恐怖を克服する――野村泫「昔話の残酷性」
野村泫「昔話の残酷性」(東京子ども図書館)を読み終える。三十ページ程なので、ものの数時間で読み終えた。
昔話には残酷な場面が多いから、子供の読み物として適当ではないという考え方があることが初めに提示される。
昔話を再話したり翻訳したりする際に、残酷な場面をカットすることもしばしば行われている。そこには残酷な場面を含む読み物は子供を残酷な行為に赴かせる」という考えが潜んでいるとしている。それは戦争時の残虐な行為の底流として昔話の残虐性があるとの考えにまで至るのである。
本書ではそういった考えに反駁すべく、文芸学、民俗学、心理学的なアプローチがなされる。
文芸学的な立場では、マックス・リュティの研究が援用されるが、昔話の描写は近代文学と異なり、登場人物の内面描写や写実的な描写がなされることはなく簡潔、抽象的な描写に留まる。いわば、手足がもげても、昆虫の様な節足動物の足がもげた程度の印象しか与えないとでも言えるだろうか。昔話では残酷な刑により苦痛のうめき声をあげることはないのである。
それは「それから? 次は?」という子供の問いかけに応じたものである。昔話ではすじの運びを重視しているのである。昔話の残酷な要素は、話のすじを次の点へと導く役割を果たしているに過ぎないのである。残酷さを含んではいても、決してその残酷さを強調するものではないのである。
善人が報いられれば、子供は善の原理が勝ったと感じ、悪人が殺されれば、悪そのものが打ち破られたと思う。残酷で容赦のない罰は当を得ている訳である。そしてそれは抽象的で、写実的な物語のように恐怖を煽るものではない。
民俗学的な立場からは、昔話に登場する残酷な刑罰が実際に過去に行われていたものであることが明らかにされる。
深層心理学的な立場では、昔話は、子供から大人への人生の変化期を通り抜けねばならない若い人間のことを語っているのだと考察している。いわば、通過儀礼である。そして、昔話の中の残酷な要素が子供の心の発達にどう関わっているか明らかにしているのである。
例えば赤ずきんの話を始めて聞いた女の子の事例が取り上げられる。初めては悪い狼を怖がっていたが、悪い狼は退治されたことを語った結果、その女の子は心の中で悪い狼を克服、「森の狼さんのところへ行くのよ」とまで言うようになる。
「赤ずきん」を改作して、猟師が鉄砲でズドンと狼を撃った。狼はそのまま逃げてしまったとしているものがある。それでは狼の生死は曖昧なままで、子供にとっては悪が平らげられた結果とはならない。そういう点で問題を残すのである。
また、アメリカの若い夫婦が昔話の残酷さと非合理性を恐れて息子に昔話を聞かせなかった事例が挙げられる。両親は息子を迷信に染めずに育てたと自慢していたが、あるとき、子供が暗い部屋で独り寝ていられなくなってしまうのである。抵抗力がなく、暗闇の恐怖に勝てなくなったのである。
そういう風に、昔話には不安や恐怖、悪に勝つ力を学ぶ効能が認められるのである。
以上のようなアプローチで、昔話の残酷性は抽象的なもので、苦痛そのものを伝えるものではない。そして、それは不安や恐怖、悪に打ち勝つ心の強さを育むものであると結論づけているのである。
個人的には日本の昔話の多くは因果応報をベースにしているものが多いと感じている。良いことをすれば良い結果が返ってくるし、悪いことを行なえば報いが返ってくる。そういう人生を貫く原理をやさしく読み聞かせるものなのである、と思うのである。
余談。
心理学者ヨゼフィーヌ・ビルツの著作がないか検索してみたが、ヒットしなかった。
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