「第二回 かながわのお神楽」公演を鑑賞に行く
「第二回 かながわのお神楽」公演を見にいく。第一回は10年前だったそうだ。10年後と言わずに定期的に開催して欲しい。演目は
垣澤社中「御祝儀三舞~寿式三番叟と寿獅子と大黒天~」(厚木市酒井)
萩原社中「紅葉狩」(横浜市鶴見区)
佐相社中「八雲神詠」(横浜市港北区)
横越社中「天孫降臨と山神の舞」(横浜市神奈川区)
埼玉からの観客が意外と多かったそうだ。
御祝儀三舞・寿式三番叟
御祝儀三舞・寿式三番叟
御祝儀三舞・寿式三番叟
御祝儀三舞・寿獅子
御祝儀三舞・大黒天
御祝儀三舞・令和記念
紅葉狩・平維茂
紅葉狩・酒を勧められる平維茂
紅葉狩・鬼女・更科姫と酔いつぶれた維茂
酔いつぶれた維茂と山神
紅葉狩・鬼女と戦う平維茂
八雲神詠・櫛稲田姫
八雲神詠・足名槌
八雲神詠・手名槌
八雲神詠・大蛇
八雲神詠・大蛇
八雲神詠・酔いつぶれた大蛇
八雲神詠・須佐之男命と酔いつぶれた大蛇
八雲神詠・須佐之男命に退治される大蛇
八雲神詠・天叢雲剣を手にした須佐之男命
八雲神詠・須佐之男命
天孫降臨・猿田毘古命
天孫降臨・猿田毘古命と争うモドキ
天孫降臨・天宇受売命
天孫降臨・左から思金命・ニニギ命・布刀玉命
天孫降臨・猿田毘古命と天宇受売命の連舞
文教大学だったか大学の先生が挨拶する。チケット代二千円で神楽を見に来る人は10万人に一人だとか。そのうち寝ないで最後まで見る人は3分の1だとのこと。
神楽は時代に応じて変化する生き物であり、本物の奉納神楽と違ってステージで舞われるがデモンストレーションではなく本物の神楽と思って欲しいとのこと。
加藤社中の家元である加藤俊彦さんに遭遇する。笛の工房を紹介してもらう。出雲の方にも顧客がいるとのこと。
桜木町には何度も行っているが、横浜にぎわい座芸能ホールに入るのは初めて。
今回もデジカメのEVFを覗きっぱなしで肉眼で見るのと半々くらいだった。ファインダー越しに見ると、直接見たという感じがしない。が、記憶は薄れてしまうから写真には撮っておきたいと二律背反である。
<追記>
「第二回 かながわのお神楽」、パンフレットが充実していて、すぐには読み切れない程のボリュームがあるるのだけど、パラパラとめくると以下のような内容があった。草間範子「覚書・神楽公演の課題と可能性」からの一文である。文末に学生スタッフ(当時)とあった。大学生でこれだけ書ければ優秀だろう。僕には書けないし、それでも現時点のレベルに達するまでに三年掛かっている。ちなみに、パンフレット、通販するらしい。
観客論
次に公演当日に関係を結ぶこととなる観客である。観客が神楽公演に対して求めるものは何だっただろうか。質の良い神楽、わかりやすい解説、幅広い情報の提示、これらによる興行的な充実には務めてきた。観客が集まり満足してもらえた。公演が評価され良かった。これに止まらず、加えて神楽公演と観客との関係性を論ずる必要があった。
例えばまず観客には、日本の伝統文化を鑑賞するのであるから、伝統文化について振り返りたい、という気持ちがあるのだろう。自ら有する、しかし今は薄れている、かつて神社で眺めた神楽の記憶を取り返して再確認したい。これにより、あらためて自らの文化として再び領有化したい、という気持ちがある。
神楽から離れて久しい人々が集い、曖昧に有していた記憶を再確認する。そして、確かに自分達にはこういう時代があった、と元より有していたはずの文化を皆で共有し、領有化する。これは「取り戻した」感覚を観客に強く与える。
その実、自分だけでは曖昧な印象しか持ち合わせていなかった文化だからこそ、態々劇場に出向いて再確認するのである。ここまでして領有化を目指す人々にとって、神楽は本当に、かつては手にしていた文化だったのだろうか。劇場での神楽鑑賞が初めての神楽文化の領有化となるのではないか
それにも関わらず、大部分の観客は「取り戻した」感覚をもって神楽を受け入れる。観客は公演の成否を決する集団ではなく、個々の求めに応じて神楽に接する存在である。ここに着目することができれば、より効果的に観客へのアプローチを行うことが可能になったのではないか。とにかく公演の成功を気にかけた当時の実行委員会には、観客論という視点の欠如があった。(71P)
400人くらいの中規模のホールであるが、劇場はほぼ満員であった。ただ、アラフィフの自分が若い世代と言えるような年齢構成であった。子供や少年がいないのである。「観客論」にあるように、神楽を見る動機というのは、子供の頃に見た神楽を大人になった今もう一度見たいという願望である。僕の場合は子供の頃に見たのは島根県の石見神楽であるが、できれば関東の里神楽も見たい、更には全国の神楽も見たいと願望が膨れていく。
そういう意味では、やはり神楽は何をおいても子供に見せないといけないのだ。幼い子供は騒ぐから今回のような劇場では排除されるべき存在であるかもしれない。先日、横浜市天王町の橘樹神社で加藤社中の里神楽を鑑賞したが、とにかく観客が少ないのである。上演が始まると人が寄って来るが、上演が終わると潮が引いたようにいなくなってしまう。中には神楽に興味を示す子もいるが、少数派である。特に、神社のお祭りなので中学生くらいの少年少女は大勢来ているはずである。その彼らが神楽を見ようと思わないのだ。
神社への奉納神楽は天気次第な一面がある。特に六月の例大祭の時期だと梅雨と重なってしまう。空調の効いたホールで神楽を鑑賞することにも、快適な環境で神楽を鑑賞できる面があって一概に否定できない。また、劇場だと照明が自由に操れるのもメリットの一つだろう。音響は効果音を入れるという演出も考えられなくもないが、そこまでする社中は今のところ無い。
神楽を見にくるのは10万人に一人という笑い話からしても関東地方は神楽の不毛地帯であるとは言える。伝統芸能に限っても能や歌舞伎など、他に見るべきものが沢山あるのだ。それらの中からわざわざ神楽を選んでもらう、集客に費やす苦労は並大抵のものではないだろう。そういう意味では島根県石見地方や広島県の芸北地方は他に娯楽がなかったこともあって、田舎のエンタメとして受け入れられている状況にあると言えるだろう。
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