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2019年6月23日 (日)

おこぜと山の神と手草祭文

◆おこぜと山の神の昔話

 角川書店「日本昔話大成」第10巻ににおこぜと山の神に関する昔話が収録されている。このおこぜの話は古い神楽にも取り入れられていて人間の誕生の由来とその生まれることで汚れた場を清めたという内容、つまり場を清める神楽という意味を持っていた。

 昔、竜宮の乙姫さまがケンプを食べて、海のものではない味だったので、これは美味しい、取ってまいれとオコゼの次郎に命令した。オコゼの次郎は山を越え谷を越え、ようやくケンプの木を見つけたが、それを王大神山の神が見とがめる。山の神はオコゼを殺そうとしたので、オコゼは山の神は年をとっても独り身だ。竜宮の乙姫さまも妙齢だが独り身だ。私が二人の仲を取り持ちましょうと言い逃れる。オコゼは乙姫さまをらんごの浜へ遊びに誘う。そこで山鳥を見た乙姫さまはあの山鳥を捕まえろとオコゼに命じる。オコゼは山鳥を捕まえて乙姫さまに渡した。すると乙姫さまの体の調子が狂って懐妊してしまった。山鳥は器量の悪い山の神が変じたものだったのである。仕方がないので乙姫さまは山の神の所へお嫁にいった……という話。

 大昔、山の神がいた。山の神は不器量だったので嫁がいなかった。あるとき美しい鳥に変化して海辺で遊んでいたところ、乙姫さまが抱きかかえた。乙姫さまは懐妊し、九万九千の人間が生まれた。ところが産湯をつかうのに困って、芋ころ籠に入れて水の中で揺すったので、身体に不具合を持つ人間も生まれた。そして粟や稗(ひえ)を食べさせて人間の数が増えた……というお話。

◆手草祭文
 広島県比婆郡戸宇の栃木家に蔵されていた慶安時代の能本に手草(たぐさ)祭文が収録されている。主人公は宝蔵太子となっているが、おこぜと山の神のモチーフが取り入れられている。そして龍女姫のお産で穢れたので、七日七夜の神楽を修して清めるという流れになっている。

 昔の山之御主をば荒平明神と申す。中比の山之神をば藤平明神と申す。今の山之御主を社九山(せん)の主山之御神と申す。
 宝蔵太子の本地を尋ねると、父がくん王、母が貴船明神である。
 正月三日に誕生したのを藤右御前と申す。本地は馬頭観音で垂迹垂れて天大将軍と申す。
 十三日に誕生したのを藤右御前と申す。本地は毘沙門で垂迹垂れて中代将軍と申す
 二十三日に誕生したのを藤松御前と申す。本地は毘沙門天で垂迹垂れて地大将軍と申す。
 宝蔵太子の由来を尋ねると、須弥山から丑寅の方向に忉利(とうり)山とひ村山と二つの山がある。谷に七社あり、こぜんの木の元の壇社が宝蔵太子の社である。
 宝蔵太子は四十ニ歳になったが、未だ定まった妻がいなかった。龍宮の使わしめの女房の中に十五夜殿という絵の上手な女房がいて、その女房が書いた絵姿女房が風に舞って太子の膝元に落ちてきた。絵姿女房の龍女姫に太子は心を奪われてしまった。早速手紙を書いて龍宮に届けたが返事はなかった。六度まで届けたが返事はなかった。
 七度目の文を書いたけれども、龍女姫は龍宮の王に遠慮して返事を出さなかった。宝蔵太子は恋の病に臥してしまった。
 龍宮の十二人の使いの女房がいて、その中におこじ(おこぜ)の前がいた。おこじの前は太子の恋の病を聞いて、太子の許にやってきた。
 おこじの前は七月七日おつとの渚こうごの浜に龍女姫が浜遊びにおいでになる。そのとき太子はきん長という鳥に変じて菩提主の一の枝に止まれ、そのとき龍宮から十二丁の輿が出てくるから、その中の網代の輿の物見に止まれと助言した。
 そこで宝蔵太子はきん長という鳥に変じて、こうごの浜の菩提主の枝にとまって待っていたところ、おこじの前がやあ、美しい鳥がいますと声をかけ、輿の中に導いた。その鳥は宝蔵太子だった。
 そのとき七日間の日限の約束をして太子は九山に帰った。龍女姫は龍宮に帰って龍宮の王に事の次第を話したところ、王は大層喜んで、十二の輿に数万人のお供をつけて九山に送った。懐妊した龍女姫はつわりとなり、山に三十三の畜類、川に三十三の魚類、海に三十三の鱗のつわりとなった。産屋にいかなる宮殿楼閣を建てようとしたが、龍女姫は必要ない、ただ茅(ちがや)の蓆(むしろ)を七枚半編みなさいと告げた。蓆を編んだところ、二枚の上に二千人、五枚の上に五千人、半分の上に五百人の御子を一夜の内に設けた。
 その産声に天地が穢れたといって諸天がとがめた。清めようといって大ごが峠に八間の神殿を建て、七千五百本の幣を立て四方に注連縄を引き、天上には白蓋(びゃっかい)を置き、下には万畳を敷き、大太鼓を据えて、六十六人の巫女と法者に七日七夜の神楽を舞わせた……という内容。

※これは手草祭文に私独自の解釈で漢字を当てたものです。間違っている箇所が多々あるものと思われますのでご注意ください。

戸宇栃木家蔵慶安四年手草祭文

手草之大事

一 手草葉のその古(いにしえ)は知らねども 神の社は伊勢とこそ聞け

一 手草葉に結い垂(しで)つけて舞払 所堅めに参るなりけり

一 阿波の国鳴門が瀬戸に神立ちて 手草板葉は是にまします

一 そもそも山は父 川は母 海は男の嶋とかや 三つの御門(みかど)を押し開き 今こそようこふ(影向)おわしますなり

一 抑(そも)四天の舞台(ふたい)に花立てて 悪事の枝を撒い散らし 福の枝をば盛り遊ぶなり

一 抑(そも)つくし野草が滝と申には 昼空へ咲いたる葉は結い柴と申 夜下へ咲いたる葉は逆(さか)し葉と申 今と譜代は申(もふ)そべきままに 竹の葉などと申なり 竹の葉に神付ものと知りたらば 駒には食(はま)せし撫でて早沿ふ

一 抑(そも)昔之山之御主をば荒平の明神(めうちん)と申 中比之山之神をば藤平(とうひら)の明神と奉申 今之山之御主を社九山(千)之主山之御神と奉なり

一 されば宝蔵(ほうぞう)太子之御本地を詳しく尋奉に、父をばくん王と申奉る 母をば木ふねえ(貴船か)大明神と祝い奉るなり

一されば正月三日に御誕生(たんちやう)なり給いしをば 藤王御前と奉申使わしめをば千目童子と申 本地虚空蔵菩薩にてましませば垂迹現れて天大将軍(ちやうぐん)三代の明けん(冥見か)と祝い奉るなり

一 十三日に御誕生(たんぢやう)なり給いしをば藤右御前と申奉る 使わしめをば一童二童と奉申 本地を馬頭(ばとう)観音にてましますば 垂迹現れて 中代将軍(ちやうぐん)三宝太蔵と奉申なり

一 廿三日に御誕生(たんぢやう)なり給いしをば 藤松御前と奉申 使わしめをばわく王童子と申なり 本地毘沙門つち王とてましませば 垂迹現れて 地大将軍(ちやうぐん)山之御神と奉申なり

一 然者宝蔵太子之由来を尋奉に 須弥山(しうみせん)より丑寅に当たつて忉利(とうり)山ひ村山とて 二つの山あり 此山に堅固としたる谷あり此谷に中宮とて七社之社御座 此山に七本之植木(うゑき)あり 中にもこぜん(胡髯か)と結いし木あり 此木之元の社壇社(こそ) 宝蔵太子の社なりける 舞切り

されば宝蔵太子し(衍)御年四十ニ歳になり給ゑ共 未だ定まる妻もましまさず されば龍宮(りうくう)二十二人之使わしめの女房あり 中にも十五夜殿と申し 絵(ゑ)の上手(ぢやうす)にてましませば 我(わが)し憂きとは思得共(おもえども) あまりつ慈しくましませば 紅梅の檀紙(だんし)に竹之薄様(うすよう)引思 花園に盛り参らせ 花に戯れ遊ばせ給ゑば 何(いず)れが花 何(いず)れが絵女房共見へざりけり 姿を見れば春の花 形を見れば秋の月 十原十(とお)の結いをも瑠璃を延べたる如くなり

されば俄かに風吹き来て 龍女姫をば虚空(こくう)にふき上げ 何国へ(ゑ)も行くかと思(おもい)し 水(みな)紅(くれない)の扇(あおき)を三間開き 第三度仰がせ給えば お膝の上に折居御座す 袖の下を御覧じ給えば 龍宮の乙姫に龍(りう)女姫是なりと書きつけましましは是社(こそ)恋とはなり給(たも)うなり

其時玉梓(たますさ)を成りまつらせんと思し召し、紅梅の檀紙(だんし)に竹の薄様(うすよう)引く重 大坂山の鹿が撒き筆取出し こうろぎ色なる墨擦り流し 筆染めて思召す言の葉(事之は)を 打はゑ打はゑ遊(あす)ばして 松皮斐紙(ひし)に出し止め 山方ように押し納 南風にまかせて龍宮(りうくう)へ(ゑ)と届け給へ共 御返事更にましまさず

書いては届け書いては届け六度迄届け給ゑ共 然(しか)くの返事は更になし

其時七度目の文を参らせんと思食 七度目の文の文章(ぶんしやう)こそ面白けれ 吹く風の便り嬉しき水ぐきの 後は恥ずかしく(はすか敷)は思ゑ共 相隔たりての事なれば 思いやる小夜春小夜春と 程は雲井に益荒(ますら)方 自ら人故(ゆゑ)に身に憂き宮の増鏡 かけて入相突くすぐ(く)と 枕のなんだ床の塵 払い萌ゑん我袖のきりさ蓆(むしろ)の一人寝は 野寺の鉄(鐘か)の入相(いりやい)の 心尽きぬか花の色 袖を並べて思うには 鮑(あおび)の貝の方(片)思い 羅天(らてん)の月の明け方に 吹き来る方みを見るからに 袖にても書集めたる 藻塩(もちお)草 君の見るのも恥ずかしや 此文煙と御成し候へとかき集め給ゑて 龍宮(りうぐう)へ(ゑ)届き給へど 龍(りう)女姫 龍宮(りうぐう)の王に憚りお仕なし候て 御返事更にましまさず

一 其時宝蔵太子は恋の病に臥し転(まろ)び給(たも)う されば龍宮(りうぐう)十二人の使わしめの女房あり 中にもおこじ(おこし)の舞(前)と申すは此模様(もよ)を聞し召し やら労わしや宝蔵太子は恋の病(やもう)に沈み給(たも)うと承る 安からいで 恋を止めて参らせんと思食 龍宮(りうぐう)を忍び出で 九山に移り宝蔵太子の枕上に立ち添い宣う様は 自らと申は龍宮(りうぐう)のおこじの前(まい)にて候が 宝蔵太子は恋の病に沈み給(たも)うと承る 自ら恋を止めて参らせんがために 遥々参りて候と宣ゑば 宝蔵太子は大に喜び かつぱ(かつは)と起き上がり給(たも)うなり

いかに宝蔵太子承れ 龍(りう)女乙姫と申せしは 七月七日の日おつとの渚こうごの浜へ浜遊びに出で給わろうすぞよ 其時宝蔵太子は 金鳥(きん長)と云し翼に返(変)じて おつとの渚こうごの浜の菩提主の木の一の枝(ゑた)に御待候へや

其時龍宮(りうくう)大王から十二丁の輿出てくるならば 中に網代(あじろ)の輿に目を掛けて 輿の物見に止まり給ゑや 其時自ら進み出で 御取合申べし 由をばこう社(こそ)受けば給われ 舞切

一 其時宝蔵太子は 金鳥(きん長)と言(ゆ)う翼に変じ おつとの渚こうごの浜の菩提(ほ大)主の木之一之枝(ゑた)に御待候へば 十二丁の輿出(い)で来るなり 中にも網代(あしろ)の輿に目を掛けて 輿の物見に止まり給へば 其時おこじ(おこち)舞(前)は進みいで やら慈しき鳥にてましましたる こしの内より合わし給え(たま得)と宣えば 輿の内より合わし給ゑば 鳥ではなくして宝蔵太子にておわしますなり

一 其時七日の間に日限の約束を召され候て 太子は九山に移り給ゑば 龍(りう)女姫龍宮に御帰(かや)り合つて 龍宮(りうぐう)の王に此由を語り給えば 王は大に喜び給いて 十二丁の輿 数万人之人に御供申 九山に移し給ゑば 一日二日一月二月一年二年と送留めされ候へば つわり猶社(こそ)召されけれ 山に三十三の畜類 川に三十三の魚類 海に三十三の鱗(うろくす) 九十九しらのつわり猶こそ召されけれ されば御産の紐(ひぼ)にも近付給いて 産屋と乞い給(たも)う 如何なる宮殿(くうでん)楼閣 八つ棟造りの唐の小御所(こごしょ)も奉らせんかと宣え(得)ば いやいや八つ棟造りの小御所も所望に候わず 自らには茅(ちかや)の薦(こも)を七枚半編ませ給われ候へと宣えば、其時茅(ちがや)の薦を七枚半編ませ祭らせ給へば 二枚が上に弐千人 五枚が上に五千人 半之上に五百人 七千五百の御子をば只一夜の間に設け給うなりけり

一 されば一人ならぬ産声(うぶごゑ)に 天地も穢れたりとて 諸天な大(おゝい)に咎め給(たも)う 夫易き間之事にてまします 清めて参らせんとて 大ごが峠(たわ)に八間に神(かう)殿を打 平三尺に打 綱をば得(ゑ) 七千五百本の幣を佩き立て 四方に千道(ちぢ)の御注連(みしめ)を引 空には白蓋(ひやつかい)百六の玉の幡 紺青(こんぞう)横山霧霞 下は万畳(ばんぢやう)八重畳み、大え太鼓をかき据え 六十六人の巫女(みこ)と法者(ほうしや)を撫で据えて 七日七夜の間韓神(からかみ)神楽と奉申なり

一 さて社(こそ) 衆罪(しゆざい)の露は結べ共、智恵(ちゑ)の日は消ゑ易き物 峯高くして万(満)月の影落とす 谷深くして法華(法花)読誦(どくぢう)の御寵かすかなり 峯の霧不払 木末(小すゑ:梢)の嵐を散らし申 二つが如く 謹言(きんごん)上に申奉なり
 慶安四年辛卯□□(破損)下旬書之
  戸宇村官□(不明)
 栃木山城之守

◆改変された手草祭文

 岩田勝「神楽源流考」によると、江戸時代初期には手草祭文は上記のような内容だったが、時代が下り、詞章が神道流に改訂されて、天岩戸神話的な内容に改変されたとのこと。

 牛尾三千夫「神楽と神がかり」に収録された大元神楽の詞章を確認したが、手草は神楽歌のみしか記載されていない。なお、大元神楽には「手草の先」つまり、手草の次に舞われる演目として「山の大王」があり、そこでは手草の舞につられて出てきた山の神を祝詞司(のっとじ)がコミカルにもてなす内容となっている。

 八調子石見神楽では「手草」が「真榊」に改訂されている。こちらも「中央黄龍」と五龍王を連想させる字句は入っているが、物語的な内容ではない。

◆いざなぎ流祭文

 土佐のいざなぎ流の祭文も以下に掲示する。

 龍宮の乙姫様が食べたものが美味しかったので、おこぜの三郎に取りに行かせる。そのとき、山王神大代神宮を驚かせて叱られてしまう。おこぜの三郎はどこにあるのか教えて欲しいと願う。乙姫様は正月二十日に砂浜で遊びなさると告げて許しを得る。おこぜの三郎は龍宮に帰って不思議な鳥がいることを告げる。乙姫様はその鳥と戯れる。その鳥は山王神大代神宮が変化したものだった。乙姫様は懐妊する。山王神大代神宮は巨旦長者に一夜の宿を求めるが断られる。巨旦長者の嫁が巨旦は悪人だから、自分の父の将民将来(蘇民将来)に泊めてもらえと告げる。将民将来は山王神大代神宮に宿を貸す。食べるものがないので山王神大代神宮は米を三つぶ出す。それを八合の水で炊くと八合の飯となった。乙姫様のお産の紐が解ける。第一が祇園牛頭天皇、第二が天形星、第三が住吉大明神である。それから四百四病の神が生まれる。山王神大代神宮は将民将来に熟れた栗を取らせる。山王神大代神宮は巨旦長者の嫁を除いて、大夫千人、山伏千人、出家千人を含め巨旦長者を殺す……といった内容。

 意味が取りづらいので上手く要約できていないが、おこぜと山の神の話に蘇民将来の話が接続されている。以下、本文を示す。

※これはいざなぎ流の祭文に私独自の解釈で漢字を当てたものです。方言が多く、詞章の崩れも多いと見られます。間違っている箇所も多々あるものと思われますのでご注意ください。

 安永九歳
御神道けいこ本
山王神大神宮さいもん
 日浦込村 神子十太夫
(子正月十日・詞章・根須惣太夫様)

龍宮(りうぐん)海龍(かいりう)を立ぐん世界の前なる盤古(ばんご)が玉、龍宮(りうぐん)乙姫さま、折入ようご遊ばせ賜(た)び給う、龍宮(りうぐん)世界の前(まゑ)なる盤古(ばんごう)の如くのより上がる如くなり、龍宮(りうぐん)乙姫様、一つ取り上げて食べてみ給ゑ、よく美味(むま)きものにて、を己します、をこぜの太郎、止めてみよとありければ、川己せい本、訪ねに参らせこころ(ぞ歟)、高き山ゑ上がらせ給て、せい本御覧ずれば、東山口、西山口、中や阿口、御崎の御山にてぞ揃(そら)う、此の山に己たらせたもて、よくよく見給ゑば、山王神大代神宮様の昼寝をなされてをわします、其の御時にしし(椎)の神木、樫の神木、取りた、山の神の、節取たる、御山にて己します、此山の神大代神宮さま、昼寝をなされ候、其の御時、をこぜの三郎(さむろ)、しの(椎歟)神木、枝折り候、其御時、山王神大代神宮をどかせたもて(驚かせ給うて歟)、大けな叱りをなさる、其御時、をこぜの申されよ己 己れら、龍宮(りうぐん)世界の、をこぜにてぞらう(候歟)、龍宮(りうぐん)世界の前なる盤古が玉、乙姫さま、ご覧遊ばされた候ゑば、をこぜの三郎(さむろ)、不思議なるもの、流れてくる、訪ねてみよとありければ、訪ねに参りた、枝、折りぞらう(候)ところ、許いて賜(た)び給ゑ、とありければ、許したて参ろにも、し(椎)の神木、ここの葉(木の葉歟)の、散るも、惜しきものにて、をわします。されば、許いて賜(た)び給ゑば、龍宮(りうぐん)世界に己、正月廿日に己、よくよく、不思議な、砂己の阿ぞひ(遊びか)と申し、阿ぞび(遊びか)がぞらう(候)、よよくよよく、五色の花、飾り立て、面白き、ふちよ(婦女か)の 砂己の阿ぞび(遊びか)が空宇(候)、此の阿ぞび(遊びか)に 御出でなされ候(そら)ゑ とありければ、そこで、山の神大代神宮様、それに靡き、されば正月廿日に御出でなされるとの、御約束をまします、そこで七房、房中を、盗み取りたるところ、許したまう、をこぜの三郎(さむろ)、龍宮(りうぐん)館へ帰(かや)らせ給う、龍宮(りうぐん)乙姫、し(椎)の枝折り、さし阿げぞらう(候)、これ己、何と申ものぞとありければ、をこぜが ゆ己れように己、東山口、西山口、中山口、御崎の御(者)に(仁)てそらう(候)、山王神大代神宮の 節取りたる 御山で候(そら)ゑど し(椎)の神木、節取りたる山に而そらう(候)、ここの御山から、谷(た仁)の如くに流れいでてそらう(候)、又、おこぜが申されよに己、乙姫様も、正月廿日の 盤古が浜の 砂輪の遊びに 参らせぞらえ(候え)、とありければ、乙姫様も、参らせそらう(候)、其の御時に、龍宮(りうぐん)世界の前なる磯鼻を、見給ゑば、不思議なる酉が、いち己、止まりてそらう(候) をこぜに、出で来いとありければ、己れらがててままになる酉で候(そら)己ぬ、そこで乙姫様、立ち寄りて、ご覧ぞらゑば(候えば)、右(にぎ)、左八重、さざん九度の、ほろほろ、うて上ぐる、をこぜのさむろ(三郎)、ただなき酉にては、それ己ぬ、羽交(はがい)を見れば、十二さん吹きて(ふきり歟)、を己します、をこぜが申されよふ己、奥山せい本、山の神大代神宮様が、山鳥と変化をなされて御出でなされぞゑ(そう)ば、龍宮(りうぐん)乙姫様、龍宮(りうぐん)館ゑ帰(かや)らせまたう(給う)、く己きの、うとろ舟を、作らせ給ゑ、乙姫、く己の木の、うとろ舟に乗せ流せば、川せい本より、流れいく、東山口、西山口、中山口、山の御前に、上がらせ給ゑば、山王神大代神宮様、折居りようご(ようごう)、遊ばれそら(候)ゑば、流され人壱人、上がらせぞらう(候)、山の神の取上、よくご覧すれば、龍宮(りうぐん)乙姫にてを己します。己れら、杉屋の手にて、そら(そう)己ぬ、山王神大代神宮のをせに(をうせ:仰せ歟)己、打飯(たはん)仕ぞらゑ(候ゑ)とありければ、打飯(たはん)仕ろにも、打飯(たはん)袋が、ござそら(候)己ぬ 山王神大代神宮 覆いを 御とりどりの絵で、乙姫、白ハン袋、黒ハン袋、青(阿を)ハン袋、十二さん袋、乙姫に己たす、そこで 打飯、始め立て参る、山王神大代神宮、ことと置く、立て参る、手の内、貰い奉り、東こ巨旦(こたん)舘(やうか)ゑ(へ)、参りて、手の内を、賜(た)び給ゑとありければ、手の内、やることも 、ならん、殿仰せなり、されば己れが、ひがい(梭貝か鰉か)きくれたが、一夜の宿、貸し給ゑ、とありければ、宿も、得貸し不申とをせなり(仰せなり歟)、巨旦(こたん)長者(ちよざ)の、嫁のい己れよに輪、を欠くも、裏ゑま己れ、とありければ、くみちやして奏上、御客僧(をかくぞ)に己、この所に宿とるな、巨旦長者(ちよざ)己、大悪人にてそらう(候)、此ゟ(より)西ゑ当たりて、将民と申己、我が、親にてぞらう(候)、将民宅かと、訪ね行け、一里の内外ゑ(ないく己い歟)、参りて、将民が宅かと、訪ねてみれば、されば、将民がか宅と己、此の所にて、そらう(候)、旅人にて、を己しますが、一夜の宿、貸し給ゑとありければ、宿貸す己、易きことに、候ゑども、ここの所に己、五穀を、作らぬ所、食ぶるものが候己ぬ、食ぶる物いるまいと 直ぐに、やり取り候ゑば 将民が所の、穏婆(おんば)の、ゆ己れよに己、五穀、候己ず、よめし(ようめし歟、夜飯)、炊いて上る、事ならず、山の神大代神宮様の、大(をゝ)たる、笈(をい)の、蓋開けて、米三つづ、取出だし、よめし(夜飯)、炊いてくれとありければ、受取て、ご覧候ゑば、この三つづの米が、炊かれるものか、とありければ、そもすな(そう申すなカ)、炊いてみよ、七度(たび)洗いて、水八合入て、叩き立て参れば(炊き立て参ればカ)、三つづの米が八合に増え生きて、さて福神(ふくじん)な、お斯くや、よう(夕)飯奏上候(ぞら:そうら)ゑば、夜の子丑の刻稲荷(ゑなり)行けば、此れの嫁御様、塩梅己るござろうぞ、されば、一昨日の、巳午の刻□(からカ)、塩梅己るござろぞ、夜の子丑の刻に、御産(ござん)の紐(ひぼ)が、解けいく、四百しべを(しべう:四病)の病(やまい)の神、巨旦(ごたん)上候(ぞらう)、引き上げ、親将民が所のお婆、臼中ゑ引き上、親となる、山の神の仰せ(をセ:ををセ)に己、先づ、一番に、引き上げる己、祇園牛頭天皇と、名を連れ候(そらう)、二番に、引き上る己、天けしやう(天形星)殿と名をつける、三番目に引き上る住吉大明神、と名を付ける、その、残りた、御子己、目ない神、御手ない神、鼻ない神、口なき神、背ななき神、腹なき神、手なき神、足なき神、悉く、名を付けて、四百しべの(べうの:四病)、病(やまい)の神と、名を付くる、将民が申(も)され様(よ)に己、負(を)ぶい、炊かねばならぬが、五穀が候(そうら)己すして、負(を)ぶい、炊かねばならぬが、五穀が候己ずして、負(を)ぶい、炊くことならず、大神の仰せ(をせ)に己、将民将来(蘇民将来)、一昨日の巳丑の刻(ごく)に、東東方(とぼ)山に、栗を三合三才撒いたそうな、此栗が熟れたぞ、刈りて来い、負(を)ぶいに炊く、己れが、を一昨日の、巳午(みむま)の刻に、撒いたる栗が、生えも す(する)ものか熟れもするものか、将民、ぞもな(そう申な歟)、己れが宿己、七十五日 掛け様(やう)、宿将民将来(蘇民将来)が、東山ゑ、見に参らせ候(そうろ) 刈り取り候ゑて、いりあ栗にして、負(を)ぶいに、交(か)いに、炊き候(そらう)、人間(にんげ)の、負(を)ぶいに己、栗を炊かぬと申すも、その因縁、山神の仰せ(をせ)に(仁)己、東巨旦長者(ちよざ)が、舘ゑ、四百しボ(しべう:四病)をの、山の神を入て、殺いてやらねばならん、将民将来(蘇民将来)、見てこい、巨旦長者(ちよざ)の舘、見給ゑば、太夫千人、山伏千人、しうけ(出家か)が千人、三千人揃ゑて、屋のご祈祷(きと)なされる、しし蜂と、へげん(変化か)をなして、入り奉ば、さはらと、広まり、奉る、三千人、凪ぎ干スごとく、巨旦長者(ちよざ)の、嫁を、水取として壱人、助けてくれとありければ、将民が此にて候(ぞらう)、助けて、とらすると、かんまんぼろんと言(ゆ)、肌守(まぶ)りを掛きて、掛け差して、門に吉上、梵字の札打ち止むるも、その因縁で、を己します、ただ今今日の、此の山王神の祭文の、功力よて(によって歟)、恐(をぞ)れを成すな、七段、七福、ぞこぞこ、めつきう(滅却か)す、祝詞(のりんと)、行ない参らせ候(そろ)
 安永九年
  子ノ正月十二日うつし〆
 日浦込ノ千太夫

◆御伽草子
 参考までに御伽草子の「をこぜ」を掲示する。山の神がおこぜの姫さまに一目惚れしてしまい、カワウソが仲を取り持つという粗筋である。

 山桜は自分が住む辺りの眺めなので珍しくはない。春のうららかな季節は浜辺こそが実に見どころの多いことだ。女波(男波の間に打ち寄せる低い波)と男波(高く勢いよく打ち寄せる波)が互いにうち交わし、岸の玉のような藻を洗うところに千鳥が浮き沈んで鳴く声もなおさらである。沖を行く舟の風がのどかで帆をかけて走る、歌を歌う声がかすかに聞こえて、なんとはなく見るのも、とても趣きが深いことだ。塩を焼く煙が空に横たわるのは、誰の恋路に靡くのだろうか。向こうの山から柴をいう物を刈って運ぶのに、花を手折ってさし添えたのは、情趣を解さないはずの海人(あま)の技で、優しくも思えるかな。山の奥では見慣れないことも多い。山の神が集まって色々の興に乗じて一首詠んだ。趣がありそうだけども、心ばかりはこうであろうか。

 柴木とる海人の心も春なれやかざす桜の袖はやさしも

とうち詠んで、あそこここをうろうろと迷い行く

 ここに、おこぜの姫といって魚(うを)の中では類ない優者(やさもの:しとやかで美しい人)である。顔つきはかながしら、赤めばるとか言うものに似て骨が高く眼(まなこ)が大きく口が広く見えるが、十二単衣を着て、数多の魚を伴って波の上に浮かび出でつつ、春の遊びをなさる。和琴をかき鳴らして歌を歌う声を聞くと、ほっそりしているがひどく訛って

 ひく網の 目ごとにもろき わが涙 かからざりせば かからじと 後は悔しき 漁師舟かも

と歌いつつ、琴を弾く爪の音も高く聞こえた。山の神はつくづくと立ちながら聞いて、おこぜの姿をみるよりも早く物思いの種となって、せめてその辺りへ近づいてもと思ったけれども、水泳の心得を知らないので、これも叶わず、浜辺にうずくまって、こちらに来るように手招きすれば、「ああ、憂いことだ。見ている人がいる」といって水底へと入って行った。

 それにしても、山の神は、衣の裾を引くのがちらと見得たおこぜの君のお姿を今一度見たいと思って立ち浮かれ、明け暮れてもその方で伺っているけれども、二度と出てこないので、日もようやく西に傾いたので、しおしおとして山の方へとたち返って、昔の在原業平の様に起きもせず寝もせず夜を明かして、これの面影が忘れられず、胸が一杯で、悩ましい心地で木の実や榧(かや)の実などを取り食うけれども、喉へも入らず、ただ恋しさが勝る草の露と消えようかと思うけれども死にもせず、こうしてその夜も明けたところ、また浜辺の道に立ち出でて、もしやと思う心を頼りにして、もしやおこぜの君が浮き上がるのではないかと沖の方を見やるけれども、白波が打ち寄せて、おこぜの君は影も見えない。山の神は涙を浮かべて枝を折って道しるべとして、うつらうつらとまた住処に立ち帰り、どれほどであろう玉すだれの隙間から漏れ来る便りもあれよ、せめて思いの程を知らせて、死んだ後までこうとまで思い出したら、来世の罪も少しは軽くもなるだろうを、山に棲む物は水の案内を少しも知らず、また水に棲む仲間は山のことは勝手不案内なので、語らって寄ることもならず、どうしようと、大きな息をついて思案する。いやはや、腹筋もよじれて他所から見てもおかしい。なので、「都の内、因幡堂の庇(ひさし)の端にある鬼瓦は古里の妻の顔に似て都だけれども旅なので恋しい」といってさめざめと泣く人の心まで思い出して、一人笑う。

 こうしたところへ川獺(カワウソ)が来たところ、山の神が申すことには「いかに貴殿は水泳の心得を知っていらっしゃる。かくかくしかじかのことがあります。手紙を一つ遣わしますので届けてくだされ」と言った。カワウソは聞いて「そのおこぜは極めて見目が悪くございます。眼が大きく骨が高く口が広く色は赤い。さすがに山の神がこれらをお思いするといっても、人聞きが悪く思われるのもおこがましいことです」と申したところ、山の神は「いや、それはあなたの偏見か。女の目には鈴を張れということもあって、目の大きいのは美女の相です。骨が高いのは貴人の相です。口の広いのは智恵賢い印です。どこにも隔てのない君なので、誰に見せようとも、心を迷わさないことがどうしてか無いでしょうか。そのように悪く噂するのは世の習いですぞ」と言って思い入った有様、まこと、縁があればあばたもえくぼに見える習いかなとおかしさは限りない。「ならば、お手紙を書き給え。伝えて参りましょう」と言ったので、山の神は嬉しさを中々言葉で尽くせない。手紙を書こうとすると、硯も筆もない。ただ木の皮を引きむいて思う言葉を書いた。「さてさて思いも寄らない事ながら、一筆とりましょう。いつぞや、ひそかに浜辺に出て春の海面を眺めていたところ、波の上のお遊びと見えて、和琴をかき鳴らし歌を詠まれたお姿をよそから見て、花ならば梅桜がたおやかで、糸柳の風に見られる風情は一層鮮やかに奥ゆかしく見えました。我が身は深い山の木々の埋もれ木で朽ち果てていくのに力もありません。思った末の残りなので、君の身の上をどうしましょうか。せめて手が触れた印としてお返事を下されば、うれしく思います」と書いて、奥に

 かながしらめばるの泳ぐ波の上見るにつけてもをこぜ恋しき

と詠んで、カワウソに渡した。

 かくてカワウソはますますおかしくて笑いたくなりつつも浜辺に立ち出でて海の底へつぶつぶと泳いでいって、おこぜの姫に対面してかくかくしかじかと語ったところ、おこぜはこれをお聞きになって、思いも寄らない事かなと言ってお顔をとても赤くして、手にも取らなかった。カワウソは「あらつれないことだ。藻に棲む蟲の割れた殻と濡らす袂のその下にも、情けは世に住む身の上になくてどうしましょうか。楢柴の仮の宿の契りでさえ思いを晴らす習いですぞ。ましてや、これは常ならぬ事で、後は契りの底深く恋に沈んだその心を、どうしてむなしく過ごしましょうか。塩を焼く海人(あま)の煙でさえ思わぬ方向に靡きましょう、春の柳が風吹けば必ず靡く枝ごとに、乱れた心の哀れさを少しは思召されよ」などと様々に申したので、おこぜの君はつくづくと顔をしかめ、さすがに石や木ではないので、例の赤ら顔で恥ずかしくあったけれども、「さても思いも寄らない筆跡、お心の程もとても哀れに思いますけれども、ただほんのひと時の言の葉、上辺だけ情けをかけられましても、憂き世の習いとはいいますけれども、秋になって草々が枯れた時は真葛が原(葛の生えている原)に風が立って、恨み顔だろうけれども、そうは言うものの、慣れて後はどうしましょう、とにかく、この事をお許しになって昔から見なかった(逢わなかった)とお思いになるのがましでしょう。今の思いに比べればと申すこともあるので、術もないでしょうか。また、自分は青柳のような糸、そなたは春風でいらっしゃると心に決めます」と言って

 思ひあらば玉藻の蔭に寝もしなむひじきものには波をしつつも

とうち詠んでカワウソに渡したので、喜んで立ち帰り、山の神に見せたところ、まず嬉し泣きに泣いて涙を流し、急ぎ開いてみたところ、我が身を青柳の糸とし、君は春風と吹くというのは、靡いたということだろう。「ならば、今宵、おこぜの君の許へ参るべし。いっそのこと、貴方が道しるべとなってください」とおっしゃった。「容易いことです。お供しましょう」と言う。

 こうしたところに、タコの入道がこの事を伝え聞いて、「さて、無念の次第だなあ。自分もおこぜの許に度々手紙をやったけれども手にも取らなかった。遺恨と思うところに文武のどちらでもない山の神の方へ靡こう返事をすることが心のどかでない。自分は法師の身なのでと侮ってこのように易々と靡くとは。イカの入道はいないか。押し寄せておこぜの姫を踏み殺せ」と八手を広げ、さわさわと這いまわって大声で叫んだ。

 イカの入道は傍にいたが、申すことに「同じならば、ご一門を召し集めて、その後で決心し給え」と申したので「そうだ」と言って、アシダコ、手長ダコ、クモダコ、ハリダコ、イヒダコ、コトウダコ、アヲリイカにスルメの次郎、いずれも一家(いつけ)の親族(しぞく)なので言うには及ばず、他家の人々、大名小名によらず集まった。

 おこぜの君は、このことを伝え聞いて、このままここに居るよりは山の奥にでも隠れようと思いつつ、波の上に浮き上がってアカメバル、カナガシラを伴って山の奥に入ったところ、その時、山の神がカワウソを供にして例の浜辺に出でた。細い道ではったと行き合った。山の神はあまりの嬉しさに前後をわきまえず「起こせておこぜに山道で行き合った。山の奥は海の上、カワウソはおこぜである」などとわななき言い散らして、それからうち連れて自分の住処に立ち帰り、比翼連理の語らいをなした。世の中の人が言うに、必要以上にものを見て喜ぶのを「山の神におこぜを見せたような事だ」と言い伝える。

◆まんが日本昔ばなし

 アニメ「まんが日本昔ばなし」でもおこぜの昔話が取り上げられている。「おこぜのトゲ」というタイトルで、出典は辺見じゅん(角川書店刊)、スタッフは演出:やすみ哲夫、文芸:沖島勲、美術:柴田千佳子、作画:古宇田文男という顔ぶれ。

 竜宮城のお姫さまが重い病にかかった。海の魚たちは集って相談したが、山の神の桃が病に効くという話になった。ところが山の神は恐ろしい姿だったので、誰もしり込みして行こうとしない。そこで醜いオコゼをおだてて桃を取りに行かせる。オコゼは川を遡って桃の木に辿り着くが、そこには山の神がいた。こっそり桃を盗もうとしたオコゼだったが、山の神に見とがめられてしまう。慌てて事情を説明したオコゼだったが、山の神はならばお姫さまを自分の嫁にしろと言う。姫の命には代えられないと承諾したオコゼだったが、オコゼは桃を竜宮城に持ち帰ったが、桃には秘密があった。桃を食べたお姫さまは病から回復したが、その替りに身重になってしまう。竜宮の両親は怒ってお姫さまを追放してしまう。やむなく山の神のところへ行ったお姫さまとオコゼだった。山の神は喜ぶ。お産が始まった。お姫さまは三日三晩子を産み続け、四百四人の子供を産んだ。オコゼがあやそうとするが、オコゼのトゲには毒があって、足を刺せば足が悪くなり、腹を刺せば腹が悪くなった。あまりの子供の多さに苛立った山の神は四百四人の子供たちを追放する。それで子供たちは人間の里へと散らばっていった。こうして人間の世界には四百四の病が生じた。女嫌いになった山の神は山奥の社に閉じ籠ってしまった。今でも女人が山の社に近づくと山の神が怒るという。その後、お姫さまとオコゼは赦されて竜宮城に帰ったという。

 ここではオコゼのトゲの毒が人間の四百四の病気の源となったという由来譚となっている。その点ではいざなぎ流祭文と共通している。

◆余談
 いざなぎ流祭文は難解でテキストに起こすのも苦労した。己の読み方が統一されていないようにも思え、その部分は意味がとれない。

◆参考文献
・「御伽草子集 日本古典文学全集36」(大島建彦/校注・訳, 小学館, 1974)※「をこぜ」pp.475-485
・小松和彦『「いざなぎの祭文」と「山の神祭文」―いざなぎ流祭文の背景と考察―』「修験道の美術・芸能・文学Ⅱ 山岳宗教史研究叢書15」(五来重/編, 名著出版, 1981)pp.353-415
・岩田勝「宝蔵太子と龍女姫―山の神祭文と手草祭文の意図するもの―」「神楽源流考」(,名著出版, 1983)pp.206-228
・柳田国男「山の神とヲコゼ」「柳田国男全集 第八巻 民間伝承論」(筑摩書房, 1998)pp.557-620
・「神楽と神がかり」(牛尾三千夫, 名著出版, 1985)p.176
・「校訂石見神楽台本」(篠原實/編, 1982)pp.3-5

記事を転載→「広小路

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