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2018年6月 9日 (土)

最古の神楽研究書――小寺融吉「芸術としての神楽の研究」

小寺融吉「芸術としての神楽の研究」を読む。神楽研究で最も古い本。170ページほどで、1ページ当たりのボリュームも少なかったので、比較的楽に読めた。

著者は舞踊の専門家とのこと。僕自身は舞についてほとんど何も知らない。ただ「舞っている」としか書けないのが現状である。

宇野正人「民俗芸能調査研究法再考―とくに神楽研究を中心に―」「神道宗教」第113号によると、「芸術としての神楽の研究」に載せられた研究の方法論、調査に赴く際の主な質問事項についてが記載されているのだけど、それが後続の神楽研究書の基礎となったとのこと。

国会図書館でデジタル化されている。僕が読んだのは紙の復刻版だけど、いずれ国会図書館まで赴かなくても、自宅か地域の図書館でいながらにしてデジタル資料を読める日が来るかもしれない。

◆参考文献
・宇野正人「民俗芸能調査研究法再考―とくに神楽研究を中心に―」「神道宗教」第113号(神道宗教学会, 1983)pp.43-65
 神楽殿の本殿に対する位置は、「そもそも神楽は誰に見せるものか」の問題から出発する。「神に見せる」といふのは比較的に後世の解釈で、「神が仮に現れて舞ふ」というのが、一層古い解釈であるらしい。尤も私は古神道に就ては全くの門外漢であるから、此の事に関して多くを語ることは出来ぬ。(34P)
かつらとは、日陰のかづら、まさきのかづらの名が示すとほり、本来は蔓草の名であつた。それは昔、舞踏者が鉢巻をするやうに額に巻いた。これは物忌みのしるしで、かつらを額に巻くと俗人では無くなり、清浄の人となるといふ観念が、含まれているのである。(59P)
 神楽の一つの特色は、手に物を持つて舞ふことで、物を持たずして舞ふことはない。そして持つ物は神聖視せられるので、後世の芸術として、或は娯楽として発達した舞踊に於ける持ち物とは、その意味を異にする。そして此の神楽の伝統は、日本の舞踊が外国の舞踊に比して、一つの著しい特色をなすところの「手に物を持つ」という約束を作りあげたのであつた。(64P)
 鈴を必ず右手に持つのは、鈴が如何に重大な役目を持つかを説明するのである。次に鈴は楽器として使用せられるのであるか、即ち舞踊の伴奏音楽として使用せられるのであるかといふに、多少の疑問が感ぜられる。私はオシラ様の神遊びを目撃して、鈴は本来、神の声の象徴的模倣として使用せられたことを思つた。(66P)
みてぐらは、わがにはあらず、天にます、豊をか姫の、神のみてぐら、神のみてぐら。
(中略)
豊をか姫は、豊うけ姫の訛りで食物調進の女神、伊勢に祭られる神である。(75P)
 然し一方に、「神楽は神々が現はれて舞ふのである」といふ説が昔から行はれ、それが根拠となつて、一々の曲に登場する神に、「如何なる名の神であらうか」と、人は考へるやうになつたのだ、とも云ひ得るのである。
 けれども古事記、日本書紀に現はれた神々の名を調べて、「此の神楽は、どの神が舞ふのであるのか」と研究するのは、正しくはない。単に、山の神、野の神、水の神、風の神、雷の神、東を司る神、西を司る神・・・・・・と解釈する方が、古人の心に一致するのである。(105P)
大蛇退治と岩戸びらきは、最も普遍的な演劇的神楽である。岩戸びらきは最後の曲目として、多く演ぜられるのは、神楽が夜に入つて始め、暁に至つて終るといふ風習が、おのづから此の神話を連想せしめ、且つ天岩戸びらきの故事は、神楽の起源であるといふ古来からの伝説が、此の曲を作りあげたことも感ぜられる。(114P)
気になった部分をテキストに起こしてみた。原文は旧字体である。主文よりボリュームが多いので著作権法に引っかかるけれど、文句を言う人は多分いないだろう。調べたら、著作権は切れていた。

天岩戸神話についても、いずれ記事を書きたいと思っているのだけど、神楽の源流ともなる神話であり、できるだけ内容を充実させねばという理由で先送りにしている。

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