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2019年1月13日 (日)

神楽における本質主義と構築主義

川野祐一朗「民俗芸能を取り巻く視線ー広島県の観光神楽をいかに理解すべきなのか」「森羅万象のささやき 民俗宗教研究の諸相」(鈴木正崇/編, 風響社, 2015)を読む。
 また芸北神楽に対し研究者から、しばしば「見世物化した神楽」という否定的評価を耳にする。この「見世物化」という評価は、芸北神楽に見られる優勝を競い合う競演大会への出場や、今日盛んな観光神楽の文脈においてしばしば耳にする。しかし神楽の演者はこの「見世物化」に対し何を考えているのかを議論せず、ただその観光に利用されているという諸相から一方的に「見世物化」と評する事には、いささか不公平な印象を受ける。(712P)
 しかし、まだ検討すべき課題が残されている。それは民俗芸能の関係者の話に見られた、世代を越えて伝えていこうとする「伝えていかなければならない核」といった言葉の理解である。この言葉を安易に本質主義的発言として理解する事はできないし、あるいは関係者の戦略的な語りとしての構築主義的に理解することも、その言葉に含まれている世代間を越えての伝承という心意をくみ取れていない。つまり民俗芸能を関係者の心意と共に、民俗芸能の行われている場そのものに乗っ取って議論するための枠組みが求められている。(725P)
他、何本かの論文を読んで、本質主義の対立概念は構築主義ということが分かる。しかし、構築主義を調べてもよく分からない。僕自身の理解力の低さもあるけれども、学者さん自身がこれぞという風に要約できていないのではなかろうか。

本質主義というのはアレである。神楽がステージで演じられるようになったら、神社で奉納するという本来の文脈から切り離されてしまう。それは神楽の観光資源化、見世物(ショー)化だと批判されるのだけど、時代に応じて変化する性質が伝統芸能にはある。その中で変えていい部分と変えてはならない部分とがあると民俗学者は言う。その変わらない部分に不変の本質的なものを見出すのが本質主義と言える。

対して、構築主義は……というと上手く説明できないのである。ネットで調べてもよく分からない。

E・ホブズボウム「創られた伝統」という本のOPACに登録された情報を見てみると、
「伝統」という言葉は当然のように、「遠い昔から受け継がれてきたもの」と思われている。だが、「伝統」とされているものの多くは、実はごく最近、それも人工的に創り出されたのだと本書は言う。本書は、おもに英国におけるそうした実例をとりあげ、近代になってから「伝統」が創り出された様子を追う。
とある。
こちらのサイトによる解説が分かりやすいのだが、
消滅の語り:「文化」や「伝統」を昔から伝えられてきた実体として捉え、西洋化、近代化、産業化されることによってそれが消滅していくという視点

生成の語り:「文化」や「伝統」というものは常に創造されていくものであり、新たな部分を吸収していくものであるとする視点

本質主義(Essentialism):本質主義とは、「~らしさ、~性」という概念にひとつの変わらぬ性質を求めていく考え方。

構築主義(Constructionalism):「~らしさ」というのは常に変化せずに存在する(本質的なもの)ではなく、その時代の、政治経済的関係、思想的背景などとの関係によって形成されていくとするものの見方を構築主義と言う。

文化をめぐって、本質主義と構築主義という二つの見方がある。
とある。本質主義/構築主義は文化の静態/動態と例えられるだろうか。本質主義では「不変」と考えられていた本質を構築主義では歴史的文脈において相対化すると言えるだろう。政治的文脈という部分にマルクス主義の臭いを感じないでもない。これらを神楽に当てはめてみると、

神楽でいえば、現在僕らが見ている里神楽は明治政府の神楽統制下において、神を冒涜する所作を禁止する、卑猥な所作を禁止する、神がかりを禁止する、試験制度によって古代史、神道知識を問うなどの統制が加えられたことによって現在見る形になったとされている。そういった意味では明治という近代化に大きく踏み出した時代の影響を色濃く受けているのである。

島根県石見地方の石見神楽について見ても、構築主義と相性がよいと言えるだろう。石見神楽でも明治時代に入り、神職が神楽を舞うことを禁止されたため、担い手が氏子に移った(神職が氏子を指導することもあったようだ)。また、当時の国学者が台本の詞章を俗なものから古風に改定する。また、八調子と呼ばれるテンポの速い囃子が導入された。つまり、こういった神楽改正を経た八調子石見神楽は言わば近代の産物なのである。石見人が明治という時代に応じて再構成した神楽だと言えるだろう。

また、芸北神楽の新舞も構築主義と関わるかもしれない。終戦後、GHQの統制を回避するために生まれたのが娯楽性の強い新舞だが、既に70年以上が経過している。その時点で新たな伝統の創造とも言える。また、ステージに特化することでスーパーカグラの誕生を見ている。要するに今ある(観客に支持されている)ものとして田舎のエンタメとして割り切ってしまうというところだろうか。ただ、鬼退治偏重、バトル偏重となって神事性が薄れたきらいはある。スーパーカグラでは演出の邪魔になるという理由で天蓋を外しているとのこと。

芸北神楽にも多面性があって、たとえステージで舞う場合であっても、氏神社の奉納と同じ心構えで舞わねばならないという伝承者からの日頃の教えがある。また、芸北神楽についてアンケートを取ったところ、現在の舞は崩れているので、昔の阿須那手を思い出して欲しいといったニュアンスの回答が寄せられたとのことである。これは芸北神楽の中にも本質主義的な核が含まれていることに他ならない。

国会図書館では雑誌の論文は全文コピーできるのだけど、書籍の個別論文はそれにも著作権が認められるということで、全体の半分しかコピーできない。で、非常に困るのだけど(手入力する分には問題ない)、それはともかく、川野論文では芸北神楽の「伝えていかなければならない核」を本質主義的には捉えておらず、また戦略的な構築主義とも捉えていない。戦略的な構築主義というのがまた分からないのだけど(戦略的本質主義という用語はあるが、戦略的構築主義という用語は見当たらない)、本質主義/構築主義の二項対立的な理解から脱却しようとする意図が伺える。しかし、一足飛びに二項対立を超えるのでなく、まず神楽における構築主義とは何なのか明確にさせるべきではないか。それとも考えるまでもないことなのだろうか。芸北神楽や石見神楽はその典型的事例となるだろう。「伝えていかなければならない核」僕自身にはレベルの違いがあるけれども、それは本質主義に他ならないのではないかと思われる。それに芸北神楽の実際のスタンスは時には「広島神楽、ひろしま神楽」の名を借りて、時には漫画という媒体を利用して戦略的に動いている。

しかし、構築主義というのは突き詰めると、伝統文化に本物も偽物もないということになり、つまり何でもありで、それは単なる現状追認でしかないような気がする。

◆参考文献
・川野祐一朗「民俗芸能を取り巻く視線ー広島県の観光神楽をいかに理解すべきなのか」「森羅万象のささやき 民俗宗教研究の諸相」(鈴木正崇/編, 風響社, 2015)pp.711-728
・『シンポジウム「民俗芸能とおまつり法」』「民俗芸能研究」17(民俗芸能学会編集委員会/編, 民俗芸能学会, 1993)pp.78-97
・小島美子「民俗芸能が観光の材料にされる!!」「芸能」34(3)397(芸能学会/編, 1992)p.62
・大石泰夫「民俗芸能と民俗芸能研究」「日本民俗学」213(日本民俗学会, 1998)pp.82-97
・橋本裕之「神と鎮魂の民俗学を遠く離れて―俗なる人々の芸能と出会うために―」「たいころじい」15号(十月社, 1997)pp.33-40
・迫俊道「伝統芸能の継承についての一考察―広島市における神楽の事例からー」「大阪商業大学」第5巻第1号(通号151・152号合併号)谷岡学園創立八十周年大坂商業大学開学六十周年記念号(大阪商業大学商経学会, 2009)pp.609-621

 

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