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2018年3月

2018年3月31日 (土)

JR三江線、廃止される

JR三江線、3月31日で88年の歴史に幕
https://news.nifty.com/article/domestic/society/12198-010455/

JR三江線が三月末でその歴史に幕を閉じた。100㎞を超える鉄道線の廃止は本州では初とのことである。2016年夏に三江線に乗って三次まで往復した。朝4時起きで、車窓の風景をデジカメで録画しながらの旅となったのだけど、後で見返してみると、居眠りでカメラが揺れていた。江川沿いを走るので車窓の風景は綺麗なのだけど、満員ではろくに風景も楽しめないだろう。三次から引き返す途中でJR川本駅で一時間半ほどの時間があって駅の外に出る。喫茶店があってよい雰囲気だった。これからは三江線で下車した人が立ち寄ることも無くなる。

JR三江線の列車

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2018年3月28日 (水)

「日本の昔ばなし」放送終了

ビデオの録画予約を確認していて、テレビ東京系列で放送されていた「ふるさとめぐり 日本の昔ばなし」が終了していたことを知る。このシリーズ、録画するだけでほとんど観ていなかったのだけど、いざ終了となると、記録をつけておけば良かったか等々考えてしまった。エピソード毎の出典が明示されていなかった(エンディングに一括表示)のもあるが。

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コンテンツツーリズムはハレーションをひき起こせるか――岡本健「n次創作観光」

岡本健「n次創作観光 アニメ聖地巡礼/コンテンツツーリズム/観光社会学の可能性」(NPO法人北海道冒険芸術出版)を読む。要するにアニメの聖地巡礼を取り上げ、観光社会学の観点から分析した本である。100ページ足らずの本なので2時間ほどで読み終える。
アニメ聖地巡礼とは宗教的な聖地巡礼ではなく、アニメの舞台(背景画像)のモデルとなった土地を視聴者が実際に訪ね歩くことである。必ずしも観光名所とは限らない。住宅街のように一見何気ない風景が採用されることも多いのである。

コンテンツとは何らかの編集過程を経たものでユーザーが消費するものを言う。要するに媒体は異なれど作品である。

まず観光社会学について概説が述べられる。一般教養で社会学をかじったのはもう30年以上前になる。その間、情報通信が革命的に進歩して、個人を取り巻く環境が激変した。なので、ほとんど初めてに近い概念も多く再度読み直した。

この本は東浩紀「動物化するポストモダン」(講談社新書)のポストモダン論に依拠している面があって、たまたま「動物化するポストモダン」は既読なのだけど、何というか、強烈な説得力に欠ける印象なのである。そういう点では基礎となるべき部分に問題を残しているかもしれない。

タイトルのn次創作というのはボーカロイド「初音ミク」の大ヒットに触発されたコンテンツのあり様を述べたもの。初音ミクという第一次的なキャラクター像があって、そこに二次創作として楽曲をつける。するとその楽曲に反響があり、更に次なる三次創作を呼び起こす……というもので、ニコニコ動画が標榜するUGC(ユーザージェネレイテッドコンテンツ、ユーザーが生成したコンテンツ)が相当する。

アニメの聖地巡礼でも似たようなことが起きる。どこか現実の場所を舞台(背景画像)のモデルとした作品が放送されると、まず「特定班」という層――おそらく地元の人が多いだろう――が動く。そうして舞台となる背景の位置を特定してネットで公開するのである。それが次なる訪問客を呼び、舞台となる背景に関する情報がネット上で蓄積されていく。更にマスコミで取り上げられることで、その存在を知り訪れる層が現れる……という具合に進行するのである。

寅さんの映画ロケ地を探訪したホームページもあり、宗教用語でないいわゆる聖地巡礼という行動はアニメに限らず昔からあった。アニメでも1995年まで遡れるとのことである。本著では具体的な成功例としてアニメ「らき☆すた」の舞台のモデルである埼玉県久喜市鷲宮がクローズアップされている。アニメ「らき☆すた」が放映されたのは2007年だが、鷲宮では現在に至るまで息の長い活動が続けられている。

従来、観光学ではゲスト/ホストの二項対立的な概念で訪問客とそれを受け入れる現地の人たちを論じていたが、アニメ聖地巡礼では、この二項対立的な図式が崩れ、訪問客のうちディープな層が地元を盛り上げようとする地域プロデューサー的な立場の人と関わりを持つようになったりしているとのことである。中には実際に住まいを聖地周辺に移した人もいるらしい。

要するに、コンテンツツーリズムはハレーションをひき起こせるかということだろうか。調べてみるとハレーションは悪い意味で影響を及ぼすというニュアンスがあるらしいが、良い場合にも用いられることがある。鷲宮の事例ではキーマンとなる人材が要所要所で欠けることなく揃っていることが挙げられていた。

例えば本著では「朝霧の巫女」という広島県三次市を舞台とした作品も取り上げられている。「朝霧の巫女」は僕も一巻だけ読んでいるけれど、それはともなく稲生物怪録という三次市に伝承される物の怪譚をベースとしているのである。地元に伝わる伝承を基にした作品が作られ、更にそれが映像化された事例なのである。

島根県石見地方だとアニメではないけれど、少女漫画を映像化した「天然コケッコー」や「砂時計」が挙げられる。映画の場合は「フィルムツーリズム」と呼ばれるらしい。そういえ本著ではフィルムコミッションに関する記述はなかった。実際には映像化に当たってフィルムコミッションが裏で働いていて、映画のクレジットなどでそれが確認できる。

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2018年3月25日 (日)

関東神楽の源流と聖地巡礼

外出して埼玉県久喜市の鷲宮神社にお参りする。東武線に乗るのは初めて。2時間以上電車に揺られ続けて辿りつく。といっても、あざみ野→久喜→鷲宮と乗り換えは至ってスムーズであった。埼玉県は春日部を過ぎると田園風景が広がるのどかな車窓の風景となる。

鷲宮神社は鷲宮催馬楽神楽(正式名称:土師一流催馬楽神楽)という関東の神楽の源流となった神楽があるお社であるとのこと。他、僕自身は視聴したことがないけれど、アニメ化されて人気となった「らき☆すた」が舞台のモデルを鷲宮にしたことでも知られる。いわゆる聖地巡礼の成功例として知られているのだ。僕が行ったときも、それらしき人達がいた。

鷲宮神社・鳥居と大酉茶屋

鷲宮神社・らき☆すたの痛絵馬

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黎明期の本――本田安次「日本の伝統芸能 第二巻 神楽Ⅱ」

本田安次「日本の伝統芸能 第二巻 神楽Ⅱ」を読み終える。550ページ近くある大著で、後半200ページほどが資料集だった。旧字体の知らない字も多く、手元に漢和辞典がないので、IMEの手書き入力機能を利用して調べたが、一度では中々覚えられない。資料集を読むのは骨が折れた。

全国の神楽を概観した本で、ただし悉皆調査ではないので、例えば広島の十二神祇神楽は漏れている、そういう意味では西日本に偏っていた自分にとっては有難いのだが、第一章の湯立神楽は予備知識がほとんど無いこともあってか、頭に入らなかった。それ以降、執物神楽、山伏神楽・番楽、大神楽、巫女神楽に関しては読めた。

神楽研究が始まって間もない時期からの論考を収めたもので、記述は子細であるが、ある意味、神楽の実見と史料の収集が主の段階である。出雲流神楽ということが言われるが、例えば関東の里神楽と比較して直感で出雲流ということが言われるのであって、史料や口伝に基づくものではない。

石見神楽の場合、出雲神楽と被っている演目があって、影響を受けていることが分かるのだが、古い通説が関東の里神楽も出雲流神楽としてしまうことには疑問がある(※本著では執物神楽と分類している)。

ちなみに付録として、岩田勝「伝統芸能研究における文書資料の活用」、朝山芳国「佐陀神社の御座替祭」などが収録されている。

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2018年3月21日 (水)

百聞は一見に如かず――「江戸里神楽を観る会」を鑑賞 2018年3月

横浜は雪だったが外出。新馬場の品川図書館隣の六行会ホールで催された第十八回「江戸里神楽を観る会」を鑑賞。間宮社中主催。演目は禊祓・八雲の舞(品川神社太太神楽)・根之堅州国。ゆったりとした舞で写真に撮るとポーズが決まっている。

「禊祓」は石見神楽の塩祓いのように場を清める舞かと思っていたが、実際には黄泉の国から帰ったイザナギ命がケガレをすすいで天照大神・月読命・スサノオ命の三貴神を生み成す内容だった。三貴神が登場するのは現代的アレンジで、本来は三柱の翁が出てくるとのことであるが、今回は時間の都合でカットされたとのこと。

(訂正)やはり場を清める舞とのこと。

神楽の演目・禊祓。イザナギ命・天照大神・月読命・スサノオ命のそろい踏み
写真はイザナギ命・天照大神・月読命・スサノオ命のそろい踏み。

「八雲の舞」のは要するに八岐大蛇だが、蛇胴は使っていない。
神楽の演目・八雲の舞。八岐大蛇
これがオロチ。
神楽の演目・八雲の舞。スサノオ命と奇稲田姫
「根之堅州国」はオオナムヂ命(大国主命)が根の国のスサノオ命を訪ねて娘のスセリ姫を貰うために様々な試練が課される内容。
神楽の演目・根之堅州国。炎にまかれて苦しむオオナムヂ命
炎にまかれて苦しむオオナムヂ命。
神楽の演目・根之堅州国。抱き合うオオナムヂ命とスセリ姫
抱き合うオオナムヂ命とスセリ姫。

江戸の里神楽は一部口上も入るが基本は黙劇である。柏手を打って動作のきっかけとしているところが特徴だろうか。上演時間は三時間ほど。休憩があったので正味二時間くらい。寒いのを我慢していった甲斐があった。

写真撮影はOKだったが、ストロボ禁止。撮影していてAFの合焦音が耳障りだったので周囲に迷惑だったろう。僕のは古いミラーレスで、サイレントモードが無かった。

六行会ホールは300人程の収容人数で神楽鑑賞には適した会場だった(※ちなみに来年は会場が変更になるとのこと)。観客は年配の方がほとんどだったけれど、女子高生二名もいた。入場料は無料。受付で名前と住所を書いたけれど、名古屋から来ている人もいた。

パナソニックGX1+35-100mmF2.8で撮影。35-100mmF2.8は360gと軽量コンパクトでホールでの撮影には好適だと思います。

<追記>
関東の里神楽は基本、黙劇なので口上台本が無い。台本があれば、それを読んでどんな内容か想像することもできるのだけど、それができない。かといって、各演目についてどんな内容か解説した文章がまとまっている本やサイトの存在を知らない。

石見神楽や芸北神楽は鬼退治一辺倒、バトル一辺倒という印象だけど、関東の演目はそうではないようである。そういう意味ではバトルに偏ってしまった現状を見直す機会となるかもしれない。

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2018年3月18日 (日)

10年ぶりくらいか

洗足池公園へ行く。名馬池月伝説や勝海舟、日蓮上人所縁の地。今回は横浜市営地下鉄グリーンラインが開通していたので、日吉ー大岡山ー旗の台―洗足池と乗り継ぎ回数は多いものの、比較的短時間で行けた(前回は蒲田経由だった)。以前使ったデジカメはキヤノンIXYだったので、10年ぶりくらいか。

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西日本の神楽の概説書――石塚尊俊「西日本諸神楽の研究」

石塚尊俊「西日本諸神楽の研究」(慶友社)を読み終える。550ページ近くある大著だけど、記述が平易なので、速いペースで読めた。ただ、一次史料の漢文や古文などは何となく分かったような気がする程度である。また、神楽の専門家だけあって、執り物や衣装、舞ぶりに関する記述が子細で、門外漢の自分にとっては容易にイメージできない面もあった。

中国地方・四国・九州と西日本の神楽に関する概説書といってよいだろう。近畿地方に関しては巫女神楽が主体で男性主体の舞が少ないところから割愛されている。

神楽の分類として出雲流神楽というのがあり、佐陀大社で能楽の様式が取りいれられ神能が成立して周辺に影響を及ぼし波及していったというのがこの本の書かれた当時の通説的な見解だけど、本書ではそれに異を唱える。

古い史料を紐解き、出雲でも神楽といえば巫女神楽や湯立神楽であったことが実証される。石見地方でも神楽とは呼ばず舞と言うように、神能は神楽とは呼ばず神能であったのだ。そして、佐陀大社で神能が成立する以前から神楽の演劇化はある程度進んでいて、佐陀大社が神能の様式を確立することで定まったと論考している。

現在見る神楽は演劇性が濃く、石見神楽が典型だけど、神話劇といった印象が強い。が、歴史を紐解くと必ずしもそうでなかったことが明らかにされる。江戸時代に入り、両部神道から唯一神道への移行が始まり、仏教色のある詞章は改訂されていくのである。

石塚神楽理論の極意としては日向の米良神楽に見る神体出現の神楽だろうか。直面の者の舞に誘われて出て来た着面の在所の神の舞が披露される、いわば神体出現の神楽である。これが現在見られる里神楽の中で最も古態を残すものとして、演劇化の進んだ出雲神楽などと対比される。石塚は出雲の社家の出身だけど、日向の米良神楽などといった南九州の神楽へと構想が赴くのである。

そういう意味では石見神楽は演劇化が進んでいるけれど、大元神楽では託宣といった古態を未だに残しているのである。
まず、神楽の古い態様として在所の神の神体出現の神楽があり、その後、修験の山伏が伝えた「将軍」といった演目が重視されるようになる。その後、伊勢の影響もあって「岩戸」が演目として重視されるようになる。記紀神話の神々が神楽に登場するようになるのである。今でも九州では「岩戸」を演目の最後に置き、最も重視するという姿勢をもっているのである。そして、修験の山伏が伝えた五行神楽(五郎王子)が重視されるようになる。これは備後、備中などが典型である。将軍→岩戸→五行神楽と波及して行くのである。

なお、石見神楽では「岩戸」から初めて、トリに五行神楽を持って来るという折衷的な構成となっている。

また、神楽を伝えた人の要素として巫女や陰陽師、山伏の存在が取り上げられる。対馬の神楽が典型的なのだが、男性の法者(ほしゃ、ほさ)が囃子を奏で、女性の命婦が舞うといった形態が古態を残すものとして注目される。元々神楽では巫女が舞い手として重要な役割を荷っていたが、時代が下るに連れて、男巫の舞が主流になってきたとしている。

法者は陰陽師の流れを汲むという面にも注目する。中央から地方に散逸した陰陽師が食べていくために神社の神人として神楽を担う人材となっていった事例が対馬に見られるのである。また、東日本ほどではないが、西日本においても修験の山伏が神楽に深く関わっているとのことである。

以上のように、西日本の諸神楽を概観する上で適当な書であると言えるだろう。まず「西日本諸神楽の研究」から読みはじめて、それから岩田勝や牛尾三千夫などの著作に進んでいくのが神楽を理論的に学んでいく上で無理のない流れであると思われる。

一人の学者が見て回れるのは日本の半分くらいまでが限界なのだろうか。他の研究者だと一県+αくらいがテリトリーという感もあり、最大限回れるだけ回った感もある。その分、視野の広い内容となっている。できれば「西日本諸神楽の研究」の東日本バージョンが欲しいところである。

なお、「里神楽の成立に関する研究」は横浜市立図書館に所蔵されていなかった。記憶違いか。調べてみたところ、浜田市立三隅図書館に所蔵されている。

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2018年3月11日 (日)

埼京線に乗ったのは初めてか

外出して浦和の調(つき)神社と第六天神社、それから明治神宮にお参りする。調神社は狛犬に相当する動物が兎の珍しい神社。帰宅すると足が痛くなっていた。日曜日の原宿駅は混んでいた。

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2018年3月10日 (土)

快童丸から金太郎へ――鳥居フミ子「金太郎の誕生」

鳥居フミ子「金太郎の誕生 遊学叢書21」(勉誠出版)を読み終える。

坂田金時は源頼光の四天王として有名だが、その金時の幼少時を語る物語として金太郎の昔話がある。御伽草子の「酒呑童子」での鬼退治で坂田金時の名がクローズアップされる。

酒呑童子は江戸時代における新興の芸能である浄瑠璃で盛んに上演されるようになった。しかし、この時点では、金時の幼少時のエピソードは全く語られていなかったという。中世の能「山姥」にも山姥の子であるという発想は無いとのことである。

十七世紀に創作された「源氏のゆらひ」という演目に金時の父が登場する。そして十一歳の頼光と十五歳の金時という臣下の関係が誕生するとのことであるが、これはそれ以降発展することがなかったようである。

それから金時の子、金平というキャラクターが生まれ、好評を博する。そして金平の父である金時の出自を語る際に、山姥の子であり、山中で暮らしているという設定が生まれる。

「前太平記」では坂田金時は二十歳ばかり童形の姿であり、母の山姥が赤龍の子を孕んで誕生したとしている。それは「史記」で漢の高祖が龍の子であるとされている故事を援用したものとなっている。このとき金時を「くわいど」――つまり快童のことであろう――と呼んでいるのである。こうして金時の出生譚が広く民間に流布していくことになるのである。

この金時出生譚が近松門左衛門の「嫗山姥」で更に発展する。八重桐という遊女が信州の山中で山姥となり、夫の魂魄を孕んで快童丸が誕生したとするのである。ここで金時の幼名として快童丸の名が登場することになる。童子は全身朱色で、鹿・狼・猪を食い散らかす野生児として描かれている。そして頼光の家臣として召し抱えられることになるのである。

この快童丸が草双紙でイメージ化され流布することになる。そして同時に金時の幼名が快童丸から怪童丸へ、そして金太郎へと変遷していくのである。そこではマサカリを抱えた金太郎が熊に乗っているという図式で語られていくことになる。ここで、家来の獣たちを従えた足柄山の野生児である金太郎のイメージが確立される。

また、草双紙のみならず、浮世絵でも金太郎と山姥のイメージが広がっていくのである。ここでは山姥は美人として描かれ、美人画を規制されたことによる反動が見られる。

そしてこの金太郎のイメージは明治時代になっても引き継がれ、豆本という形式で児童の間に拡がっていく。そして厳谷小波が「金太郎」というタイトルの昔話で金時の幼少時のエピソードを再話することで、金太郎の昔話における地位は確固たるものとなっていく。折しも明治時代は富国強兵の時代であり、金太郎の持つ尚武のイメージが好感された。

以上のような形で坂田金時の幼少時のイメージは金太郎という野生児のイメージとして確立されていく訳である。野生児である金太郎が成長して源氏の家臣となり、鬼退治、妖怪退治のスペシャリストとして名を馳せていくというイメージはかくのごとく、様々な芸能、媒体で展開されることによって成立していったのである。

余談。

少年漫画である高橋留美子「うる星やつら」にも金太郎が登場する。金太郎のイメージそのものの児童であるが、面白いことに高橋留美子は、金太郎は結局は偉い人の家来で一生を終えたようですとギャグめいて語っているのである。活躍するも、一国一城の主とはなれなかったというところだろうか、面白い解釈である。

実は柳田国男の「桃太郎の誕生」を読む前は、「金太郎の誕生」のように、桃太郎のイメージの発生と展開を追いかけていく本だと思っていた。「金太郎の誕生」はそういう意味では期待に応えてくれる作であった。

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2018年3月 9日 (金)

恐怖を克服する――野村泫「昔話の残酷性」

野村泫(ひろし)「昔話の残酷性」(東京子ども図書館)を読み終える。三十ページ程なので、ものの数時間で読み終えた。

昔話には残酷な場面が多いから、子供の読み物として適当ではないという考え方があることが初めに提示される。

昔話を再話したり翻訳したりする際に、残酷な場面をカットすることもしばしば行われている。そこには残酷な場面を含む読み物は子供を残酷な行為に赴かせる」という考えが潜んでいるとしている。それは戦争時の残虐な行為の底流として昔話の残虐性があるとの考えにまで至るのである。

本書ではそういった考えに反駁すべく、文芸学、民俗学、心理学的なアプローチがなされる。

文芸学的な立場では、マックス・リュティの研究が援用されるが、昔話の描写は近代文学と異なり、登場人物の内面描写や写実的な描写がなされることはなく簡潔、抽象的な描写に留まる。いわば、手足がもげても、昆虫の様な節足動物の足がもげた程度の印象しか与えないとでも言えるだろうか。昔話では残酷な刑により苦痛のうめき声をあげることはないのである。

それは「それから? 次は?」という子供の問いかけに応じたものである。昔話ではすじの運びを重視しているのである。昔話の残酷な要素は、話のすじを次の点へと導く役割を果たしているに過ぎないのである。残酷さを含んではいても、決してその残酷さを強調するものではないのである。

善人が報いられれば、子供は善の原理が勝ったと感じ、悪人が殺されれば、悪そのものが打ち破られたと思う。残酷で容赦のない罰は当を得ている訳である。そしてそれは抽象的で、写実的な物語のように恐怖を煽るものではない。

民俗学的な立場からは、昔話に登場する残酷な刑罰が実際に過去に行われていたものであることが明らかにされる。

深層心理学的な立場では、昔話は、子供から大人への人生の変化期を通り抜けねばならない若い人間のことを語っているのだと考察している。いわば、通過儀礼である。そして、昔話の中の残酷な要素が子供の心の発達にどう関わっているか明らかにしているのである。

例えば赤ずきんの話を始めて聞いた女の子の事例が取り上げられる。初めては悪い狼を怖がっていたが、悪い狼は退治されたことを語った結果、その女の子は心の中で悪い狼を克服、「森の狼さんのところへ行くのよ」とまで言うようになる。

「赤ずきん」を改作して、猟師が鉄砲でズドンと狼を撃った。狼はそのまま逃げてしまったとしているものがある。それでは狼の生死は曖昧なままで、子供にとっては悪が平らげられた結果とはならない。そういう点で問題を残すのである。

また、アメリカの若い夫婦が昔話の残酷さと非合理性を恐れて息子に昔話を聞かせなかった事例が挙げられる。両親は息子を迷信に染めずに育てたと自慢していたが、あるとき、子供が暗い部屋で独り寝ていられなくなってしまうのである。抵抗力がなく、暗闇の恐怖に勝てなくなったのである。

そういう風に、昔話には不安や恐怖、悪に勝つ力を学ぶ効能が認められるのである。

以上のようなアプローチで、昔話の残酷性は抽象的なもので、苦痛そのものを伝えるものではない。そして、それは不安や恐怖、悪に打ち勝つ心の強さを育むものであると結論づけているのである。

個人的には日本の昔話の多くは因果応報をベースにしているものが多いと感じている。良いことをすれば良い結果が返ってくるし、悪いことを行なえば報いが返ってくる。そういう人生を貫く原理をやさしく読み聞かせるものなのである、と思うのである。

余談。
心理学者ヨゼフィーヌ・ビルツの著作がないか検索してみたが、ヒットしなかった。

 

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2018年3月 8日 (木)

伝説と物語マーケティング

山川悟「事例でわかる物語マーケティング」(日本能率協会マネジメントセンター)を読み終える。マーケティングに物語論を導入する手法である。定量的ではなく定性的な分析となる。そういう意味ではポストモダンのマーケティング手法である。

ここでいう物語は純文学のようなものではなく、娯楽作品を想定している。本著中の表現でいくと、「越境」→「危機」→「成長」→「勝利」という図式を持つ作品群である。起承転結みたいなものであるが、それよりもエンタメ志向で具体的である。おそらくハリウッドのメソッドを参考にしているのだろう。

越境:自分もしくは世界のアンバランスを正常化するため、新たな世界、新たな状況に越境する。

危機:しかし主人公は越境先の世界で敵対者に叩きのめされ、どん底を味わう。

成長:そんなとき図らずも協力者となるパートナーと巡り合う。協力者と出会うことで主人公は成長していく。

勝利:成長した主人公は敵対者に立ち向かい、最終的に勝利を収める。この勝利で世界は正常化される。

……といった風である。極端な例を言うと、「穴に落ちた主人公がそこから這い上がるまで」が物語と要約できるだろうか。本書に載っている訳ではないが、ハリウッドでは二行ログラインといって、面白い話は二~三行で要約できるとしている。

主人公だけの分析に留まらず、敵対者や協力者の分析も行われる。その際、ユングの原型(アーキタイプ)が援用されることとなる。

事例としてはサントリーの緑茶飲料「伊右衛門」などを挙げている。本木雅弘演じる頑固一徹な職人と、かれを支える妻として宮沢りえが登場する内容となっている。伊右衛門はサントリーの緑茶部門の売上げの救世主となったとのことで、ここにも物語性が認められる。

物語形式だと親しみやすい、(文脈に沿って)理解しやすい。(文脈として)記憶しやすいというメリットが挙げられる。たとえばブログの記事など消費者サイドが書くものについても、物語性があった方が望ましいようである(※商品を買ったことでライフスタイルがどう変わったか等)。独自のキャラクターを付与して、そのキャラにまつわる物語を創造することなども行われている。

なお、ロシアのプロップの昔話に関する分析を紹介しているが、プロップが分析したのはロシアの昔話の内、魔法昔話に限られる。その点、全ての昔話に適用可能という訳ではないので注意が必要である。

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例えば当ブログで紹介している物語として乙子狭姫の事例を取り上げてみる。

「越境」:乙子狭姫の母神が殺されてしまい、遺骸から生えた五穀の種を持って狭姫は日本へと渡ることになる。彼女を載せて運ぶ赤雁が協力者である。

「危機」:旅路の途中、狭姫は日本海沖の高島で休もうとするが、猛禽類に「我は肉を食うから五穀の種などいらん」と追い払われる。須津の大島でも同じような体験をする。

「勝利」:日本本土に辿りついた狭姫は益田の比礼振山に降臨する。

「成長」:乙子周辺に種の里を開いて、五穀の種を広める。

といった形に分析できるだろうか。「越境」「危機」「勝利」「成長」と若干順序が異なるが、物語の定型がおおよそ適用されていることが分かる。

益田市の佐毘売山神社の公式サイトではこの乙子狭姫の伝説を紹介し、神社の背景に物語があることを知らしめている……といった所だろうか。また、「正史狭姫伝説」という漫画を制作して狭姫伝説の普及に尽力している。他、狭姫が降臨したとされる天道山に付属の赤雁の里交流館などもある。

続いて胸鉏比売の伝説を分析してみる。

「越境」:父の意に添わなかった胸鉏比売は出雲の国から流され、石見の国・波子に漂着する。漂着した姫を翁と媼が拾って育てる。

「危機」:胸鉏比売が成長したあるとき、山の向こうに狼煙が上がる。それは出雲の国を寇が襲っているという知らせである。

「勝利」:翁と媼の制止を振り切った胸鉏比売は出雲の国に立ち戻り、異国の賊徒を平らげる。

「成長」:大功を立てた姫は十羅刹女の名を贈られる。

ここでも「越境」「危機」「勝利」「成長」と順序は若干異なっている。江津市の岩根神社では境外に胸鉏比売が隠れたという隠れ岩を祀り、胸鉏比売の伝説を掲示している。岩根神社は特にホームページは持っていないようであるが、参拝した客には神社の成り立ちの背景に物語があることが分かるようになっている。

伝説はかならずしもハッピーエンドではないので、そのまま娯楽作品の物語論を当てはめることは難しいか。

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伝説は観光資源にならないのか、がこのブログの裏テーマだけど、ググってみたところ、物語マーケティングという広告用語がヒットした。典型的なのはニッカウヰスキーとNHKの朝ドラ「マッサン」だろう。商品の裏側にはそれを支えるドラマがあるということを端的に示した事例だ。そこまでいかない普通の商品なら開発ヒストリーなどが挙げられるか。要するに、物語形式だと記憶し易いらしい。

たとえば社寺仏閣にまつわる伝説も物語として挙げられるようだ。そういう意味では、当ブログは無意識的に物語マーケティングを行っていたことになる。

島根県立図書館郷土資料室に行ったとき、ちょうど島根の伝説が読みたいという女性が訪れていて、司書さんが地方史誌や伝説集のあるコーナーを紹介していたが、あれはもしかして自分のブログを読んだのだろうかと妄想してしまったことがある。

ネットという性格上、いつでもどこでも自由にアクセス可能なのだけど、実際にはブログの性格上島根県からのアクセスが多い。県内の移動を促すといったところだろうか。

ただ、たとえば最寄り駅から歩いていける距離にある神社だと、浜田市の石神社や江津市の岩根神社などに限られるだろう。益田市の櫛代賀姫神社も徒歩ではやや遠いか。益田市の佐毘売山神社は公式ホームページで狭姫伝説を取り上げて、いわば物語マーケティングも行っているけれど、益田市の山中にあり、徒歩ではちょっといけない距離にある。

石見地方の観光地というと、石見銀山か津和野といったところだろうか。観光資源自体はあるものの、距離が離れていて移動に時間が掛かる問題点があるらしい。

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例えば浜田市は「天然コケッコー」の舞台のモデルとなった地である。もう無くなってしまったけど、某匿名掲示板の映画板の天然コケッコー・スレッドで、実際に浜田に旅行すると予告した人たちが何人かいた。そういう人たちには駅前に観光協会があるから、そこで観光タクシーが利用できないか訊いてみるようレスした。そして実際にタクシーに乗ったという報告があった。天然コケッコーのロケ地を抑えているドライバーがいた様である。こういう場合、実際に観光した人の満足度は高いであろう。

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これとは異なる物語マーケティングが大塚英志「物語消費論改」(アスキー新書)に記されている。80年代に流行った「ビックリマンチョコ」を事例としたもの。ビックリマンチョコは1個30円のチョコレートであるが、シールが添付されていて、そのシールにはビックリマンの神話体系とでもいえる壮大な世界の断片が記載されている。シールはランダムで770枚以上に及ぶ。子供たちはこのシールを目当てにしてビックリマンの世界を楽しんでいたというもの。後にコミック化、アニメ化もされている。

ポストモダンの言説だが、まず最初に<大きな物語>を設定して世界観を形づくる。そしてその断片をチラ見せしていくことで、消費者側が情報にアクセス、物語を紡いでいくというもの。

ビックリマンもシール目当てで、チョコレートを子供たちが捨ててしまったこと(ロッテは食品メーカーであり、食品流通のルートに載せられていた)や射幸心を煽るということで問題視されて、ブームはやがて下火になったとされている。

開発者は元々ロッテの法務部門に勤めていたが、開発部門に異動、ビックリマンの世界を生み出したとされる。子供の頃から仏教説話に親しんでいたとのこと。

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2018年3月 4日 (日)

久しぶりの池袋

池袋(豊島区)の春日神社と長崎神社にお参り。狛犬の写真を撮る。春日神社の十羅刹女祠、春日神社から入るのでなく寿福寺から入るように変わっていた。

その後、板橋区の赤塚諏訪神社にお参り。最寄り駅は都営三田線・新高島平駅。道なりに南下すると神社があった。西高島平駅まで行っていたら見つけられなかっただろう。他サイトによると十羅刹女社だったとされているけれど、境内の掲示に十羅刹女関連のものは無し。

初め、村社諏訪神社と石碑にあったのだけど、地図に示された場所と異なるので先に進んでしまった。ユンボで作業中の老人に訊いて辿り着く。

明治神宮にもお参りしたかったのだけど、夕方なので次回に持ち越す。そこまで暗くはならなかったが。

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2018年3月 3日 (土)

人面犬の昔話もあり――田中瑩一「伝承怪異譚」

田中瑩一「伝承怪異譚――語りのなかの妖怪たち」(三弥井書店)を読み終える。島根大学名誉教授の著書。2010年の刊行なので、7年近く積読していたことになる。冒頭に益田市乙子町での昔話採集のエピソードが語られていて、その中に乙子狭姫の話が語られていて、そこだけ読んで満足してしまっていた。記述自体は平易で分かり易いものである。

主に島根県で採集した昔話をベースとして様々な怪異が紹介される。

ラフカディオ・ハーンの怪談「雪女」について考察があるが、西多摩郡調布村とあるので今の調布市だろう、調布で採集した話が元だとされていることから、雪女の成立過程について考察している。僕自身は昔、講談社ブルーバックスで「怪談の科学―幽霊はなぜ現れる」という本を読んだことがあって、江戸時代は現在より寒冷な気候だったと記されていた事を記憶している。なんでも、低体温症になると錯乱、身体が熱くなって着ている着物を脱いでしまうといった現象が報告されており、それが雪女のイメージとなったとのことで、元は東北か信越地方で生まれた伝説だろうけれど、江戸で伝承されていてもおかしくはないと思っていた。なので、「伝承怪異譚」で雪女の成立過程――「舌抜き女」の昔話と関連づけての考察があることに興味を覚えた。

「からさでさん」という出雲地方の昔話では、十一月二十六日に出雲の国に集まった神様たちが帰る日を「からさでさん」というが、その日は謹慎して戸締りをして目張りをして外を見ないようにするとのことである。ところが、一人のいけず子が神様とはどのような姿をしているのか見てみようと思い立ち、家を抜け出てしまった。果たして神様の行列と遭遇してしまったいけず子だったが、見とがめられて「ワンワン」と犬のふりをしたところ、神様は犬ではしょうがないと帰ってしまった。ところが、夜が明けて見ると、いけず子は顔が人で首から下は犬になって「ワンワン」と悲しそうに鳴いていた……という話があった。これは、いわゆる人面犬の古い形ではないだろうか。思わぬところで人面犬の話に出くわした。

章立てとしては、炭焼き小屋に来る女/山の呼ぶ声/山姥の来る家/山人、大人/蛇と蝦蟇/もの言う猫、踊る猫/人を襲う猫/人をとる蜘蛛/食わず女房/しだいだか、せこ、小豆とぎ/七尋女房、杓貸せ/からさでさん、さで婆さん/大きくなった石、口をひねられた蛭 といった内容となっている。

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