もう一度読めば少しは分かるか
伝説を調べると、広範に分布しており、どれが元で他は伝播したものだとは言い難い。その伝説を信じて守っている家系もあるのだが、それにしてもたった一つしかないはずの話が広く伝播してしまうことはどういうことだろうか……といったような内容だろうか。島嶼の伝説なども引き合いに出して――島だと容易には伝播しないから――論考している。伝説の場合、岩や寺社の由緒として実際にあったこととして人が記憶しているのもあり、歴史とも接近する。
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日本の今日以後の稲作栽培を始めとして、農村のありようを、如何にせば、その能率を高め、収穫を増やすばかりでなく、もっとも安心して、心楽しく、親の譲りの宝の田を耕作するに可能なりや、という問題を今考え見るべき時に迫られている。農村に魅力がなくなる時、若い者はいなくなるだろう。それは物質文明の進歩に比して精神文化が追従しないからである。そして農村の現状を見通すだけの力のある文明批評家がいないということでもある。早急に国の識者は農村から離れゆく青年子女をくい止める方策を考究しなければ、農村の危機は目に見えて早く来るだろう。私はこのことを杞憂するものの一人である。
牛尾三千夫「大田植と田植歌」265P
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島根県西部で最大震度5強の地震が起きた。大田市ではかなり被害が出たらしいが、浜田市は震度4とのことで大きな被害は無かったようだ。震度4というと僕が阪神淡路大震災、東日本大震災で経験したのと同じ規模になる。姫路にいたときは引っ越しの準備をしていて大した被害がなかったのだけれども、そうでなかったら棚のものが落ちてしまっていただろう。横浜で経験した際には瓶が落ちて割れてしまい、その破片を踏んで小さな怪我をしてしまったのが被害となる。揺れがいつになっても収まらなくて、ようやく落ち着いたと思ってテレビをつけたら10m級の津波という報道で暗澹とした気持ちになったことを思い出す。結局それから数日はあまりテレビを見なかった。
浜田では明治時代に大地震が起きているから、当分ないだろうと思っていたらこれで、油断できないことが分かった。
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特に目的地もないが、JR武蔵野線に乗って溝ノ口→府中本町→東京→渋谷と南関東をぐるっと一周。武蔵野線、始発駅の府中本町ではローカル線の雰囲気だったが、埼玉県区間ではかなり混雑していた。
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松澤で演じているのは、樂人三瓶善次翁の談によれば、もと田村郡阿久津村の神主村上安一郎氏が、「奈良の管長富田先生」なる人よる、伊勢流(これに対して出雲流といふのもあつた由)とて伝授されたものを最初田村郡高野村丹伊田に伝え、次に来てこの松澤村に伝えたものといふ。(526P)
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