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2019年2月 3日 (日)

十二神祇に芸北神楽を取り入れた神楽団のインタビュー

迫俊道「伝統芸能の継承についての一考察―広島市における神楽の事例から―」「大阪商業大学」第5巻第1号(通巻151・152号合併号)(大阪商業大学商経学会, 2009)pp.609-621 を読む。広島県の十二神祇神楽と芸北神楽に焦点を当てて、十二神祇神楽のみを継承している神楽団と十二神祇神楽に加えて芸北神楽をレパートリーにいれた神楽団とにインタビューしている。

広島神楽、ひろしま神楽と呼んでオール広島体制で一致団結しているような見せ方をしているが、その実は芸北神楽の販促であり、裏で芸北神楽と十二神祇神楽との生存を賭けた競争があることも見てとれる。

我々はもう十二神祇が駄目だなと思うたのは、大衆があんまり受け付けてくれないんですよ。おんなじ拍子じゃし、飽きられてねえ。我々も伝統をずっとやったんだけど、「はあ、もうええかげんにしてくれえ」と言うような声が飛ぶんですよ、舞いよったら。一生懸命、汗流しながら舞いよるんですけど、「はあ、ええかげんにしてくれえや」と。(615P)
これはもう(O神楽団が)生き残れんと思ったから。もう有名無実じゃと思って、何も残らんわと思ったから、はっきりさせようと思って。若い人達も辞めるんなら辞めようやと、あっさりね。どうせ(O神楽団が)潰れる方向で行くんだったら、(芸北神楽に)チャレンジしようやというのもあった。(615P)
十二神祇神楽は(神楽の内容が)おんなじことばっかりなんですよ。「わー、またこれか」みたいな感じ。(615P)
もう十二神祇は飽きられとる(と)いう気配はしとった。新しいものをやった方がええんじゃないかいうことで。団員も少なくなりよったし、新舞(芸北神楽を)やるっていえば若いのがいっぱい入ってくるから。それで変えてみた。今の(O神楽)団みたいに(団員が)多くなった。それで正解じゃったと思うんですよ。(615-616P)

ネガティブな発言だけピックアップしたが、神楽団の団員さん自身が十二神祇神楽に未来を見い出せなくなっている時期があったという見方もできる。僕自身、十二神祇神楽は動画サイトで見ただけだが、「八ツ花」は美しい舞だと思う。それでも現実に舞っている人たちと観客は舞に飽きてしまうのである。O神楽団は周囲に芸北神楽の神楽団のある立地だそうなので、いい加減にしろと野次を飛ばした観客は芸北神楽のファンで、鬼退治にしか興味関心がないタイプの観客だったかもしれない。

一方で、芸北神楽を取り入れてしばらく経った後のインタビューでもあり、芸北神楽は速く激しい舞で若い者しか舞えない舞でもあるので、現在では十二神祇神楽を見直す機運も生じているようである。

これに対して、一貫して十二神祇神楽を舞い続けていた神楽団では二百年続いた舞を自分たちの代で絶やす訳にはいかないとの自負がうかがえる。

十二神祇神楽にはストーリー性がない訳ではないが、演劇化はされておらず、その点でストーリー性があり分かりやすい芸北神楽の特に新舞へと流れてしまうことが伺える。

学術的価値でいえば、ダントツで十二神祇神楽なのである。しかし、それは実際に観客受けとは無関係である。ただ、神楽を舞う団員の自負としては強く訴えかけてくるものがあるかもしれない。

芸北神楽の新舞には独自の儀式舞が無い。能舞だけなのである。儀式舞を十二神祇、能舞を芸北神楽とする組み合わせも悪くないかもしれない。

その中で、安芸十二神祇を継承する神楽団の中には、出張公演で主催者や観客からの評価を得るため、芸北神楽(新舞)を修得し、出張公演でがそれを、奉納神楽では安芸十二神祇を演じるものも現れている。(29ー30P)
和田崇「ひろしま神楽の商品化・観光化」「ライブパフォーマンスと地域 伝統・芸術・大衆文化」(神谷浩夫、山本健太、和田崇/編、ナカニシヤ出版、2017)

安芸十二神祇の神楽団は観光神楽では芸北神楽を、奉納神楽では十二神祇神楽をと使い分けていることになる。

 

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