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2019年3月22日 (金)

GHQの謎――広島と岡山の対応の差

神楽の歴史を見ると、戦後が一つの画期となっている。これは戦争で神楽を舞える人材が奪われたということであり、また逆に戦後日本が復興して高度経済成長したことで農村部から都市部に住民が流出したことや、農業が機械化されて、それまであった民俗が失われたこと等である。
その中で特徴的なのがGHQの存在である。石見神楽では聞いたことがないが、広島では今でも語り草になっているようだ。

戦後、広島ではGHQの思想統制で神楽も統制を受けたという。下記に引用する通りである。
 第二次大戦後、芸北神楽は国家神道につながるものとして、外国の掣肘を受けた歴史がある。神楽を奉納する際には、連合国軍総司令部(GHQ)に許可を求め、台本を検閲にかけなければならなかった。なんとか神楽を続けたいと考えた人々は、検閲局のあった九州・福岡まで上演許可願いを提出に行った。また「神楽」という名称を「舞楽」と改称して許可を得るなど、神楽を続けていくための必死の努力が行われた。「塵輪」という演目は、異国から来た鬼を神が退治するという内容で、彫りの深い面は欧米人をイメージさせる、欧米人を敵と見なして退治しようという思想につながる、また飛行自在の鬼はB29爆撃機を連想させるなどと指摘されることもあったそうである。これらの事情によって、旧舞は改編を余儀なくされ、新作の神楽が生まれた。これが新舞発祥の契機である。
迫俊道「芸北神楽におけるフロー」「フロー理論の展開」243ー244P
という風にかなり厳しい制約を課している。一方で備中神楽に対しては以下の態度である。
 戦後最初に神楽の復興・伝承のために活動したのも、やはり山木であった。山木らは昭和22年に「神楽筋書並詞解説」を編集し、連合軍園芸本部に提出し、神楽執行の許可を願い出たという。これに対し連合軍側は「神楽は神社の社頭で神に奉納すべきもので、一般映画演劇のごとき検閲はいたしません。しかし、その施行にあたっては軍国主義、超国家主義乃至連合軍の占領目的に反するごとき言葉、行動を挿入して問題を発生せぬように格別ご注意下さい」と指示し、神楽の復興を認めたという。
俵木悟「備中神楽の現代史」「千葉大学社会文化科学研究」第3号 104P
広島と岡山で随分な差がついている。この差は何に由来するのだろう。担当者が違ったというところだろうか。

GHQによる思想統制は何も神楽に限った話ではなく、映画や演劇にも及んだ。例えば時代劇の映画を作ることも制約されたし、復讐がテーマの忠臣蔵も上演を禁じられている。

広島では思想統制を受けたことで結果的に芸北神楽の新舞が誕生することになった。新舞は一世を風靡し、定着、現在に至っている。

神楽の思想と言われてみると何であろうか。普通は五穀豊穣を神に感謝する捧げものというところではないだろうか。もっと理論的にみると、鎮魂や御霊鎮めといったところだろうか。上記記事で例に挙げられた塵輪は新羅の国から攻めて来た悪鬼を仲哀天皇が退治するという粗筋のもので、異敵防御というモチーフが見出せる。古代の新羅は航海術が未熟で日本に攻めてくることなどできなかったそうであるが、神楽では攻めてきたことになっている。これは後の元寇が下敷きになっているのかもしれない。また、平安時代の新羅の入寇とも関連するかもしれない。そういう意味ではアメリカも異敵であり、異敵防御のモチーフが目についたのかもしれない。たまたま塵輪が翼のある悪鬼だから、B29を連想させるといった強引な解釈が成り立ったものだろう。言いがかりにしか思えないが、当時の力関係では仕方なかったのだろう。

◆参考文献
・迫俊道「芸北神楽におけるフロー」「フロー理論の展開」(今村浩明, 浅川希洋志/編, 世界思想社, 2003)pp.241-278
・俵木悟「備中神楽の現代史」「千葉大学社会文化科学研究」第3号(千葉大学大学院社会文化科学研究科, 1999)pp.97-119

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