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2018年8月

2018年8月11日 (土)

鳥居が倒壊する

鷲宮神社の鳥居が倒壊したというニュースを知る。鷲宮神社はアニメ聖地巡礼で知られているけれど、神楽も価値あるものなので、アニメファンも鑑賞すればいいと思うのだが。

倒壊前の鷲宮神社の鳥居
倒壊前の鷲宮神社の鳥居

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いつの間にか連載が進んでいた

平川哲弘「ヒマワリ」2~4巻を読む。上京した主人公が同じ寮の仲間と初めはギスギスするものの、アイドルのオーディションを通じて息を合わせていく……という様な内容。神楽をフィーチャーしているが、基本はヤンキーものでアイドルもの。

主人公とその兄貴分が所属していた神楽団は中山戸神楽団。中川戸神楽団のもじりだろう。中川戸神楽団のホームページを見たら、儀式舞は二曲しか保持していなかった。能舞偏重である。この辺にも芸北神楽の新舞の欠点を感じる。

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2018年8月 6日 (月)

転倒、転倒、また転倒――柄谷行人「日本近代文学の起源」

柄谷行人「日本近代文学の起源」(講談社文芸文庫)を読む。明治時代以降の日本の文学史についてのポストモダン的評論集。書いてある文字は読めたが、意味がさっぱり取れなかった。転倒、転倒、また転倒。いくら何でも転倒が多過ぎじゃなかろうか。

例えば日本人は近代に至って私小説によって「内面」を発見したのだとしている。しかし、素朴な疑問としてそれは内面という概念が無かった。内面を縷々綴る術を知らなかっただけではないか。近代以前の人間に内面が無かったのならば、それは生物として進化したことになるが、そんなことはないのである。児童の発見くらいなら分かるが、何でも近代になって発見されたとするのは行き過ぎであろう。

何の作品か忘れたが、平安時代の女流日記文学に、夜這いで純潔を失って、まだ子供のままでいたかった……と述懐する作品がある。内心の発露が見られる。原文を読んだ訳ではないのだけど、該当する箇所はあるだろう。

 

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