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2018年4月

2018年4月27日 (金)

もう一度読めば少しは分かるか

柳田国男「伝説」(岩波新書)を読み終える。柳田国男の著作は記述は平易なものの、何が言いたいのか自分にはピンと来ない。戦前の文章ということもあって、リテラシーが足らないのかもしれない。

伝説を調べると、広範に分布しており、どれが元で他は伝播したものだとは言い難い。その伝説を信じて守っている家系もあるのだが、それにしてもたった一つしかないはずの話が広く伝播してしまうことはどういうことだろうか……といったような内容だろうか。島嶼の伝説なども引き合いに出して――島だと容易には伝播しないから――論考している。伝説の場合、岩や寺社の由緒として実際にあったこととして人が記憶しているのもあり、歴史とも接近する。

 

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2018年4月22日 (日)

牛尾三千夫論が掲載されている――橋本裕之「民俗芸能研究という神話」

橋本裕之「民俗芸能研究という神話」(森話社)を読み終える。図書館で本の出庫を請求していて、その待ち時間に偶々手にとった本。その本の中に偶然、牛尾三千夫論が掲載されていた。本論で取り上げられる牛尾は詩人としてのそれであったり、田植え歌の採集家・研究者としての立場から述べられている。神楽から接近した自分とは正反対のルートを辿っている。

本論文では民俗学者としての牛尾の真骨頂を「美しい村」という著作に求めている。田植え歌を採集する中で歩いた村の光景が美しい姿として牛尾の脳裏に焼き付けられている。そしてそれは高度経済成長で農業が機械化されるにつれて急速に衰退していった民俗芸能でもあるのだ。牛尾は哀惜の念を込めつつも、それを論文として上梓することはなく、あとがきに記載する程度に留めていたとのことである。
日本の今日以後の稲作栽培を始めとして、農村のありようを、如何にせば、その能率を高め、収穫を増やすばかりでなく、もっとも安心して、心楽しく、親の譲りの宝の田を耕作するに可能なりや、という問題を今考え見るべき時に迫られている。農村に魅力がなくなる時、若い者はいなくなるだろう。それは物質文明の進歩に比して精神文化が追従しないからである。そして農村の現状を見通すだけの力のある文明批評家がいないということでもある。早急に国の識者は農村から離れゆく青年子女をくい止める方策を考究しなければ、農村の危機は目に見えて早く来るだろう。私はこのことを杞憂するものの一人である。
牛尾三千夫「大田植と田植歌」265P
と、牛尾の著作が引用されている(94P)。1968年出版の本だが、現状を見事にいい当てている。農村に嫁のきてがいないとしばしば嘆かれることである。

本書は「民俗芸能」という民俗学に隣接するジャンルでその「民俗」と「芸能」という二つの概念の繋がり方を模索していると言えばいいか。例えば芸能は芸術まで昇華されていない段階のものを指す。民俗芸能は郷土芸能という言葉でも代用される。郷土に根づいた、芸術までは昇華されていない段階の技芸である。「神話」とは「脱神話化」である。

大学の専門課程で学ぶ学生か、むしろ大学院生クラスを対象にした論文だろう。民俗学は柳田国男がそうであったように平易な記述のものが多いが、本書は観念論的で抽象的な議論に終始する。正直、大学の一般教養レベルの自分には厳しい面もあった。民俗学は未だ入門者レベルである。それでも(内容を理解していないなりに)一気に読んでしまったのだから、自分にとっては面白い本だったのだろう。

自分の知っているジャンルに引き寄せて考えてみると、例えば神楽だと、学者の興味関心はその始原に向けられる。大抵の場合、江戸時代に唯一神道流に改訂されているのだけど、それ以前の両部神道流を残している奥三河の花祭りなどが重要視される訳だ。一方で神楽の現在については関心が薄い。八調子石見神楽やそれよりも更に先鋭化した芸北神楽などはあまり扱われない。繁昌しているのだから、敢えて保存する理由もない訳だ。だけど、神楽は現に観光資源となっている。

ネットで評判を確認したところ、生憎レビューの類は無かったが、本田安次賞を受賞したとのこと。

<追記>
しばらくして少々知識をつけてから振り返ると、この本では明言していないが、構築主義について触れていたのだということが分かる。本質主義/構築主義の対立は平成に入った辺りから論じられるようになったようで、橋本氏がちょうどその世代に当たるのだ。

なぜ戦前の旅行雑誌についての論考があったのかというと、民俗芸能自体が鉄道網の発達で旅行が身近なものになったから、観光振興という観点からも論じられていたのだ。やがて民俗学者たちは旅行雑誌を低く見るようになったらしいが。

民俗芸能の参考文献一覧を見ていると、橋本氏の論文を挙げているものが多い。それだけ活躍しているというところだろう。
<追記>
大石泰夫『民俗芸能における「実践」の研究とは何か」「日本民俗学」262(日本民俗学会, 2010)という論文は2006年~2008年の民俗芸能の研究の動向を記した論文なのだけど、読むと90年代から橋本氏の論考が民俗芸能における議論をリードしていたことが分かる。「民俗芸能研究という神話」はそのまとめに相当する本なのだ。

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2018年4月10日 (火)

鷲宮神社の神楽を鑑賞 2018年4月

埼玉県久喜市鷲宮の鷲宮神社で催された神楽(土師一流催馬楽神楽)を鑑賞。11時頃から途中昼食で休憩を挟んで午後4時くらいまで舞われた。儀式舞が多い印象で、岩戸神楽もあったけれど劇的な構成ではなかった。演目の間に端神楽といって巫女さんが舞う短い演目があったのが特徴か。なお、最後の演目はその端神楽で児童の巫女さんがまず舞って、それから年上の巫女さんが舞うという長めの演出であった。

・天神地祇感応納受之段
・五穀最上国家経営之段
・磐戸照開諸神大喜之段
・祓除清浄杓大麻之段
・鎮悪神発弓靱負之段
・端神楽

鷲宮神社・神楽・神棚
舞台に神棚がしつらえてあり、舞の最初と最後に神棚に拝礼するのが土師一流催馬楽神楽の特徴であるとのこと。記憶の限り、天蓋に相当する飾りはなかった。
鷲宮神社・神楽・天神地祇感応納受之段
天神地祇感応納受之段
鷲宮神社・神楽・天神地祇感応納受之段
天神地祇感応納受之段
鷲宮神社・神楽・五穀最上国家経営之段
五穀最上国家経営之段
五穀豊穣を祈る舞。
鷲宮神社・神楽・磐戸照開諸神大喜之段
磐戸照開諸神大喜之段
鷲宮神社・神楽・磐戸照開諸神大喜之段
磐戸照開諸神大喜之段
天照大神と天鈿女命役は女児が演じた。平日なので学校が終わってからきたとのこと。
鷲宮神社・神楽・祓除清浄杓大麻之段
祓除清浄杓大麻之段
高天原から地上に下った神さまが高天原に戻る際、川で身を清める舞。
鷲宮神社・神楽・鎮悪神発弓靱負之段・右大臣と左大臣
鎮悪神発弓靱負之段
鷲宮神社・一緒に神楽やりませんか?
鷲宮では中学校に伝統芸能を伝えるクラブ活動があり、全国でも唯一とのことだ。

舞のことはよく分からないが、足さばきを見ていると、すり足ではなかった。舞台の四方を順に廻る舞が多く、順逆といった舞は少なかった。鷲宮では女性も舞っていたり奏楽を担当していたりで、また巫女舞の登場回数も多く、女性が活躍している印象だった。

平日ということもあって観客はほとんどがお年寄り。最大で40~50人くらいの規模だった。関東地方の神楽を幾つか見たが、テンポがゆったりしているから退屈ということもなく(能楽だとまた違うかもしれないが)、十分楽しめた。

パナソニックGX1+35-100mmF2.8で撮影。オープンエアなので(四月だけど夕方になると肌寒かった)、特に明るいレンズは不要で、一眼レフの方がバッテリーの持ち等でよかったかもしれない。二台持ってでかけたが、一台のバッテリーが直ぐに消耗してしまったのは想定外。一応、最後の方まで写真は撮れたが。

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2018年4月 9日 (月)

自分が経験したのは震度4まで

島根県西部で最大震度5強の地震が起きた。大田市ではかなり被害が出たらしいが、浜田市は震度4とのことで大きな被害は無かったようだ。震度4というと僕が阪神淡路大震災、東日本大震災で経験したのと同じ規模になる。姫路にいたときは引っ越しの準備をしていて大した被害がなかったのだけれども、そうでなかったら棚のものが落ちてしまっていただろう。横浜で経験した際には瓶が落ちて割れてしまい、その破片を踏んで小さな怪我をしてしまったのが被害となる。揺れがいつになっても収まらなくて、ようやく落ち着いたと思ってテレビをつけたら10m級の津波という報道で暗澹とした気持ちになったことを思い出す。結局それから数日はあまりテレビを見なかった。

浜田では明治時代に大地震が起きているから、当分ないだろうと思っていたらこれで、油断できないことが分かった。

 

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2018年4月 8日 (日)

学生の頃から一度乗ってみたかった

特に目的地もないが、JR武蔵野線に乗って溝ノ口→府中本町→東京→渋谷と南関東をぐるっと一周。武蔵野線、始発駅の府中本町ではローカル線の雰囲気だったが、埼玉県区間ではかなり混雑していた。

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全編、史料集――本田安次「日本の伝統芸能 第三巻 神楽Ⅲ」

本田安次「日本の伝統芸能 第三巻 神楽Ⅲ」を読み終える。650ページもある大著でしかも全編が神楽の史料集だったので、読むのが大変だった。旧字体など知らない漢字読めない漢字も多く(フォントが小さく老眼では判別できない文字もあった)、IMEの手書き文字認識機能に頼ったが、もっとも、内容的には天の岩戸神話を主体とした日本神話に関する内容が多かったので、おおまかな意味は取れたと思う。全く未知の史料ならこんなには読めない。二巻と合わせて全国の神楽の史料を約800ページほど読んだことになる。様々な神楽の詞章に触れることができたので、達成感みたいなものはある。

九州の神楽の詞章は唯一神道流に改訂されたものが多かったという印象。石塚尊俊が神体出現の神楽として高く評価した宮崎県の銀鏡(しろみ)神楽だが、詞章を読んだところ、近世に入って神道風に改訂されたのではという印象だった。

関東より東になると黙劇が多く、神楽の詞章は記載されていないものが多かった。それにしても舞ぶりの描写が子細で、自分だとただ舞っているとしか書けないところを細かく描写していたのに驚かされる。

悉皆調査ではないので漏れはあるけど、全国の詞章を読んで、例えば広島県の「将軍」は九州では「弓将軍」「荘厳」などというタイトルとなっていた。ただし、唯一神道流に改訂されていたのが多かった。「荘厳」の様に二人の将軍が登場する舞だと櫛岩窓命、豊岩窓命と解釈されているものもあった。東日本でも「大宝舞」「大豊之次第」とタイトルは異なるものの、広島の阿刀神楽と同じような詞章を確認できるものがあって参考になった。

荒平だと「三界鬼」「柴荒神問」などというタイトルで荒平が荒神として書き換えられ、神道の由来について神主と問答する内容のものとなっていた。神楽歌が一部被っているので、元は荒平だろうと推測できる。「荒平言葉」「御笠問」の様に中には荒平の名が残っているものもある。また、荒神は猿田彦命の化身という解釈もあるようだ。

五朗王子は東日本では五郎の姫宮となるようだ。西日本の五郎王子の物語が長大化したのと対比を成している。
松澤で演じているのは、樂人三瓶善次翁の談によれば、もと田村郡阿久津村の神主村上安一郎氏が、「奈良の管長富田先生」なる人よる、伊勢流(これに対して出雲流といふのもあつた由)とて伝授されたものを最初田村郡高野村丹伊田に伝え、次に来てこの松澤村に伝えたものといふ。(526P)
とあるように、1000ページ程読んでようやく出雲流という言葉が口伝で述べられている箇所に当たった。他、東北で丹波流などもあるようだ。

残念ながら「日本の伝統芸能 第一巻 神楽Ⅰ」は横浜市立図書館には所蔵されていない。「日本の伝統芸能」という同じ著者の一般向けの本があって、それと混同したものと思われる。読みたければ、国会図書館にでも通う他ない。なお、浜田市立図書館にも所蔵されている。

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