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2019年6月12日 (水)

民俗から文化へ――岩本通弥/編「ふるさと資源化と民俗学」

「ふるさと資源化と民俗学」(岩本通弥/編, 吉川弘文館)を読み終える。タイトルにあるように、郷土の伝統芸能が地域おこしに活用され観光資源化されつつある。海外ではフォークロリズム(フォークロアまがい)という概念を用いて分析されてきた課題だけれども、現代日本でもフォークロリズムが浸透しつつある。

それらの動きの背景には農業が深く関わっている。民俗行事と農業というのは元々関係が深いものだけど、WTOによる関税引き下げ圧力で、国内農家を保護する既存の政策が見直されていることとも深い関わり合いがある。農水省はグリーンツーリズムといった新しい観光形態で農家の民宿経営を支援する保護策を打ち出している。が、小学生の体験学習で独自のノウハウを積み重ねている地域ではグリーンツーリズムに敢えて参加しないという方向性を選んでいるようだ。

また、ユネスコの世界遺産条約も加盟の影響も大きいようだ。世界遺産といっても、その保護自体は日本の国内法、文化財保護法等で守られており、白川郷の事例を挙げて、世界遺産化した現状に対する分析が行われている。

元々、文化という言葉は文化住宅といった用語でもそうであるように「進んだ、進歩した」というニュアンスが込められていた。明治時代以降の日本は西洋文化を取り入れることで文化化を推し進めてきた訳であるが、戦後になって見直しがされる。文化が西洋化されても心理面で豊かになっていないという現実である。そこで地方に残る伝統文化が見直されてきたという流れの様だ。

これらの政策の転換の背景には農水省の意向や、神道系の保守系圧力団体の意向が深く関わっていると指摘がされている。

後半に入ると、本書の姿勢が明確になる。本質主義の限界を指摘し、構築主義的な文化観となっていく。

民俗学はこれまで一国民俗学として日本の民俗を統一的に把握しようとしてきたことが指摘されている。しかし、実際には一国の括りで括れない程の多様性が日本の民俗にはあるのではないかという観点が提供される。

中西裕二「複数の民俗論、そして複数の日本論へ」では、白川琢磨の九州の神楽研究を例として挙げ、宮崎県の高千穂神楽を取り上げる。高千穂神楽は神楽の本場であるが、一面では観光神楽化して多くの観光客を受け入れている。高千穂神楽というと岩戸神楽のイメージであるが、実は歴史を振り返ると、岩戸神楽が現在の編成となったのは十九世紀に入ってからのことだとしている。

僕自身、本田安次の「日本の伝統芸能」に収録された九州の神楽の詞章を読んだことがあるが、それらは江戸時代に神道流に改作されたものであった。なので、明治以降だということはないと思う。

白川琢磨は宗教人類学者で、神道流に改作される以前の神楽の姿を捉えるには神道の知識だけでは追いつかない面もあるので、今後の課題としたい。

こういった十九世紀に再編成された神楽という見方自体が構築主義的である。構築主義は文化はその都度再構成/再創造されるものとの解釈である。とすると、それを推し進めると文化に本物も偽物もないことになり、何でもありになってしまう。それもまた困った話である。

川森博司「中央と地方の入り組んだ関係―地方人から見た柳田民俗学―」では岡正雄が柳田民俗学を「一将功なって万骨枯るの学問」と評した。一国民俗学の立場からこうした知の中央集権システムを構築した面があるのだけど、川森は地方で民俗を収集していた人たちは地方の知識人層であり、民俗学の外に生業があったとして、「万骨枯る」という見方に修正を施している。

民俗学の黎明期にはコンピュータやデータベースは存在しなかった。カードによる分類法などはあっただろう。現代的な視点で捉えると、柳田は自らを人間データベース化しようとしていたのではないか。

また、文化の客体化という用語がしっくり来るようになる。文化が本来の文脈から切り離されることで、文化が客体化、もっと推し進めれば商品化されるのだという解釈らしい。

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