SF的なたとえ話――「身体の構築学―社会的学習過程としての身体技法―」(福島真人/編)
「身体の構築学―社会的学習過程としての身体技法―」(福島真人/編, ひつじ書房, 1995)を読み終える。全体としては教育学的な論考集で、ロシアのヴィゴツキーに影響を受けている。その中でも徒弟制的な学習過程として民俗芸能に焦点を当てた本。
編者の福島真人氏はSFが好きなようで、SF的なたとえ話で儀礼と芸能の間を語っている。ある惑星に孤立した宇宙基地があるが、そこでは24時間に一回、機械を操作して酸素を発生させなければならない。元の意味は失われ、儀式的に右左とレバーを操作したりするのだが、あるとき、基地の外に空気があることが知られる。が、その知った人物は長老たちによって独房へ幽閉されてしまう。また、あるとき地球から別の一団がやってくる。惑星には空気があり、時折有毒ガスが発生するという事実が明らかになる。防毒マスクをつければ問題ない。さて、ここで儀式化していた酸素発生装置の扱いに関して道が分かれる。ある棟では装置を壊してしまった。また、ある棟では見世物として装置を複雑化させ、逆立ちしたりと余計な動作を加えるようになった。……というようなたとえ話である。儀礼の段階では毎日酸素を発生させなければならないという切迫した事情があったのだが、その事情がクリアされてしまうと、その儀礼は審美的な見方をされるようになり、やがて芸能化する……という風な内容である。
他にも東北地方の早池峰神楽や若狭の王の舞、広島の三味線島、大衆演劇や能などといったジャンルでの身体的技法である「わざ」の習得過程が描かれている。
例えば、西郷由布子「芸能を<身につける>―山伏神楽の習得過程―」では早池峰神楽の舞の所作が「手ごと」という単位に分解され、基本となる演目の手ごとをマスターすれば、それは後で覚えることになる舞に応用が利く様になるというものである。手ごとを覚えて応用を利かせることで数十もの演目を演じ分けることができるようになるのである。
この徒弟制的な関係は学校の教育とは違うやり方での学びでもあり、そこが教育論としてこの本を特徴付けている。
ただ、この議論は、
ただ郷土史家が「念仏踊り」や「ばしょ踊り」などの神事芸能を娯楽化した「郡上おどり」の「源流」だと断定できるのは、「『信仰』という呪縛」(小松 1999:18)に囚われたアカデミックな民俗学や民俗芸能研究がえがく「儀礼から芸能へ」(大石 1999:116)という芸能史的議論を利用しているからでもある。
足立重和「伝統文化の管理人 郡上おどりの保存をめぐる郷土史家の言説実践」「社会構築主義のスペクトラム―パースペクティブの現在と可能性―」194P
という批判はある。
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