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2018年3月 8日 (木)

伝説と物語マーケティング

山川悟「事例でわかる物語マーケティング」(日本能率協会マネジメントセンター)を読み終える。マーケティングに物語論を導入する手法である。定量的ではなく定性的な分析となる。そういう意味ではポストモダンのマーケティング手法である。

ここでいう物語は純文学のようなものではなく、娯楽作品を想定している。本著中の表現でいくと、「越境」→「危機」→「成長」→「勝利」という図式を持つ作品群である。起承転結みたいなものであるが、それよりもエンタメ志向で具体的である。おそらくハリウッドのメソッドを参考にしているのだろう。

越境:自分もしくは世界のアンバランスを正常化するため、新たな世界、新たな状況に越境する。

危機:しかし主人公は越境先の世界で敵対者に叩きのめされ、どん底を味わう。

成長:そんなとき図らずも協力者となるパートナーと巡り合う。協力者と出会うことで主人公は成長していく。

勝利:成長した主人公は敵対者に立ち向かい、最終的に勝利を収める。この勝利で世界は正常化される。

……といった風である。極端な例を言うと、「穴に落ちた主人公がそこから這い上がるまで」が物語と要約できるだろうか。本書に載っている訳ではないが、ハリウッドでは二行ログラインといって、面白い話は二~三行で要約できるとしている。

主人公だけの分析に留まらず、敵対者や協力者の分析も行われる。その際、ユングの原型(アーキタイプ)が援用されることとなる。

事例としてはサントリーの緑茶飲料「伊右衛門」などを挙げている。本木雅弘演じる頑固一徹な職人と、かれを支える妻として宮沢りえが登場する内容となっている。伊右衛門はサントリーの緑茶部門の売上げの救世主となったとのことで、ここにも物語性が認められる。

物語形式だと親しみやすい、(文脈に沿って)理解しやすい。(文脈として)記憶しやすいというメリットが挙げられる。たとえばブログの記事など消費者サイドが書くものについても、物語性があった方が望ましいようである(※商品を買ったことでライフスタイルがどう変わったか等)。独自のキャラクターを付与して、そのキャラにまつわる物語を創造することなども行われている。

なお、ロシアのプロップの昔話に関する分析を紹介しているが、プロップが分析したのはロシアの昔話の内、魔法昔話に限られる。その点、全ての昔話に適用可能という訳ではないので注意が必要である。

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例えば当ブログで紹介している物語として乙子狭姫の事例を取り上げてみる。

「越境」:乙子狭姫の母神が殺されてしまい、遺骸から生えた五穀の種を持って狭姫は日本へと渡ることになる。彼女を載せて運ぶ赤雁が協力者である。

「危機」:旅路の途中、狭姫は日本海沖の高島で休もうとするが、猛禽類に「我は肉を食うから五穀の種などいらん」と追い払われる。須津の大島でも同じような体験をする。

「勝利」:日本本土に辿りついた狭姫は益田の比礼振山に降臨する。

「成長」:乙子周辺に種の里を開いて、五穀の種を広める。

といった形に分析できるだろうか。「越境」「危機」「勝利」「成長」と若干順序が異なるが、物語の定型がおおよそ適用されていることが分かる。

益田市の佐毘売山神社の公式サイトではこの乙子狭姫の伝説を紹介し、神社の背景に物語があることを知らしめている……といった所だろうか。また、「正史狭姫伝説」という漫画を制作して狭姫伝説の普及に尽力している。他、狭姫が降臨したとされる天道山に付属の赤雁の里交流館などもある。

続いて胸鉏比売の伝説を分析してみる。

「越境」:父の意に添わなかった胸鉏比売は出雲の国から流され、石見の国・波子に漂着する。漂着した姫を翁と媼が拾って育てる。

「危機」:胸鉏比売が成長したあるとき、山の向こうに狼煙が上がる。それは出雲の国を寇が襲っているという知らせである。

「勝利」:翁と媼の制止を振り切った胸鉏比売は出雲の国に立ち戻り、異国の賊徒を平らげる。

「成長」:大功を立てた姫は十羅刹女の名を贈られる。

ここでも「越境」「危機」「勝利」「成長」と順序は若干異なっている。江津市の岩根神社では境外に胸鉏比売が隠れたという隠れ岩を祀り、胸鉏比売の伝説を掲示している。岩根神社は特にホームページは持っていないようであるが、参拝した客には神社の成り立ちの背景に物語があることが分かるようになっている。

伝説はかならずしもハッピーエンドではないので、そのまま娯楽作品の物語論を当てはめることは難しいか。

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伝説は観光資源にならないのか、がこのブログの裏テーマだけど、ググってみたところ、物語マーケティングという広告用語がヒットした。典型的なのはニッカウヰスキーとNHKの朝ドラ「マッサン」だろう。商品の裏側にはそれを支えるドラマがあるということを端的に示した事例だ。そこまでいかない普通の商品なら開発ヒストリーなどが挙げられるか。要するに、物語形式だと記憶し易いらしい。

たとえば社寺仏閣にまつわる伝説も物語として挙げられるようだ。そういう意味では、当ブログは無意識的に物語マーケティングを行っていたことになる。

島根県立図書館郷土資料室に行ったとき、ちょうど島根の伝説が読みたいという女性が訪れていて、司書さんが地方史誌や伝説集のあるコーナーを紹介していたが、あれはもしかして自分のブログを読んだのだろうかと妄想してしまったことがある。

ネットという性格上、いつでもどこでも自由にアクセス可能なのだけど、実際にはブログの性格上島根県からのアクセスが多い。県内の移動を促すといったところだろうか。

ただ、たとえば最寄り駅から歩いていける距離にある神社だと、浜田市の石神社や江津市の岩根神社などに限られるだろう。益田市の櫛代賀姫神社も徒歩ではやや遠いか。益田市の佐毘売山神社は公式ホームページで狭姫伝説を取り上げて、いわば物語マーケティングも行っているけれど、益田市の山中にあり、徒歩ではちょっといけない距離にある。

石見地方の観光地というと、石見銀山か津和野といったところだろうか。観光資源自体はあるものの、距離が離れていて移動に時間が掛かる問題点があるらしい。

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例えば浜田市は「天然コケッコー」の舞台のモデルとなった地である。もう無くなってしまったけど、某匿名掲示板の映画板の天然コケッコー・スレッドで、実際に浜田に旅行すると予告した人たちが何人かいた。そういう人たちには駅前に観光協会があるから、そこで観光タクシーが利用できないか訊いてみるようレスした。そして実際にタクシーに乗ったという報告があった。天然コケッコーのロケ地を抑えているドライバーがいた様である。こういう場合、実際に観光した人の満足度は高いであろう。

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これとは異なる物語マーケティングが大塚英志「物語消費論改」(アスキー新書)に記されている。80年代に流行った「ビックリマンチョコ」を事例としたもの。ビックリマンチョコは1個30円のチョコレートであるが、シールが添付されていて、そのシールにはビックリマンの神話体系とでもいえる壮大な世界の断片が記載されている。シールはランダムで770枚以上に及ぶ。子供たちはこのシールを目当てにしてビックリマンの世界を楽しんでいたというもの。後にコミック化、アニメ化もされている。

ポストモダンの言説だが、まず最初に<大きな物語>を設定して世界観を形づくる。そしてその断片をチラ見せしていくことで、消費者側が情報にアクセス、物語を紡いでいくというもの。

ビックリマンもシール目当てで、チョコレートを子供たちが捨ててしまったこと(ロッテは食品メーカーであり、食品流通のルートに載せられていた)や射幸心を煽るということで問題視されて、ブームはやがて下火になったとされている。

開発者は元々ロッテの法務部門に勤めていたが、開発部門に異動、ビックリマンの世界を生み出したとされる。子供の頃から仏教説話に親しんでいたとのこと。

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