おまつり法と本質主義――保存と活用の間で
「地域伝統芸能等を活用した行事の実施による観光及び特定地域商工業の振興に関する法律」通称「おまつり法」という法律がある。施行は平成四年のことなので、制定から大分経ったことになる。
現在、島根県西部の各市町では毎週末に夜神楽の定期公演が催されている。神楽シーズンだけでなく一年を通じて神楽が短い時間ながら鑑賞できる背景には、このおまつり法があると思われるが、このおまつり法、制定当時は民俗学者たちの猛反対を受けたのである。
『シンポジウム「民俗芸能とおまつり法」』「民俗芸能研究」17(民俗芸能学会編集委員会/編, 民俗芸能学会, 1993)という論文がある。通称おまつり法案に関して民俗学者たちが集って意見交換したものである。
法律ができた目的が列挙されていて
・国民及び外国人観光客の観光の魅力の増進に資する
・特定地域商工業の活性化に資する
・個性豊かな地域社会の実現
・国際相互理解の増進に寄与する
とある。運輸省、通産省、農水省、自治省、文部省・文化庁の五省が関与してこの法律が制定されたとのこと。
文化財保護法が文化財の「保護」に重点を置いたものであるのに対し、お祭り法案では地域の民俗芸能の「活用」を狙ったものである。
要するに民俗芸能の観光資源化を眼目としているのだけど、民俗学者たちが問題にしたのは、おまつり法の対象が当の芸能の演者・伝承者たちではなく、観光業者とそれにまつわる商工業者たちであるということである。
観光を目的とした民俗芸能のイベント化、そしてそれをプロデュースするサイド(観光業者、商工業者、旅行業者)とそれを実際に演じる演者という風に分かれてしまうのである。
シンポジウムでは司会者の他に数名のパネラーがいるのだけれども、最も反対したのが民俗音楽学者である小島美子である。ただ、シンポジウム開催時は既に法案が可決・施行された後だったので、それ自体はやむを得ないとしている。
小島はシンポジウム以前に「民俗芸能が観光の材料にされる!!」「芸能」34(3)397(芸能学会/編, 1992) という時評でおまつり法案に反対の意見を表明している。
ところがこの法律によると、民俗芸能は観光の材料として観光客のために演じられる。おそらく出演料が出されて、民俗芸能は収入のために演じられるようになる。その結果として、民俗芸能としては、たとえば信仰上どんなに必要なものでも、観光客にとってつまらないものは除外されるなど、演出法はどんどん変えられるだろう。民俗芸能や民謡や民踊が、観光の材料にされて、村人の生活と切り離されて、神楽ショー・民謡ショーなどの形になったとき、民俗芸能はほとんど墜落してしまう。私たちはそういう例をたくさん見てきた。研究上の必要から舞台で演じていただいた場合でさえ、悪い影響を残してしまった例を、私たちは深い反省とともに体験してきた。さらに指定を受けた芸能と受けない芸能の間にも、いろいろな問題が起こりそうである。
「民俗芸能が観光の材料にされる!!」62P
と舌鋒鋭い。シンポジウムでは、おまつり法に好意的なパネラーに対し、
小島 そういうことではなくて私の伺っているのは、先生のところでは例えば一時間やらないとその演目が成り立たないというような演目の時に、そんな一時間もやられたら観光には役立たない、十分間でやれとか、十五分でやれとか、それならば補助金を出してやるとかいうのでもいいんですか?
『シンポジウム「民俗芸能とおまつり法」』90P
観光神楽で演目が短縮バージョンで演じられることはよくあることだ。十分は極端だが、一時間かかるところをおよそ三十分でといった短縮なら珍しくないだろう。広島県で盛んな神楽の競演大会では35分が目安のようである。
神楽に関して言えば、神楽は本来であれば神社に奉納するものだけれど、その文脈を離れてステージで演じられるようになったら、それは神楽の見世物化、ショー化だと小島は言っている。いわば神楽の本質が失われてしまうということである。
ここで、御薗生翁甫「防長神楽の研究」に記された百姓神楽の起源についてみてみる。
1. 悪疫の流行によって死亡者が続出することを避けようとするもの。
2. 天候不順で五穀がみのらず、百姓の多くが餓死することのないように、稲作の無事息災や風雨順時を祈願したもの。
3. 雨乞。
4. 非業の最後をとげた者の怨霊、すなわちミサキを鎮め、また非常の災害にあった人民が餓死した折に、これを鬼神のたたりとしてミサキ鎮めをおこなうもの。
5. 同族が親和団結をはかるために神を祭って神楽を奉納する、いわゆる祖先崇拝にその端を発するもの。
6. 住民とはなんの関係ない神人等がやってきて伝授したもの。(59-60P)
6は除外するとして、神楽奉納の目的としては以上のような理由が挙げられるだろう。神楽をステージに移して演じるということは、これらの目的から切り離されて、観光のために資するためということになる。
これに対して司会の高橋秀雄は、
また特に問題なのは変容と変質という問題を小島さんは気にしておられる。芸能は必ず変容というものがあるわけですが、それはいい変容もあるし、悪い変容もある。しかし、一番怖いのは変質ということである。ですから、この法律によって民俗芸能やお祭りが変質する危険性を非常に感じるからその内容について我々はよく気をつけなければならない、という主旨であったと思います。
『シンポジウム「民俗芸能とおまつり法」』85P
変質と変容の違いが分かったようで分からないのであるが、文化の本質となる核そのものが変わってしまうことが変質だろうか。
ここで中国地方の神楽に詳しい山路興造が発言する。
だからむこう(※備中神楽)としてはどんどん観光化していってああいうものにしています。そういう点は芸能ですから、生きているものですから動いてく。それはあたりまえなんです。でも国としてもし指定するんだったら、県として指定するんだったら、これはどことどこが大切でどこを変えちゃいけないから文化財として指定するんですよ、ということを伝承者にきちんとわからせて、何が大切で何が変えていいのかということ、そのようなことをきちっと踏まえた上でやっていく。そうすると、ここに書いてあるあまりいじっちゃいけませんよ、ということも何をいじっていいのか何をいじっちゃいけないのかということは、さっぱりこちらにはわからないですね。そのようなことを我々学会としてはきちっと位置付し、また文化庁の指定というものが、またその保存というものが、一体何をどのように保存していけばいいのか、という理念をきちんと持ってやっていく、そこに我々の仕事があるのだと思います。(94P)
一方、大石泰夫「民俗芸能と民俗芸能研究」「日本民俗学」213(日本民俗学会, 1998) では90年代の学会の動向を論じて、
しかし、ここで大きな疑問を感じるのは、はたして研究者が民俗芸能を「文化財」と認知した時点で民俗芸能は伝承者の手を放れ、これを「もの」として扱う態度になっていないかということである(この点については、シンポジウムの場でも小林正佳から指摘された。ここでの「もの」は、観光資源と文化財との違いはあるにせよ、伝承者の手を放れて、研究者が勝手に設定する次元のものになっているとは言えまいか。無形文化財を扱うことは難しい。なぜならば、民俗芸能を演じるのは現代に生きる人々なのであって、考古学の遺跡とは違うのである。(85-86P)
例えば、シンポジウムの発題の中にも散見する「変容」「変質」といった言葉で表されたものを、一体どのようにして評価したらよいのだろうか。実際、山路の言説にもみることができるように、研究者は芸能を人が演じる動態として認知していることは改めて述べるまでもない。しかし、研究者にはある民俗芸能に対して研究的価値を見い出した時、「変えてはならない」部分を意識して、これを固定的なものとして「保護したい」という誘惑を禁じ得ないという宿命が立ちはだかることになるのである。それでは「変えてはならないもの」をどのように考えるのか。そもそも研究者の価値認識にしても、その個人の方法論によって大きく異なる。例えば芸能史研究、民俗学的研究、美学的研究にそれぞれ主たる関心がある者は、それぞれに「変えてはならないもの」に対する認識が異なるはずである。(86P)
また、才津祐美子「そして民俗芸能は文化財になった」「たいころじい」15号では、文化財保護法について、
ところが、文化財に選ばれている民俗芸能を見に行くと、次のような話がまま聞かれる。民俗芸能は、現在辿れる範囲でも、様々な変遷を経て現在に至っているが、中でも大きな変化を引き起こした契機の一つは文化財に選ばれたことだったというのである。(26P)
要するに、指定制度導入については、研究者の間でも賛否両論ありはしたが、どちらにしても、植木の見解とは違って、「固定した民俗」を前提としたものだったのである。そのため一九五四年度改正段階では「自然に発生し、消滅していく」という流動的な「性質」を持つとされていた無形の民俗資料が、一九七五年度改正時になると「正しい信仰の古い姿」「古風なまま」「本来の芸態」「旧来の姿」といった言葉で表されるような、まるで古代から不変のまま連綿と受け継がれてきた、固定したもののように語られるようになるのである。したがって、植木の指摘するような議論の不在というよりも、この見解の転換が、「不可能」であったはずの無形の民俗資料の保存を可能ならしめた一要因であると考えられる。(31P)
ここで想起されるのは、文化には不変の本質があるとの立場をとる本質主義である。本質主義はその絶対なる本質を歴史的文脈に沿って相対化する構築主義と対比される。変えてもいい部分と変えてはならない部分を分けて、その本質と思われるものを死守するというのは本質主義に他ならないだろう。特に言及されないのは、それは民俗芸能学会にとって自明のことだからだろう。基本的には全てのパネラーが、そして司会者にしても本質主義に沿ってお祭り法を論じていると見受けられる。
それでは構築主義的要素はないのかというと、同じく山路の発言の中にある。
それから民俗芸能の研究の歴史を振り返りますと実は戦前は結局、土俗だとか風俗だとか風景だとかそういうものをいかに観光として活用させるか、という戦前の運輸省及び鉄道省、そういうところが一生懸命になったのが実は民俗芸能研究の始まりなんです。『旅と伝説』等の研究史も全部そういう地方の資源をどう観光的に使っていくかというところから実は民俗芸能の研究は始まっているんです。
『シンポジウム「民俗芸能とおまつり法」』(94P)
という箇所である。歴史的文脈に沿ってみると、これは橋本裕之も書いていることであるが、まず民俗芸能に目を向けたのは戦前の旅行雑誌だったという事実である。「旅と伝説」といった雑誌が旅行を扱いつつ、徐々に民俗に目を向けていくようになったことを橋本は「民俗芸能研究という神話」という本で論じている。やがて民俗学者の方が旅行雑誌を低くみる態度になっていったことも記されている。
明治時代に郵便、鉄道が整備されたことで地方の情報が中央に集まってくることになる。それで民俗芸能の研究は進展するのだけど、歴史をひも解くと、観光と民俗芸能の間には深い関わりがあったことが伺える。
論文を読むに、民俗芸能学は基本的に本質主義に立脚している、そして構築主義的研究を等閑視してきたといえるが、しかし、例えばそれでは
ちなみに、神楽外になるが、伝統はないが新たな地域おこしの核として期待されているのが創作和太鼓とのこと。全国で数千もの創作和太鼓の団体があるという。
おまつり法とは直接関係ない文章だが、中国地方の神楽に詳しい岩田勝は下記のように書き残している。
そこには民俗芸能研究などという、客観的で冷静な態度などはありようがない。あえて学問としてというならば、おそらくこれから本格的に取り組まれるべきなのは、祭りの場から離れた民俗芸能の社会学(あるいは経営学)であり、祭祀組織の基盤を失ってもなお一人歩きさせるための民俗芸能保護行政学であるであろう。
岩田勝「“神々の乱舞”全国神楽フェスティバル」「民俗芸能学会会報」第21号
「民俗芸能研究などという、客観的で冷静な態度」これ自体が問われているのではなかろうか。
◆参考文献
・『シンポジウム「民俗芸能とおまつり法」』「民俗芸能研究」17(民俗芸能学会編集委員会/編, 民俗芸能学会, 1993)pp.78-97
・小島美子「民俗芸能が観光の材料にされる!!」「芸能」34(3)397(芸能学会/編, 1992)p.62
・大石泰夫「民俗芸能と民俗芸能研究」「日本民俗学」213(日本民俗学会, 1998)pp.82-97
・「防長神楽の研究」(御薗生翁甫, 未来社, 1972)
・「民俗芸能研究という神話」(橋本裕之, 森話社, 2006)
・橋本裕之「神と鎮魂の民俗学を遠く離れて―俗なる人々の芸能と出会うために―」「たいころじい」15号(十月社, 1997)pp.33-40
・迫俊道「伝統芸能の継承についての一考察―広島市における神楽の事例からー」「大阪商業大学」第5巻第1号(通号151・152号合併号)谷岡学園創立八十周年大坂商業大学開学六十周年記念号(大阪商業大学商経学会, 2009)pp.609-621
・迫俊道「芸北神楽におけるフロー」「フロー理論の展開」(今村浩明, 浅川希洋志/編, 世界思想社, 2003)
・才津祐美子「そして民俗芸能は文化財になった」「たいころじい」15号(十月社, 1997)oo.26-32
・橋本裕之「民俗芸能の再創造と再想像―民俗芸能に係る行政の多様化を通して―」「講座 日本の民俗学10 民俗研究の課題」(香月洋一郎, 赤田光男/編, 雄山閣出版, 2000)
・茂木栄「伝統芸能のイベント活用法案について」「民俗芸能学会会報」第22号(民俗芸能学会, 1992)pp.2-3
・岩田勝「“神々の乱舞”全国神楽フェスティバル」「民俗芸能学会会報」第21号(民俗芸能学会, 1991)pp.2-3
・八木康幸「町おこしと民俗学―民俗再帰的状況とフォークロリズムー」「民俗の歴史的世界 御影史学研究会創立25周年記念論集」(御影史学研究会, 岩田書院, 1994)
・岩田勝「“神々の乱舞”全国神楽フェスティバル」「民俗芸能学会会報」第21号(民俗芸能学会, 1991)pp.2-3
・俵木悟「民俗芸能の実践と文化財保護政策―備中神楽の事例から―」「民俗芸能研究」25(民俗芸能学会編集委員会/編. 民俗芸能学会, 1997)pp.42-63
・太田好信「文化の客体化―観光をとおした文化とアイデンティティの創造」「民族学研究」57-4(日本民族学会, 1993)pp.383-410
| 固定リンク
「神楽」カテゴリの記事
- 釣り針をなくす(2023.03.19)
- 垣澤社中の記念公演に行く 2023.03(2023.03.05)
- YouTubeで鑑賞できた(2023.02.25)
- 現実の方が先行している事例(2023.01.12)
- 改良笛の製造元が廃業(2022.12.31)
「本質主義/構築主義」カテゴリの記事
- 地元民が読んだらどう感じるか――足立重和「郡上八幡 伝統を生きる 地域社会の語りとリアリティ」(2020.10.24)
- 平易な入門書――ケネス・J・ガーゲン「あなたへの社会構成主義」(2020.10.19)
- 紙数が足りない――足立重和、他「構築主義の可能性」(2020.10.15)
- ステージ上の芸能――橋本裕之「舞台の上の文化 まつり・民俗芸能・博物館」(2020.10.06)
- 当時は気づかずにスルーしていた(2020.08.29)