめて、経過した時間全体をいちどきに意識し、かのまったくべつな状態、つまり人間の法則以外のものが支配しているあの状態のなかではけっして体験することのできなかったものを、精神的にも肉体的にも、一瞬のうちに体験するのである――すなわち時間の力を。(56P)

 このような例を挙げると、日本の昔話では浦島太郎が例として直ぐに思いつく。浦島太郎の場合は玉手箱が時間をとどめる働きをしているけれど、決して開けるなという禁止を破ることで、地上で経過した時間が一気に浦島太郎に襲い掛かる。日本の昔話は外国の伝説に近いと言われることがあるようだけれども、その一例がここに記されている。

◆御伽草子
「御伽草子」の「浦嶋太郎」を直訳調ながら現代語訳してみた。

浦嶋太郎

 昔、丹後の国に浦嶋というものがいて、その子に浦嶋太郎と申して、年齢は二十四五の男子がいた。海の魚類を獲るのに明け暮れ、父母を養っていたが、ある日、することもなくて退屈していたところに釣をしようと言って外出した。浦々島々、入江入江、到らないところはなく、釣をして貝を拾い、みるめ(海藻)を刈るなどしているところに、ゑしまが磯という所で亀を一匹つり上げた。浦嶋太郎はこの亀に言うに「お前は生ある物の中でも鶴は千年、亀は万年といって長命のものだ。ただちにここで命を断とうとする事は気の毒なので助ける。常にこの恩を思い出すべし」と言って、この亀を元の海に返した。

 こうして浦嶋太郎はその日は(日が)暮れて帰った。また次の日浦の方へ出て釣をしようと思い見たところ、遥かな海上に小舟が一艘浮かんでいた。怪しんで休んで見たところ、次第に太郎が立ったところに着いた。浦嶋太郎が「あなたはどのような人でいらっしゃるのか、このような恐ろしい海上にただ一人乗って入ったのでしょう」と申したところ、女房は「ある所へ都合よく出る船があったので(それに乗ったところ)折から波風が荒く、人が大勢海の中へ跳ね入ったところを、情け深い人が自分をこのはしけ舟に乗せて放したのです。悲しく思い鬼の島へ行くのではと行くべき方向も分からないその時に、ただ今人に逢い参ったのです。この世のものではないご縁でこそあります。なので虎も狼も人を縁としたのです」といってさめざめと泣いた。浦嶋太郎もさすがに岩や木ではないので、可哀想と思って綱をとって引き寄せた。さて、女房が申すには「ああ、我らを本国へ送ってくださいませ。ここで棄てられれば私はどこへ行きどうなりましょう。捨てられたら、海上でのもの思いも同じことです」とかき口説きさめざめと泣いたので、浦嶋太郎も可哀想と思い、同じ船に乗り沖の方へ漕ぎ出した。かの女房の教えに従って、はるか十日あまりの船路を送り、ふるさとに着いた。

 さて、船から上がり、どのような所だろうと思ったところ、銀(しろがね)の築地を建てて、金(こがね)の瓦を並べて門を建て、どんな(素晴らしい)天上の住いでも、これにはどうして勝るであろうか。この女房の住処は言葉に及ばず、中々(とても)申し尽くすことができない。さて、女房は「一本の樹の陰に宿り、同じ河の流れを汲むことも、全てこれ他生の縁です。ましてや遥かの波路を遥々と送ってくださった事は偏に他生の縁なので、何の苦しいことがありましょう。私は夫婦の契りを成して、同じところで明るく(楽しく)暮らしましょう」と細々と語った。浦嶋太郎は「ともかく仰せのとおりに従いましょう」と申した。さて偕老同穴(生きては共に老い、死しては同じ穴に葬られる、夫婦が仲むつまじく連れそうこと)の語らいも浅くなく(深く)、天にあれば比翼の鳥、地にあれば連理の枝となろうと、互いに鴛鴦(ゑんわう:オシドリ)の契りは深く、楽しく暮らした。

 さて、女房は「これは龍宮城という所です。この所に四方に四季の草木を現わしました。入りなさいませ、見せて差し上げましょう」と申して、連れて出た。まず東の戸を開けてみれば、春の景色と思えて、梅や桜が咲き乱れ、柳の糸も春風に(なびき)、なびく霞(かすみ)の内からも、鶯の(鳴く声の)音の軒近く、いずれの梢も花が咲いていた。南の正面を見れば、夏の景色と見えて、春を隔てた垣根には卯の花か、まず咲いていた。池の蓮は露をかけて、汀(みぎは)は涼しいさざ波で、水鳥が数多遊んでいた。木々の梢も茂りつつ、空に鳴く蝉の声、夕立ちが過ぎた雲間から声たて通るホトトギスが鳴いて夏と知らせた。西は秋と見えて四方の梢も紅葉となって、ませ(竹で作った目の粗い垣)の内にある白菊や霧がたちこめる野辺の末、萩が露を分け分けて、声がものすごい鹿の音に、秋だと知られた。さてまた北を眺めたところ冬の景色と見えて、四方の梢も冬枯れて、枯葉に置いた初霜や山々やただ白妙(白い色)の雪に埋もれる谷の戸に、心細くも炭竈(すみがま)の煙に現れる賤しい仕業(が立つのによって炭焼きの業をしていることがはっきり知られる)の景色かな。

 かくて面白い事と共に心を慰め、栄華に誇り、明るく(楽しく)暮らし、年月を経る程に三年に程なくなった。浦嶋太郎は「自分に三十日の暇(いとま)を与えてください。故郷の父母を見捨てて軽々しく出て三年を送ったので、父母の事を気がかりに思いますので、合って安心して参上しましょう」と申したところ、女房は「三年の程は鴛鴦(ゑんわう:オシドリ)の衾(ふすま)の下に比翼の契りをなして、片時でさえ見えさせなかったので、こうだろうか、ああだろうかと心を揉んでいたのに、今別れたら、またいつの世にか逢えましょうか。(夫婦は)二世の縁と申すので、たとえこの世で夢幻の契りであっても、必ず来世では、一つの蓮の縁と生まれてください」とさめざめと泣いた。また、女房が「今は何をか包みましょうか。自分はこの龍宮城の亀ですが、ゑしま磯であなたに命を助けられました。その御恩に報いようとして、このように夫婦となりました。またこれは自分の形見に御覧なさい」と申して左の脇から美しい箱を一つ取り出して「決してこの箱を開けてはなりません」と言って渡した。會者定離(ゑしやぢやうり:会う者は必ず離れる)の習いと言って会う者には必ず分かれるとは知りながら、留め難くてこうなのか、

 日数(かず)へてかさねし夜半の旅衣たち別れつゝいつかきて見ん

浦嶋返歌
 別れ行(ゆ)くうはの空なるから衣ちぎり深くは又もきて見ん

 さて、浦嶋太郎は互いに名残を惜しみつつ、こうしていつまでも居るべきことでないから、形見の箱を持って、故郷へと帰った。忘れもしない来し方行く末の事を思い続けて遥かの波路を替えるといって、浦島太郎はこのように

 かりそめに契りし人のおもかげを忘れもやらぬ身をいかゞせん

 さて浦島は故郷へ帰ってみたところ、人の跡は絶え果てて、虎が伏す野辺となっていた。浦嶋はこれを見て、これはどうした事だと思い、ある傍らを見ると、柴の庵があるので立ち寄って「もの言いましょう」と言ったところ、内から八十ばかりの翁が出て来て「誰でいらっしゃるか」と申したので、浦嶋は「この所に浦嶋の行方は分からないか」と申したところ、翁は「いかなる人でしたら、浦嶋の行方を尋ねるのでしょう。不思議です。その浦嶋とやらは、はや七百年以前の事と申し伝えています」と申したので、太郎は大いに驚いて、これはいかなる事かと、その謂れをありのままに語ったところ、翁も不思議な思いで涙を流して「あれに見える古い塚、古い石塔がその人の墓所と申し伝えております」と指をさして教えた。太郎は泣く泣く草深い露の多い野辺をかき分け、古い塚に参り、涙をながし、このように

 かりそめに出(で)にし跡を来て見れば虎伏す野辺となるぞ悲しき

 さて浦嶋太郎は一本の松の木陰に立ち寄り、呆れ果てていた。太郎が思うに、亀が与えた形見の箱を決して開けるなと言ったけれども、今はどうしようか(仕方がない)開けてみよう、見るのが悔しかった。この箱を開けてみれば、中から紫の雲が三筋上った。これを見たところ、二十四五の年齢も忽ち変わり果ててしまった。
 さて浦嶋は鶴になって虚空に飛び上がった。そもそもこの浦嶋の年を亀が計らいとして箱の中に畳み入れたものだ。そうであるから七百年の年齢を保ったのだ。明けてみるなと言ったのを開けてみるのこそつまらないことであった。

 君にあふ夜(よ)は浦嶋が玉手箱(たまてばこ)あけてくやしきわが涙かな

と歌にも詠まれている。生(命)ある物はいずれも情けを知らないということはない。いわんや人間の身として恩を見て恩を知らないのは木石に例える。情け深い夫婦は二世の契りと申すが、まことに有難い事かな。浦島は鶴になり、蓬莱の山に遊んだ。亀は甲羅に三せきの祝いを備え、万(よろず)代を経るのだ。さてこそ目出度い様(ためし)に鶴亀こそを申すのだ。ただ人には情けあれ、情けのある人は行く末目出度き次第を申し伝える。その後浦嶋太郎は丹後の国に浦嶋の明神と顕れ、衆生を済度した。亀も同じ所に神と顕れ夫婦の明神となった。めでいたい例(ためし)だ。

◆風土記
 丹後国風土記逸文が浦島伝説の古い出典の一つである。

 雄略天皇の御代、筒川の村に住む嶼子は魚釣りをしていたけれど一匹も釣れなかった。五色の亀を釣った。不思議だと思って寝たところ、亀は美貌の乙女となった。どうして来たのか問うと、天上の仙界から来た。親しく話をしたいと答えた。乙女は常世の国まで嶼子に舟を漕がせた。現世と異界の間で嶼子を眠らせ、そして常世の世界へとたどり着いた。見事な宮殿があった。

 進んでいくと大きな邸宅の門の前に来た。七人の童子(スバル星)と八人の童子(アメフリ星)が嶼子を亀比売の夫だといった。乙女の両親が出て来て挨拶を交わし、楽しい宴がはじまった。宴が終わると、嶼子と乙女は夫婦の交わりをした。

 嶼子は故郷を忘れ常世の世界で三年ほどを過ごした。俄かに故郷を偲ぶ心が湧いてきた。乙女がこの頃様子がおかしいと聞くと、嶼子は故郷が恋しくなったといった。乙女は悲しんだ。

 乙女と別れ、帰り道についた嶼子だった。乙女は玉の様な櫛を入れる箱を渡し、再会したいなら箱を決して開けてはならないと告げた。現世と異界の間で眠り、たちまち故郷に戻ってきた。

 故郷に帰ると嶼子が出てから既に三百年が経過した。困り果てた嶼子は思わず箱を開けてしまった。香しい煙が空をめがけて立ち上った。それで嶼子は乙女と二度と再会できないと悟った。

 ……玉手箱を開けるモチーフは既に描写されているが、その代償として急激に歳をとってしまうという件は無い。

 風土記の浦島伝説を直訳調ながら現代語訳してみた。

 

筒川(つつかは)の嶼子(しまこ)(水江[みづのえ]の浦の嶼子)
(丹後の国の風土記に曰う)

 与謝(よさ)の郡(こほり)
 日置(ひおき)の里

 この里に筒川の村がある。ここの人民で日下(※合字)部(くさかべ)の首(おびと)らの先祖で名を筒川の嶼子という人がいた。人となり、容貌は優れ、雅なことは類が無かった。これが所謂水江の浦の嶼子という人である。これは旧宰(もとつみこともち:元の国守)である伊預部(いよべ)の馬養(うまかい)の連(むらじ)が記したことに矛盾や齟齬をきたすところはない。そこで、所以の概ねを述べようとする。

 長谷(はつせ)の朝倉の宮で天(あめ)の下を治める(雄略)天皇の御代に嶼子は独り小さな舟に乗り海中で浮かび出て釣をした。三日三夜を経たけれども魚は一匹も得られなかった。たちまち五色の亀を得た(釣った)。心に不思議だと思い、舟の中に置きただちに寝たところ、たちまち婦人(をみな)となった。その容貌は麗しく、また並ぶ人はいなかった。

 嶼子は「実家は遥かに遠く、海面には人もいないのに、どのようにして来たのか」と問うた。女娘(をとめ:乙女)がほほ笑んで「雅な男が独り海に浮かんでいた。近く語ろうという思いに勝てず風と雲と共に来ました」と答えた。嶼子はまた「風と雲はどこから来たのか」と問うた。乙女は「天の上の仙人です。願わくば、疑わないで。愛しみの語らいをどうぞ」と答えた。ここで嶼子は神の乙女と知り、恐れ疑う心を静めた。乙女は語って曰く「私の心は天地と共に終わり、日月と共に極まらんとすることです。ただ、あなたはどうですか。否か諾か心を先ず先にはっきりさせなさい」と言う。嶼子は答えて「また言うことはありません。何を怠りましょう」と言った。乙女は曰く「あなたは棹をさしなさい(漕ぎなさい)蓬山(常世の国)に行きましょう」と言った。嶼子は従って行った。乙女は(嶼子を)眠らせて(この世と異界との間で目をつぶらせた)、ただちに不意の間に(一瞬で)海中の雄大な島に至った。その土は玉を敷いた様であった。高殿(うてな)は明るく映え、楼堂は照り輝いていた。目に見えず、耳も聞こえなかった(見たことも聞いたこともなかった)。

 手を携えて行くと、ある大きな宅の門に到った。乙女は「あなたはしばらくここで立っていなさい」と言って門を開いて中に入った。ただちに七人の童子が来て互いに語って「これは亀比売(ひめ)の夫だ」と言った。また八人の童子が来て「これは亀比売の夫だ」と言った。ここで乙女の名を亀比売と知った。ただちに乙女が出て来た。嶼子は童子たちの事を語った。乙女は「その七人の童子はスバル星です。この八人の童子はアメフリ星です。怪しまないように」と言った。即座に前に立って導き内に進み入れた。乙女の父母が諸共に迎えて、拝んで(挨拶を交わして)座についた。ここに人間と仙都(常世)の違いを説明し、人と神の偶然の出会いの親しい交わりを語った。ただちに百もの品々の美味を勧めた。兄弟姉妹たちは盃を捧げて酌み交わした。隣の里の幼女たちも紅顔で交歓した。仙界の歌は遥かに響き、神の舞はくねりながら踊った(なまめかしかった)それ、宴の様は人の世に万倍も(格段に)勝っていた。ここに(仙界では)日の暮れるのを知らなかった(分からなかった)。ただ、黄昏時に諸々の仙人たちが次第に退出し散らし、則ち乙女独りが留まった。肩を並べ袖を合わせて夫婦の交わりをした。

 ときに嶼子は古里を忘れ仙都(常世)に遊び、既に三年ほど経ていた。にわかに国を偲ぶ心を起こし、独り両親に恋い焦がれた。そこで、悲しみがしきりに起こり、嘆きは日に日に増した。乙女が問うて「この頃私の夫の容貌を見ると世の常と異なっています。願わくば、その思いを聞かせてください」と言った。答えて曰く「古(いにしえ)の人が言ったことに、凡人は故郷を偲び、死んだ狐は山を頭とする(山に頭を向ける)と言います。私は虚構の話だと思っていましたが、今はこれが真実だと知りました」と言った。乙女は問うて曰く「あなたは帰ろうとするのですか」と言った。嶼子は答えて曰く「私は近頃、父母と離れて遠く神仙の世界に入りました。人恋しさに忍びず(耐え切れず)、ただちに戯言(あさはかなこと)を申します(口走ってしまいました)。願わくば、しばし元の故郷へ帰って父母に会いたいと望むのです」と言った。乙女は涙をぬぐい嘆いて曰く「心は金や石に等しく共に万歳(よろずとせ:永遠)を契ったのに、どうして故郷を顧みて(仙界を)一時に捨てようとするのですか」と言った。ただちに携わって徘徊し(思案に暮れ)、語らい悲しんだ。

 遂に袂を翻して別れ、別れの路に就こうとした。ここに乙女の父母や親族はただ別れを悲しんで送った。乙女は玉の様な櫛を入れる箱を授け、語って曰く「君は遂に私を捨てずに帰り尋ねようと思うならば、櫛を入れる箱を堅くして、ゆめゆめ開き見てはなりません」と言った。ただちに互いに分かれて舟に乗り、ただちに眠らせ、忽ちに元の故郷の筒川郷に到った。乃ち村里は目を見張るに、人も物も遷り変わり、依る次第もなかった(とりつく島もなかった)。

 ここで里の人に問うて曰く「水江の浦の嶼子の家族は今どこにいるのですか」と言った。里の人は答えて「あなたはどこの人ですか。昔の人を訪ねたのですか。私が古老たちに聞くに、「前の時代に水江の浦の嶼子という人がいた。独り海に遊んで再び帰って来なかった」と言い、今三百年を経たところ、どうして俄かにこれを問うのか(急にこんな話を持ち出すのか)」と言った。ただちに空虚(虚ろ)な心を抱いて、故郷を巡った(探し回った)けれども、一人の肉親(片親)にも会わなかった。既にひと月を経た。そこで玉の様な櫛を入れる箱をかき撫でて神の乙女を愛でた。ここに嶼子は先の約束を忘れ急に(発作的に)箱を開けた。乃ち忽ちに良き蘭の香りが風と雲と共に翻って蒼天に飛んでいった。嶼子はただちに約束を違え、帰ってまた会う事が難しいのを知った(悟った)。首を廻らせて佇み、涙にむせんで徘徊した。

 ここに涙をぬぐって歌って曰く

 常世辺(とこよべ)に 雲立ち渡る 水江(みずのえ)の 浦嶋の子が 言(こと)もち渡る

 神の乙女が遥かに飛び良い声で歌って曰く

 倭辺(やまとべ)に 風吹き上げて 雲離れ 退(そ)きをりともよ 我(わ)を忘らすな

 嶼子がまた恋しさに勝てず歌って曰く

 子等(こら)に恋ひ 朝戸(あさと)を開き 我が居れば 常世(とこよ)の浜の 波の音(と)聞こゆ

 後の時代の人が追加で歌って曰く

 水江の 浦嶋の子が 玉匣(たまくしげ)開けずありせば またも会はましを

 常世辺に 雲立ち渡る 多由女 雲は継がめど 我そかなしき

◆日本書紀
 雄略天皇の時代、二十二年に浦島子の記事が掲載されている。

 秋七月に、丹波国余社郡(よぎのこほり)管川(つつかは)の人水江(みづのえの)浦島子(うらのしまこ)が舟に乗って釣をし、とうとう大亀を得た。たちまち乙女に成った。ここで浦島子は愛でて妻にし、互いに従って海に入り、蓬莱山(とこよのくに)に到り、仙人たちに巡り合う。この話は別巻にあり。

◆万葉集
 万葉集にも浦島子を詠んだ歌がある。

 水江(みづのえ)の浦島子(うらのしまこ)を詠む一首 并せて短歌

春の日の 霞(かす)める時に 墨吉(すみのえ)の 岸に出(い)で居て 釣舟の とをらふ見れば 古(いにしえ)の ことそ思ほゆる 水江の 浦島子が 鰹(かつを)釣り 鯛(たい)釣り誇り 七日(なぬか)まで 家にも来ずて 海界(うなさか)を 過ぎて漕ぎ行(ゆ)くに 海神(わたつみ)の 神の娘子(をとめ)に たまさかに い漕ぎ向かひ 相とぶらひ 言(こと)成りしかば かき結び 常世(とこよ)に至り 海神の 神の宮の 内の重(へ)の 妙(たへ)なる殿に 携はり 二人入り居て 老いもせず 死にもせずして 永き世に ありけるものを 世の中の 愚か人の 我妹子(わぎもこ)に 告(の)りて語らく しましくは 家に帰りて 父母に 事も語らひ 明日のごと 我は来なむと 言ひければ 妹(いも)が言へらく 常世辺(とこよへ)に また帰り来て 今のごと 逢はむとならば この櫛笥(くしげ) 開くなゆめと そこらくに 堅めしことを 墨吉に 帰り来りて 家見れど 家も見かねて 里見れど 里も見かねて 怪しみと そこに思はく 家ゆ出でて 三年(みとせ)の間(あひだ)に 垣もなく 家も失せめやと この箱を 開きて見てば もとのごと 家はあらむと 玉櫛笥(たまくしげ) 少し開くに 白雲の 箱より出でて 常世辺に たなびきぬれば 立ち走り 叫び袖振り 臥(こ)いまろび 足ずりしつつ たちまちに 心消(け)失(う)せぬ 若かりし 肌も皺(しわ)みぬ 黒かりし 髪も白けぬ ゆなゆなは 息さへ絶えて 後遂に 命死にける 水江の 浦島子が 家所(いへどころ)見ゆ

 反歌

常世辺に 住むべきものを 剣太刀 汝(な)が心から おそやこの君

◆余談
 関東の里神楽を観たのは橘樹神社の浦島太郎が初めてだったのだけど、昔話が題材でもいいんだと思わされた。関東の里神楽では他に桃太郎なども演目化されているようだ。

 浦島太郎は昔話なので、それほど難しくはないかなと考えていたのだけど、古典の様々な文献で語られており、また浦島太郎に関する論文もかなりあったので、案外手間取った。

◆参考文献
・「御伽草子」(市古貞次/校注, 岩波書店, 1958)pp.337-345
・「風土記 新編日本古典文学全集5」(秋本吉郎/校注・訳, 小学館, 1997)pp.472-483
・「日本書紀2 新編日本古典文学全集3」(小島憲之, 直木孝次郎, 西宮一民, 蔵中進, 毛利正守/校注・訳, 小学館, 1996)p.207
・「萬葉集2 新編日本古典文学全集7」(小島憲之, 木下正俊, 東野治之/校注・訳, 小学館, 1995)pp.414-417
・「日本民族伝説全集」第九巻(藤澤衛彦, 河出書房, 1956)pp.163-174
・「柳田国男全集」第二十一巻(柳田国男, 筑摩書房, 1997)※「海上の道」所収。「海神宮考」pp.416-451
・「日本昔噺」第三冊(巌谷小波/編著, 臨川書店, 1981)
・「浦島太郎の文学史 恋愛小説の発生」(三浦佑之, 五柳書院, 1989)
・「ものぐさ精神分析」(岸田秀, 青土社, 1977)pp.194-202
・牧野陽子「海界(うなさか)の風景~ハーンとチェンバレン それぞれの浦島伝説~(一)」「成城大学経済研究」第191号(成城大学, 2011)pp.1-23
・牧野陽子「海界の風景~ハーンとチェンバレン それぞれの浦島伝説~(二)」「成城大学経済研究」第192号(成城大学, 2011)pp.1-30
・牧野陽子「海界の風景~ハーンとチェンバレン それぞれの浦島伝説~(三)」「成城大学経済研究」第193号(成城大学, 2011)pp.1-31
・坂田千鶴子「龍王の娘たち」「東邦学誌」第32巻第1号(東邦学園大学, 東邦学園短期大学, 2003)pp.71-78
・武笠俊一「玉匣から玉手箱へ―浦島伝承史考―」「人文論叢 三重大学人文学部文化学科研究紀要」第24号(三重大学人文学部, 2007)pp.75-84
・秋谷治「浦島太郎――怪婚譚の流れ」「国文学:解釈と教材の研究」22(16)(320)(學燈社, 1977)pp.102-103
・日高昭二『「お伽草紙」論――心性としてのテクスト』「国文学:解釈と教材の研究」36(4)525(學燈社, 1991)pp.76-83
・下澤清子「浦島説話の変遷」「奈良教育大学国文:研究と教育(4)」(奈良教育大学国文学会/編, 1980)pp.27-37
・「ヨーロッパの昔話 その形と本質」(マックス・リュティ, 岩波書店, 2017)
・「群書類従・第九輯 文筆部・消息部)(塙保己一/編, 続群書類従完成会, 1932)※巻第百三十五 続浦嶋子伝記 pp.327-333


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