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2018年12月15日 (土)

酒呑童子より前か後か――土蜘蛛(葛城山)

◆芸北神楽の新舞

 芸北神楽の新舞に「葛城山(土蜘蛛)」という演目がある。土蜘蛛というと、朝廷にまつろわぬ輩を土蜘蛛と呼んでいるが、ここでは蜘蛛の精魂という解釈である。

「葛城山(土蜘蛛)」あらすじ
 源頼光は重い病を得て伏せていた。そこに土蜘蛛の精魂が変化した胡蝶がこの機会に頼光をとり喰らおうとする。胡蝶は毒薬を薬と偽って頼光に飲ませる。苦しみはじめた頼光に胡蝶は土蜘蛛の正体を現し襲いかかる。が、頼光は膝丸の太刀を抜いて土蜘蛛に浴びせかかる。深手を受けた土蜘蛛は葛城山に逃れる。膝丸は蜘蛛切丸と名前を改める。
 頼光は配下の四天王である卜部季武(うらべのすえたけ)と坂田金時に命じて葛城山の土蜘蛛退治を命じる。二人は葛城山の土蜘蛛が籠もっている古塚に攻めいって土蜘蛛を退治した。

◆動画

 YouTubeで横田神楽団の「葛城山」を視聴。桜江町とあるので江津市桜江町だろう。大元神楽のおひざ元で芸北神楽の新舞を演じているのは興味深い。登場人物は卜部季武と碓氷貞光に差し替えられている。途中、鬼の面を一瞬で着け、拍手が起きる。葛城山に限った話ではないが、鬼が片足をあげ、もう片方の足をずらして横に移動、身体能力の高さをアピールする。真似してみたが全くできなかった。

◆謡曲「土蜘蛛」

 謡曲「土蜘蛛」を直訳調であるが訳してみた。

前シテ:僧
ツレ:源頼光
同 :胡蝶
後シテ:蜘蛛
トモ:従者
ワキ:頼光の郎等
処は:前京都
  :後大和
季は:七月

土蜘蛛の精魂来りて病中の頼光を悩まさんとせしかば頼光、膝丸の剣を以て、これを切払ひ、郎等その血痕を、たどりて葛城山の巣崛に到り、遂に土蜘蛛を退治せし事を作れり。

ワキ次第「浮きたつ雲の行方を、浮きたつ雲の行方を、風の心地を尋ねん」
サシ「これは頼光の邸内に仕える小蝶と申す女でございます」
詞「さてさて頼光殿は病気でお悩みのため、典薬の頭(かみ)よりお薬を持ち、ただいま頼光殿の居所へ参りました。どうです、誰か入った者はいませんか」
トモ「誰ですか?」
シテ「典薬の頭からお薬を持って、小蝶が来た次第を申してください」
トモ「心得ました。ご機嫌を伺って申しあげましょう」
頼光サシ「こゝに消えかしこに結ぶ水の泡の、うき世にめぐる身にこそありけれ。本当にまあ人知れぬ、心は重い夜具の、恨む方もない袖を、独り寝のわびしい思いかな」
トモ「いかが申し上げましょう。典薬の頭よりお薬をもって、小蝶が来ました」
頼光「こちらへ来いと申しなさい」
トモ「かしこまって候。こちらへ来なさい」
ツレ「いかが申し上げましょう。典薬の頭からお薬を持って来ました。気分はどうでしょう」
頼光「昨日より心も弱り身も苦しんで、今は死期を待つばかりだ」
ツレ「いえいえ、それは差支えないでしょう。病は苦しいのが世の決まりですが、治療によって治る事の例(ためし)は世の中に多いものです」
頼光「思いも捨てず様々に」
地「手段を尽くして夜昼の、手段を尽くして夜昼の、境も知らぬ有様で、時の移るのをも、感じぬ程の心かな。まこと心を転じず、そのままで思い沈む身の、胸を苦しめる心となるのが悲しい」
シテ一声「月が清らかな夜半とも見えず雲と霧がかかれば曇る心だなあ」
詞「どうです、頼光殿、気分はどうでしょう」
頼光「不思議かな、誰とも知れぬ僧形が夜更けに及んで我を訪ねた。その名はどうにも覚束ない」
シテ「愚かな仰せでございますぞ。お悩みになるのもあなたが来るべき細蟹(ささがに:蜘蛛)の」
頼光「蜘蛛の振る舞いかねてから知らぬのになお近づく。姿は蜘蛛の如くなるが」
シテ「千筋の糸すじに隠れるか」
頼光「五体を短くして」
シテ「身を苦しめます」
地「化け物と見るよりも、枕にあった膝丸を、抜き開き、ちょうと切れば、背中を向けた所を続けざまに、足もためず薙ぎ伏せつつ、やったぞ、おうと騒がしい声で、形は消えて失せてしまった、失せてしまった」
ワキ詞「お声が高く聞こえましたので馳せ参じました。何という事でしょう」
頼光「追いつくにしても早く来た者だなあ。近く来たまえ。語って聞かせよう。そもそも夜半ばかりの頃、誰とも知らぬ僧形の者が来て私の気分を問うた。何物かと尋ねたところ、我が背子(せこ)が来べき宵なり細蟹(さゝがに:蜘蛛)の、蜘蛛のふるまいかねてしるしもという古歌を連ね、ただちに七尺ばかりの蜘蛛となって私に千筋の糸を繰りかけたのを、枕にあった膝丸で切りふせたが、化け物でかき消す様に失せたのである。これと言うのも偏に剣の威徳と思ったので、今日より膝丸を蜘蛛切と名づけよう。いかに奇特な事ではないか」
ワキ「言語道断。今に始まったことではありません君のご威光剣の威徳、いずれにしても目出度い事です。また御太刀で切りつけた跡を見たところ、甚だしく血が流れています。この血を探って化け物を退治しましょう」
頼光「急いで来たまえ」
ワキ「かしこまって候」
ワキ一声「土も木も我が大君の国ですので、どこに鬼が宿りましょうか。その時一人武者進み出て、彼の塚にむかい大きな音をたてて言いますには、これは音にも聞えたでしょう。頼光に従う武士でその名を得た一人武者。いかなる天魔鬼神であっても、命魂を断とうこの塚を、崩せや崩せ人々と、大声で叫ぶその声に力を得たばかりです」
地「下知(命令)に従う武士の、下知に従う武士の、塚を崩し石を返せば、塚の内から火炎を放ち、水を出すといえども、大勢崩すや古塚の、あやしい岩間の陰からも、鬼神の形は現れた」
後シテ「お前は知らぬか、我は昔、葛城山で年を経た土蜘蛛の精魂である。なお君が世に障害をなそうと頼光に近づいたところ、却って命を断とうとや」
ワキ「その時一人武者進み出て」
地「その時一人武者進み出でて、お前は天皇の治める土地に住みながら、君を悩ませるその天罰の、剣に当たって悩むだけか、命魂を断とうと、手に手を取って組みかかったので、蜘蛛の精霊が千筋の糸を繰りためて、投げかけ投げかけ白糸が手足にまとわり五体を縮めて、斃れ伏したと見えた」
ワキ「とはいえ」
地「とはいえ、神の国王地(天皇の治める土地)の恵みを頼み、彼の土蜘蛛を中に取り込め、大勢乱れかかったので、剣の光に少し恐れる様子を便りに、切り伏せ切り伏せ土蜘蛛の、首を打ち落とし悦び勇み、都へと帰った」

 ……胡蝶が登場するので、謡曲「土蜘蛛」が芸北神楽の新舞の出典のようだ。謡曲では名前が出ていなく単に武者とだけ記されているが、神楽では源頼光の四天王である卜部季武と坂田金時が登場する配役となっている。胡蝶は小蝶と表記されている。

◆平家物語剣巻
 平家物語剣の巻にも土蜘蛛伝説が収録されている。口語訳してみると、

 同年の夏の頃、頼光は瘧病(ぎゃへい)つまり、おこりの病を得た。ついている病の気を落とそうとしても落ちず、加持祈祷したけれども叶わず、後には病が起こった。起こったので頭が痛く、身体が火照り、天にも付かず地にも付かず中に浮かれてお悩みになった。その後は熱気も覚め、頭痛も直った。このようにして起こった事は三十余の日であった。あるとき大事に起こって二時ばかり有ったときに、病が減気に向かったので(快方したので)四天王どもが看病するのも捨てて、閑静な所に入って休んだ。頼光は熱気は醒めたけれども、未だによく立ち直らなかった。夜が更けての事なので、燈火を守って、世間の事どもを案じ連ねて臥したところに、燈火の影から長(たけ)七尺ばかりの法師がするすると歩み出でて、繩をさばいて頼光に付けようとした。頼光は是に驚いてがばっと起きて「何物であらば頼光に繩をば付けようとするのか」と「憎き奴かな」と言って、枕に立て置いた膝丸を取って、ふっと切ったところ、手応えがあったので「うまくやったぞ、おう」とおっしゃった時に四天王どもが聞きつけて、我も我もと走り来て「これは何事ですか」と申したので、しかじかだと言った。「さては不思議であります」。やがて燈台の下を見たところ、誠に血がこぼれていた。手々に火を灯して見たところ、妻戸から出て、簀子へ降りたか、簀子にも血がこぼれていた。やがて門へ行ったが、長い道に血のしたたった跡を引いて北野の方へ血がこぼれていた。跡に目を付けて尋ね行くと、北野の中に大きな塚穴があり、その塚穴の内に入った。ただちに塚穴を打ち崩して見たところ、四尺の繩で搦めたのに足らぬ程の大蜘蛛であった。搦めて返ったので。「心外だ。頼光程の者が是程の奴に誑かされて三十余日悩んだことこそ不思議だ。彼らの仲間の今後の見せしめの為に」と言って、鉄(くろがね)の串に刺させて川原に立てて晒された。さて膝丸をば蛛切(くもきり)と名づける。

◆土蜘蛛草紙

 角川書店「室町時代物語大成 第九」に収録された土蜘蛛草紙も読んでみたが、芸北神楽の新舞との直接の関連はなさそうである。源頼光が病を得ているという描写はないようだし、胡蝶と名のる女性も出てこない。蜘蛛を退治する点では同様の内容で、謡曲「土蜘蛛」に先行するもの、本説かもしれない。

◆大江山の酒呑童子退治より先か後か

 土蜘蛛は酒呑童子の精魂であるという解釈もある。
 やはり寛文三年の正本であるが、『しゆ天どうじ』(東洋文庫蔵)の最終段、六段目「どうじさいご幷くびそらへまいあがる事」の結びの部分にも土蜘蛛退治の結合を見る。
(中略)
 ここでは土蜘蛛が「童子が執心」の変化だと解されている。仮名草子『お伽物語』(全五巻、延宝六年刊)四ノ三「百物語して蛛(くも)の足をきる事」のなかに、「何とてか我が背子が来べきよい事には引かれずして、童子が霊となりては頼光にも近づきしぞや。いまはたちまちに殺されても、わらはべなどの一昨日来(おとゝひこ)よと呼ぶも、その性(しやう)、執心の深ければこそ」と述べられてある一文も、土蜘蛛を「童子が執心」の変化と伝えた俗説の存在を裏づけるもの、元禄四年刊『多田満仲五代記』(全十巻十冊)巻六「頼光朝臣瘧病付討捕山蜘蛛事」の章で、「是ホドノ虫類ニ侵サレヌルコソ奇怪ナレ、如何サマ大江山ノ童子ガ化生ト覚ヘタリ」と言った頼光のことばも同じ俗伝の記録である。
「御伽草子の精神史」(島内景二, ぺりかん社, 1988)85-86P
 金平本の浄瑠璃において特に注目を要することは、大江山酒呑童子退治と土蜘蛛退治との間に、さらにもう一つ、童子の怨霊が江州伊吹山に再び悪鬼の姿を現じたという事件を挿入した作品のあることである。
(中略)
 本書は延宝頃の刊と推測されているが、内題にこの鬼を「しゆてんどうじ二代目」と記してあるところがおもしろい。この二代目が、伊吹山で頼光に切られながらも、首は「虚空に舞いあがり、雲のうちに声あって、いかに頼光、かさねて本望とぐべしと、口より火炎を吹き出し、黒雲にまぎれ、行き方知らず失せ」去り(二段目)、五段目で、今度は「蜘蛛の鬼」と化して頼光を狙い、挙句の果に退治されてしまうのだ。
「御伽草子の精神史」(島内景二, ぺりかん社, 1988)86-88P
 ……この解釈によれば葛城山の事件は大江山の酒呑童子退治より後のエピソードという解釈となる。一方、前とする解釈もあるようだ。個人的には酒呑童子退治で頂点を極めた頼光がやがて年を経て病に倒れ伏すといった解釈の方が馴染みやすいのではないかと感じる。

◆精読:土蜘蛛草紙
 「土蜘蛛草紙」(仮題)を精読した。

 神無月二十日頃に北山の辺りに行くと、蓮台野に至った。郎党に綱という男がいて、余人に勝る賢い兵だった。相慕い、頼光が三尺の剣を引っ提げ、綱は腹巻を付けた。こうして佇(たたず)んでいると、一つのどくろが空を飛ぶのを見て、風に従って雲に入った。綱と言い合ってどくろの行方を尋ね行くと、神楽岡という所に至った。とにかく佇んでいると、古い家があり、とても広い庭に分け入った。古い上達部(かんだちべ:公卿)の住処だろう。西に紅錦の山がある。南に碧瑠璃(へきるり)の水がある。庭は蘭菊(らんぎく)の野となり、門は禽獣(きんじゅう)の住処となっていた。

 さて、中門の内に至った。綱を留め置いて頼光は左右を顧みた。台所の障子の一面に、老女の息づかいが騒がしく聞こえる。やり戸を打ちたたいて開けた。

 頼光は汝(なんじ)は何者か、事情が分からないと問うと、老女が答えて、自分はこの所の年配の者です。二百九十歳になり、九代の主君に仕えましたと言った。

 髪は白く、同じ物(髪)を集めていた。抉(ぐじ)りという物を持って、左右の目を開けて上のまぶたを頭(かしら)に被せているので帽子の様であった。

 また、笄(こうがい)(女の髷(まげ)に挿して飾りとする器具)の様な物で口を差し開けて、うなじに結っていた。左右の乳を延ばして膝に引きかけているのに似ていた。

 若いのはそうだと言えますけれども、老いて自ら残ります恨めしさかな。宮の鶯(うぐいす)を住まわせています。梁(うつはり:横木)の燕(つばめ)が戸を下がることを嘆きます。

 君を見申し上げるのは長安昌家の娘、元和(げんな)の白楽天に逢う心地がします。人と所が異なると言えますけれども、彼処(かしこ)には江の上に浮かぶ月を見ます毎に、枕の上に積もる涙を悲しみます。

 願わくは私を殺してください。十念(念仏・念法・念僧・念戒・念施・念天・念休息・念安般・念身・念死)が成就して三尊の来迎に預かりましょう。これに過ぎたことが何事より御恩です。殺すべしと言う。

 頼光はこの様者にあって、問答無用と思い、そこを出た。綱が台所に行って暮らし向きを伺(うかが)い見た。

 夕闇で空の景色がただならなくなった。夕暮れに紛う木の葉も大層降った。風が夥(おびただ)しく吹く。稲妻がしきりに鳴る。なお生きた心地もしない。

 綱が思ったのは、此処(ここ)に留まることは、もし群がっているいる化け物がいれば一つ処に寄るべきでない。また、逃げるべきでもない。

 忠臣は二人の主君に仕えないと言う。どうして命に背いて、更に恩を忘れるべきかと思って、雨に濡れ、風に縮こまっていた。

 頼光は心を静めて聞くと、鼓を打つような足音がして、言い知れぬ、入る火、異形の物どもが幾らと数も知れず歩み来た。柱を中に隔てて、各々去(い)ぬる姿はまちまちだった。

 頼光が通し火の方を見やると、その眼は白毫(びゃくごう)(仏の眉の間にある光を放つ白い毛)の様で、皆一度にどっと笑って、障子を引き立てて去っていった。

 また、一人の尼が来た。道州民の様であった。その丈は三尺ほどだった。面は二尺、丈一尺であろう。下(しも)の短さが思いやられて怪しかった。

 灯台の許に寄って火を蹴落とす、頼光に睨まれて尼公はにこにこと笑う。

 眉は太々と作って、紅は赤く、向脛(むかはぎ:むこうずね)に金を付けて、正しく紫の帽子で紅の袴を長めに着ている。身には艶々(つやつや)と掛かる物は無かった。

 手は細く糸筋の様だった。色は白く雪の様だ。朽ち満ちて、雲霞が消える様に失せた。

 鶏が暁を唱えて、忠臣(綱)は朝を待つ時分になったので、今は何事があろうかと思ったところ、怪しい足音で、向かった障子を五寸ばかり細めて、しばしば端が隠れた。その様は春の柳の風に乱れるよりも細やかだった。

 つくづくと立って、引き開けるのを見たところ、ようやく歩み来て、とても近くではなく、畳に居こぼれたのは待つ情けがあった。雪をうち払う気色だった。

 楊貴妃、李夫人と争う程の姿形なので、家主などが喜んで、燈火を睨む眼、透漆(すきうるし)を差したのに似ている。火の光で輝いていた。

 目も綾な心地がすると、この女は袴の裾を蹴り上げたところ、鞠(まり)の程の白雲を十ばかり、頼光に掛けつつ、目も見えなくなったところ、やがて二三間ばかり招き寄せて取り合えないところ。

 太刀を抜いて強かに斬ったところ、かき消す様に失せた。板敷きをうち落として、石据(石版)の石をそのままうち避けた。

 化物が帰ったところ、綱が来た。御敵は強かに召されました。ただ太刀の先が折れていますと言った。

 板敷きから抜き出して見たところ、まこと折れていた。そこを見ると、白い血が夥しく溜まって全く流れなかった。太刀にも白い血が付いていた。

 さて、綱と一緒に行方を尋ねたところ、昨日の老女の局(部屋)に至った。ここにも白い血ばかりがあって、主(ぬし)は見えず。

 はや一口に喰われたかと思い、尋ね行くと、西の山の方、遙かに分け入った洞窟の中に尋ね行くと、白い血が流れて、細い谷川の様だった。

 綱が言うには、御剣の折れようを見るに、楚国の眉間尺(みけんじゃく)が雄剣の先を折ったのと違いません。願わくは、藤を切り、葛(くず)を断って、人形を作って烏帽子、直垂(ひたたれ)を脱ぎ着せて、前に立てて行きますと申した。

 頼光は一緒に用意した。今は四五町も来たと思ったところ、穴の端に至った。ねぐらと思しき古屋が一つあった。瓦に松を植え、垣に苔むして、人の足跡は絶えていた。

 見ると、長さ二十丈ばかりの頭(かしら)で錦を着た様であった。頭の方に寄って、足は幾らとも知れず、眼(まなこ)は日月の様に輝いた。

 曰く、あら責めるな。これは何事、身に板付きのいるのも心苦しいと言い果てたところ、案に違わず、白雲の中に威光を放ったものが一つ来て、人形に立てば、人形は倒れた。

 化物は音もしなくなった。やがて近づいて両人は力を合わせて掴んだ。

 この物は力が強く、却って害をなそうとした。大盤石を動かす様だった。

 天照大神と正八幡宮に祈念する。我が国は神国である。神は国を守り給う。国はまた帝の芳心(親切)で治める。自分は臣下として、しかも王孫である。

 自分は十全の余慶(先祖の善行で得た子孫の幸福)の家に生まれ、今、この物を見ると畜生である。畜類は極悪無限、破戒無残のため、この道(六道)に生を受けた。しかも国に患いを成す。人の仇となる。

 我は即ち帝を守る兵である。国を治める片手である。お前は従わないだろうと言って、

 両人へ糸を引くと、始め仇なる心があると言えども、早く従って、退け様に倒れた。

 頼光は剣を抜いて、首を刎(は)ねた。綱が腹を開けようとすると、口の半ばに深く切れた傷があった。頼光が板敷きまで斬り通したところの傷である。

 そもそも何者かと見たところ、山蜘蛛という物だった。剣の切れ目から死人の首が千九百九十出た。

 すぐさま片腹を探すと七八の子供勢の小蜘蛛が幾らとも知れず走り騒いだ。

 腹を探すと、非常に長い頭(こうべ)が二十ばかりあった。一つの穴を掘って首を埋めた。かの所に火を掛けて焼き払った。

 天皇はお聞きになって、感じ入った。頼光を摂津守にした。正下の四位に至った。綱は丹波国を賜って、正下の五位にされた。

※以下、「土蜘蛛草紙」に漢字を当てた。

みなもとの頼光□□□□□□□□□□□□□□帝の御末ときこ□□□たけくつも□□□たり。

神無月廿日あまりの此、北山の辺□□行しけるに、蓮台野に至りぬ。

郎党に、綱と言ふ男(おのこ)有。是も余の人に勝れり。賢き□(兵)なりければ、あひした□□□□□□(けり)、頼光、三尺の□□(剣)引っ提げ(ひさけ)、綱は、腹巻(を)□□□□□□□□をたと□□帰り、とかく、佇む程に、

一のどくろ、空を□□(飛ぶ)是を見るに、風に従ひて、雲に入りぬ。綱、云合て、この行方を尋ね行(ゆ)くに、神楽岡と云ところに至りぬ。どくろ見えず成ぬ。

その所に、古き家あり、いと広き庭の面に□□□□□分け入る、袖も絞るはか□□□□□(門を)見やる□、葎(むくら)□□(とち)て、自ずから絶たり。

古き上達部の住処なるべし、西に(紅錦)□□□の山あり、南に碧瑠璃の水有、庭には(マゝ)蘭菊の野となり、門は禽獣の住処となれり。

さて、中門(もむ)の内に至りぬ。綱をば留めておきて、頼光は左右を顧みる。

台所の障子の一面なるに、老女の息差(いきさし)騒がしき、音な聞こゆ。やり戸を、打ち叩くに、開けたり。

頼光、問ひて曰く、汝は何者ぞ、事の心湧き難しとの給へ□、

答えて云、我はこの所の年頃の者也。二百九十に罷り(な)□る。主君九代に仕えたりと言ふを見れば、

髪白くして、同じ物を集めたり。抉り(くじり)と言ふ物を持ちて、左右の目を開け□(て)、上のまぶたを頭(かしら)の(に)うちかづきたれば、□(帽)子の如し。

また、笄(かうかい)の様(やう)なる物にて、口を差し開けて、肩をひ□□□□して、うなじに結へり。左右のち(乳か)を延べて、膝に引きかけ□しを着たるゝに、似たり。

云う様(やう)、春住、秋来れども、思はあ□□(らた)まらず。歳去歳来りて、恨のみ切なり。此ところには、魔□□□して、人跡絶たり。

若きは然ると言へども、老て自ら残る、□(う)らめしきかな。宮の鶯住ますなり、梁(うつはり)の燕(つはくらめ)、□(と)を□□(さか)る事を嘆く。

君を見奉るは、長安昌家のむ□□(すめ)、元和の□□(白楽)天に逢へる心地す。人と所異なりと言へども、□□□□□□□(きしはこれおなし)、彼処(かしこ)には、江の上に浮かぶ月を見る毎に、枕の上に積もる涙を悲しむ。

願はくば、我を殺し給へ。十念成就して、□□(三尊)来迎に預らむ。何事か、これに過ぎたる御恩、候べきと言ふ。

頼光、斯くの如きの者に会ひて、問答無益(むやく)と思ひ、そこを出でて有。綱、台所に行(ゆ)きて、世間を伺ひ見けり。

夕闇の程、空の景色、たゞならずなりぬ。□□くれに、紛ふ木の葉も、いたく降り勝り。風夥しく吹て神なり。稲妻、繁し。更に生けるべき心地もせず。

綱が思ひけるは、此処に留まりつる事は、もし群がれいる、化け物あらば、両人の中に取り籠めて十方より、斬り破るべし。

□□ら中に、取り籠められなば、更に叶ふべからず。また、さりとて、一処に寄るべきにあらず。又にくへきにあらず。

忠臣は両君に仕えず、かうちよ(公序か)は主に□ず、と言ふことあり。いかでか命を背き、さらに恩を忘るべきと思ひて、雨に濡れ、風に萎れて居たり。

頼光は心を静めて聞くに、皷を打つが如く、足音して、言ひ知らぬ、入る火、異形(いきやう)の物ども、幾らと言ふ数を知らず歩み来たれり。□□□□(はしらを)中に隔てて、各々去(ゐ)ぬ姿、まちまちなり。

頼光、通し火の方を見やるに、その眼、白毫の如し。□□(みな)一度にどうと笑ひて、障子を引き立てて去り行(ゆ)きぬ。

また、一人の尼来たれり、道州民の如し。その丈三尺ばかりなり。面二尺、丈一尺なるべし、下(しも)の短さ思やられて、怪(け)しからず。

灯台の許に居寄りて火を蹴落とす。頼光に睨まれて、尼公、にこにこと咲へり。

眉太々と作りて、紅赤く、むかは二(向脛[むかはぎ]か)に、金(かね)付けて、正しく紫の□(帽)子□□(にて)、紅の袴、長やかに着たり。身には艶々かゝる物なし。

手細くして、糸筋の如し。色白くして雪の如し。□□けむに朽ち満てり。雲かすみの消ゆるが如くして、失せ□□(けり)。

鶏人、暁を唱へて、忠臣、朝(あした)を待程になりぬれば、今は何事か有べきと思ふに、怪しき足音にて、向かひたる障子□□□□□五寸ばかり細めて、しばしば、端隠れたり。その様、春の柳の風に乱れたるよりも細やかなり。

つくづくと立ちて、引き開くるを見る程に、やうやう歩み来たりて、いたく、け近くはあらで、畳にゐこぼれたる程、待つ情けあり、いはゆる、あ□□□□□□□雪をうち払える気色也。

楊貴妃、李夫人□□争ふ程の形なれば、家主などの喜び思ひて、来たれるかとまで、思い続けて見るに、風、冷やゝかに吹きて、暇白みゆけば、この女、つと立ちて帰ると見ゆる。

□□□□□□□□□(たけころに)なり、髪を前へかい取りて、燈を睨まへたる眼、透漆(すきうるし)を差せるに似たり。火の光に輝き合ひたり。

目も綾なる心地するに、此女、袴の裾を蹴上げたれば、鞠の程なる白雲を十ばかり、頼光に□□かけつゝ、目も見えずなるに、やがて二三間ばかり、□き寄せて□取りあへぬに。

太刀を抜きて、強(したゝ)かに斬るに、掻き消つ様(やう)□、失せぬ。板敷をうち落として、石据への石を乍らばかり、うち避けり。

化人帰りつれば、綱来たり。御敵は強かに召され候□、只の(マゝ)御太刀の先や、折れぬらんと言ふ。

板敷より抜き出でて見れば、げにも折れたり。そこを見るに、白き血、夥しく溜まり、全て流れず。太刀にも白き血付きたり。

さて、綱諸共に、行方を尋ぬる程に、昨日の老女の局に至りぬ。ここにも白き血ばかりありて、主(ぬし)は見えず。

はや一口に喰われて□□□(けるな)と思ひ、尋ね行に、西の山の方、遥かに分け入りたる洞の中に尋ね行(ゆ)くに白血流れ出でて、細谷河の如し。

綱が言う様(やう)、御剣の先の折れ様を見るに、楚国のみけむさく(眉間尺)、しかう(伺候か)を思て、雄剣の先を□□つるに違はず。願はくば、藤を切り、葛を断ち□(て)、人形を作りて、烏帽子、直垂を脱ぎ着せて、前に立て行と申。

頼光諸共に、用意しけり。今は四五町も来ぬらむと思ふに、穴の端に至りぬ。むねくら(ねぐら?)と思しき古屋、一つ有。瓦に松を□、垣に苔むして、人跡絶えたり。

見るに、長さ二十丈ばかりなる、頭(かしら)、錦を着たるが如し、頭の方に寄りて、足幾らとも知らず思し、眼(まなこ)は日月の光の如く輝けり。

多きに□めきて曰く、あな責むなや、こは何事、□(身)に、板付きのいるも苦しと言ひ果てぬに、案違わず、白雲の中に威光を放ちたるもの、一つ来たりて、人形に立てば、人形(にむきやう)、倒(たふ)れぬ。

取りて□□□(見るに)、わが剣の先なり。此男(おのこ)の言葉に違はず、只者にあらずとぞ思ひける。

化人、音もせずなりぬ。やがて、近づきて、両人、力を合わせて掴み致す。

この物、力強くして、却りて害をなさんとす。大磐石を動かさむが如し。

天照大神、正八幡宮に祈念す、我朝は神国なり。神は国を守(まほ)り給。国はまた帝の芳心をもて治む。我はまた臣として、しかも□(王)孫なり。

我、十全の余慶の家に生(む)まれ、今、この物を見るに畜生なり。畜類は極悪無限(むけむ)、破戒無残(むさむ)の故に、この道に生を受く。しかも、国に患いを成す。人の仇となる。

我即ち、帝を守(まほ)る兵なり。国を治むる片手なり。汝従はざらんと言ひて。

両人、ゑ糸引くに、初めあ□□(たし)心ありと、云へども、早く従いて、退け様に倒(たう)れぬ。

頼光、剣を抜きて、首を刎ぬ。綱、腹をあけて(む)とするに□の半ばの程に深く切れたる疵有。頼光、板敷まで斬り通す処の疵也。

抑(そも)、何物ぞと見るに、山蜘蛛と言ふ物なり。剣(けむ)の切り目より死人の首、千九百九十ぞ出でたる。

やがて片腹を探すに七八の子供の勢なる小蛛幾らという事を知らず、走り騒ぐ。

腹を探すに、無下に少なきちやう(長か)頭(かうへ)二十ばかり有、一つの穴を掘りて首を埋みぬ。彼の所に火を掛けて焼き払いつ。

公(おほやけ)、聞し召して御感あり。頼光をば津の守(かみ)に成す。正下の四位に至る。綱は丹波国を給はりて、正下の五位になされにけり。

◆参考文献

・「謡曲叢書 第二巻」(芳賀矢一、佐佐木信綱/編, 博文館, 1915)※「土蜘蛛」pp.610-614
・「室町時代物語大成 第九」(横山重, 松本隆信/編, 角川書店, 1981)※「土蜘蛛草紙」pp.436-441
・「平家物語剣巻」「完訳 日本の古典 第四十五巻 平家物語(四)」(市古貞次/校注・訳, 小学館, 1989) pp.417-419
・「かぐら台本集」(佐々木順三, 佐々木敬文, 2016)
・山本陽子「東京国立博物館本『土蜘蛛草紙』絵巻と人形芝居―特異な筋立てと絵画表現の理由について―」「明星大学研究紀要 人文学部・日本文化学科」第23号(明星大学人文学部・日本文化学科, 2015)pp.285-299
・須藤真紀『「土蜘蛛草紙」成立の背景をめぐって」「説話文学研究」第37号(説話文学会/編, 2002)pp.62-80
・白渓「『土蜘蛛草紙』における漢文学の受容」「京都大学国文学論叢」第37号(京都大学大学院文学研究科国語学国文学研究室, 2017)pp.1-14
・「説話文学研究叢書 第一巻 国民伝説類聚 前輯」(黒田彰, 湯谷祐三/編, クレス出版, 2004)pp.246-253, 255
・「御伽草子の精神史」(島内景二, ぺりかん社, 1988)

記事を転載→「広小路

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