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2019年2月

2019年2月28日 (木)

so what?  「民俗学の政治性―アメリカ民俗学100年目の省察から」(岩竹美加子/訳)

「民俗学の政治性―アメリカ民俗学100年目の省察から」(岩竹美加子/訳, 未来社, 1996)を読み終える。翻訳ものとしてはこなれた文章だった。複数の著者の手になる論文集で、明言はされていないが、構築主義的なスタンスで一貫していた。なお、ホブズボウム「創られた伝統」以前にイギリスのマルクス主義学者ウィリアムスの歴史や伝統の意味を問い直す研究があり、そこから「創られた伝統」等の著作につながったとしている。構築主義はマルクス主義系でもあるというところだろうか。現在においては効力を失っていると思っていたのだが、意外なところで猛威を振るっていた。
 伝統というイデオロギーが持つ矛盾の一つは、文化を保存しようとする試みが、必然的にその固定されようとしている伝統を変容させ、構成し直し、作り変えてしまうことである。伝統は、本物でもないし、偽物でもない。というのは、もし、本物の伝統というものが、基層にある過去の不変の遺産を指すのであるなら、すべての本物の伝統は偽物だからである。
 しかし、我々が論じてきたように、もし伝統は常に現在において定義されるのであるなら、すべての偽物の伝統は本物である。本物と偽物という言葉は、意味のない世界から客観的な現実を区別するために用いられてきたが、それを社会現象にあてはめようとすることは不適当である。社会現象は、決して我々がそれを解釈する行為と切り離されては存在しないからである。
リチャード・ハンドラー, ジョスリン・リネキン「本物の伝統、偽物の伝統」「民俗学の政治性―アメリカ民俗学100年目の省察から ニュー・フォークロア双書27」(岩竹美加子/訳, 未来社, 1996)p.152
イデオロギーとするところがマルクス主義的だ。しかし、それはともかく民俗に本物も偽物もない。そこまで言い切ると、それは違うんじゃないかという気もしないでもない。本物も偽物も無いというなら、それは民俗学や文化人類学が単に現状を追認するだけの学問に成り下がるのではないかという気がする。価値相対主義の悪い面が出ている。

元々読んだ動機はアメリカ民俗学のパフォーマンス理論について触れられているとのことだったので興味を覚えたのだけど、概要は分かっても、それをどう具体的に適用していけばよいのか分からない、というのが現状だ。例えば、昔話を語るのは第二の型のパフォーマンス、神楽は第三の型のパフォーマンスというところまでは分かるのだけど(第一の型がよく分からないけど民俗一般を指すのか)、そこから何をどう読み取っていけばよいのか見えてこないのだ。

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2019年2月24日 (日)

突如、閃く

文化人類学の入門書を読んで「んー、交差イトコ婚は今一つ理解できんな」と思って眠りについて、眠りかけていたら突然、交差イトコ婚について閃いて理解できた。正しいかどうかはわからないが父方を基準として考えた場合、父方のイトコは父方内で嫁を交換することになるから母方より避けられるんだという程の理解である。

以前、NHKスペシャルでやっていたが、脳は休んでいるときも活動しており、デフォルト・モード・ネットワークという状態にあると閃きやすくなるという。例えば入浴中や散歩中に閃きが起きやすい等である。眠りかけの状態で脳がデフォルト・モード・ネットワークにあったのかもしれない。

科学哲学に暗黙知という概念があって、その中に創発という概念があるが、これは下部構造からピラミッド状に上部構造が発生して、上部構造が下部構造をコントロールする様になるといった程の理解であるが、具体的にはデフォルト・モード・ネットワークの閃きかもしれない。脳の中に新しい神経回路が生み出されるのだ。

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2019年2月22日 (金)

3巻で終わり――篠原ウミハル「鬼踊れ!!」

篠原ウミハル「鬼踊れ!!」3巻を読む。この巻で物語は終わってしまう。

東京のとある私立高校に教師として赴任した県(あがた)が新規設立の民俗芸能部の顧問に推され、岩手県の郷土芸能である鬼剣舞(おにけんばい)に挑む。唯一の部員(候補)であった紬(つむぎ)の他にも入部希望者が現れて……という内容なのだけど、部員が8人揃って(8人目がサクセスストーリー特有の鬼コーチを兼任する)校内で披露した段階で物語が終わってしまうのが何とも残念だ。「七人の侍」で例えると、仲間集めのシークエンスで物語が終わってしまったようなものだ。

鬼剣舞は実際に高校の総文(郷土芸能部門)で優勝したことがあるそうで、そういう展開にもできたのに。芳文社の週刊漫画timesに連載されていたのだけど、もう少し長い目で見てやれなかったのか。……と思わざるを得ない。

 

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2019年2月18日 (月)

三宮神社の訪問客数

浜田市の統計によると、三宮神社で催されている石見の夜神楽定期公演の動員数は平成27年が2,243人、平成28年が2,811人、平成29年が3,074人とのことである。年50回と仮定して、平均49人から61人(四捨五入)くらいの数字である。絶対的な数字としては多いとは言えないけど、三宮神社の規模からすれば上々の数字だと言えるだろう。実際には県外から来た観客数もカウントしていたので、更に正確な情報が得られるかもしれない。夜神楽定期公演は奉納神楽とは違った観光神楽ではあるが、本物の神社で催されるライブであり、短時間ながら奉納神楽の雰囲気を味わってもらえるだろう。

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2019年2月17日 (日)

オーセンティックな神楽――俵木悟『「正しい神楽」を求めて―備中神楽の内省的な伝承活動に関する考察―』

子供の頃、「石見神楽はショーだ」という批判を耳にしたことがある。今思うに、共演大会などで、神社に奉納するという本来の文脈を離れて舞ったら、それは神楽の見世物化、ショー化ということになるだろう。しかし、実は奉納神楽自体もショーだと言われていたような気がしてならない。

これに対してどう答えを返せばよいのか分からぬまま数十年が過ぎた。当の社中の人たちは開き直っているのかもしれない。現に人気があるのだからいいではないかというところだろう。

俵木悟『「正しい神楽」を求めて―備中神楽の内省的な伝承活動に関する考察―」「日本常民文化紀要」第三十三輯, 2018)という論文で「正しい神楽」「神楽の神髄」について論考されている。それを手がかりに見ていきたい。

俵木が研究したのは岡山の備中神楽である。その点で石見神楽や広島の芸北神楽と異なる面もある。

まず、戦後の高度経済成長期で太平洋ベルト地帯に位置する岡山県では臨海部の開発が大々的に行われた。1970年の大阪万博への出演を大きな契機として、また国鉄「ディスカバー・ジャパン」キャンペーン、山陽新幹線の岡山開業などで観光客が増加した。それにつれて観光客向けの神楽上演機会が増え、しだいに観光神楽化していく。

この状況を快く思わなかった人たちは以下のような点を挙げる。
・神楽の芸能としての「見せる」要素が拡大する
・衣装や演出が派手になる
・金糸銀糸の刺繍をふんだんに使った羽織や幕が使われるようになる
・マイクを使って、セリフを拡声する、
・大蛇の目を電球で光らせる
・ドライアイスを炊く
・鑑賞本位になり、あらゆる場面で外連味の強い演技となる
・少ない演目だけでは神になりきれない
……などが挙げられている。

これは石見神楽でも見られる演出である。ドライアイスを炊くのは子供の頃に共演大会で見た事があるからもう40年以上前から取り入れられている。最近知ったところでは六調子石見神楽でもドライアイスを炊くそうである。最近の大蛇の目はLED電球で作られているし、昔から火薬を使って火花を散らすことも行われている。火薬の調合は各自の腕の見せ所でもあったそうである。

一方、これに加えて
・観光神楽では時間の要請で、演目を通して演じることは少なくダイジェスト版で舞われる様になった。弊害として物語の構成上重要であっても見栄えのしない場面が省略されるようになった。また、儀式舞に関心が薄くなった。
・元々神楽は農閑期に行われていたが、産業が第一次産業(農業)から第二次産業(製造業)や第三次産業(サービス業)にシフトする一方で、神楽の奉納は週末に集中して行われることとなった。そのため神楽を演じる神楽太夫の人数が不足した。そのため未熟な神楽太夫が舞台に立つことになった。また、神楽同好会の数も増え、神楽を舞える人自体の数は増加傾向にあるが、全体的に質の低下が見られた。

こういった事例が増え、1990年代には臨界に達した。そこで危機感を持った関係者たちが動いたのである。具体的には神楽歴50年を超えるベテランたちが中心になって神楽伝承組織を結成し「神楽の神髄」「正しい神楽」を志向するようになった。

井原市美星町にある吉備高原神楽民俗伝承館で研究会が催されるようになった。合同稽古の形をとり、ベテラン太夫たちが知識と技能を持ち寄って互いに擦り合わせ「正しい神楽」を追及する活動である。社中の格や力関係もあるが、あくまで協調的であるとされている。

そこではベテラン太夫自身の言葉だけではなく、彼らが学んだ名人(多くは引退、故人となっている)の舞はこうだったと伝聞形式で知識と技能を持ち寄るのである。

個人の発話ではなく「○○先生はこう舞っていた」と伝聞形式で伝えられることによって、各師匠との個人的な関係によって社中内で継承されてきた身内の知識、技能が他の社中の団員にも共有されていくのである。

ここで、モーリス・アルヴァックスの集合記憶論が引用され、「記憶とは、現在における過去の再構成、すなわち現在の文脈から過去を想起し、解釈を施したものである」(77P)とされる。

これは「正しい神楽」「神楽の神髄」というキーワードが神楽に不変の本質を求める本質主義的であるのに対し、現在の文脈から過去を想起する点で構築主義的である。「○○先生がこうおっしゃっていた(からこうすべきである)」というのは神楽伝承の場では「伝聞報告」であり、しかも「創造的発話」でもある。ただし、あくまで過去の記憶に制約を受けた内容であり、全くの自由ではないのである。また「正しい神楽」と言っても指導的な立場にある太夫の一世代前か二世代前くらいまでしか遡れないことになる。

こうした活動を俵木は「スタンダードな神楽」から一歩進んで「オーセンティック(authentic)な神楽」と呼んでいる。限界はあるが「真正な」というところだろう。オーセンティック(真正な)の名詞形であるオーセンティシティはユネスコの世界遺産条約でも重要な概念として扱われているとのこと。備中神楽の取り組みは文化人類学でいう戦略的本質主義になぞらえられるかもしれない。

俵木自身は本質主義、構築主義といった対立にあまり踏み込んでおらず、むしろ「コミュニケーション・プロセスとしての民俗」という概念で捉えようとしている。「民俗を複数の主体がお互いに交渉するプロセスによって構築される」という(「民俗芸能の実践と文化財保護政策―備中神楽の事例から―」45P)枠組みである。アメリカで提唱された概念の様だ。「見る/見られる」といった相互のコミュニケーションがそれに当たる。

備中神楽の習得過程は徒弟制的であった以前から、子供神楽の養成といった方向に進んでいる。学習の場が学校に移ることで指導の仕方にも変化が訪れただろう。

……こういった取り組みが岡山では為されている。一方で、石見神楽や芸北神楽ではそういった横の繋がりをもった横断的な試みはなされていないようである。例えば芸北神楽の神楽団が安芸高田市の梶矢神楽団の囃子や所作を研究して、自分達は阿須那系梶矢手であると名のることはあるそうだ。

してみると、神楽は本質主義にも構築主義にも馴染む題材であると言えるか。本質主義/構築主義、この二項対立をいかにして超克するかという課題があると思われるが、それは手に余ることなので、深入りしない。もし、両者の対立を止揚できる人がいたとして、それは学者として大成したことになる。素人には無理だ。

◆参考文献
・俵木悟『「正しい神楽」を求めて―備中神楽の内省的な伝承活動に関する考察―」「日本常民文化紀要」第三十三輯 松崎憲三教授退任記念(成城大学大学院文学研究科, 2018)pp.53-93
・俵木悟「民俗芸能の実践と文化財保護政策―備中神楽の事例から―」「民俗芸能研究」25(民俗芸能学会編集委員会/編. 民俗芸能学会, 1997)pp.42-63

 

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2019年2月16日 (土)

舞いたいから舞う――文化構成主義の主体性バージョンについて

足立重和「伝統文化の管理人 郡上おどりの保存をめぐる郷土史家の言説実践」「社会構築主義のスペクトラム―パースペクティブの現在と可能性―」(中河伸俊, 北澤毅, 土井隆義/編, ナカニシヤ出版, 2001)と足立重和「伝統文化の説明―郡上おどりの保存をめぐって」「歴史的環境の社会学 シリーズ環境社会学3」(片岡新自/編, 新曜社, 2000)を読む。

全国各地で地域おこしを図るのに際して、その地域「独自の」伝統文化に注目が集まっている。他地域との差別化を図るためである。一方で、そういった伝統文化を扱う研究者たちの間では近年、文化構成主義(構築主義)が流行っている。

文化構成主義は伝統文化が超時代的に脈々と受け継がれた「真正な実体」ではなく、実はその時々の政治的経済的な文脈において再構成・再創造されたものと見る観点を提供している。これはその伝統文化に「真正な実体」を見い出している地元の人々にとって実は「虚構」であると皮肉る観点でもある。

そのため、その「虚構」であるという視点を緩和する意味で、その伝統文化の再構成・再創造に地元の人々の「主体性」「創造性」を見い出すことが提唱されている。これを論文では文化構成主義の主体性バージョンと呼んでいる。

しかし、その「伝統文化の独自性」とは実は観光という現代的文脈の中で意識的につくられた「虚構」に過ぎない。しかしながら地元の人々は「伝統文化の独自性」に自らのアイデンティティを求める。その伝統文化が昔のままで保存されていると考えるのだ。

ならば、ある伝統文化に対し人々が「独自性」を付与することによって、その文化は独自なものに「なる」という安定的なモデルが考えられる。しかし、その「伝統文化の独自性」は一回きりの構成過程で安定するものではなく、常に説明が求められる不安定なものではないだろうか……というのが著者の問いかけである。

疑問は近年各地で盛んで地域おこしにも期待されている創作和太鼓にも及ぶ。どこがヴァナキュラーな(土着の)音なのだと。

この後、岐阜県郡上八幡の郡上おどりの歴史を郷土史家へのインタビューを通じ、果たして郡上おどりはその謳い文句同様400年の歴史があるのかと検証していく。実は時代が古くなるにつれて踊りの根拠が曖昧になっていく。そこで、源流となる「ばしょ踊り」「かけ踊り」に共通性を持つ「本質」を見い出す。そして「本質」を見い出したそこに「独自性」を認めるのだ。しかし、その「本質」と「独自性」の間で概念の混乱が起きていないか……というのがこの二つの論文の主な論点である。

文芸評論家の柄谷行人風に表現すれば転倒が起こっているとも言える。

論文は学者側の一方的な視点ではあるが、正直、郷土史家の側に分からないものは分からないと認められない問題があるのがこの論文の結末と思われる。郡上おどりは国指定重要無形民俗文化財に登録されている。一度「400周年」を標榜してしまったら容易に撤回できない事情もあるだろう。

データベースで例えるとデータを一意に識別するためにキー項目が設けられる。キー項目は単数の場合もあれば複数の場合もある。郡上おどりの場合、ばしょ踊りとかけ踊りの互いの要素にキー項目を見い出す訳である。それらのキー項目は郡上おどりにも引き継がれていると。それでは郡上おどりを一意に識別するためにはもう一つ別のキー項目が必要となる。しかし、地元の郷土史家はこの鍵となるキー項目の発生について歴史上裏付けとなる資料を何一つ示していないことになる。ただ、キーとなる項目が400年前にあっただろうと推測するのみである。

その地域の「独自性」というが、それは他所の伝統文化と比べて本当に独自性があるのか、むしろ近年に観光的要請によって創造された「虚構」ではないか……というところに話は集約する。創作和太鼓に関してはよく馴染む議論でもある。文化構成主義(構築主義)が極端に振れるととこういう結論になる……という見本である。
(9)本章でいう「実践的推論」とは、ものごとを<今・ここ>において理解可能・報告可能にする人々(素人であれ専門家であれ)の説明のしかた・実践のことである。本章の事例に引きつけるならば、「郡上おどり」を見たり・聞いたりするや否や、即「この文化は昔のまま保存されている」と人々が理解・報告できるのは、「保存」というリアリティを維持しようとする<今・ここ>での関心(=実践的)にもとづいたなんらかの説明(=推論)がはたらいているからであり、むしろ、この説明実践こそが「保存」というリアリティを所与で・自然なものとして人々にうけとらせているのだ。このような問題関心は、Pollner, M., Mundane Reason, Cambridge University Press, 1987や山田富秋・好井裕明編「エスノメソドロジーの想像力」せりか書房、一九九八年、の関心と軌を一にする。
足立重和「伝統文化の説明―郡上おどりの保存をめぐって」「歴史的環境の社会学 シリーズ環境社会学3」152-153P
 そのように考えると、文化構成主義者が「伝統の再創造」論を唱えるためには、「唯一の歴史」という時間軸を用いながら、複数の文化形態を比較・整序可能にさせる「なんらかの同一の“質”がある」という通俗的な実践的推論を暗黙のうちに引き受けなければならない。にもかかわらず、彼らは、自らの議論のなかにはたらく通俗的な推論に気づかぬまま、「つくられた」とか「変化した」部分を強調したにすぎない。
足立重和「伝統文化の説明―郡上おどりの保存をめぐって」「歴史的環境の社会学 シリーズ環境社会学3」150-151P
著者は本業が環境社会学者であり、民俗芸能も手掛けるといった副次的なポジションである。なのでか民俗芸能学会には所属していないようだ。そのため、この問いかけに当たるアンサーは示されていないと思われる。

言ってしまえば、全てが観光上の要請から来た虚構とは限らないのである。舞いたいから舞う。踊りたいから踊るのである。札幌のYOSAKOIソーランの様な人集めの企画から始まった事例もあるが、それは極端な事例であって、通称おまつり法案のように元々ある郷土芸能を観光資源として活用するという流れなのだ。一部の不幸な事例を以て『「伝統文化の独自性」とは、実は観光という現代的文脈のなかで意識的につくられた「虚構」である』(「伝統文化の管理人」178P)とする点で転倒を起こしていると考えられる。

例えば僕の身近な事例であると石見神楽が適当な題材である。石見神楽は言ってしまえば、大元神楽の亜流とも考えられるけれど、その後の変遷で八調子石見神楽として別物となっている。それはともかく神楽の共演大会が開かれたとして、それは神社に奉納する本来の文脈から離れているから見世物、ショーだという批判があるが、観光に資するようになったのは後の時代になってのことなのである(競演大会は戦後。共演大会は不明)。ただ、それらの大会では儀式舞軽視で能舞偏重となっているのは事実である。

石見神楽は明治時代に入り神職が神楽を舞うことを禁止されたため、担い手が氏子に移り、また国学者による詞章改定や八調子神楽の導入といった歴史がはっきりとしている。つまり現在我々が見るテンポの速い八調子石見神楽は近代の産物なのだ。石見人が時代に応じて主体的に再構成した神楽であると言える。また、江戸時代には既に神道流の詞章の改定が行われていたと思われる(その詞章改定前の口上台本が残されていないため、それ以上遡及することが困難である)。

テンポのゆったりとした六調子石見神楽には膝をつく所作があるらしいが、八調子石見神楽ではそれは失われている。逆に言えばそれ以外では概ね受け継がれているとも考えられるだろう。一方で、現代では観客の受けがよかった所作を他所の社中が真似するといったことも起きている。塵輪(ジンリン)の高速旋回は多分その事例だろう。六調子石見神楽や大元神楽と比較すれば、井野神楽社中や有福神楽社中などの一部の社中を除いて「この文化は昔のまま保存されている」か否か(多分否だが)推論は働くであろう。別に昔のままの所作だから人気がある訳でもないのである。

その意味では、共時的に存在する大元神楽、六調子石見神楽、八調子石見神楽を順に歴史の一線上に通時的に並べて変化の系譜を並べることは可能であろう。その意味では「実践的推論」は働く。これは共通性のある「本質」を見つけてそこから「独自性」を見い出す転倒した推論ではなく、分からないものは分からないとしても可能な推論である。全てが「あいまいさ」の中に実践的推論を働かせている訳ではないのである。

石見地方の沿岸部を中心に広がった八調子石見神楽は「ショーだ」という批判もありながら、人々に受け入れられている。見たいから見ているのである。秋は神楽シーズンでもあり、地元の安定したアイデンティティであるとも言えるだろう。神楽の場に赤ん坊を連れてくる人も珍しくない。幼い頃から馴らしているのである。例えば高校の総文(郷土芸能部門)で優勝を果たすといった全国的な実績もある。そういう意味では文化構成主義の主体性バージョンのよい見本となっている。ここでは文化構成主義の主体性バージョンに忠実に描いたが、その独自性に疑問符がつくということも無い。

それに、別に観光的な要請といった「虚構」ではないのである。そもそもの始まりは、氏子たちは舞いたいから舞ったのだ。浜田藩の時代に氏子が舞うのを禁止した事例がある。つまり、江戸時代末期には氏子が実際に見様見真似で舞っていた事例もある。石見神楽に関する主なサイトを閲覧すれば、明治以降の近代的産物という歴史は記載されている。

その後も変化が訪れている。二十世紀初頭に開発された蛇胴は演目「大蛇(オロチ)」の舞を一変させた。それは従来からある舞を破壊したものであるが、神楽における創造的破壊と言える。そして1970年に大阪万博で八頭だての大蛇で演じられた「大蛇」は「オロチに喰われた」と他所の郷土芸能の伝承者たちが述懐する程のインパクトを残した。万博以降の「大蛇」は観光に資する様に性格を変えた。次第に大蛇の数が増えてスペクタクル化した。そして「大蛇」は観光神楽で主要な演目へと地位を向上させた。共演大会ではトリの演目として舞われている。

学問上は石見神楽に分類されるが芸北神楽も事例の一つとして挙げられるだろう。新舞と呼ばれる創作神楽は戦後、GHQの思想統制を免れるために生み出されたものであるが、それが一世を風靡、定着して七十年以上が経過している。ただ、鬼退治、バトルに偏重して神祇と関係のない題材となってしまった。そういう意味では、江戸時代以降に演劇化された神楽としても神話劇という要素から離れてしまったと言える。

また、芸北神楽は同じ安芸地方の十二神祇神楽と競合している。少なくとも江戸時代にまで遡る安芸十二神祇だが、演劇化されていないため勢力争いで芸北神楽に押されているのだ。古い昔のままの芸能の方が学術的価値が高いからといって必ずしも観客に受けるとは限らない事例である。

ここで見出さなければならないものはなんだろうか。それが分かれば苦労しない。子供の頃から「石見神楽はショーである」という批判を耳にしつつ漠然と考えていたが、神楽について(書物だけだが)学びはじめて約3年でようやく核心に至ったという印象である。文化の真正な実体(不変の本質)という観念はプラトンのイデア論にも通じるだろう。また、古くは実在論と唯名論まで遡ることになる。まともに取り組めば、そういった哲学方面の知識も必要となってくる。それは手に余るが、核心部分に辿り着いたと思ったら、そこから無限に広がっている。回り道しつつ気長に取り組んでいきたい。

<追記>
岩本通弥「フォークロリズムと文化ナショナリズム―現代日本の文化政策と連続性の希求―」「日本民俗学」236で足立論文への言及があった。
 観光人類学や文化の客体化論以降、近年、民俗学でも観光化の問題が盛んに論じられるようになった。受け入れざるを得ない観光化に対し、外部との相互作用の中で創られた伝統文化を巧みに操りながら、現地の人々が主体性を獲得したり、あるいは観光文化と日常生活を使い分ける実践などが論及されたが、足立重和は構築主義の立場から、その「主体性」や「創造過程」を見出す議論が、従前の文化本質主義を代替する、予定調和的で現状肯定的な文化構成主義であると批判した[足立 二〇〇一]。
岩本通弥「フォークロリズムと文化ナショナリズム―現代日本の文化政策と連続性の希求―」「日本民俗学」236(日本民俗学会, 2003)pp.182
 住民は一枚岩ではない。特にフォークロリズムは関係見通しを放棄させ、地域内部の対立や緊張を隠蔽する機能を発するが[バウジンガー 二〇〇一 八三~八六]、主体性論は住民の複数性に対して有効でないばかりか、観光化を推進する一部住民の主張を補完し、権威づけ、嫌がる住民に対して集団的圧力の強制力を生じさせかねない。地域内部に対しても誰が活用する主体なのか、金銭の流れも含めて見極めていく必要がある。
岩本通弥「フォークロリズムと文化ナショナリズム―現代日本の文化政策と連続性の希求―」「日本民俗学」236(日本民俗学会, 2003)pp.183
文化構成主義の主体性バージョンに対する批判である。

◆参考文献
・足立重和「伝統文化の説明―郡上おどりの保存をめぐって」「歴史的環境の社会学 シリーズ環境社会学3」(片岡新自/編, 新曜社, 2000)pp.132-154
・足立重和「伝統文化の管理人 郡上おどりの保存をめぐる郷土史家の言説実践」「社会構築主義のスペクトラム―パースペクティブの現在と可能性―」(中河伸俊, 北澤毅, 土井隆義/編, ナカニシヤ出版, 2001)pp.175-195
・八木康幸「郷土芸能としての和太鼓」「たいころじい」15号(十月社, 1997)pp.17-25
・俵木悟『八頭の大蛇が辿ってきた道―石見神楽「大蛇」の大阪万博出演とその影響―』「石見神楽の創造性に関する研究」(島根県古代文化センター, 2013)
・川村清志『民俗文化の「保存」と「活用」の動態 祭りを民俗芸能を事例として』「国立歴史民俗博物館研究報告」193号(国立歴史民俗博物館/編, 2015)pp.113-151
・太田好信「文化の客体化―観光をとおした文化とアイデンティティの創造」「民族学研究」57-4(日本民族学会, 1993)pp.383-410
・岩本通弥「フォークロリズムと文化ナショナリズム―現代日本の文化政策と連続性の希求―」「日本民俗学」236(日本民俗学会, 2003)pp.172-188

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2019年2月14日 (木)

鷲宮神社の神楽を見学 2019.02

埼玉県久喜市鷲宮の鷲宮神社で催された神楽に行ってきました。
一年で最も寒い時期なので身体が冷えた。寒さで帰るお客さん続出。
我慢して最後の演目まで見たのだけど、マジで寒かった。

・天照国照太祝詞神詠之段
・天心一貫本末神楽歌催馬楽之段
・五穀最上国家経営之段
・端神楽
・祓除清浄杓大麻之段
・端神楽
・磐戸照開諸神大喜之段
・端神楽
・祓除清浄杓大麻之段
・端神楽
・折紙の舞

天照国照太祝詞神詠之段
天照国照太祝詞神詠之段
天心一貫本末神楽歌催馬楽之段
天心一貫本末神楽歌催馬楽之段
五穀最上国家経営之段
五穀最上国家経営之段
祓除清浄杓大麻之段
祓除清浄杓大麻之段
祓除清浄杓大麻之段
祓除清浄杓大麻之段
磐戸照開諸神大喜之段
磐戸照開諸神大喜之段
磐戸照開諸神大喜之段
磐戸照開諸神大喜之段
祓除清浄杓大麻之段
祓除清浄杓大麻之段
祓除清浄杓大麻之段
祓除清浄杓大麻之段
折紙の舞
折紙の舞
巫女さんが9人いるので杓舞を二度やったとのこと。
折り紙の舞は古い三十六座の内の一つとのこと。

大酉茶屋で甘酒を飲む。

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2019年2月11日 (月)

SF的なたとえ話――「身体の構築学―社会的学習過程としての身体技法―」(福島真人/編)

「身体の構築学―社会的学習過程としての身体技法―」(福島真人/編, ひつじ書房, 1995)を読み終える。全体としては教育学的な論考集で、ロシアのヴィゴツキーに影響を受けている。その中でも徒弟制的な学習過程として民俗芸能に焦点を当てた本。

編者の福島真人氏はSFが好きなようで、SF的なたとえ話で儀礼と芸能の間を語っている。ある惑星に孤立した宇宙基地があるが、そこでは24時間に一回、機械を操作して酸素を発生させなければならない。元の意味は失われ、儀式的に右左とレバーを操作したりするのだが、あるとき、基地の外に空気があることが知られる。が、その知った人物は長老たちによって独房へ幽閉されてしまう。また、あるとき地球から別の一団がやってくる。惑星には空気があり、時折有毒ガスが発生するという事実が明らかになる。防毒マスクをつければ問題ない。さて、ここで儀式化していた酸素発生装置の扱いに関して道が分かれる。ある棟では装置を壊してしまった。また、ある棟では見世物として装置を複雑化させ、逆立ちしたりと余計な動作を加えるようになった。……というようなたとえ話である。儀礼の段階では毎日酸素を発生させなければならないという切迫した事情があったのだが、その事情がクリアされてしまうと、その儀礼は審美的な見方をされるようになり、やがて芸能化する……という風な内容である。

他にも東北地方の早池峰神楽や若狭の王の舞、広島の三味線島、大衆演劇や能などといったジャンルでの身体的技法である「わざ」の習得過程が描かれている。

例えば、西郷由布子「芸能を<身につける>―山伏神楽の習得過程―」では早池峰神楽の舞の所作が「手ごと」という単位に分解され、基本となる演目の手ごとをマスターすれば、それは後で覚えることになる舞に応用が利く様になるというものである。手ごとを覚えて応用を利かせることで数十もの演目を演じ分けることができるようになるのである。

この徒弟制的な関係は学校の教育とは違うやり方での学びでもあり、そこが教育論としてこの本を特徴付けている。

ただ、この議論は、
 ただ郷土史家が「念仏踊り」や「ばしょ踊り」などの神事芸能を娯楽化した「郡上おどり」の「源流」だと断定できるのは、「『信仰』という呪縛」(小松 1999:18)に囚われたアカデミックな民俗学や民俗芸能研究がえがく「儀礼から芸能へ」(大石 1999:116)という芸能史的議論を利用しているからでもある。
足立重和「伝統文化の管理人 郡上おどりの保存をめぐる郷土史家の言説実践」「社会構築主義のスペクトラム―パースペクティブの現在と可能性―」194P
という批判はある。

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2019年2月 9日 (土)

神楽を題材にしたオーディオドラマ

NHK FMシアター「夜明けの舞」。オーディオドラマで神楽を題材とした内容。宮崎(高千穂)が舞台。神楽を舞う人を「法者どん(ほしゃどん)」と呼んでいる。村の最長老の法者どんが亡くなって、神楽が継続できなくなる。主人公は最も若い法者どん。主人公が出会う母子は熊本地震の被災者。一度はやめることになった神楽をまたやろう……という粗筋。制作はNHK宮崎放送局。

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入門書ではない――「構築主義とは何か」(上野千鶴子/編)

「構築主義とは何か」(上野千鶴子/編, 勁草書房, 2001)を読み終える。構築主義(構成主義)とは何か解説した本。主に社会学の分野における構築主義について書かれているが、文学、歴史、人類学、身体論などにも目を配っている。また、編者の上野千鶴子がフェミニズム学者であることから、フェミニズム、ジェンダー論への言及も多い。

正直なところ、僕自身、社会学やポスト構造主義などの分野に疎く、また、論文自体、高度な概念を駆使して論じられているので、書かれていることのほとんどが理解できなかった。まあ、一流大学の博士課程を出た人達が執筆しているので、頭の出来そのものが違うのである。

構築主義は日本では90年代に入ってから論じられるようになったようで、そういう意味では90年代初頭に社会に出た僕が知らなかったのは仕方のないことだろう。90年代というのは東側諸国が社会主義を放棄してマルクス主義の凋落が明らかになった時代でもあるが、この本では依然としてマルクス主義学者が強い意見を持っている。

<追記>
電子書籍版を購入して再度読んでみたが、やはり頭に入らなかった。理解を拒絶している感じ。そもそも限られた紙数に内容を盛り込み過ぎなのではないか。

一つだけ分かったことがある。構築主義は歴史実証主義には勝てないということである。

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2019年2月 3日 (日)

十二神祇に芸北神楽を取り入れた神楽団のインタビュー

迫俊道「伝統芸能の継承についての一考察―広島市における神楽の事例から―」「大阪商業大学」第5巻第1号(通巻151・152号合併号)(大阪商業大学商経学会, 2009)pp.609-621 を読む。広島県の十二神祇神楽と芸北神楽に焦点を当てて、十二神祇神楽のみを継承している神楽団と十二神祇神楽に加えて芸北神楽をレパートリーにいれた神楽団とにインタビューしている。

広島神楽、ひろしま神楽と呼んでオール広島体制で一致団結しているような見せ方をしているが、その実は芸北神楽の販促であり、裏で芸北神楽と十二神祇神楽との生存を賭けた競争があることも見てとれる。

我々はもう十二神祇が駄目だなと思うたのは、大衆があんまり受け付けてくれないんですよ。おんなじ拍子じゃし、飽きられてねえ。我々も伝統をずっとやったんだけど、「はあ、もうええかげんにしてくれえ」と言うような声が飛ぶんですよ、舞いよったら。一生懸命、汗流しながら舞いよるんですけど、「はあ、ええかげんにしてくれえや」と。(615P)
これはもう(O神楽団が)生き残れんと思ったから。もう有名無実じゃと思って、何も残らんわと思ったから、はっきりさせようと思って。若い人達も辞めるんなら辞めようやと、あっさりね。どうせ(O神楽団が)潰れる方向で行くんだったら、(芸北神楽に)チャレンジしようやというのもあった。(615P)
十二神祇神楽は(神楽の内容が)おんなじことばっかりなんですよ。「わー、またこれか」みたいな感じ。(615P)
もう十二神祇は飽きられとる(と)いう気配はしとった。新しいものをやった方がええんじゃないかいうことで。団員も少なくなりよったし、新舞(芸北神楽を)やるっていえば若いのがいっぱい入ってくるから。それで変えてみた。今の(O神楽)団みたいに(団員が)多くなった。それで正解じゃったと思うんですよ。(615-616P)

ネガティブな発言だけピックアップしたが、神楽団の団員さん自身が十二神祇神楽に未来を見い出せなくなっている時期があったという見方もできる。僕自身、十二神祇神楽は動画サイトで見ただけだが、「八ツ花」は美しい舞だと思う。それでも現実に舞っている人たちと観客は舞に飽きてしまうのである。O神楽団は周囲に芸北神楽の神楽団のある立地だそうなので、いい加減にしろと野次を飛ばした観客は芸北神楽のファンで、鬼退治にしか興味関心がないタイプの観客だったかもしれない。

一方で、芸北神楽を取り入れてしばらく経った後のインタビューでもあり、芸北神楽は速く激しい舞で若い者しか舞えない舞でもあるので、現在では十二神祇神楽を見直す機運も生じているようである。

これに対して、一貫して十二神祇神楽を舞い続けていた神楽団では二百年続いた舞を自分たちの代で絶やす訳にはいかないとの自負がうかがえる。

十二神祇神楽にはストーリー性がない訳ではないが、演劇化はされておらず、その点でストーリー性があり分かりやすい芸北神楽の特に新舞へと流れてしまうことが伺える。

学術的価値でいえば、ダントツで十二神祇神楽なのである。しかし、それは実際に観客受けとは無関係である。ただ、神楽を舞う団員の自負としては強く訴えかけてくるものがあるかもしれない。

芸北神楽の新舞には独自の儀式舞が無い。能舞だけなのである。儀式舞を十二神祇、能舞を芸北神楽とする組み合わせも悪くないかもしれない。

その中で、安芸十二神祇を継承する神楽団の中には、出張公演で主催者や観客からの評価を得るため、芸北神楽(新舞)を修得し、出張公演でがそれを、奉納神楽では安芸十二神祇を演じるものも現れている。(29ー30P)
和田崇「ひろしま神楽の商品化・観光化」「ライブパフォーマンスと地域 伝統・芸術・大衆文化」(神谷浩夫、山本健太、和田崇/編、ナカニシヤ出版、2017)

安芸十二神祇の神楽団は観光神楽では芸北神楽を、奉納神楽では十二神祇神楽をと使い分けていることになる。

 

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2019年2月 1日 (金)

伊豆の三番叟が詳しい――大石泰夫「芸能の<伝承現場>論」

大石泰夫「芸能の<伝承現場>論 若者たちの民俗的学びの共同体」を読み終える。2007年の本なので現在どうかは分からないが国学院出身で盛岡大学の民俗学の先生の本。橋本裕之氏と同世代のようで、しばしば引用される。

タイトルのように民俗芸能が伝承される場について語った本。そういう意味では民俗芸能を固定した不変のものとは捉えておらず、いわば動態的な様相として描いている。事例としては伊豆の三番叟(人形)に関する記述が豊富。

著者自身の言葉ではないが、民俗芸能は(※切迫した生存感覚に裏打ちされた)執行される儀礼と、見る/見られる関係を前提とした審美的な立場(芸能)との中間に位置するとしている。

※「身体の構築学」(福島真人/編)より

 

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神楽におけるフロー体験――「フロー理論の展開」

「フロー理論の展開」(今村浩明, 浅川希洋志/編, 世界思想社, 2003)を読み終える。チクセントミハイという学者の提唱した理論を検証した本。ジャンルとしては心理学に相当するのだろうか。社会学とも関連するようなのでよく分からない。

迫俊道「芸北神楽におけるフロー」という論文が収められているので読んだのだけど、芸北神楽に限らず神楽全般についても同じことが言えるのではないかと思う。

フローとは全人格的に「没入」するその状態である。武道の心身合一が典型的事例だが、芸事、スポーツなどが、時には子供や中年女性が事例として挙げられている(※中年女性は専業主婦と職業婦人に分けられ、分析の結果、フロー体験の事例としては馴染まないと結論されているが)。金銭や地位といった外部的報酬によってではなく内発的な動機付けによってフロー状態が求められるとされている。

しかし、この理論、大学生の日常を分析した論文もあったが、フロー状態に入りにくいノン・オートテリックな学生というのは要するに能力の低い学生ということにならないだろうか。

僕自身、没入感を覚えたのは「ドラゴンクエスト」をプレイしていたら、いつの間にか日が落ちて暗くなっていたというときくらいであろうか。どうみてもノン・オートテリックである。

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