定義が今一つピンとこない――フォークロリズムとフェイクロアについて
国会図書館に行く。今日は富士山盛り蕎麦でなくネギトロ丼を食す。いつもは閲覧請求をして約30分かかるので、その間に食事を済ませるのだけど、今回、カートに入れたまま請求をし忘れていて、30分余計に時間がかかった。今回も無意味にトイレが近くて困る。
フォークロリズムとフェイクロアというキーワードに惹かれて日本民俗学236号を読んでみるが、肝心のフォークロリズムの定義がよく分からず(フォークロアの商品化?違う)、想像していたのとは違って面白くなかった。
八木康幸「フェイクロアとフォークロリズムについての覚え書き―アメリカ民俗学における議論を中心にして―」「日本民俗学」236号(日本民俗学会, 2003)pp.20-48 を読んだのだが、フォークロリズムとフェイクロアに関する定義づけが曖昧で具体例を欠き、初学者には理解不能なものであった。これはフォークロリズムの知識のある人向けにまとめられたものと言えそうだ。
門田岳久『ドイツ民俗学の転機とフォークロリスムス―バウジンガー著「科学技術世界のなかの民俗文化」を読んで―』「日本民俗学」232号(日本民俗学会, 2002)pp.139-145 に比較的分かりやすい解説が載っていた。
論文ではドイツのフォークロリスムスを疑似民俗文化、アメリカ民俗学のフェイクロアを商業主義的民俗文化と要約している。
直訳すると、フォークロリスムス(フォークロリズム)とは「フォークロアみたいなもの」であった。
民俗芸能が本来の文脈(例えば神楽で言えば奉納神楽)を離れたところでイベント化され転用、再生される過程(神楽で言えばステージで舞う観光神楽)を言うようである。また、消滅していた民俗文化が復活させられたりするといった事例も挙げられている。いずれも本来の意味とは別の新しい第二義的な意味が付与されるのである。
フォークロリズムを端的に指す言葉として、セカンドハンドという言葉が挙げられる。セカンドハンドとはセコハン、直訳すると中古だ。
そういう意味では例えば石見神楽・芸北神楽の共演大会、競演大会やイベントでの上演といった上演形態が奉納神楽という本来の文脈から離れたところでのそれ(ステージでの上演)となること等が事例として挙げられるだろう。
フォークロリスムスは「純粋な民俗学」と「応用民俗学」との二項対立となったが、その後、構築主義的観点から「純粋な」「真正の」といった見方には修正が加えられていると思われる。
対して、フェイクロアでは「本物」と「まがいもの」という二項対立の構図が鮮明となる。フォークロア風の創作物などを指すようである。
フォークロリズムは観光とも絡んで論じられるようになっている。しかし、純粋なものほど価値が高いなら、なぜ人々はより価値の低いフォークロリズム(セカンドハンド)に惹かれるのか。観光の持つ利便性からか。顧客の望むものを提供しているからか。それは観光学の答えだろう。民俗学の答えではない。それにしても客だって価値の高低くらいは見抜くだろう。
言ってしまえば、学術的価値と集客力の間に関係はないという単純なことかもしれない。でも、それがなぜなのか上手く説明できないのだ。ノスタルジーが満たされさえすれば本物もまがいものも関係ないのかもしれない。
例えば神楽におけるフォークロリズム、ステージ上で舞われる神楽であるが、これはお祭りの当日しか見ることのできない神楽をいつでも鑑賞できるようにする点で神楽の敷居を下げ、裾野の拡大を図れるといった効能があると考えられる。
橋本和也「観光人類学の戦略 文化の売り方・売られ方」という観光人類学の本では観光を「異境において、よく知られているものを、ほんの少し、一時的な楽しみとして売買すること」と定義する。そして「一時的な楽しみ」を「本来の文脈から切り離され、集められて、新たな『観光文化』を形成するもの」と定義する。観光を巡礼から切り離して狭い範囲で定義したものだが、これによると、よく知られていさえすれば本物か偽物かは問われないことになる。
なお、河野眞「ナトゥラリズムとシニシズムの彼方―フォークロリズムの理解のために(1)―」「文明21」19号(愛知大学国際コミュニケーション学会/編, 2007)pp.37-53 で河野氏はフォークロリズムは価値判断の術語でないと弁明している。
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