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2018年5月 8日 (火)

民俗学の現在と過去

コピーしていた「山陰民俗研究」の資料を読み終える。石塚尊俊の講演が幾つか含まれているが、昭和の時代の高度経済成長で様々な民俗が失われてしまった。民俗学は現在学であるはずが、過去を扱う学問へと後退を余儀なくされているようにも思える。橋本裕之「民俗芸能研究という神話」、大月隆寛「民俗学という不幸」といった当時若手の研究者たちが懸念していたことが、柳田国男に師事していた石塚からも語られるといえばよいか。
「とにかく、石見から安芸にかけての、ことに山間部にはヨコの連絡による大きなエネルギーがあるように思われます。そのことに関してここに二つ、神楽と大田植とに関する図を出しておきました。神楽は中国地方の大部分で今なお盛んです。しかし、石見・安芸の山間部ほど盛んなところはありませんここでは今なおムラをあげて盛んなのです。そして盛んなあまりどんどん改作されていきます。鬼が出れば必ず火を吹きますし、大蛇はどんどん長くなっていって、しかも今や文字通り八頭も一時に出すようになっています。
 曲目もどんどん新作され、神楽といいながら神話とも縁起とも関係ないものがもっぱら賞翫されるに至っております。」
・石塚尊俊「地方にいて思う民俗学の過去将来」「山陰民俗研究」第3号(山陰民俗学会, 1997)p.26
神楽としての一線を引くとしたら、それはどこまでなのだろうか。神話劇であることだろうか。しかし、江戸の里神楽では桃太郎や浦島太郎という演目があり、それは多分子供むけなのだろうけれど、実は制約なんて無いんじゃないかという気もする。能舞偏重で儀式舞軽視ではないかという見方もあるだろう。競演大会の演目リストを見ると、塩祓いから始めていないものもある。

<追記>
未来授業~明日の日本人たちへ
橋本裕之さん~東日本大震災で失われた郷土芸能を復活させることの意義、そして、私たちが考えるべきこと

現代において民俗学にも出番はあった。東日本大震災で祭りが行えなくなって、その復興に民俗学者が手を貸すという内容。普段はあまり現実と関係の薄いように見える民俗学だけど、共同体が危機に陥ったときにその効用を発揮するのである。

<追記>
「《討論》福田アジオを乗り越える―私たちは『20世紀民俗学』から飛躍できるのか―」というレジュメがあるのをアクセス解析で辿って知る。レジュメ形式で20世紀の民俗学への反省点が列挙されている。大月隆寛が「民俗学という不幸」で周辺学問と比較して劣位であると民俗学者であることのコンプレックスを表明していた。それは当時としては一若手民俗学者の不満に過ぎなく、学会では多分無視されたのだろうが、「民俗学という不幸」から20年近く経過して、ようやく危機感が共有されてきたというこころだろうか。

島村恭則「民俗学(Vernacular Studies)とは何か」という論文では柳田国男以降の民俗学は「民俗」そのものを研究する流れだったが、90年代に入って「民俗」そのものの研究から「民俗」で研究する方向性に潮流が変わってきたと指摘している。

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