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2019年4月20日 (土)

「大きな物語」の出典――リオタール「ポスト・モダンの条件 知・社会・言語ゲーム」

「ポスト・モダンの条件 知・社会・言語ゲーム」(ジャン=フランソワ・リオタール, 小林康夫/訳, 水声社, 1986)を読む。読んだといっても、書かれてある文字は読めたが、何が言いたいのかさっぱり分からなかった。この本はポスト・モダン、つまり近代(モダン)の次に来るものをテーマにした本で、その後のポスト・モダン論の嚆矢となった本なので読むのを楽しみにしていた。だが、全く歯が立たなかった。訳者のあとがきによると、本書はレポート形式で書かれており平明で簡潔な文章であるとしていた。訳者は東大教授だから頭の出来がそもそも違うのではあるが、それにしても、この本を読んで分かり易かったという人は100人に2~3人くらいなのではと思う。

この本からよく引用されるのが「大きな物語の喪失」である。大きな物語とは身近な例で言うと、一流大学に入って一流企業に就職したら一生安泰であるといったような昭和の価値観みたいなものだろうか。念のため、あとがきから要約を引用する。

 すなわち、《ポスト・モダン》はまずなによりも、《モダン》という時代の文化を根本的に規定していた様々な価値への不信感として現れる。それが、本書の著者であるジャン=フランソワ・リオタールの言う《大きな物語の失墜》である。《自由》という物語、《革命》という物語、《人間の解放》という物語、そして《精神の生》という物語……これらの物語は、人間にとっての普遍的な価値の物語として、モダン時代の理論と実践とを《正当化》する役割を果たしてきたのである。(222P)

ポスト構造主義の本を読むのはこれが初めてなのだが、他の本もこれくらい難解なのだろうか。

<追記>

……しばらく時間が経った。ポストモダンという言説には違和感があった。僕は60年代末の生まれなのだが、実感として社会の潮目が変わったのはインターネット以前/以後ではないかと思うのだ。奇しくも1995年前後には阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件が起きている。

リオタールはグローバリズムや高度情報化社会には言及していない。

リオタールはポストモダン社会では大きな物語が消失すると言った。しかし、今はグローバリズムという大きな物語が世界を席巻している。曰く「弱肉強食ですよ。自己責任ですよ。英語できないと仕事になりませんよ」と。地球温暖化もそうかもしれない。ポリティカル・コレクトネスもそうかもしれない。

大きな物語と言っているが、それは時代感覚と言い換えられるかもしれない。単に社会通念かもしれない。大きな物語とはたまたま長く続いた社会通念に過ぎないのではないか。社会通念は流転するものであり、一つの時代から次の時代への移行の端境期には混乱が生じるのは必然である。

例えば日本ではそうなっていないが、海外で知識人となるには大学院を出ている必要性がある。これも新しい社会通念ではないか。

批評家の東浩紀はポストモダンでは人は「動物化」すると言った。それは形を変えた大衆批判ではないか。欧州の知識人が北米の大量消費社会を指して「動物化」と言ったのである。自分は違うとでも言いたげである。

専門分化が著しい社会に「動物化」しない人間がいるのか?

……ということで、ポストモダン論とは形を変えた大衆批判に過ぎないのではないかという気がしてきた。

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