疎外体験から――太田好信「トランスポジションの思想―文化人類学の再想像―」
文化人類学は帝国主義、植民地主義の時代に確立した西欧中心の学問だ。そのため、観察する者と観察される者の間に力(パワー)関係が内包されている。文化相対主義にもその力関係が内包されていると批判する。文化人類学の政治性を問い直す本である。
日本の文化人類学は西欧からは離れた周縁に位置するが、戦前は海外に領土を持っていたこともあり、全くの無縁ではない。現在でも沖縄、アイヌといった領域がある。とはいえ、日本が近代化を施した国はうまく近代化を果たしたから、西欧とは事情が若干異なるだろうが。
基本的には構築主義の立場をとっている。一方で、民族誌の成果を先住民族が自らの文化を「真正である」として本質主義的に利用して主権回復運動に使ったりする(戦略的本質主義)といった事象が現れているとのこと。不変の本質はなく、不断に新しい解釈が付与されて再創造されるのだといった構築主義の立場からは戦略的本質主義に対して、それは間違っていると伝えることになり、ジレンマを生じているとのこと。
他、非西欧出身の研究者は出身国のインフォーマント(情報提供者)として期待されていて、理論構築からは疎外されているという現状があるそうだ。
著者はアメリカ留学体験があり、そのときの疎外感が文化人類学を学ぶモチベーションとなっているとのこと。
◆批判
青木隆浩「観光地における文化と自然の有用性―グリーン・ツーリズムを事例に―」「日本民俗学」243 に太田説に対する批判があったので引用する。
前節で取り上げた問題のうち、経済学の文化概念については次節で検討することとし、ここでは文化の創出を肯定的に捉えることの問題点について考察する。
その代表的な論者である太田は、まず文化の真正性をめぐる語りについて、「語りの対象を、創造力が欠如した客体とみなす罪を、その客体が過去の文化を継承するとして評価することにより隠蔽し、原初的な社会行為のイメージに見合わない変化をノイズとして退ける。その結果できあがる民族(俗)誌のなかに残っているのは、サイードがオリエンタリズムの特徴としてあげた知識と権力の癒着以外の何ものでもない」と批判し[太田 一九九八 四六]、「現在必要なのは、対象社会の人々の実践を文化の創造過程としてとらえ、その主体性を否定しない語り口なのである」と主張している[同 六六]
しかし、現実問題として、地域住民の主体性を観光政策や企業の経営戦略、観光客のまなざしから明確に切り離すことは困難である。太田は主体性の枠組みをどのように設定しているのだろうか。政府からの補助金や企業の資本提供を受けて外部から管理されている事業でも、地域住民が積極的に参加していれば、主体性があると認めるのか。あるいは、観光客の期待に応えようとして田舎らしさを演出している観光地において、その文化を創出している主体は誰か。対象社会の主体性を否定しない語り口は、主体を地域住民として単純化して捉えるために、彼らを取り巻く複雑な社会関係を軽視し、結果的にあらゆる観光開発に対して迎合的な態度をとることになりかねない。その結果、この立場をとる論者は、恣意的な手段により地域住民を周辺の社会関係から切り離さなければ、観光開発に多大な影響を与えている政治や経済を批判することができない。しかし、それは主体性のあり方を歪めることになるので現実的でない。(7-8P)
文化の創造において当該住民の主体性を積極的に評価するというスタンスは足立重和が言うところの文化構成主義の主体性バージョンということになるのだろう。構成主義(構築主義)の欠点はそれを推し進めると、結果的に現状追認となってしまうことだ。そういう意味ではまだ問題は解決されていないのだと思う。
<追記>
文化の客体化論は、支配する側は植民地支配は歴史的に覆せないのだからとエクスキューズし、一方で支配される側に対しては限定的ながらも主体性を発揮しているのだからとエクスキューズする点で二面性があり、虫のいい理論という気がする。これは支配する側の、一見物分かりの良さそうな論理である。平たく言うと「お前らの努力は認めてやるよ、植民地支配の過去は覆せないけどな」とも読めるのだ。これは白人の論理である。日本人が採用すべきものではないだろう。
◆参考文献
・青木隆浩「観光地における文化と自然の有用性―グリーン・ツーリズムを事例に―」「日本民俗学」243(日本民俗学会, 2005)pp.1-32
・足立重和「伝統文化の説明―郡上おどりの保存をめぐって」「歴史的環境の社会学 シリーズ環境社会学3」(片岡新自/編, 新曜社, 2000)pp.132-154
・足立重和「伝統文化の管理人 郡上おどりの保存をめぐる郷土史家の言説実践」「社会構築主義のスペクトラム―パースペクティブの現在と可能性―」(中河伸俊, 北澤毅, 土井隆義/編, ナカニシヤ出版, 2001)pp.175-195
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