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2018年2月19日 (月)

国文学者としての一面――岩田勝「神楽新考」

岩田勝「神楽新考」を読み終える。「神楽源流考」も通読していないのだけど、生憎と関東地方での所蔵は国会図書館だけなのだ。

「神楽新考」は僕にとって異次元な本であった。「鎮魂」をタマフルと読むかタマシズメと読むかで考察が進み、更に神がかりを一言で要約すると「憑」だけど、「憑」をカカル、ツク、ヨルなどと読む場合に分けて考察している。一度通読しただけではとても理解したとは言い難いので、解説は省く。興味のある方は手にとって欲しい。

岩田勝は在野の神楽研究者というイメージだったけど、「神楽新考」では国文学者という一面を見せる。単に芸能としての神楽に留まらず、その根源にあるものを古典を駆使しつつ論じているのだ。

独学で高等教育を身に着け、専門家に勝る考察を行っているのである。たとえば、章末の参考文献一覧だけど、「神楽源流考」の場合は、これを読んでみようかと、ある程度見当がついた。ところが「神楽新考」の参考文献一覧はどこから手をつけたらいいのか皆目分からないのだ。

独学でしかも郵便局員という本業がありつつ、どうやって時間を捻出したのかと思うくらいである。

また、僕の場合に引き比べて考えてみると、関東地方だと国会図書館や東京都立図書館、横浜市立図書館などの蔵書でほとんど賄えるのだけど、岩田は中国地方の各局を転々としていたようだから、関東地方のように恵まれた環境下にいた訳ではないことになる。休日は県立図書館に通ったという文がどこかにあったか。

「神楽新考」は平成4年の出版で、岩田勝は平成6年に亡くなっているから、批判を受け付ける時間がほとんどなかったことになる。次回作の構想もあったようだけど、それは結局出ないままとなった。

しかし、「神楽新考」初版は600部に過ぎないのである。大学と図書館で大多数はけてしまう数字だろう。なので11,000円と高い価格設定になっている。現在でも書店で注文可能のようだ。

当ブログも島根県石見地方の伝説は主なものはほぼカバーできたと思っている。それで、これからの10年間をどうするかという考えがもたげて来ているのだけれど、考えさせられる本であった。

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