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2018年5月 1日 (火)

民俗学は二度死んでいる――大月隆寛「民俗学という不幸」

大月隆寛「民俗学という不幸」(青土社)を読み終える。大月隆寛という人は「消えるヒッチハイカー」の訳者として知っていたのだけど、橋本裕之「民俗芸能研究という神話」を読んで、その論文が度々引用されていることを見て試しに注文してみた。「民俗芸能研究という神話」よりはこなれた日本語だと思う。

柳田国男が確立した日本民俗学だが、「無方法の方法」とも呼ばれていて、西欧の学問の様な確固たる理論体系はなかったようだ。「民俗」や「常民」という概念ですら、厳密にその内容を検証していくと、まるでらっきょうの皮を剥く様に(芯が無い)実は論理的に詰められていなかったことが明らかにされる。

石塚尊俊によると、常民は英訳するとコモン・ピープルということで、柳田は当初、本百姓を想定していたらしいが、不変の概念ではあり得ないのかもしれない。

なお、「日本の知識人の柳田学への評価は大別して四つの型に分けられる」としている。(129-130P)
1. 理論の体系性が無く個々の仮説にも否定的だが、成果は利用する価値ありとする立場。
2. 理論の面は無視して、成果だけを積極的に利用した立場。
3. 理論の面で一部評価しつつも、決定的な欠陥ありとする立場。
4. 理論の面も成果も積極的に評価する立場。
ただ、当時の民俗学が対峙していたのは唯物史観である。唯物史観も冷戦の終結で存立基盤を失ってしまった。現在だと、このことについての検証も必要なのではないか。

「都市民俗学」批判もある。多分、高度経済成長で民俗の多くが失われていって、やることが無くなってしまったのかもしれない。民俗学は「都市」に目を向けるが、それは「現在」を扱うことに他ならず、民俗学とは眼前に現前する事象を扱うことであり、自家撞着を起こす。「都市民俗学」という括りは意義を失っていく。

最終章はニューアカデミズム批判だ。記号論と価値相対主義の組み合わせが猛威を振るった。なんでも<>でくくって二項対立にすればいいみたいな勢いがあった。僕自身、かじった程度だったけれども影響を受けたものである。僕が大学を卒業して数年後、ソーカル事件で支持を失ったらしい。もっとも、思うに、大月氏も「消えるヒッチハイカー」翻訳で、ニューアカを担う一人として認知されていたのではないだろうか。浅羽通明「ニセ学生マニュアル」は僕も読んだことがあるから、批判的な立場ではあるとして。Wikipediaで大月氏の経歴を確認したところ、タレント学者、評論家というカテゴリーにも分類される人の様である。

橋本裕之「民俗芸能研究という神話」からの流れで「民俗学という不幸」を読んだのだけど、初心者がいきなりこんな本を読んでしまって大丈夫なのかという気はする。僕自身の関心のあるのは口承文芸や神楽といったところで、民俗学の一部でしかない。1992年の出版だからもう30年近く前の本になる。執筆当時30代だったろう大月氏だが僕とは10歳くらいしか違わなかったのである。

<追記>
記事を書いてしばらくして知識を少々つけたのだけど、アメリカ民俗学の動向に詳しい大月氏には、フォークロリズム(疑似的民俗文化)、フェイクロア(商業主義的民俗文化)といった分野に向かう可能性があったのではないか。あくまで輸入学問ではあるが。また、本質主義と構築主義との対立といった傾向が民俗芸能の分野で平成の時代から論じられるようになった。そういう方向に進む途もあったのではないか。

<追記>
再読する。この本が書かれたのは平成の初期だった。そのころ民俗学では文化には不変の本質があるとする本質主義が主流だったところに、それを相対化する構築主義が徐々に頭をもたげてきた時期ということができる。構築主義というのは要するに「何でもあり」なのだが、そういう時代の流れの中で苛立ったのではないだろうか。調べてみると、橋本裕之といった民俗芸能学者の企画にも一枚噛んでいる。つまり、そういう方向に向かう可能性もあったのだと思う。ところが、大月氏のフィールドは競馬の厩舎だったから、おそらく本質主義と構築主義の対立といった局面にはあまり縁がなかったのかもしれない。また、むしろフィールドワークには関心が薄く、むしろ民俗学の理論面に興味があったのかもしれない。

<追記>
「《討論》福田アジオを乗り越える―私たちは『20世紀民俗学』から飛躍できるのか―」というレジュメがあるのをアクセス解析で辿って知る。レジュメ形式で20世紀の民俗学への反省点が列挙されている。大月隆寛が「民俗学という不幸」で周辺学問と比較して劣位であると民俗学者であることのコンプレックスを表明していた。それは当時としては一若手民俗学者の不満に過ぎなく、学会では多分無視されたのだろうが、「民俗学という不幸」から20年近く経過して、ようやく危機感が共有されてきたというこころだろうか。

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