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2019年2月17日 (日)

オーセンティックな神楽――俵木悟『「正しい神楽」を求めて―備中神楽の内省的な伝承活動に関する考察―』

子供の頃、「石見神楽はショーだ」という批判を耳にしたことがある。今思うに、共演大会などで、神社に奉納するという本来の文脈を離れて舞ったら、それは神楽の見世物化、ショー化ということになるだろう。しかし、実は奉納神楽自体もショーだと言われていたような気がしてならない。

これに対してどう答えを返せばよいのか分からぬまま数十年が過ぎた。当の社中の人たちは開き直っているのかもしれない。現に人気があるのだからいいではないかというところだろう。

俵木悟『「正しい神楽」を求めて―備中神楽の内省的な伝承活動に関する考察―」「日本常民文化紀要」第三十三輯, 2018)という論文で「正しい神楽」「神楽の神髄」について論考されている。それを手がかりに見ていきたい。

俵木が研究したのは岡山の備中神楽である。その点で石見神楽や広島の芸北神楽と異なる面もある。

まず、戦後の高度経済成長期で太平洋ベルト地帯に位置する岡山県では臨海部の開発が大々的に行われた。1970年の大阪万博への出演を大きな契機として、また国鉄「ディスカバー・ジャパン」キャンペーン、山陽新幹線の岡山開業などで観光客が増加した。それにつれて観光客向けの神楽上演機会が増え、しだいに観光神楽化していく。

この状況を快く思わなかった人たちは以下のような点を挙げる。
・神楽の芸能としての「見せる」要素が拡大する
・衣装や演出が派手になる
・金糸銀糸の刺繍をふんだんに使った羽織や幕が使われるようになる
・マイクを使って、セリフを拡声する、
・大蛇の目を電球で光らせる
・ドライアイスを炊く
・鑑賞本位になり、あらゆる場面で外連味の強い演技となる
・少ない演目だけでは神になりきれない
……などが挙げられている。

これは石見神楽でも見られる演出である。ドライアイスを炊くのは子供の頃に共演大会で見た事があるからもう40年以上前から取り入れられている。最近知ったところでは六調子石見神楽でもドライアイスを炊くそうである。最近の大蛇の目はLED電球で作られているし、昔から火薬を使って火花を散らすことも行われている。火薬の調合は各自の腕の見せ所でもあったそうである。

一方、これに加えて
・観光神楽では時間の要請で、演目を通して演じることは少なくダイジェスト版で舞われる様になった。弊害として物語の構成上重要であっても見栄えのしない場面が省略されるようになった。また、儀式舞に関心が薄くなった。
・元々神楽は農閑期に行われていたが、産業が第一次産業(農業)から第二次産業(製造業)や第三次産業(サービス業)にシフトする一方で、神楽の奉納は週末に集中して行われることとなった。そのため神楽を演じる神楽太夫の人数が不足した。そのため未熟な神楽太夫が舞台に立つことになった。また、神楽同好会の数も増え、神楽を舞える人自体の数は増加傾向にあるが、全体的に質の低下が見られた。

こういった事例が増え、1990年代には臨界に達した。そこで危機感を持った関係者たちが動いたのである。具体的には神楽歴50年を超えるベテランたちが中心になって神楽伝承組織を結成し「神楽の神髄」「正しい神楽」を志向するようになった。

井原市美星町にある吉備高原神楽民俗伝承館で研究会が催されるようになった。合同稽古の形をとり、ベテラン太夫たちが知識と技能を持ち寄って互いに擦り合わせ「正しい神楽」を追及する活動である。社中の格や力関係もあるが、あくまで協調的であるとされている。

そこではベテラン太夫自身の言葉だけではなく、彼らが学んだ名人(多くは引退、故人となっている)の舞はこうだったと伝聞形式で知識と技能を持ち寄るのである。

個人の発話ではなく「○○先生はこう舞っていた」と伝聞形式で伝えられることによって、各師匠との個人的な関係によって社中内で継承されてきた身内の知識、技能が他の社中の団員にも共有されていくのである。

ここで、モーリス・アルヴァックスの集合記憶論が引用され、「記憶とは、現在における過去の再構成、すなわち現在の文脈から過去を想起し、解釈を施したものである」(77P)とされる。

これは「正しい神楽」「神楽の神髄」というキーワードが神楽に不変の本質を求める本質主義的であるのに対し、現在の文脈から過去を想起する点で構築主義的である。「○○先生がこうおっしゃっていた(からこうすべきである)」というのは神楽伝承の場では「伝聞報告」であり、しかも「創造的発話」でもある。ただし、あくまで過去の記憶に制約を受けた内容であり、全くの自由ではないのである。また「正しい神楽」と言っても指導的な立場にある太夫の一世代前か二世代前くらいまでしか遡れないことになる。

こうした活動を俵木は「スタンダードな神楽」から一歩進んで「オーセンティック(authentic)な神楽」と呼んでいる。限界はあるが「真正な」というところだろう。オーセンティック(真正な)の名詞形であるオーセンティシティはユネスコの世界遺産条約でも重要な概念として扱われているとのこと。備中神楽の取り組みは文化人類学でいう戦略的本質主義になぞらえられるかもしれない。

俵木自身は本質主義、構築主義といった対立にあまり踏み込んでおらず、むしろ「コミュニケーション・プロセスとしての民俗」という概念で捉えようとしている。「民俗を複数の主体がお互いに交渉するプロセスによって構築される」という(「民俗芸能の実践と文化財保護政策―備中神楽の事例から―」45P)枠組みである。アメリカで提唱された概念の様だ。「見る/見られる」といった相互のコミュニケーションがそれに当たる。

備中神楽の習得過程は徒弟制的であった以前から、子供神楽の養成といった方向に進んでいる。学習の場が学校に移ることで指導の仕方にも変化が訪れただろう。

……こういった取り組みが岡山では為されている。一方で、石見神楽や芸北神楽ではそういった横の繋がりをもった横断的な試みはなされていないようである。例えば芸北神楽の神楽団が安芸高田市の梶矢神楽団の囃子や所作を研究して、自分達は阿須那系梶矢手であると名のることはあるそうだ。

してみると、神楽は本質主義にも構築主義にも馴染む題材であると言えるか。本質主義/構築主義、この二項対立をいかにして超克するかという課題があると思われるが、それは手に余ることなので、深入りしない。もし、両者の対立を止揚できる人がいたとして、それは学者として大成したことになる。素人には無理だ。

◆参考文献
・俵木悟『「正しい神楽」を求めて―備中神楽の内省的な伝承活動に関する考察―」「日本常民文化紀要」第三十三輯 松崎憲三教授退任記念(成城大学大学院文学研究科, 2018)pp.53-93
・俵木悟「民俗芸能の実践と文化財保護政策―備中神楽の事例から―」「民俗芸能研究」25(民俗芸能学会編集委員会/編. 民俗芸能学会, 1997)pp.42-63

 

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