エンタテインメントの源流へと遡ると、死生観に辿り着く――牛尾三千夫「神楽と神がかり」
横浜市立図書館で借りた牛尾三千夫「神楽と神がかり」を読み終える。500ページ以上ある大著なので二週間では読み切れないかと思っていたが、何とか読み終える。といっても理解した訳ではない。記述自体は平易だが、神楽の式次第が事細かに記されていて、門外漢の僕にとっては一読では理解できないものだった。
備後の荒神神楽、三十三年目の式年祭は、死後三十三年経つと魂が祖霊に加入する儀式ということで、仏教の輪廻転生とは異なる死生観が現れていて興味深かった。神楽が吉田神道の影響を受ける前には浄土神楽なるものも執り行われていたとのことであるが、現在では文献に残るのみである。
備後地方における若宮信仰の場合――これは神主など特別な人のみだが――死後二、三年で仏の支配から離れて祖霊に加入するという儀式も行われていたとのこと。
現代の神楽は地方のエンタテインメントだけど、源流へと遡っていくと、日本人の死生観に行き当たるのが面白い。死んだらどうなる? というのは根源的な疑問だ。仏教では輪廻転生としつつ、お盆にはご先祖さまの零が帰って来るなど日本人の死生観は仏教や道教の影響が混在して曖昧だけれど、その曖昧さに一つの光を差し向けるのではないか。
牛尾は大元神楽の継承者でもあるので、生まれながらの神楽研究者と言えるだろう、神がかりについて詳しい。あらかじめ選抜した託太夫に憑く場合と、その場に居合わせた人――観客を指すのだろうけれど――につく場合とに分かれるとのことであるが、どうして、あらかじめ潔斎していた託太夫でなく、その場に居合わせた人が神がかることがあるのか不思議である。
神が憑いて託宣ということは科学的な説明をするとトランス状態に入り、無意識の声を聞くということだろう。この本には書かれていないけれど、トランス状態には単純な動作の繰り返しで入っていくらしい。大脳生理学で研究すれば面白いのではないかと思うが、厳粛な神事ということもあって禁じられているのかもしれない。
この本は牛尾三千夫が病床にあるときに編纂されたもので、書下ろし部分も含むが、それまでの研究を集大成したものである。編纂は岩田勝が行っている。ちなみに、岩田勝は浜田の郵便局長を務めていた時期があることが解説で分かった。
牛尾の関心は主に儀式舞に向けられていて、能舞にはあまり関心がなかったようである。口上台本は史料として残してくれている。当ブログでは神楽については文芸的な面から書いているけど、社中に所属したことがある訳でもなし、儀式舞だと書きようがないのだ。まあ、先駆者に掘り尽くされるよりいいのかもしれない。
余談
神がかりした人の鬼気迫る表情が写真で納められているのだけど、それが自分の父に似ているのである。石見の山奥だし、うっすらと血がつながっているのかもしれないし、石見地方によくある顔立ちなのかもしれない。細身で腕が細いタイプだから、肉体的に強い訳ではないが、遺伝子が残っている。別のメリットがあるのだろう。
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