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2019年4月 9日 (火)

備後神楽が八調子?

川野裕一朗「次世代への神楽の伝承―備中子ども神楽と芸北神楽高校神楽部の事例から―」「人間と社会の探求 慶應義塾大学大学院社会学研究科紀要」第75号を読む。タイトルにある様に備中神楽の子供神楽と芸北神楽の高校神楽部の事例を通じて、子供世代への神楽の現代的な伝承について論じたもので、子供世代の神楽の継承に「出会い」「伝承」「深化もしくは離脱」の三段階を設定するのだけど、一部、引っかかる記述があった。

このうち高田神楽は安芸高田市の高宮町や美土里町で行われていて、島根県邑智郡阿須那地方から文化文政期頃、石見神楽の六調子と呼ばれるテンポのゆったりとした神楽が高宮町に伝わったとされる。明治初期頃に備後神楽の要素が加わり梶矢手という新しい流派の神楽が誕生した。こちらは舞の調子が速いので八調子と呼ばれている。梶矢手の特徴は、演劇性が強く、神以外にも武士や鬼、姫などたくさんの役柄が登場する, 口上の一部に方言が使われる, 他の神楽には見られない舞台構造[上段や花道の存在]などがあげられる。安芸高田市には石見神楽の影響を受けた六調子の高田神楽と、備後神楽の影響を受けた八調子の高田神楽の2系統が伝わっている。(56P)

「備後神楽の影響を受けた八調子の高田神楽」というのが初耳なのだ。八調子といえば大抵の神楽好きな人は八調子石見神楽を連想するだろう。備後神楽がテンポの速い八調子であると聞いたことがないのである。石塚尊俊や三村泰臣氏の先行研究にも記載が無い。備後神楽が八調子なら八調子石見神楽が「ショーである」と悪しざまに言われることはなかったろう。また、石見神楽への八調子の導入は明治10年代のことらしい。

三村泰臣「中国地方民間神楽祭祀の研究」によると、備後神楽はキリキリ舞といい、テンポの速い舞だそうである。だったらキリキリ舞と名乗ればよいのだ。八調子はおそらく石見固有の区分法だろう。

安芸高田市高宮町川根まで行ってきた20181125:長州住保頼塩焼
https://ameblo.jp/yoshizosovereigndomain/entry-12421509378.html

というブログ記事がある。この記事の中に梶矢手の記述が登場するのだけど、川野氏の論文の内容と食い違うのである。どちらかが間違っていることになるが、このブログ記事は神楽交遊の会、中国地区神楽談話会という二つの団体が催した会合についての記事なのである。つまり、信ぴょう性が高いのだ。

また、梶矢手というのは省略形で阿須那系梶矢手と他の論文では呼んでいる。つまり、元は石見神楽なのだ。それも新舞の団体が梶矢神楽団の囃子や所作を研究してそう自称しているというのが実態なはずである。

佐々木順三「かぐら台本集」では「石見かぐら阿須那系、同矢上系、梶矢系」と分類している(9P)。同梶矢系とはしていないのではあるが、まあ石見かぐらの系列に分類しているとは思われる。別系統の備後神楽系ならそう書くだろう。

「斉藤裕子でごじゃるよ~」という広島県の神楽を扱ったブログを購読していて3年分くらい読んでいるが、備後神楽の出演回数が少ないのもあるけれど、これは備後神楽の流れにある演目だなというのに当たったことがないのである。大抵は石見神楽の流れにあるか新舞なのである。
ブログ「斉藤裕子でごじゃるよ~」で「梶矢は、神楽が、石見から広島へ伝わった最初の地と言われます。」という一文を見つけた。すると梶矢手というのは最初に芸北地方に神楽が伝えられた土地の手(技)というニュアンスになるが、阿須那、矢上というのはいずれも石見地方の地名である。石見のその地に伝わる手が伝わったというニュアンスだから、やはり阿須那手、矢上手、梶矢手という括り方には問題があると思われる。

YouTubeで備後神楽の動画を幾つか視聴する。確かにテンポは速いが、「トントコ」と六調子の様な気もする。舞の振り付けからするに、元々はもっとゆったりとしたテンポで舞っていただろう。いつからテンポが速くなったのかが問題である。むしろ芸北神楽や石見神楽の影響でテンポが速くなったとも考え得る。それに演目自体、備後神楽にも能舞はあるだろうけれど、新舞(新作高田舞)との連続性を見い出せないのである。佐々木順三「かぐら台本集」では新舞の部と旧舞の部とに分かれるが、旧舞は一演目不明なものを除いて石見神楽の演目である。

以上からしてここの記述には疑問無しとはしない。石見神楽ネイティブでないから、こういう不誠実なインフォーマントから意図の図れない説明を受けてそのまま鵜のみにしてしまったのではないかと思われる。

この論文に書かれた内容が事実なら、それはそれで新発見ということになる。が、中国地方の神楽というものは石塚尊俊・牛尾三千夫・岩田勝らによって大体掘り尽くされていると見ていい。三村泰臣という広島の地場の学者もいる。今更新発見があるとは思えないのだ。功を焦ったか。

川野氏の研究の成果は安芸高田市の広報資料にも反映されている。それだけに責任が重いのだ。

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